疾風の往く道

初音

文字の大きさ
21 / 37

四大校駅伝競争 ――第一回箱根駅伝②

しおりを挟む


 それから迎えた二月十五日、昼過ぎ。

 悉乃はキヨと共に有楽町にいた。

 東京のど真ん中の道路は、次第に見物人で塞がっていく。駅伝のことを知っていて見に来ている人はもちろん、何が起こるのかわかっていない通行人も集まり、さらにそれを見た通行人が何事かと寄ってきて……雪だるま式に見物人は増えていった。

 箱根駅伝は、東京高師、早稲田、慶応義塾、明治、と四大学の学生がチームを組んで競う駅伝だった。

 昨日のうちに往路の競争は終わっており、今日走る復路の選手たちはそれぞれの中継地点にすでに鉄道や車で移動しているらしい。武雄も鶴見の中継所に行って襷が来るのを待っているようだ。

 道路の反対側には、「東京高等師範学校」とデカデカ書かれた横断幕を掲げた男子学生の集団があった。そのうちのひとりが、悉乃たちを見て「あっ」と何かに気づいたような顔をしたかと思うと、左右を確認しながらこちら側に渡ってきた。

「浅岡さんに鹿嶋さん! 元気にしてましたか!」

 やってきたのは、武雄のはとこ・秀成だった。秀成に会うのは、あの市電での一件以来だった。

「三田さん、お久しぶりですこと。よく私たちのことがわかりましたわね」

 悉乃が言うと、秀成はそりゃあわかりますよ、と胸を張った。

「やっぱり女学生さんの華やかな袴姿は目を引きますからね。これなら武雄もすぐに見つけられるだろうし、やる気出ると思いますよ」

 そ、そうかしら、と悉乃は小さく言った。なんだか照れてしまう。

「三田さん、茂上さんはいつ来るんですの?」
 
 キヨが尋ねた。確かにそれは聞いておかねばならない重要な情報だ。

「さあ……予定では、あと一時間くらいだろうって話ですよ。まあ、マラソンっていうのは何が起こるかわからないらしいですから。お互い気長に待ちましょう」

 世間話もそこそこに、秀成は仲間のところへ戻っていった。悉乃たちは再び手持ち無沙汰になって、つめかける観客の人間観察などして時間を潰した。だが、それもしだいに飽きがくる。

 マラソン観戦というのは、とにかく待ち時間が長い。何しろ、選手と一緒に走るのでもない限り、待つ方は彼らが今どこにいるのかもわからず、時々伝令係が声を張り上げて「早稲田、七区通過!」などと言うのを聞き逃さないようにするしかない。

 選手が来るのを今か今かと期待していた見物人たちの顔にも、疲れの色が浮かんでくる。耐え切れず、その場を退散してしまう者を悉乃とキヨは何人も見送った。

「アメリカ横断って、どのくらいあるのかしら」

 キヨがポツリと言った。退屈に加えて、寒さも容赦なく二人の元気を奪っていく。何か話していないと気がおかしくなりそうなのは、悉乃にもよくわかった。

「私も気になって調べたんですの。そうしたら、だいたい千里だそうよ」
「千里……!?『千里の道も一歩から』みたいな、ものの例えではなくて?」
「そう。本当に千里。二八〇〇マイル」
「途方もないですわ。それに、この駅伝みたいに先生たちの後ろ盾なんかもないんでしょう。大丈夫なのかしら」

 まったくその通りだ、と悉乃はキヨの発言に深く同意した。不謹慎なのはわかっていたが、アメリカ横断駅伝が、企画倒れになってしまえばいいのに、とさえ思った。

 その時、伝令係の声が高らかに響いた。

「明治、八区通過!」

 八区は復路を五つに分けた区間のうちの三番目だ。明治大学の走者はあと二人。高師はどうなんだ、早稲田は? と、観客がざわつき始めた。明治の残り二人の走者が走り切ってしまえば、そこで優勝決定となる。
 悉乃は、複雑な思いでいた。東京高師に、武雄に勝ってほしい。しかし、負ければ……もっと言えば、走り切れないとか、何らかのアクシデントがあれば、「それならアメリカはやめておきましょう」という展開になるかもしれない。

 ――私ったら、なんてことを。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~

めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。  源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。  長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。  そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。  明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。 〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

処理中です...