皇女様の女騎士 番外編集

ねむりまき

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マルヴェナの花嫁修行

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※エミリア父母の馴れ初めエピソードです。


「さあ、レイモン。お前の婚約者のマルヴェナだ」

 7歳になったばかりのエスニョーラ侯爵家の長男レイモンはこの日、親同士が決めた1つ年下の婚約者と初めての顔合わせを迎えた。

 大きな薄茶色の瞳に、その周りを縁取るけぶるような濃い金色のまつ毛、同じ色のなだらかにウェーブした長い髪。

(なんて……キレイな子なんだ)

 目の前に現れた人形のような少女に、レイモンは目を見張った。

 マルヴェナはそんな彼を見て瞳を大きく見開くと、口を開いて笑顔を向けた。

「はじめまして、マルヴェナと申しますの。あなたが、わたくしの将来の旦那様に、こちらが将来のわたくしのお家ですのね! とっても明るくて開放感があって、早く色々な所を見てみたいわ。あら? あちらの窓から見えるのは、バラ園ではありませんの! レイモン、まずあのお庭の案内をお願いしてもよろしいかしら? あ、いけない! いくら将来の旦那様とはいえ呼び捨てだなんて、はしたないですわね。なんとお呼びすれば宜しいかしら?」

「あ、ああ……レイモンで構わないよ。君はなんて呼べばいい?」

(うっわー、よく喋るな……でも可愛いな……)

「わたくしもマルヴェナで構いませんわ! 早く、早く行きましょう!」

 マルヴェナは勢いよくレイモンの手首をつかむと、今いる部屋から庭へ出れる戸口へと駆け出した。

 その日から、マルヴェナはエスニョーラ邸を頻繁に訪れるようになった。

 エスニョーラ邸は広大な上、まだ幼いレイモンには初日のうちに全ての敷地を回ることは難しかったので、彼女が屋敷にやってくる度に、色々な所を案内した。

 しかし。

「ねえ、レイモン。お庭も隅々まで見て回ったし、ウーリスと一緒に騎士団の中も見せてもらったのに、どうしてお屋敷の3階には上がらせてもらえないの?」

「それは、父上からお許しが出るまではダメなんだよ。君がうちにお嫁に来るまでには見せてくれるって言うから、我慢してくれないかい」


 そうレイモンが答えてから数年が過ぎ、マルヴェナ15歳の年。

 ついに、彼女が初めて3階に通される日がやってきた。


 エスニョーラ侯爵とレイモンに連れられ、その階のうちの1つの部屋に彼女はやってきた。

 そこは1面本棚だらけで、マルヴェナが見たこともないような分厚い本がギッシリと詰まっていた。

「マルヴェナ、お前もそろそろ我が家の一員になる年頃になってきた。社交界で我が家の代表として振る舞ってもらうからには、ここの資料を全て覚えてもらう。それができたらレイモンと結婚しなさい」

 痩せ型で鼻の下に口髭を生やしたレイモンの父であるエスニョーラ侯爵にそう言われると、マルヴェナの顔からは血の気が引き始めた。

(一体、なんですの? 初めて来たお部屋だからワクワクしてたのに。だけど侯爵様はちょっと気難しい所がおありだから、聞き返すこともできないし……)

 そんな事をマルヴェナが考えていることも知らずに、侯爵は1人、ドアを開けて出て行こうとした。

「レイモン、説明して覚えるのを手伝ってやりなさい」

 そうして侯爵が出て行ってしまうと、レイモンは棚から厚さ10cmはあろうかという本を4冊ほど抱えて、机の上にドスンッと乗せた。

「ほら、マルヴェナ座りなよ。大して難しいことじゃないんだよ。ただ、ここに載ってる貴族情報を覚えるだけだからさ……」

「ホントに?? ホントーに大して難しいことじゃないんですの? わたくし、ものを覚えたりするのはとっても苦手なんですのよ!」

 急に横から勢いよく顔を覗かせたマルヴェナに、レイモンは一歩あとずさった。

「ハハ、大丈夫だって! マルヴェナは心配性だなー。それじゃ、やり方を説明するから。まず最初の項目には、皇家の家系図が載ってて……」

 こうしてエスニョーラ家にて行われてきた伝統の花嫁修行が幕を開けたのだった。


 ~1年後~
「あれ? マルヴェナ、また1巻の復習かい?」

 ~3年後~
「今日は2巻の復習かー」

 ~5年後~
「また1巻に戻ったのか」

 ~8年後~
「おっ、3巻に入ったんだな!」


 いつの間にか、マルヴェナの花嫁修行は10年目に突入していた。

 ほぼ毎日のようにエスニョーラ邸に通い、ひたすらマニュアル本を開いて文字を追っているマルヴェナだったが、1つの家門を覚え終わって別の家門を覚え始めると、最初に覚えた家門の内容が上書きされてしまう。

 彼女の頭の構造は、そういう風にできていた。

(レイモンの…… レイモンの嘘つき!! こんなの一生かけたって終わる訳ないじゃない!! 文字も紙にびっしり書いてあって、読みにくいですし……このままでは、お嫁に行き遅れてしまいますわ。お父様に言ってなんとかして頂かないと……)

 そんな事をマルヴェナが考えている一方。

 26歳になったレイモンは、父である侯爵の書斎に呼び出されていた。

「マルヴェナは、まだ貴族家の資料集をマスターしていないのか?」

 侯爵は茶色い革のイスに座ってシガーを片手に持ち、レイモンに問いただした。

「父上、マルヴェナはとってもマイペースな子なんだよ。だから、もう少し待っていればそのうち覚えますよ」

 全く気にも止めていない様子で、レイモンは笑いながら答えた。

「このままではいつまで経ってもお前は結婚できないぞ。あそこの家柄は由緒も正しく聡明と聞くから女子が生まれたのを聞いてすぐ、縁組を結んでおいたが…… 見込み違いだったようだ。婚約破棄して、別の家門の令嬢を探さねばならん」

 それを聞いたレイモンの顔からは、血の気が一気に消え失せていった。

「父上、待ってください! 婚約破棄だけは……破棄だけはダメです! 私がマルヴェナを立派なエスニョーラ家の一員にしてみせますから!」

 焦ったレイモンは、すぐさま3階のマニュアル部屋にいる婚約者の所へ行き、付きっきりのマンツーマン授業を始めた。

「だから、ここの家門のこの人の曽祖父が、ここの家門のこの人のまた従姉妹の大叔父に当たるから、その関係で大臣の地位に推薦されて……」

「もう、分かんない!! 誰が誰なのか分かんない!! わたくし、もう、こんなことやりたくないのよ!!!」

 マルヴェナが泣きながら部屋を飛び出そうとすると、レイモンは慌てて前に躍り出て遮った。

「ダメだって、私にいい考えがあるから! それまでは我慢して……」

「わたくし…… お父様と侯爵様が決めたことだから今まで我慢してましたけど、こんな事をさせられてまであなたと結婚なんて……したくないわ」

 下を向いて、涙を流し続けているマルヴェナの言葉に、レイモンは全身に震えが走った。

「わ、私は初めて会った時から、君以外とは結婚しないと決めていたんだ! こんな事しなくて済むようにするから……私を信じて一緒になってくれ!」

 必死になってそう言うレイモンに強く肩を掴まれたマルヴェナは、ハッとして顔を上げた。

「レイモン……今、なんて」

「だから、君が結婚したくないって言うなら、こんな物覚えなくていいさ」

 レイモンはマルヴェナの両手を握りしめて、胸あたりの高さに引き寄せた。

「だけど、侯爵様はお許しにならないでしょ? これを覚えないと、結婚は出来ないっておっしゃってたじゃない」

 瞳を震わせながらそう言うマルヴェナの耳元に顔を寄せて、レイモンはある事を小声で話した。


 1週間後。

「やっとマスターしたという事だな。では、これから問題を始める」

 エスニョーラ侯爵の書斎にて、マルヴェナは彼の机の前に座らされて、貴族家の資料集を覚えているのかテストを受けることになった。

「まず、エンブリアム伯爵家の5代目当主の2番目の息子が、ヨーデルク国との戦で総司令官の首を取ったのは何年のことだ?」

 侯爵がシガーを片手に茶色い革張りのイスに腰掛けて問うと、少し間を空けて、マルヴェナは答えた。

「はい、帝国暦54年のことですわ!」

「うむ。では次、3代目皇帝が即位された年、イーデュス子爵家は家宝のツボが破壊され、莫大な借金により没落した。そのきっかけを作った人物とは?」

「……はい、当時の子爵夫人ペギーと若奥様サーラですわ! 嫁姑騒動の果てにペギーがサーラを投げ飛ばしたため、ツボが木端みじんになってしまいましたの」

「そうじゃ。では次……」

 次から次へと問題を出してくる侯爵。
 それに正確に答えていくマルヴェナ。

 そして、座っている侯爵の横にはレイモンが立って並んでいる。


「ふむ。マルヴェナ、完璧ではないか! ようやく、お前達もこれで落ち着くな。すぐに婚礼の準備を始めろ!」

 侯爵がシガーをスパスパ吸いながら、席を立って執事を呼んでいると、レイモンはマルヴェナのそばに駆け寄った。

「な、うまく行っただろ」

 その手にはハガキサイズの紙が何枚も重ねて握られている。

「もうレイモン、わたくしその紙がピョッコリあなたの横から出ているのを、考えるフリして見ようとする度に、侯爵様に気づかれるんじゃないかって、ヒヤヒヤしてましたのよ!」

 マルヴェナは、手の平をグーにしてレイモンの胸を叩いた。

「案外、背中の後ろで見ないで筆を走らせても、ちゃんと書けるものだな」

 彼はマルヴェナ越しに自らが書いたカンニングシートを掲げて、それをシゲシゲと眺めていた。


 そして、よく晴れた日、エスニョーラ邸の庭でガーデンウェディングが催された5年後のこと。

「父上、本当に行ってしまわれるのですか?」

 エスニョーラ家の玄関前には、一族が勢揃いしていた。

「仕方ないだろう。医者からシガーの吸いすぎで肺がひどい事になってるから、山にあるリハビリセンターへ行けと言われているのだから」

 侯爵は、小さい男の子の手を握っているレイモンの方に行って、肩に手を乗せた。

「始まりを迎えたばかりのキャルンとナディクスの3国同盟が気掛かりでなくもないが……次の跡取りも生まれ、家督も譲りもうお前に全てを任せる事に決めたんじゃ」

 そうして前侯爵は夫人を伴って、帝都から去って行ったのだった。

 屋敷から門へと続く並木道を、騎士達に守られて両親と荷物を載せた数台の馬車が走っていくのを見送り、レイモンはポツリと言った。

「父上からは今のうちから、この子の婚約相手は決めておけと言われたが……私の代から、我が家門に伝わるあの花嫁修行は廃止しようと思う」

 マルヴェナは、レイモンと手を繋いでいる男の子を抱き上げて答えた。

「それが懸命ですわ。だけど、これまでここに嫁いできたご令嬢達は、本当にあれを覚え切っていたのかしら?」

「そうではないのか? 出発する前に母上にも聞いておけば良かったな」


 マルヴェナの疑問が解き明かされる日がくるかは謎だが、エスニョーラ家に代々伝わる花嫁の通過儀礼は、こうして幕を下ろしたのだった。

 余談だが、この時マルヴェナのお腹に女の子が宿っていることを知る者は、まだ誰もいなかった。
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