異能ランクEの絶対皇帝≪Absolute Emperor≫

あんねーむど

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怠惰な神官

怠惰な神官7

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 薄暗い廊下に足音が響く。普段なら気にもならないほど小さな足音を、可能な限り殺して進む。

 エレベータは動いていない。使えば侵入者に位置を悟られてしまうからだ。
 停止するエレベータを通り過ぎ、長い廊下の角を曲がる。思ったとおり屋内階段の扉が開いていた。リサはここから下に降りたのだろう。

 私はその場で靴を脱ぎ捨てた。足音を立てず、慎重に階段を降りていく。
 六階の踊り場で、姿勢を低くして銃を構えるリサの後ろ姿を見つけることができた。

「リサ……」

 後ろから囁くと彼女は肩を跳ね上げて振り向いた。

「あなた……、なにしに来たのよ!」 
「ち、力になれると思って……」

 軽く息を付いて、小さく首を左右に振った彼女は苦笑する。

「まったくたいした度胸ね」

 こくりと私は頷いた。
「……この階にいるの?」

「ええ、目標は今この階の病室を見て回っている。動きからしてけっこうマジメで慎重なヤツね……、全室確認し終えたらまたこの階段を通るはず。ここで迎え撃つわよ」




 非常灯の僅かな灯りと月明りに照らされた廊下に、響く硬い足音。歩幅は広く、徐々に音が低くなり、ゆっくりと近づいてくる。
 廊下の角を曲がって姿を現したのは、三十代前半くらいの壮年の男だった。

 踊り場と廊下を隔てる扉に隠れていたリサが廊下に飛び出して銃を構える。

「止まりなさい。そこから一歩でも前に出れば撃つわよ」

 銃口を向けられた男の足がピタリと止まった。

「先に言っとくけど、あなたが弾丸を避けられることは知ってるわ……。でも、この狭い通路でも避けれるかしら? それから私も異能者だってことを覚えておいてね」

 流れる雲の合間から差し込んだ月明りに男の顔が照らされ、薄闇に浮かび上がった。
 肌は浅黒く精悍な顔つきだ。だけど、その眼は冷徹な獣か命令を遂行するだけのマシーンに近い。

 どこか表情に暗い影を落とすその男は、機動隊員と同じ黒いプロテクターに身を包んでいる。ただ、他の機動隊員と違ってこの男はヘルメットを被っていない。そして男の手に銃器なく、満月の光を反射させて眩い光を放つ、抜き身の小太刀が握られていた。

「どう見ても、私たちと同じ逃走者って訳じゃなさそうね……。死にたくなかったらそのまま後退してこの病院から出ていきなさい」

「平崎咲はどこだ?」

 男から発せらた声は淡白だが、重く圧力があった。
 
「あの子になんの用?」

 温度が変わらない爬虫類のような両眼がリサを凝視する。

「一つは正義のために、もう一つはかつての因縁を清算するために」
「……あの子に捕まった異能者ってところかしら」
「そうだ。俺は平崎咲に敗れ、収容施設に移送される直前で公安に拾われた」

「そう、あなたは特高課の……、この状況でまだ公安に従うっていうの? あなたも用が済めば殺されるのよ」

「インペリアル・オーダーのことを言っているのか? この決断は正しい。異能は呪われた力、異能者は存在してはいけない。だから俺が全ての異能者を始末する。まずは仇敵である平崎咲から殺す」

「矛盾してるわね……、じゃあアナタはどうなのよ?」
「全てが終われば俺は自らを処分する。そして全ての異能者が呪いから解放される」

 男が一歩足を踏み出す。同時に躊躇なくリサは引き金を引いた。
 乾いた発砲音と共に一発の銃弾が男に向かって飛翔する―――、

 キィンッ!

 甲高い音と共に銃弾が消えた。
 ―――違う。消えたんじゃない。男の斜め左後方、白亜の壁に小さな穴が一つ空いている。弾丸は消えたんじゃなくて、壁に突き刺さっていた。
 
 信じられないけど、男が刀で弾道を逸らしたのだ。

「―――っ!?」

 リサは連続で引き金を引いた。銃口から閃光が幾度も放たれ、弾丸が射出される。顔色ひとつ変えずに、男は小太刀の切っ先を動かして弾丸を弾いていく。

 弾かれた弾丸は壁や天井にめり込み、いくつもの窪みが生まれた。

 いくらなんで非現実的過ぎる……。一発くらいはマグレがあるかもしれないけど、あれだけの銃弾を寸々違わぬ正確さで防ぐなんてあり得ない!

「冗談でしょ!? こんなの人間の反応速度じゃ不可能よ!」
 
 リサを制するように男は小太刀を突き出した。

「……お前たちの動きが止まっているだけだ。いや、お前たちから見れば高速で動いているように見えるのだから、速いか遅いかは観測者の違いか……」

 そう告げた男の姿は視界に僅かな残像を残し、一瞬でリサの真横に立っていた。
 月光を受けて光る小太刀を振り下ろす。リサの右前腕が切断された刹那、ほぼ同時に刀が彼女のわき腹を貫いていた。

 男が刀を引き抜く。両膝を床に付けたリサは、力なく倒れていった。

 刃先から真紅が滴り落ちていく。男はリサが倒れる姿を見送るように眺めた後、体の向きを変えて冷徹な視線を私に向けた。

「俺のリミテッド・エイシストール異能が破られたのは、平崎咲と戦ったただ一度だけ……。ヤツに敗北して以来、俺はヤツを倒すことだけを考えて生きてきた。そして、こうして機会が訪れた。さあ、平崎咲の居場所を教えろ」

 私は体を反転させた。走り出しそうと足を出す。けれど、既に男は私の前に回り込んでいたのだ。男と私の体が衝突する。

「もう一度問う。平崎咲はどこにいる?」

 私は咄嗟に銃を構えて撃った。反動で腕が跳ね上がる。銃弾は天井に着弾し、はめ込まれていた蛍光灯が破裂する。
 痺れだけが腕に残り、冷たい刀が首筋に触れた。

「そんなに苦しんで死にたいか?」
 
 背後から男の声、恐怖で握力を失った私の手から銃が滑り落ちそうになる。震えながら私は小さく首を振った。

「これがラストチャンスだ。平崎咲の居場所を吐けば、一息で殺してやる。拒否すれば千の刃がお前を貫き、苦しむことになる。まずは両目を抉り出すぞ」

 男の言葉に圧され、私の全身を絶望が侵食していく。

「い、いや……、か、彼女は……、こ、この……うえの……」
 ―――裏切るの?
 私は、私を助けてくれた彼が守ろうとする彼女を見捨て、他者の命を差し出してまで助けを乞おうとしている。
 なんて弱く、なんて醜いのだろう。
 もう私に帰るところなんてないんだ。あの少年と、彼らと共に闘うしか道はない。
 だから考えなさい。生き抜くために考えるのよ。

 この男は自分の異能を限定的リミテッド心静止エイシストールと呼んだ。
 心静止―――、異能で私たちの心臓を止めることができるとでも言うの?
 それなら直接攻撃なんてしないでリサの心臓を止めていたはず……。

 じゃあまさか……、エイシストールは〝時を止める〟ことを意味している!?

 だとしたら勝ち目なんてない……。
 ―――待って……、冷静になるのよ。
 この男は『速いか遅いかは観測者の違い』と言った。それにリサが刺されたとき、私は男の動線に残された残像を視ている。仮に時を止められるのなら、私の目には男が消えたように視えるはず……。

 つまり、心静止エイシストールは時の流れを限りなく静止状態まで遅くできるという比喩?
 でもそれなら、私から観て高速で動いているはずのこの男と会話が成立しているのはなぜ?
 ただ単に異能を解除しているだけ?
 連続的に使えないから?
 異能を使う上での制約があるから?

 その理由は限定的リミテッドの部分が関係している?
 限定は有効異能領域のこと?
 物理的な個所のこと?
 それとも、使用時間に制約があるの?

 ……ダメ、いくら考えても推測にしかならない。いずれにしても異能が使えない状態に誘導するしかない。
 まともな戦い方じゃ勝てない。
 考えて、私ならどんなときに異能が使えなくなる?

「どうした……早く答えろ、あと三秒だ。三……」

 刃が首筋に食い込んだそのとき、私の脳裏にある手段が浮かんだ。

 ほんの一瞬だけ男の動きを止められるかもしれない。
 だけど、それには激しい痛みが伴う。
 おそらく、今まで体験したことのない苛烈な苦痛だ。
 痛いのは嫌……、だけど……覚悟を、この不完全で杜撰ずさんで、不条理な世界で生きていく覚悟を―――。

 彼らのように、覚悟を決めなさい!

「二……、一……」

 カウントゼロと同時に、私は自分の腹部に銃口を押し付け、引き金を引いた。
 弾丸が皮膚を貫き、内臓をえぐる。激しい熱痛に歯を食いしばり、沸き上がる悲鳴をこらえ、飛びそうになる意識を無理やり抑えつけた。
 直後、男が呻く。
「ぐッ、―――ッ!?」
 私の体幹を貫通した弾丸が男のわき腹に突き刺さった。

「まさか……自分ごと撃ち抜いただと!?」
「撃って!」
 すぐさま私は叫んだ。

 お願いだから後ろを見て!

 反射的にきびすを返した男が刀を構える。

 見て、視て、観て! 注視して!
 全ての意識を視神経に集中させて!

 当然あなたと私の後ろには誰も立っていないでしょう。意識を失い倒れている彼女と薄暗い廊下が視界に存在しているだけだ。

 人が動きを止める瞬間、それは思考を停止させた瞬間、意識を一点にのみ集約させた瞬間だ。
 不測の行動によって男は虚を付かれ、ブラフに騙され、存在しない敵を探す。
〝見ること〟に意識を持っていかれた脳は反応が遅れる。さらに、情報の処理が追い付かなければ思考は停止する。思考が停止すれば異能を発動することはできない。

 ほんの一瞬、私は彼の世界を停止させることに成功した。
 ブラフであることに気付いた男の全身が強張りを見せたときには既に、私の指先が男のうなじに触れていた。

「ごめんね」

 私はささやく。
 そして、男の頭部を分解し、空間に霧散させた。

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