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人質の価値。

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 時は少しばかり遡る。

 ライフルに対して頼りない拳銃。目の前に広がる暗闇。

 訓練された部隊と戦うにはあまりにも好ましくない状況である。

 ノダメは作戦後も背中を預け合うことになった、相方を見送っていた。

「背中、貸してもらうだけはマズイわよね」

 彼女は(自称)元異世界の勇者と契約を結んでいた。

 彼曰く、2年分の魔力を要する中級魔法。その能力で妹の病気を治してもらう。

 そのための対価として、脱出の手伝いと死ぬまで部下として働くこと。

 確かに、彼が契約を守ってくれるのかは定かでない。作戦をともにしたのはわずか2ヶ月。

 しかし彼の性格は恩知らずではないようにみえた。

……だけど。いや、だからこそ自分の能力を高く売りつけな恩を積み重ねなくては……。

 ノダメは汗と血で滑る拳銃のグリップを握り締め、一瞬だけ見えた地形を頭に描く。

__平均身長170cmの男の頭部ならこの角度かしら……。

 そして敵を撃ち抜けるように耳を澄ませる。


 須田アレナはロシア対外情報庁の日本支部、墨田区担当のトップである。彼女の得意分野は情報処理。
 しかし、だからといって戦闘力が低いわけではけしてない。

 足音を立てた敵対組織が現れれば確実に仕留めることが出来るだろう。

 そしておそらく、よほどの精鋭でなければ暗視装置越しに彼女を見つけることすら難しいだろう。
 それほどまでに完璧な位置取りをしていた。闘いの結果は準備段階で終わっている、まさにその言葉通りの状況であった。

 パスン。空気の抜けるような音が聞こえる。

 気の抜けるような音。しかしそれは確実に命の風船に穴を開ける聞き慣れた音だ。

「はじまったわね。やってやるわ、死なせるわけにわいかないの」

 彼女の口から呟きが漏れでた。

「彼はあの子の希望なんだから」



★★★

 装備は充実している。予備の5.56mm弾は5人分あるのだ。ナイフだけのときとは比べ物にならない。

 ヌルヌルとした海藻を全身に感じながらノダメのもとへ急ぐ。音をたてず、頭を上げずに。

 暗視装置もなしに、拳銃でこの頼もしい銃と戦う。勝てる確率は万に1つも考えられない。

__マズイだろ。彼女がいないと、どうすれば脱出いいのかわからないぞ。

 上から見たら?マークのような、奇妙なほふく前進には慣れていない。だが、焦りがその速さを大きくしていったのだろう。

 気がつけば入り口まで戻ってきていた。ここから顔を出せば、交戦中のノダメがいるかもしれない。

 しかし音がしない。交戦していたのは空耳ではないはずだ。ならなんで。
__ビシャン。

 マズイ、音が。耳に意識を向けすぎていたため水溜まりを蹴ってしまった。

 念のために頭を下げる。下げたが……撃たれていない。

「ノダメさん……まさか」

 アサルトライフルを構えて入り口を伺う。右端……クリア。右奥……クリア。中央……人影が。

 入り口の中央部分、そこに人影は倒れ込んでいた。暗視装置越しにはわからない。

 しかし、あの体格(主に胸周り)は見たことがある。ノダメさん……。

「誰か。奥にいるやつ出てこい、3.2.1、撃て」

 こちらの銃口が見えたのだろう。おそらくノダメを撃ち倒した敵が話しかける。カウント0とともに撃ってくるのだろう。
 気持ちを入れ替えて発射に備える。隠れるだけではない。相手の場所を割り当てるのだ。

    『撃て』

 命令と同時に重なり合う銃声。耳に意識を傾ける。銃口は6つだな。場所は……待てこちらに撃ってきていない。そして呻くような声が聞こえる。

「う、うぅ。」

 銃声が止まっても女性の呻くような声が聞こえる。

「もう一度いう。奥にいるやつ、出てこい。この女を楽に殺してほしければな」

 ノダメさん……人質になってるのか。

「聞こえないのか、いや見えないのか。いいか、さっきの銃撃でこの女の右腕は……なんと例えればいいか」

「挽肉なのでハンバーグとかですかね、隊長」

「そうか、そうか。そういうことらしいぞ。次は右脚にしようか、では、カウントダウンだ」

 出ていっても蜂の巣、そしてノダメは楽に殺される。

 出ていかないとどうか。ノダメは嬲り殺される。そして、俺は……どうなるのか。
 見逃されるのか、突入してくるのか、待ち続けるのか。そして、味方を呼ばれるのか、人が減るのか、そのままか。

 ……駄目だ。ノダメのような分析力は自分にない。それに彼女のいう脱出の方策も聞いていない。

 落ち着け……異世界で騎士団の年寄り連中に教わったことを思い出せ。

『何をするか分からなくなったときか……。その時はな、3つの目的で考えるんじゃよ』

 そうだ。大中小の目的で手段を考えるんだった。

 大目的:生存
 中目的:島の脱出・敵と話をつける
 小目的:脱出手段の確保

 ……ってことは敵と敵対しすぎない範囲で脱出手段を確保することだ。

 あれっ。もしかして5人も殺しちゃってるけどつんだかな……。
 いやっそもそも、ノダメが死んじゃったら敵と話をつけることも難しくなるぞ。俺には敵の正体なんてまったく検討もつかないのだ。

 ならしかたない。

 手段:敵の上層部にバレないうに殲滅して彼女を救いだす。

 まさにミッションインポッシブルだ。だけどやらないと……死ぬ。

 飛び込んでいく覚悟を決めたのは少し遅かった。

 ゴチャゴチャと考え込んでいたからか。物語のように時間がゆっくり流れてはくれなかった。


「0……撃て」

 脚に力を入れたときに声が聞こえた。目の前にいたのは15人の覆面をつけた男達とノダメ。

 ノダメの様子は血だらけ……いやむしろ、血の中にノダメが浮かんでいるというべきか。

 地面に投げ捨てられているノダメは、5人の男から銃弾を右脚に受けていた。右足は水風船のように破裂する。

 身体をビクリと震わせる。そして全身から力が抜ける。彼女の顔からは何か大切なものが抜けていく。

「撃て」

 自分の10倍の敵からの銃弾は俺を穴だらけにした。胸に、脚に、肩に風が抜けていく。出来ることは顔を上げて睨みつけるだけだった。
 敵のリーダーの顔は黒い覆面でわからない。しかし、目元だけはわかる。楽しそうに目尻にシワが寄っている。

「くそっ、人間にこんな、こんなにも酷いことが出来るのかよ。お前らは人間じゃない。オマエラは悪魔だ」

『職業“勇者”の基本スキルが発動しました』

 天の声システムのアナウンスが頭の内側から聞こえてきた。
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