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64 わたしの跡

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 凛莉りりちゃんが休み時間にたちばなさんと話している。

 それは割といつもの光景で、特別珍しいものじゃない。

 それにモヤモヤを覚えるようになったのは少し前のこと。

 わたしの中で燻っていた炎のような感情は、凛莉ちゃんの胸を噛むことで解消されていた。

 でも、凛莉ちゃんの家に行ってから4日が経った。

 もう跡は残っていないだろう。

 わたしの心は少しずつザワザワとし始める。

 穏やかだった感情に波が立っていくのが分かるから、わたしは凛莉ちゃんを見るのをやめる。

 こんな感情を抱いても仕方ない。

 わたしは慎ましい生活を送りたいだけだから。


        ◇◇◇


涼奈すずな、お昼だよ」

 お昼休みになると凛莉ちゃんがお弁当を持ってきてくれる。

 なんだか恒例みたいになってるけど、これは普通のことではない。

 クラスメイト、友達、どれにしたってご飯を作ってもらう関係なんて変わっている。

「あ、うん。ありがとう……」

 わたしは頭を下げてお礼をする。

 ここまでしてくれる凛莉ちゃんに、わたし以外の友達と話しているだけで暗い感情を覚えるなんてどうかしている。

 なんでもない事のように、いつものようにいなければならない。

「さっきさかえでと話してたんだけど。涼奈のこと興味あるんだって」

 そう決めたばかりなのに、凛莉ちゃんはわたしを試すかのように橘さんの名前を出す。

 抑えていた感情の炎が一気に燃え上がっていくのを感じた。

 わたしがそういうの好きじゃないの知ってるくせに。

 橘さんに対して良くない感情を持ったことを知ってるくせに。

 どうして凛莉ちゃんはそんなことを言ってくるんだろう。

「……いや、わたしは別に興味ないよ」

 でも、わたしだって子どもじゃない。

 自分の感情の向き合い方だって、分かろうと努力している。

 務めて冷静に、いつも通りのテンションでわたしは返した。

 凛莉ちゃんはお弁当をわたしの前に差し出した。

「だから紹介してって言われたんだけど、どう?」

 しつこい。

 興味ないのに紹介して欲しいわけない。

 凛莉ちゃんだって分かってるはずなのに。

 でも、落ち着くんだ。

 大丈夫、わたしは冷静でいられる。

 顔を上げて、凛莉ちゃんの左胸を見る。

 ……いや、落ち着いていられるその跡はもうない。

 心の中が平穏がゆっくりと崩れていく。

「凛莉ちゃん話し聞いてる?興味ないって」

「……あ、そう」

 素っ気ない返事。

 凛莉ちゃんも、言ってるわりには乗り気ではなさそうだ。

 だったら聞いてこなければいいのに。

「うん、別に来てくれたら普通に話すけど。凛莉ちゃんが間に立つような手間をかけるならしなくていい」

 何とか、ギリギリ耐える。

 大丈夫、凛莉ちゃんにはバレていなかった。






 その後、お弁当にほうれん草が入っていてフリーズする。

 橘さんの次はほうれん草とか。

 今日の凛莉ちゃんはわたしに嫌がらせをしたいのかと一瞬疑った。

 でも、凛莉ちゃんの表情は本当に申し訳なさそうにしていたから、それはわたしの思い過ごしだと気づく。

 だから、食べきった。

 せっかく作ってくれたのに、残しては申し訳ないと思うから。

「……ごちそうさま」

 わたしはお礼を言葉にしてから、凛莉ちゃんにお弁当を返す。

「お粗末さまでした」

 凛莉ちゃんは嬉しそうに笑う。

 お弁当箱を受け取るとテキパキと片付けていた。

「ほんと毎日ごめんね」

「あはは、あたしが勝手にやってるだけだから。でも楓にもさっき言われたんだけどさ。お弁当を作ってあげるとか仲良すぎじゃないって」

 食後まで、橘さんの話し。

「……それで?」

「え?いや、程々にしとかないと上手く立ち回れなくなるよとは言われたけど……ま、あたしそんなの気にしてないし」

 凛莉ちゃんはケロッとして笑っているけど。

 分かってない。

 橘さんはわたしと凛莉ちゃんが仲良くしているのを邪魔しようとしている。

 他人がどう思うかなんてわたしがコントロールできることじゃない。

 でも、放っておける話でもない。

 橘さんも、凛莉ちゃんも、何だか気に入らない。

 お腹の底から熱い感情がせり上がってくる。

 わたしは席から立ち上がる。

「涼奈?」

「ちょっと来て」

「どこに?」

「いいから、来て」

「あ、うん……?」

 わたしは凛莉ちゃんに有無を言わさず教室から連れ出した。






 渡り廊下を奥へと歩いていくと、音楽室がある。

 わたしはそこの扉を開ける。

 中は無人だった。

「凛莉ちゃんとここに来るの、久しぶりだね」

 4月の凛莉ちゃんと出会ったばかりの頃。

 この音楽室で、わたしは凛莉ちゃんに“日奈星さん”から“凛莉”と名前で呼ぶように迫られた。

 名前を呼び合う事で関係性を強く結びつけられた。

「ええ、ちょっと涼奈ー?こんな所に連れてきてあたしをどうするつもり?」

 凛莉ちゃんはニヤニヤとおどけながら、わざとらしく自分の肩を抱く。

 ちょっとした悪ふざけをしているつもりだろうけど、割とその反応は当たってるかもしれない。

「脱いで」

「……はい?」

 凛莉ちゃんは目をぱちくりさせている。

「ブラウスのボタン開けて」

「……えっと、マジでそういうプレイ?」

 凛莉ちゃんは状況を理解したようだが、それはそれで困惑していた。

「マジだから早くして」

「いや、人が来たらどうすんのさ」

「だから早くって言ってんじゃん」

「ああ、ちがうっ。問題はそこじゃなかった。なんでそんなことさせるの?」

 その理由は教えたくない。

「いいから、脱いでよ」

「いやいや、そんなホイホイさすがに脱がないって」

「なんでさ、この前は脱いだじゃん」

 わたしは凛莉ちゃんの家での出来事を初めて口にする。

 それは凛莉ちゃんにとってもそうで、また驚いたように目を丸くする。

「……アレは、涼奈が脱がせたんでしょ」

「同じじゃん。凛莉ちゃん、受け入れたんでしょ」

「あたしのせいで涼奈が怒ってたからね。だから許しただけ」

 そっか。そうくるのか。

「今もわたしは怒ってる」

「なんで?」

 白々しい。

 絶対凛莉ちゃんは分かってる。

「わかってるでしょ」

「涼奈が怒るようなことしてないし。もしかしてホウレン草のとこ?」

「そっちじゃない」

「じゃあどっちさ」

 何で、そんなに理由を言わせたがるんだろう。

 イジワルな人。

「楓、楓って、うるさい」

「あー。なに涼奈、また嫉妬しちゃった感じ?」

「ちがう」

「ちがわないでしょ」

 凛莉ちゃんは少しだけ口元を綻ばせている。

 余裕の笑み。

 凛莉ちゃんは、こういうわたしの反応を見たかったのかもしれない。

 でもわたしが怒っているのは、嫉妬からくるものじゃない。

「わざと橘さんの名前を出して、わたしのこと怒らせようとしたでしょ」

「……ええっと」

 凛莉ちゃんは正直者だから、図星だとすぐに言葉を返せなくなる。

 疑惑はわたしの中で確信に変わる。

「それがムカつく。本当に必要があって名前を出すならいいけど、わたしを怒らせようとして言ってくるとか意味わかんない」

「いやぁ、それは何と言うか……」

「図星でしょ。意識的にしたんだから、謝りなよ」

「うう……」

 凛莉ちゃんが説き伏せられる。

 彼女らしくない行動をするから、こういう事になるんだ。

「ごめん涼奈……あたし」

「謝らなくていい」

「は?今謝れって涼奈が――」

 ――ドンッ
 
 と、わたしは凛莉ちゃんの胸を押す。

 壁に背中を押し付けられた凛莉ちゃんは行き場を失った。

「謝罪は態度で示して」

「だから、何をしろって……」

 わたしは凛莉ちゃんのブラウスに指を当てる。

「脱いで」

「マジ……?」

「早く」

「しかも今度は涼奈がしてくれないんだ……」

 凛莉ちゃんの家の時は、わたしが半ば無理やりに脱がした。

 でも今日は違う。

 わたしに襲われたみたいな言い訳も作らせないために、自分で脱いでもらう。

「許して欲しいんでしょ」

「……はぁ」

 凛莉ちゃんは大人しく言う事を聞いて、リボンをとり、ブラウスのボタンを開ける。

 黒色の下着と白い胸が露になる。

 わたしがつけた跡は、もうなかった。

「なに、そんなに見てるのさ」

 学校で一人だけ下着を見せているのが恥ずかしいのだろう。

 凛莉ちゃんは頬を染めている。

「噛んだ跡、消えてる」

「そりゃ、時間経てば消えるよ」

 わたしの跡が消えてしまった。

 それじゃあ、凛莉ちゃんがわたしの元に帰ってこなくなるかもしれない。

 わたしの心がぐらぐらと揺れ動く感覚が迫ってくる。

「もういい?」

「まだ」

 わたしはそのまま近づく。

「ねえ、さすがにこれ見られたらヤバいから」

「女の子同士なんだから、最悪なんとかなるでしょ」

「まあ……男女よりは……いや、そうでもないような……」

 凛莉ちゃんはブツブツと言っているが、聞いているヒマはない。

 わたしはその胸に唇を這わせる。

「マジ、いきなりっ……」

 この前は左だったから、今日は右にする。

 どこがいいかと唇に当てて感触を確かめる。

 ちょうどいい膨らみのある場所を見つけた。

「行くよ」

「行くって、もしかして――」

 そのまま前歯で噛んだ。

「いただっ……涼奈、ちょっと加減を……」

 嫌だ。

 最近の凛莉ちゃんはイジワルだ。

 そんな彼女にはお仕置きが必要だと思う。

 だから前よりも、もっと強く噛む。

「ちょっ、千切れるって」

 本当に痛いのか、凛莉ちゃんの声に悲痛なものに変わる。

 これくらいで許してあげようか。

 わたしは噛むのをやめて顔を上げる。

「……跡、ついたね」

 凛莉ちゃんの右胸にはわたしの噛んだ跡が赤く滲んでいた。

「当たり前でしょ、どんだけ強く噛んでんのっ」

 そう言いながら、凛莉ちゃんは手際よくボタンを閉めていく。

「なるべく長持ちするように」

「……いや、やめてよ。こんな跡がずっと残るのイヤだからね」

「だからいいんだよ」

 凛莉ちゃんの嫌がる跡は、ずっと残った方がいい。

「……どういう意味?」

「なんでもない」

 その分だけ、わたしのことがもっと強く刻まれるだろうから。
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