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42.さようなら、大切な婚約者
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レイの腕の中で、私は溢れる想いを抑えることができなかった。涙は次々と零れ、縋りついた逞しい体の温もりを、私は全身で噛みしめていた。
もう伝えられない。今さら、あなたを好きだなんて。
こんなことになるのなら、もっと早くに素直になっておけばよかった。
もっと早くに、自分の気持ちに気付いていればよかった。
これからだと思っていたのに。愛を伝えるのも、一緒に人生を歩んでいくのも。
離れることなんて、ほんの少しも考えたことはなかった。
掠れて震えるレイの声は、私と同じように彼もまた、この別れを惜しんでくれているのだと私に伝えていた。温かい大きな手が、愛おしげに私の髪を撫でる。彼の唇が私の頭にそっと押し当てられるのを感じ、ますます涙が止まらなくなる。
優しい言葉をかけてくれるレイに、私も想いを返したい。
後悔を残したままの別れは、絶対に嫌だから。
たとえ、私のこの恋心を伝えることはできなくても……。
「……レ……、レイッ……」
「……ん?」
「……元気で、いてね。……ずっと……」
「……ああ。お前も」
「わ、私も……、……私も、あなたの、ことを、……大切に、思ってる、から……っ!」
「……っ、グレース……」
「わすれないで……っ」
「……ああ、……ありがとう、グレース。……忘れない、絶対に……」
私たちは互いの温もりを全身に刻み込むように、長い時間そうして抱き合っていた。
さようなら、私の大切な婚約者。
身を裂かれるような別れから、数日後。私は無理矢理笑顔を見せる両親に見送られて、隣国ロゼルア王国へと旅立った。ひとまずは数週間の別れとなる予定だ。
ロゼルア王国両陛下やライオネル第二王子へのご挨拶と、今後の王子妃教育についての説明を受けるための訪問だった。
(……そういえば……、ミランダ嬢は大丈夫かしら。落ち込んでいるんじゃないかな。ご両親にも、セレスティア様にも、きっと随分とお叱りを受けていることだろうな)
道中の馬車の中で、私はようやくミランダ嬢のことを少し思いやった。自分のことに精一杯で彼女のことがすっかり頭から抜け落ちていた。
彼女さえもっと品行方正でいてくれたら、勤勉であってくれたらと、恨む気持ちがないわけではない。だけどこうなった今、彼女の心身の状態も心配だった。
「よく来てくれた、グレース・エイヴリー侯爵令嬢。久しぶりだな。相変わらず美しい」
「……ご無沙汰しております、ライオネル殿下。……このたびのこと、大変、光栄に存じます」
豪奢な椅子に威風堂々と腰かけ、肘をついてこちらを見ているライオネル殿下の前で、私は心にもない挨拶を述べながらカーテシーを披露した。
「長旅で疲れている様子だな。しばらくはゆっくり休むといい。何か困ったことがあれば、些細なことでも侍女たちに言え」
「……はい。お気遣い、ありがとうございます」
素敵な方だけれど、やっぱり少しも心が動かない。むしろこの人が私の夫になるのだと思うと、ますます悲しみで心が塞ぐ。
何度も何度も、レイの優しい表情が私の中に浮かんでいた。
こうして両陛下の後にライオネル殿下にもひとまずの短い挨拶を済ませ、私はこちらの侍女たちに誘導されながら、王宮内の客間を目指していた。
(素晴らしく豪華な宮殿ね。まあ、フィアベリーの王宮も美しいけれど……、やっぱり国が変われば雰囲気がだいぶ……、……あら?……あれって……)
気のせいかな?……ううん、気のせいではない。見間違えるわけがないもの。
向かいから険しい表情でズカズカと歩いてくるのは、紛れもなくレイのお兄様の、ケイン様だった。
ケイン様もまた、向かい側から自分の方向に歩いてきているのが私だと気付いたようだ。目が合ってからしばらくすると、
(……んっ?!こっちに、来る……)
なんだか悲しそうな、それでいて恐ろしげな……、やけに鬼気迫る妙な表情を浮かべたケイン様が、前のめりの姿勢で一目散にこちらに向かってくる。頭がボサボサだ。服もヨレヨレだし。直してあげたくなる。
侍女たちの中からきゃっ、と小さな悲鳴が上がった。
「大丈夫、知り合いですので……。……こんにちは、ケイン様。まさか、ここでお会いするなんて、わたし……、」
「もう決まったのか」
「……。……え?」
「なっ、……何を、話した、んだ」
口をきいてくれた、という小さな喜びとともに、私の頭の中にたくさんのクエスチョンマークが浮かんだ。何の話だろう。ケイン様が何を言いたいのかが分からない。決まった?何を話した、って……。
……あ、もしかして……。
「ライオネル殿下との謁見のことでしょうか。それでしたら、……ええ、今し方済ませたところで……」
「な、何て」
「……?」
「何て、言ってた。……きっ、きっ、……君と、あいつは、け、……結婚、するのか」
私と目を合わせたいのか、合わせたくないのか、食い入るように私の目を覗き込んできたかと思えば、急にそわそわと目を逸らす。本当に不思議な方だ。
でもなんとなく、分かってきた。おそらくケイン様は、私とレイの婚約が白紙になり、私がライオネル殿下に嫁ぐ話がまとまりつつあることをご存知なのだろう。……たぶん、そのことが聞きたいのかな。
「はい、おそらくは、そうなるかと思います。私は本日より、今後の王子妃教育についての段取りを聞いたり、ロゼルア王国内を見て回ったりします。二週間はこちらに滞在することになるかと」
「……っ!!……っ、」
私の返事を聞いたケイン様は口を大きく開けると、絶望的な表情を浮かべた。そしてそれ以上何も言わずに、私が歩いてきた方向に行ってしまった。
「……。」
……どうしたんだろう。私とレイのことを、心配してくださっているのかしら。……よく分からない。
(……ふふ。でも、会えてよかったな)
雰囲気は全然違うけれど、ケイン様とレイは髪の色や顔立ちがとてもよく似ている。ケイン様と話していると、レイのことをとても近くに感じられた。
(……レイ……)
切ない思いを抱えたまま、私は再び王宮の廊下を歩きはじめた。
もう伝えられない。今さら、あなたを好きだなんて。
こんなことになるのなら、もっと早くに素直になっておけばよかった。
もっと早くに、自分の気持ちに気付いていればよかった。
これからだと思っていたのに。愛を伝えるのも、一緒に人生を歩んでいくのも。
離れることなんて、ほんの少しも考えたことはなかった。
掠れて震えるレイの声は、私と同じように彼もまた、この別れを惜しんでくれているのだと私に伝えていた。温かい大きな手が、愛おしげに私の髪を撫でる。彼の唇が私の頭にそっと押し当てられるのを感じ、ますます涙が止まらなくなる。
優しい言葉をかけてくれるレイに、私も想いを返したい。
後悔を残したままの別れは、絶対に嫌だから。
たとえ、私のこの恋心を伝えることはできなくても……。
「……レ……、レイッ……」
「……ん?」
「……元気で、いてね。……ずっと……」
「……ああ。お前も」
「わ、私も……、……私も、あなたの、ことを、……大切に、思ってる、から……っ!」
「……っ、グレース……」
「わすれないで……っ」
「……ああ、……ありがとう、グレース。……忘れない、絶対に……」
私たちは互いの温もりを全身に刻み込むように、長い時間そうして抱き合っていた。
さようなら、私の大切な婚約者。
身を裂かれるような別れから、数日後。私は無理矢理笑顔を見せる両親に見送られて、隣国ロゼルア王国へと旅立った。ひとまずは数週間の別れとなる予定だ。
ロゼルア王国両陛下やライオネル第二王子へのご挨拶と、今後の王子妃教育についての説明を受けるための訪問だった。
(……そういえば……、ミランダ嬢は大丈夫かしら。落ち込んでいるんじゃないかな。ご両親にも、セレスティア様にも、きっと随分とお叱りを受けていることだろうな)
道中の馬車の中で、私はようやくミランダ嬢のことを少し思いやった。自分のことに精一杯で彼女のことがすっかり頭から抜け落ちていた。
彼女さえもっと品行方正でいてくれたら、勤勉であってくれたらと、恨む気持ちがないわけではない。だけどこうなった今、彼女の心身の状態も心配だった。
「よく来てくれた、グレース・エイヴリー侯爵令嬢。久しぶりだな。相変わらず美しい」
「……ご無沙汰しております、ライオネル殿下。……このたびのこと、大変、光栄に存じます」
豪奢な椅子に威風堂々と腰かけ、肘をついてこちらを見ているライオネル殿下の前で、私は心にもない挨拶を述べながらカーテシーを披露した。
「長旅で疲れている様子だな。しばらくはゆっくり休むといい。何か困ったことがあれば、些細なことでも侍女たちに言え」
「……はい。お気遣い、ありがとうございます」
素敵な方だけれど、やっぱり少しも心が動かない。むしろこの人が私の夫になるのだと思うと、ますます悲しみで心が塞ぐ。
何度も何度も、レイの優しい表情が私の中に浮かんでいた。
こうして両陛下の後にライオネル殿下にもひとまずの短い挨拶を済ませ、私はこちらの侍女たちに誘導されながら、王宮内の客間を目指していた。
(素晴らしく豪華な宮殿ね。まあ、フィアベリーの王宮も美しいけれど……、やっぱり国が変われば雰囲気がだいぶ……、……あら?……あれって……)
気のせいかな?……ううん、気のせいではない。見間違えるわけがないもの。
向かいから険しい表情でズカズカと歩いてくるのは、紛れもなくレイのお兄様の、ケイン様だった。
ケイン様もまた、向かい側から自分の方向に歩いてきているのが私だと気付いたようだ。目が合ってからしばらくすると、
(……んっ?!こっちに、来る……)
なんだか悲しそうな、それでいて恐ろしげな……、やけに鬼気迫る妙な表情を浮かべたケイン様が、前のめりの姿勢で一目散にこちらに向かってくる。頭がボサボサだ。服もヨレヨレだし。直してあげたくなる。
侍女たちの中からきゃっ、と小さな悲鳴が上がった。
「大丈夫、知り合いですので……。……こんにちは、ケイン様。まさか、ここでお会いするなんて、わたし……、」
「もう決まったのか」
「……。……え?」
「なっ、……何を、話した、んだ」
口をきいてくれた、という小さな喜びとともに、私の頭の中にたくさんのクエスチョンマークが浮かんだ。何の話だろう。ケイン様が何を言いたいのかが分からない。決まった?何を話した、って……。
……あ、もしかして……。
「ライオネル殿下との謁見のことでしょうか。それでしたら、……ええ、今し方済ませたところで……」
「な、何て」
「……?」
「何て、言ってた。……きっ、きっ、……君と、あいつは、け、……結婚、するのか」
私と目を合わせたいのか、合わせたくないのか、食い入るように私の目を覗き込んできたかと思えば、急にそわそわと目を逸らす。本当に不思議な方だ。
でもなんとなく、分かってきた。おそらくケイン様は、私とレイの婚約が白紙になり、私がライオネル殿下に嫁ぐ話がまとまりつつあることをご存知なのだろう。……たぶん、そのことが聞きたいのかな。
「はい、おそらくは、そうなるかと思います。私は本日より、今後の王子妃教育についての段取りを聞いたり、ロゼルア王国内を見て回ったりします。二週間はこちらに滞在することになるかと」
「……っ!!……っ、」
私の返事を聞いたケイン様は口を大きく開けると、絶望的な表情を浮かべた。そしてそれ以上何も言わずに、私が歩いてきた方向に行ってしまった。
「……。」
……どうしたんだろう。私とレイのことを、心配してくださっているのかしら。……よく分からない。
(……ふふ。でも、会えてよかったな)
雰囲気は全然違うけれど、ケイン様とレイは髪の色や顔立ちがとてもよく似ている。ケイン様と話していると、レイのことをとても近くに感じられた。
(……レイ……)
切ない思いを抱えたまま、私は再び王宮の廊下を歩きはじめた。
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