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37. 騒ぎの収束
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皆一斉に振り向き、驚いた。そこに立っていたのは、厳しい表情をしたノエル先生だったのだ。いつもの凪いだ水面のような穏やかな水色の瞳は今、絶対零度のオーラを放ち、バハロさんだけを見つめていた。
「もうすぐ役人が来ます。彼女から手を引っ込めなければ、あなたの罪状が増えるだけですよ」
「……なんだと、この野郎」
バハロさんはまんまと私から手を離し、ノエル先生の方にゆっくりと向かっていく。ポイッと振りほどかれ尻もちをついたソフィアさんを抱き上げ、さっき投げ飛ばされた男性従業員のことも気にかけながら、私はバハロさんの動きを警戒した。ノエル先生に暴力なんてふるったら、ただじゃおかない。
先生は目の前に立った大男に微塵も怯む様子なく、淡々と告げた。
「レイニーさんはあなたに気を持たせるような態度は一切とっていないはずです。あなたの一方的な勘違いで、治療院というこの場所で騒ぎを起こし、怪我人を出し、患者を不安にさせている。許しがたい行為です。今後、あなたのここへの出入りを一切禁止します」
「……偉そうに。何様のつもりだてめぇ。ぶっ殺してやる」
こめかみに青筋を立てたバハロさんの手が、ノエル先生に伸びた瞬間、私はたまらず叫んだ。
「止めて!! 先生にまで手を上げたら絶対に許さないわよ!!」
するとバハロさんはギロリとこちらを振り向き、血眼になってまた怒鳴りだした。
「てめぇ!! さてはこの男にまで手を出してやがるな!? えぇ!? なんて女だ! 馬鹿にしやがって!」
……なぜそうなるの?
ここまで来るともはや正気を疑うほかない。
その時、ようやく役人たちが扉から中に駆け込んできた。
役人たちはバハロさんを羽交い締めにし、どやしつけながら連れていった。連行される間際、彼は私を振り返ると怒りに満ちた目で睨みつけながら唸った。
「覚えとけよ、てめぇ。このままじゃ済まさねぇからな」
「……こんな大騒ぎになってしまって、申し訳ありませんでした、先生。ソフィアさんも、皆さんも、本当にごめんなさい」
役人たちとの話が終わり、全員が撤収した後、私はバックヤードでノエル先生や皆に頭を下げた。
「止めてよレイニーさん。あなたが悪いわけじゃないでしょー」
バハロさんに乱暴に振りほどかれたソフィアさんも、その前に投げ飛ばされた男性従業員も、幸い大した怪我はなかった。ノエル先生に「見せなさい」と言われた自分の二の腕の痣は、丁重にお断りして自分で治した。上手く治癒術が使えて少しホッとする。
ノエル先生はさっきよりも幾分穏やかな顔に戻り、いつもの静かな声で言った。
「あなたが思わせぶりな態度をとっていたなどと私は少しも思いませんが、彼が逆恨みしているのは間違いないでしょう。さっき彼に伝えたとおり、院にはもちろん今後一切出入りを禁止します。役人を通して書面にもサインさせますし、もしここに足を踏み入れれば侵入罪で罰金刑か身柄拘束ですから」
「はい……」
「レイニーさんの勤務時間も、当面は朝から夕方までにしておきましょう。日が沈んでからの帰宅では心配ですからね。まぁ、今夜に限ってはこの辺りをうろついている可能性はありませんので、大丈夫でしょうが」
「……お気遣いありがとうございます、先生」
ノエル先生のその言葉に安堵し、私は再び頭を下げた。こんな騒ぎを起こされたんじゃ迷惑だ、もうクビだ、などと言わない先生に、心の中で深く感謝した。
その後、先に帰っていくソフィアさんたちを見送りながら、彼女たちにも再度詫びた。
「帰りが遅くなっちゃってごめんなさい」
「いいってば! あなたのせいじゃないわ。それよりも……」
ソフィアさんは私の耳元にそっと顔を近付けると、他の人たちには聞こえないような小さな声で言う。
「週末にカフェで手を握り合っていたっていうその男性の話、今度詳しく聞かせてよね」
「……っ!」
「ふふっ」
思わず固まる私を尻目に、ソフィアさんはいたずらっ子のように笑うと治療院を後にしたのだった。
皆の後ろ姿を見送ってから、私は深くため息をつく。
(困ったな……。ソフィアさんには“故郷から出てきた昔の仕事仲間に会う”とだけしか伝えていなかった。なのに、まさか私が我が子を彼女に預けて、ひそかに男性と会ってイチャイチャしていたように誤解されてしまうとは……)
ソフィアさんは優しい人だから、きっと不愉快には思っていないだろうけれど……。今後のこともあるし、彼女には一度きちんと説明しておく必要があるかもしれない。
私を睨みつけるバハロさんの、最後のあの恨みがましい目つきを何度も思い出しながら、私はその日の勤務を暗い気持ちで終えたのだった。
「もうすぐ役人が来ます。彼女から手を引っ込めなければ、あなたの罪状が増えるだけですよ」
「……なんだと、この野郎」
バハロさんはまんまと私から手を離し、ノエル先生の方にゆっくりと向かっていく。ポイッと振りほどかれ尻もちをついたソフィアさんを抱き上げ、さっき投げ飛ばされた男性従業員のことも気にかけながら、私はバハロさんの動きを警戒した。ノエル先生に暴力なんてふるったら、ただじゃおかない。
先生は目の前に立った大男に微塵も怯む様子なく、淡々と告げた。
「レイニーさんはあなたに気を持たせるような態度は一切とっていないはずです。あなたの一方的な勘違いで、治療院というこの場所で騒ぎを起こし、怪我人を出し、患者を不安にさせている。許しがたい行為です。今後、あなたのここへの出入りを一切禁止します」
「……偉そうに。何様のつもりだてめぇ。ぶっ殺してやる」
こめかみに青筋を立てたバハロさんの手が、ノエル先生に伸びた瞬間、私はたまらず叫んだ。
「止めて!! 先生にまで手を上げたら絶対に許さないわよ!!」
するとバハロさんはギロリとこちらを振り向き、血眼になってまた怒鳴りだした。
「てめぇ!! さてはこの男にまで手を出してやがるな!? えぇ!? なんて女だ! 馬鹿にしやがって!」
……なぜそうなるの?
ここまで来るともはや正気を疑うほかない。
その時、ようやく役人たちが扉から中に駆け込んできた。
役人たちはバハロさんを羽交い締めにし、どやしつけながら連れていった。連行される間際、彼は私を振り返ると怒りに満ちた目で睨みつけながら唸った。
「覚えとけよ、てめぇ。このままじゃ済まさねぇからな」
「……こんな大騒ぎになってしまって、申し訳ありませんでした、先生。ソフィアさんも、皆さんも、本当にごめんなさい」
役人たちとの話が終わり、全員が撤収した後、私はバックヤードでノエル先生や皆に頭を下げた。
「止めてよレイニーさん。あなたが悪いわけじゃないでしょー」
バハロさんに乱暴に振りほどかれたソフィアさんも、その前に投げ飛ばされた男性従業員も、幸い大した怪我はなかった。ノエル先生に「見せなさい」と言われた自分の二の腕の痣は、丁重にお断りして自分で治した。上手く治癒術が使えて少しホッとする。
ノエル先生はさっきよりも幾分穏やかな顔に戻り、いつもの静かな声で言った。
「あなたが思わせぶりな態度をとっていたなどと私は少しも思いませんが、彼が逆恨みしているのは間違いないでしょう。さっき彼に伝えたとおり、院にはもちろん今後一切出入りを禁止します。役人を通して書面にもサインさせますし、もしここに足を踏み入れれば侵入罪で罰金刑か身柄拘束ですから」
「はい……」
「レイニーさんの勤務時間も、当面は朝から夕方までにしておきましょう。日が沈んでからの帰宅では心配ですからね。まぁ、今夜に限ってはこの辺りをうろついている可能性はありませんので、大丈夫でしょうが」
「……お気遣いありがとうございます、先生」
ノエル先生のその言葉に安堵し、私は再び頭を下げた。こんな騒ぎを起こされたんじゃ迷惑だ、もうクビだ、などと言わない先生に、心の中で深く感謝した。
その後、先に帰っていくソフィアさんたちを見送りながら、彼女たちにも再度詫びた。
「帰りが遅くなっちゃってごめんなさい」
「いいってば! あなたのせいじゃないわ。それよりも……」
ソフィアさんは私の耳元にそっと顔を近付けると、他の人たちには聞こえないような小さな声で言う。
「週末にカフェで手を握り合っていたっていうその男性の話、今度詳しく聞かせてよね」
「……っ!」
「ふふっ」
思わず固まる私を尻目に、ソフィアさんはいたずらっ子のように笑うと治療院を後にしたのだった。
皆の後ろ姿を見送ってから、私は深くため息をつく。
(困ったな……。ソフィアさんには“故郷から出てきた昔の仕事仲間に会う”とだけしか伝えていなかった。なのに、まさか私が我が子を彼女に預けて、ひそかに男性と会ってイチャイチャしていたように誤解されてしまうとは……)
ソフィアさんは優しい人だから、きっと不愉快には思っていないだろうけれど……。今後のこともあるし、彼女には一度きちんと説明しておく必要があるかもしれない。
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