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65. 異変
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義母はそう言うと、突如その目つきを鋭くした。
「よくもまぁ、今さらその厚顔無恥な顔を私たちの前に晒せたものね。お前のせいで私たちがあれからどれほど苦労をしたか、考えてみたことがあるのかしら」
「……ダルテリオ商会の会長とのことで、ご迷惑をおかけしたのは申し訳ございませんでした。ですが、帰ってきて顔を見せろと手紙を寄越したのは父です」
ガラリと態度が豹変した義母に警戒心を強めながら、私は答えた。すると義母は三日月のように目を細く歪め、クックッと妙な笑い声を出す。
「ああ、あの手紙。真に受けてくれたわけね。一言一句隣で指示しながらあの人に書かせた甲斐があったわ」
「……。全て、あなたが考えた内容だったんですね」
「もちろんそうよ。あの人があんな手紙をお前に送るはずがないでしょう。……何? まさか父親が本当に自分の身を案じ、再会を切望していたとでも? ふふ、おめでたいこと。これ見よがしにリグリー侯爵家のご令息と、いつの間にやら彼との間になした子まで連れて、勝ち誇ったようにご帰還なさって。……お前、やはりあの女の娘ね。いやらしい。未婚の身でありながら、よその殿方を体で籠絡し、意のままにしてしまうなんて。お前さえ邪魔しなければ、セシル様は筆頭公爵家のご令嬢と結婚していたはずなの。リグリー侯爵家に多大な損害を与えたのはお前自身よ。このろくでなし」
義母の辛辣な言葉の数々に、心が急激に冷えていく。父は私の幸せなど欠片ほども願っていなければ、謝罪や後悔の気持ちさえなかった。それどころか、まるで義母の操り人形のように、言われるがまま偽りだらけの手紙をしたため、私を騙しておびき寄せたのだ。さっきも義母の隣で、ずっと黙っているだけだった。
(……相変わらず無責任で気弱で、事なかれ主義の情けない父のままだったわ)
もういい、と私は思った。これで今度こそ、完全に吹っ切れた。セシルを交えて金銭的な責任のことを話し合って、セレネスティアへ三人で帰りたい。
話し合いさえ終われば、もうここには用はない。それよりも、早くリグリー侯爵家へ向かわなければ。
そんなことを考えている私の向かいで、義母はまるで胸の内を全て吐き出すかのように私に呪いの言葉を浴びせ続けていた。
「あばずれ。狡猾で薄汚い、メイドの子が。育ててきてやった恩も忘れて、こんな形で私たちに砂をかけて逃げ出すなんて。信じられないわ。ティナレインのくせに、大それたことをしでかして。お前さえ黙って従っていれば、ハーマン・ダルテリオとの契約で私たちの暮らしは守られたはずだったのよ。お前のせいで安定した金の入り先がなくなった。どれだけ私たちが苦しんでいると思うの? それなのに……、私たちを犠牲にして、自分だけ想い合った殿方と幸せになろうだなんて。そうはいかないわよ。侯爵夫妻も、お前を許しはしないの。……ふふ。せいぜい苦しむといいわ、ティナ」
(……? せいぜい、苦しむといい……?)
その妙な言い回しが気にかかった。
義母は言葉を区切ると、意地の悪い笑みを浮かべ、まるで観察するように私を見つめている。
その直後だった。
「……。……? ……ぐ……っ!!」
(……え?)
突然カッと目を見開いた義母が、潰れたような声を漏らし喉元を押さえた。一体どうしたのだろうと思った瞬間、義母の顔がみるみる紫色に変わっていく。
私の心臓が、大きな音を立てた。
「ぐぁ……っ! な……」
義母はふらりと立ち上がると、喉を押さえたまま首をグギギ……と動かし、血走った目でメイドの方を見る。するとメイドはヒュッと喉を鳴らし、あわあわと手を口元で震わせながら、その場にへたり込んだ。そして首をブンブンと左右に振る。
「な、なぜ……、いいえ! まさか! そ、そんなはずが……私はちゃんと……っ! ひぃぃ……っ!」
呆然としていた私はハッと我に返り、立ち上がろうとした。けれど、義母は苦しみながら一人フラフラと扉に向かって駆けていく。
扉の前に控えていたサイラスさんが、顔色一つ変えないままに大きく横に一歩ずれると、ドアノブに手をかけ扉を大きく開いた。義母はそこから廊下へと飛び出す。
その後を追いながら、私はサイラスさんに視線を送る。目が合うと、サイラスさんは少し肩をすくめ、無言でパチンと片目を閉じてみせた。
(……??)
義母の異変に一切の動揺を見せない彼の様子が気になり声をかけようとしたけれど、その時、廊下が一気に騒がしくなった。私は慌ててそちらへと駆け出した。
「よくもまぁ、今さらその厚顔無恥な顔を私たちの前に晒せたものね。お前のせいで私たちがあれからどれほど苦労をしたか、考えてみたことがあるのかしら」
「……ダルテリオ商会の会長とのことで、ご迷惑をおかけしたのは申し訳ございませんでした。ですが、帰ってきて顔を見せろと手紙を寄越したのは父です」
ガラリと態度が豹変した義母に警戒心を強めながら、私は答えた。すると義母は三日月のように目を細く歪め、クックッと妙な笑い声を出す。
「ああ、あの手紙。真に受けてくれたわけね。一言一句隣で指示しながらあの人に書かせた甲斐があったわ」
「……。全て、あなたが考えた内容だったんですね」
「もちろんそうよ。あの人があんな手紙をお前に送るはずがないでしょう。……何? まさか父親が本当に自分の身を案じ、再会を切望していたとでも? ふふ、おめでたいこと。これ見よがしにリグリー侯爵家のご令息と、いつの間にやら彼との間になした子まで連れて、勝ち誇ったようにご帰還なさって。……お前、やはりあの女の娘ね。いやらしい。未婚の身でありながら、よその殿方を体で籠絡し、意のままにしてしまうなんて。お前さえ邪魔しなければ、セシル様は筆頭公爵家のご令嬢と結婚していたはずなの。リグリー侯爵家に多大な損害を与えたのはお前自身よ。このろくでなし」
義母の辛辣な言葉の数々に、心が急激に冷えていく。父は私の幸せなど欠片ほども願っていなければ、謝罪や後悔の気持ちさえなかった。それどころか、まるで義母の操り人形のように、言われるがまま偽りだらけの手紙をしたため、私を騙しておびき寄せたのだ。さっきも義母の隣で、ずっと黙っているだけだった。
(……相変わらず無責任で気弱で、事なかれ主義の情けない父のままだったわ)
もういい、と私は思った。これで今度こそ、完全に吹っ切れた。セシルを交えて金銭的な責任のことを話し合って、セレネスティアへ三人で帰りたい。
話し合いさえ終われば、もうここには用はない。それよりも、早くリグリー侯爵家へ向かわなければ。
そんなことを考えている私の向かいで、義母はまるで胸の内を全て吐き出すかのように私に呪いの言葉を浴びせ続けていた。
「あばずれ。狡猾で薄汚い、メイドの子が。育ててきてやった恩も忘れて、こんな形で私たちに砂をかけて逃げ出すなんて。信じられないわ。ティナレインのくせに、大それたことをしでかして。お前さえ黙って従っていれば、ハーマン・ダルテリオとの契約で私たちの暮らしは守られたはずだったのよ。お前のせいで安定した金の入り先がなくなった。どれだけ私たちが苦しんでいると思うの? それなのに……、私たちを犠牲にして、自分だけ想い合った殿方と幸せになろうだなんて。そうはいかないわよ。侯爵夫妻も、お前を許しはしないの。……ふふ。せいぜい苦しむといいわ、ティナ」
(……? せいぜい、苦しむといい……?)
その妙な言い回しが気にかかった。
義母は言葉を区切ると、意地の悪い笑みを浮かべ、まるで観察するように私を見つめている。
その直後だった。
「……。……? ……ぐ……っ!!」
(……え?)
突然カッと目を見開いた義母が、潰れたような声を漏らし喉元を押さえた。一体どうしたのだろうと思った瞬間、義母の顔がみるみる紫色に変わっていく。
私の心臓が、大きな音を立てた。
「ぐぁ……っ! な……」
義母はふらりと立ち上がると、喉を押さえたまま首をグギギ……と動かし、血走った目でメイドの方を見る。するとメイドはヒュッと喉を鳴らし、あわあわと手を口元で震わせながら、その場にへたり込んだ。そして首をブンブンと左右に振る。
「な、なぜ……、いいえ! まさか! そ、そんなはずが……私はちゃんと……っ! ひぃぃ……っ!」
呆然としていた私はハッと我に返り、立ち上がろうとした。けれど、義母は苦しみながら一人フラフラと扉に向かって駆けていく。
扉の前に控えていたサイラスさんが、顔色一つ変えないままに大きく横に一歩ずれると、ドアノブに手をかけ扉を大きく開いた。義母はそこから廊下へと飛び出す。
その後を追いながら、私はサイラスさんに視線を送る。目が合うと、サイラスさんは少し肩をすくめ、無言でパチンと片目を閉じてみせた。
(……??)
義母の異変に一切の動揺を見せない彼の様子が気になり声をかけようとしたけれど、その時、廊下が一気に騒がしくなった。私は慌ててそちらへと駆け出した。
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