19 / 29
19. 初めてのデート
しおりを挟む
長期休暇はまたたく間に過ぎていった。突然公爵家のご令息と婚約した私は、より一層高度なマナーを身につける必要があった。
「サザーランド公爵家は、この国の要職を歴任されてきた名門だ。クライヴ殿も例外ではない。領地も広く、背負う責務は計り知れん。いずれその隣に立つお前は、それに相応しい所作と覚悟を備えねばならない」
父はそう言い、宮廷儀礼などに通じた複数の家庭教師を雇った。私の前にはこれまで触れてこなかった領域の学問やマナーの教科書の数々が並べられることになり、私は無我夢中で勉強を始めた。
時折ノエリスとお茶会をしたり、母と一緒に街に買い物に出かけたり。クライヴ様を招いての夕食会もあった。それから、両親とともにサザーランド公爵邸に挨拶にも行った。厳格そのものの公爵閣下と気品漂う奥方を前に始終緊張しっぱなしだったけれど、対面はつつがなく終わり心底ほっとした。クライヴ様の兄上であるハロルド様は、領地のお屋敷で静養中とのことで、お会いできなかったのが少し残念だった。
そんな日々を過ごしているうちに、あっという間に休暇も最終週に入った。
(新学期からは、このままの自分の姿で通えるのよね。嬉しいけど、ドキドキするな……。いきなり全然違う格好で現れたら、皆にどう思われるかしら)
ルパート様の登校停止処分はまだ続いているのだろうか。もう登校していたら嫌だな……。
新学期のことを考え、彼の顔がふと頭をよぎった瞬間、同時にエメライン王女の顔も浮かんできた。……どちらとも、あまり顔を合わせたくはない。
そんな不安が頭をもたげはじめた頃、またサザーランド公爵家の使者が屋敷にやって来た。いつものようにお花と手紙が届いたのかと思い出迎えると、今日は様子が違った。使者は私にカードを差し出し、恭しく口を開く。
「クライヴ様より、明後日のお昼頃にお迎えにあがりたいとのことでございます。お連れしたいところがあると」
その言葉に、私は息を呑んだ。
「え? ク、クライヴ様が、私を連れてお出かけになると……?」
「さようでございます。ご都合はいかがでございましょうか、ロザリンド様」
すぐに心臓の鼓動が速くなり、私はひとまずカードをそっと開いてみた。……今従者が言ったのと同じ言葉が書いてある。どうしよう。どこへ行くのだろう。戸惑いつつも返事をしようとした、その時だった。
「もちろん、喜んでお待ち申し上げておりますわ!」
「っ! お、お母様……っ」
廊下の奥から早足でこちらに向かってきた母が、サザーランド公爵家の使者に弾んだ声でそう言った。彼は礼をし、「そのようにお伝え申し上げます」と言うと、そのまま帰っていった。
玄関扉が閉まると、母は私の腕を取り、今にも鼻歌でも歌い出しそうな様子で階段へと向かう。
「ふふふ。ようやくデートね、ローズ! お忙しいクライヴ様がお時間を作ってくださったのですもの。楽しい一日になるといいわね。この機会に、二人の距離をぐっと縮めるのよ」
「お母様ったら……。い、一緒に行く? お母様も。お好きでしょう? クライヴ様のこと」
緊張のあまりためしにそう言ってみると、母が私を睨み、少し乱暴に腕を引いた。
「馬鹿なことを言わないでちょうだい。恥ずかしがらないで、貴重な時間を存分に楽しんでくるのよ。大丈夫よ、二人でお出かけとはいっても、侍女や従者たちはいるんだし。さぁ、ドレスを選ぶわよ! アクセサリーは派手すぎないものにしなくちゃね」
尻込みする私とは裏腹に、張り切った母はその後一緒に私の部屋へと行き、嬉しそうにクローゼットを漁り続けていた。
そして迎えた二日後。空は爽やかに晴れ渡り、絶好のお出かけ日和となった。
今日の空と同じ色のデイドレスを身にまとった私は、小さなパールのネックレスとイヤリングを着けた。髪は片側に緩やかに編み下ろし、肩の前へとふわりと流している。編み目の始まりの部分には、小さな白い花とパールを組み合わせた繊細な髪飾り。とても可愛らしく仕上がっていて、鏡を見た私は嬉しくなった。
「ありがとう」
身支度をしてくれた侍女たちにお礼を言うと、彼女たちも微笑みを浮かべる。
「とてもお美しゅうございます、ロザリンド様」
「サザーランド公爵令息様も、きっとお喜びでございます」
「そ、そうかしら……」
「もちろんですとも!」
屋敷の侍女たちも皆、私とクライヴ様の婚約が整ってからというものすごく嬉しそうだ。ルパート様の件では皆にかなり心配をかけてしまっていたから、今の彼女たちの顔を見るとほっとする。あの時の陰鬱な空気は、もうこの屋敷のどこにもない。彼はハートリー伯爵家の雰囲気まで、大きく変えてくださったのだ。
しばらくして、そのクライヴ様がお迎えに現れた。家令が呼びに来て、階下へと下りていく。……相変わらず心臓の音はうるさいくらいで、足も震えていた。
「お、お待たせいたしました、クライヴ様。本日はお誘いいただき、ありがとうございます」
目の前まで行き挨拶をすると、彼はじっと私のことを見つめた。仕立ての良さそうな薄手のジャケットは、やはり黒だった。よほど黒がお好きらしい。
「……ああ。……行こうか」
しばらくして目を逸らしそう言うと、クライヴ様は小さく咳払いをした。
その耳朶が、また赤く染まっているように見えた。
クライヴ様からサザーランド公爵家の馬車へとエスコートされ、向かい合って座る。行き先はすでに決まっているようで、馬車はすぐに動きはじめた。
私は緊張しすぎて言葉が出ないし、クライヴ様はもともと寡黙だ。馬車の中はずっと静かで、時折クライヴ様が、「もうすぐ新学期だな」とか、「最近は何をして過ごしていた?」とか、そんな風に話題を振ってくださる時だけ、少し会話が生まれた。
手に汗握る気まずい時間がしばらく流れた後、馬車は王都の中でも貴族たちが多く行き交う、洗練された大通りの近くに停まった。先に降りたクライヴ様はフットマンを差し置いて、自然な仕草で私に手を差し出す。
「おいで」
「……は、はい」
一瞬息が止まった。けれど私は勇気を出して、小さく震える自分の指先を、クライヴ様の手のひらに乗せた。
その手を包み込むように握られ、体温が一気に上がる。心臓が破裂しそうだった。
「サザーランド公爵家は、この国の要職を歴任されてきた名門だ。クライヴ殿も例外ではない。領地も広く、背負う責務は計り知れん。いずれその隣に立つお前は、それに相応しい所作と覚悟を備えねばならない」
父はそう言い、宮廷儀礼などに通じた複数の家庭教師を雇った。私の前にはこれまで触れてこなかった領域の学問やマナーの教科書の数々が並べられることになり、私は無我夢中で勉強を始めた。
時折ノエリスとお茶会をしたり、母と一緒に街に買い物に出かけたり。クライヴ様を招いての夕食会もあった。それから、両親とともにサザーランド公爵邸に挨拶にも行った。厳格そのものの公爵閣下と気品漂う奥方を前に始終緊張しっぱなしだったけれど、対面はつつがなく終わり心底ほっとした。クライヴ様の兄上であるハロルド様は、領地のお屋敷で静養中とのことで、お会いできなかったのが少し残念だった。
そんな日々を過ごしているうちに、あっという間に休暇も最終週に入った。
(新学期からは、このままの自分の姿で通えるのよね。嬉しいけど、ドキドキするな……。いきなり全然違う格好で現れたら、皆にどう思われるかしら)
ルパート様の登校停止処分はまだ続いているのだろうか。もう登校していたら嫌だな……。
新学期のことを考え、彼の顔がふと頭をよぎった瞬間、同時にエメライン王女の顔も浮かんできた。……どちらとも、あまり顔を合わせたくはない。
そんな不安が頭をもたげはじめた頃、またサザーランド公爵家の使者が屋敷にやって来た。いつものようにお花と手紙が届いたのかと思い出迎えると、今日は様子が違った。使者は私にカードを差し出し、恭しく口を開く。
「クライヴ様より、明後日のお昼頃にお迎えにあがりたいとのことでございます。お連れしたいところがあると」
その言葉に、私は息を呑んだ。
「え? ク、クライヴ様が、私を連れてお出かけになると……?」
「さようでございます。ご都合はいかがでございましょうか、ロザリンド様」
すぐに心臓の鼓動が速くなり、私はひとまずカードをそっと開いてみた。……今従者が言ったのと同じ言葉が書いてある。どうしよう。どこへ行くのだろう。戸惑いつつも返事をしようとした、その時だった。
「もちろん、喜んでお待ち申し上げておりますわ!」
「っ! お、お母様……っ」
廊下の奥から早足でこちらに向かってきた母が、サザーランド公爵家の使者に弾んだ声でそう言った。彼は礼をし、「そのようにお伝え申し上げます」と言うと、そのまま帰っていった。
玄関扉が閉まると、母は私の腕を取り、今にも鼻歌でも歌い出しそうな様子で階段へと向かう。
「ふふふ。ようやくデートね、ローズ! お忙しいクライヴ様がお時間を作ってくださったのですもの。楽しい一日になるといいわね。この機会に、二人の距離をぐっと縮めるのよ」
「お母様ったら……。い、一緒に行く? お母様も。お好きでしょう? クライヴ様のこと」
緊張のあまりためしにそう言ってみると、母が私を睨み、少し乱暴に腕を引いた。
「馬鹿なことを言わないでちょうだい。恥ずかしがらないで、貴重な時間を存分に楽しんでくるのよ。大丈夫よ、二人でお出かけとはいっても、侍女や従者たちはいるんだし。さぁ、ドレスを選ぶわよ! アクセサリーは派手すぎないものにしなくちゃね」
尻込みする私とは裏腹に、張り切った母はその後一緒に私の部屋へと行き、嬉しそうにクローゼットを漁り続けていた。
そして迎えた二日後。空は爽やかに晴れ渡り、絶好のお出かけ日和となった。
今日の空と同じ色のデイドレスを身にまとった私は、小さなパールのネックレスとイヤリングを着けた。髪は片側に緩やかに編み下ろし、肩の前へとふわりと流している。編み目の始まりの部分には、小さな白い花とパールを組み合わせた繊細な髪飾り。とても可愛らしく仕上がっていて、鏡を見た私は嬉しくなった。
「ありがとう」
身支度をしてくれた侍女たちにお礼を言うと、彼女たちも微笑みを浮かべる。
「とてもお美しゅうございます、ロザリンド様」
「サザーランド公爵令息様も、きっとお喜びでございます」
「そ、そうかしら……」
「もちろんですとも!」
屋敷の侍女たちも皆、私とクライヴ様の婚約が整ってからというものすごく嬉しそうだ。ルパート様の件では皆にかなり心配をかけてしまっていたから、今の彼女たちの顔を見るとほっとする。あの時の陰鬱な空気は、もうこの屋敷のどこにもない。彼はハートリー伯爵家の雰囲気まで、大きく変えてくださったのだ。
しばらくして、そのクライヴ様がお迎えに現れた。家令が呼びに来て、階下へと下りていく。……相変わらず心臓の音はうるさいくらいで、足も震えていた。
「お、お待たせいたしました、クライヴ様。本日はお誘いいただき、ありがとうございます」
目の前まで行き挨拶をすると、彼はじっと私のことを見つめた。仕立ての良さそうな薄手のジャケットは、やはり黒だった。よほど黒がお好きらしい。
「……ああ。……行こうか」
しばらくして目を逸らしそう言うと、クライヴ様は小さく咳払いをした。
その耳朶が、また赤く染まっているように見えた。
クライヴ様からサザーランド公爵家の馬車へとエスコートされ、向かい合って座る。行き先はすでに決まっているようで、馬車はすぐに動きはじめた。
私は緊張しすぎて言葉が出ないし、クライヴ様はもともと寡黙だ。馬車の中はずっと静かで、時折クライヴ様が、「もうすぐ新学期だな」とか、「最近は何をして過ごしていた?」とか、そんな風に話題を振ってくださる時だけ、少し会話が生まれた。
手に汗握る気まずい時間がしばらく流れた後、馬車は王都の中でも貴族たちが多く行き交う、洗練された大通りの近くに停まった。先に降りたクライヴ様はフットマンを差し置いて、自然な仕草で私に手を差し出す。
「おいで」
「……は、はい」
一瞬息が止まった。けれど私は勇気を出して、小さく震える自分の指先を、クライヴ様の手のひらに乗せた。
その手を包み込むように握られ、体温が一気に上がる。心臓が破裂しそうだった。
3,025
あなたにおすすめの小説
あなたなんて大嫌い
みおな
恋愛
私の婚約者の侯爵子息は、義妹のことばかり優先して、私はいつも我慢ばかり強いられていました。
そんなある日、彼が幼馴染だと言い張る伯爵令嬢を抱きしめて愛を囁いているのを聞いてしまいます。
そうですか。
私の婚約者は、私以外の人ばかりが大切なのですね。
私はあなたのお財布ではありません。
あなたなんて大嫌い。
何年も相手にしてくれなかったのに…今更迫られても困ります
Karamimi
恋愛
侯爵令嬢のアンジュは、子供の頃から大好きだった幼馴染のデイビッドに5度目の婚約を申し込むものの、断られてしまう。さすがに5度目という事もあり、父親からも諦める様言われてしまった。
自分でも分かっている、もう潮時なのだと。そんな中父親から、留学の話を持ち掛けられた。環境を変えれば、気持ちも落ち着くのではないかと。
彼のいない場所に行けば、彼を忘れられるかもしれない。でも、王都から出た事のない自分が、誰も知らない異国でうまくやっていけるのか…そんな不安から、返事をする事が出来なかった。
そんな中、侯爵令嬢のラミネスから、自分とデイビッドは愛し合っている。彼が騎士団長になる事が決まった暁には、自分と婚約をする事が決まっていると聞かされたのだ。
大きなショックを受けたアンジュは、ついに留学をする事を決意。専属メイドのカリアを連れ、1人留学の先のミラージュ王国に向かったのだが…
これ以上私の心をかき乱さないで下さい
Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユーリは、幼馴染のアレックスの事が、子供の頃から大好きだった。アレックスに振り向いてもらえるよう、日々努力を重ねているが、中々うまく行かない。
そんな中、アレックスが伯爵令嬢のセレナと、楽しそうにお茶をしている姿を目撃したユーリ。既に5度も婚約の申し込みを断られているユーリは、もう一度真剣にアレックスに気持ちを伝え、断られたら諦めよう。
そう決意し、アレックスに気持ちを伝えるが、いつも通りはぐらかされてしまった。それでも諦めきれないユーリは、アレックスに詰め寄るが
“君を令嬢として受け入れられない、この気持ちは一生変わらない”
そうはっきりと言われてしまう。アレックスの本心を聞き、酷く傷ついたユーリは、半期休みを利用し、兄夫婦が暮らす領地に向かう事にしたのだが。
そこでユーリを待っていたのは…
完結 冗談で済ますつもりでしょうが、そうはいきません。
音爽(ネソウ)
恋愛
王子の幼馴染はいつもわがまま放題。それを放置する。
結婚式でもやらかして私の挙式はメチャクチャに
「ほんの冗談さ」と王子は軽くあしらうが、そこに一人の男性が現れて……
【完結】幼馴染と恋人は別だと言われました
迦陵 れん
恋愛
「幼馴染みは良いぞ。あんなに便利で使いやすいものはない」
大好きだった幼馴染の彼が、友人にそう言っているのを聞いてしまった。
毎日一緒に通学して、お弁当も欠かさず作ってあげていたのに。
幼馴染と恋人は別なのだとも言っていた。
そして、ある日突然、私は全てを奪われた。
幼馴染としての役割まで奪われたら、私はどうしたらいいの?
サクッと終わる短編を目指しました。
内容的に薄い部分があるかもしれませんが、短く纏めることを重視したので、物足りなかったらすみませんm(_ _)m
【完結】側妃は愛されるのをやめました
なか
恋愛
「君ではなく、彼女を正妃とする」
私は、貴方のためにこの国へと貢献してきた自負がある。
なのに……彼は。
「だが僕は、ラテシアを見捨てはしない。これから君には側妃になってもらうよ」
私のため。
そんな建前で……側妃へと下げる宣言をするのだ。
このような侮辱、恥を受けてなお……正妃を求めて抗議するか?
否。
そのような恥を晒す気は無い。
「承知いたしました。セリム陛下……私は側妃を受け入れます」
側妃を受けいれた私は、呼吸を挟まずに言葉を続ける。
今しがた決めた、たった一つの決意を込めて。
「ですが陛下。私はもう貴方を支える気はありません」
これから私は、『捨てられた妃』という汚名でなく、彼を『捨てた妃』となるために。
華々しく、私の人生を謳歌しよう。
全ては、廃妃となるために。
◇◇◇
設定はゆるめです。
読んでくださると嬉しいです!
貴方が選んだのは全てを捧げて貴方を愛した私ではありませんでした
ましゅぺちーの
恋愛
王国の名門公爵家の出身であるエレンは幼い頃から婚約者候補である第一王子殿下に全てを捧げて生きてきた。
彼を数々の悪意から守り、彼の敵を排除した。それも全ては愛する彼のため。
しかし、王太子となった彼が最終的には選んだのはエレンではない平民の女だった。
悲しみに暮れたエレンだったが、家族や幼馴染の公爵令息に支えられて元気を取り戻していく。
その一方エレンを捨てた王太子は着々と破滅への道を進んでいた・・・
[完結]婚約破棄してください。そして私にもう関わらないで
みちこ
恋愛
妹ばかり溺愛する両親、妹は思い通りにならないと泣いて私の事を責める
婚約者も妹の味方、そんな私の味方になってくれる人はお兄様と伯父さんと伯母さんとお祖父様とお祖母様
私を愛してくれる人の為にももう自由になります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる