時を転じて陰陽師は恋をする

舞々

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第四章 武尊の式神

武尊の式神④

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「ん?」
「どうした、智晴」
「何か強い力をもった者がこっちに向かってる」
「……本当か? 俺には全くわからねぇ」
「気配を上手く殺しているけど、隠し切れないくらいの妖力を持っているようだ」
「黒羽、か?」


 智晴は気配がする闇夜のほうをジッと睨み付けた。
 得体の知れない者が自分に向かってくる恐怖に、じっとりと手汗が滲む。辺りの音が消え、対照的に呼吸の音が響いた。
 しばらくすると。


「……? なんだ…?」


 寒い。智晴の肌に、冷気が触れてくる。唐突な気候の変化に、空を少し仰ぎ見るが空に異変はない。
 冷気がしたかと思えば、目の前の池が一瞬で氷つく。地面に横たわっている家畜の亡骸も草も花も。全てが氷に覆われた。


「寒……!」


 思わず身を縮こませる。吐き出す息さえ凍ってしまいそうな世界。どうして急に……?


 小さく震える智晴を我鷲丸が抱き寄せる。いつも自然と自分を守ろうとしてくれることが、智晴は不思議だった。我鷲丸はあまりにも自然に智晴の体を自分のほうへと引き寄せる。もう、ずっとそうしてきたかのように……。


「気を付けろ、智晴。黒羽は相手の魂を凍らせて、それを食らう妖怪だ。もしかしたら、黒羽が近くまで来ているのかもしれない」
「魂を凍らせて食らう……」
「気を抜くな。やられるぞ」


 氷を砕きながらゆっくりこちらに向かってくる重たい足音に、体を硬くして身構える。
 ガタガタと震えながら、肺が凍り付きそうな寒さを必死に耐える。そんな智晴を庇うかのように我鷲丸がそっと前に立ちはだかった。
 そんな勇ましい姿に、心が熱く震える。


「久し振りだな、我鷲丸」


 初めて見るはずのその顔を見て、智晴は言いようのない感情に襲われた。恐怖でもない、既視感ともまた違う、後悔や無念の情のような……。


 目の前にいる妖怪は、智晴が今まで見た妖怪の中で一番綺麗だった。なのに、全く表情がない。
 硝子玉のような瞳には光が宿っておらず、より彼を冷徹に見せる。我鷲丸も同じように端正な顔立ちをしているが、与える印象は真逆といっても過言ではない。


「隣にいるのは人間か? ほぅ……なかなかやるではないか」


 艶々と輝く長い黒髪に、烏の羽のように真っ黒な着物。腰にさされた大剣は、それだけで相手を威圧する。
 ゆっくりと自分達に近付いてくる男が、遠目で見るより大柄であることに驚かされた。


「真っ黒な羽……。こいつは天狗……?」
 その妖怪の背中には、一対の真っ黒な羽が生えている。生まれて初めて見る天狗に目を奪われた。


「黒羽よ」
 我鷲丸に黒羽と呼ばれた鬼は、智晴にチラッと視線を移す。ただそれだけで、先ほどの感情はどこへやら、心臓が止まってしまいそうな恐怖に襲われた。


「武尊の魂を感じたからわざわざ出向いてみれば、ずいぶん可愛らしくなったもんだ。これでは俺を封印するどころか、一息吹きかけるだけで凍り付いてしまいそうだ。まぁ、こいつの魂は旨そうだがな」
「こいつに手を出したらただじゃおかねぇぞ。お前、まだ妖力が完全に戻っていないだろう」
「何を言う。お前だってまだだろうに」


「いいか? こいつには絶対に手を出すなよ」
「武尊が生まれ変わっても、お前は相変わらずなんだな。未練たらしいぞ?」
「うるせぇよ、黙れ」
「実にくだらない」
 黒羽がパリンッと小さな花を踏み潰す。
「俺は……人間を……陰陽師を絶対に許さない」


 まるで地を這うような低い唸り声に、じっと智晴を見据える鋭い目。智晴はギュッと我鷲丸の腕にしがみつく。殺される……先程から頭をチラつく思いに、立っているのもやっとだった。


 ――こいつは、今まで出会った妖怪とは別格だ。


 それでも戦わなければならない。頼ってくれる我鷲丸のためにも、家で待ってくれている律のためにも……。


「おい、こっちだ! 天狗の気配がするぞ!」
 突然騒がしくなり、松明の光が遠くに見えた。大勢の人間がこちらに向かいバタバタと走っているようだ。


「今日はここまでだ。妖力が戻ったその時には……覚悟しておけ」
 突然突風が吹き荒れ、真っ黒な羽が一面に飛び散った。


「わぁぁッ!」
 次の瞬間黒羽にグイッと腕を捕まれ、もぎ取られるのではないか……という程の力で引かれる。必死に逃れようと体をバタつかせれば、冷たい何かに頬を撫でられる感触に息を飲んだ。


「また会おう。武尊の生まれ変わり。その時はその魂をもらうぞ」 
 何とか黒羽の手を振り払おうとするのに、強い力にびくともしない。


「智晴から離れろ!」
 我鷲丸が鋭い爪で黒羽に襲いかかったが、黒羽はヒラリとそれをかわし真っ赤な月の中に消えて行った。


「大丈夫か!?」
 遠くから聞こえてくる人々の声に、心の底から安堵する。
 あんなに綺麗で恐ろしい妖怪に会ったのは初めてだった。


「死ぬかと思った……」

 
 額から流れる冷汗で頬に張り付いた髪を、夜風がそっと撫でていく。次の瞬間ガクンと膝が折れ、目の前が真っ暗になった。

 



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