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第三章 出会いと別れ
出会いと別れ④
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小児癌と一番戦っているのは、成宮先生ではなく柊弥君自身だった。
あの日以来、柊弥君は激しい痛みに襲われ、「痛い、痛い」と、泣いている時間が増えた。小さな子供の泣く姿を見ることは本当に辛くて……医者のくせに無力な自分が情けなかった。
「ようやく寝たか……」
「はい。痛み止めが効いてきたみたいで。それまでは、ずっと痛い痛いって泣いてました」
「そうか……」
ベッドに腰を掛けて柊弥君を抱き締める俺の隣に、成宮先生が遠慮もなく座り込む。
「ずっと抱いてやってたのか?」
「はい。柊弥君のママが自宅に洗濯物を取りに行っている間だけですけど」
俺の腕の中で、泣き腫らした目を閉じてスヤスヤと眠る柊弥君の顔を、成宮先生が覗き込む。
「だって……俺はおっとりし過ぎているし、他の研修医より成長のスピードも遅い。でも、痛い所を摩ってあげることとか、抱っこしてあげることならできるから……だから、今の俺にできることはしてあげたい。ごめんなさい。無能な医者で……ごめんなさい」
目頭が熱くなったから、慌てて白衣の袖で涙を拭いながら成宮先生の顔を見つめた。
「あの夜……俺は、成宮先生がいなかったら死んでた。どこの病院にも断られてしまって……死を覚悟した時、成宮先生だけ俺を受け入れてくれた。あの時どれ程感謝したかなんて、言葉では表せない」
結局俺の目から溢れ出した涙を、成宮先生が指先でそっと拭ってくれる。
「だから、俺が救われたように、俺も誰かが病気で苦しんでいたら救いたい。俺は馬鹿で、無能かもしれないけど……でも、助けたい……」
「わかったよ」
「あなたが俺にしてくれたことを、俺もしてあげたい」
「わかったから」
「でも……俺、役立たずだから……何もできない」
俺は成宮先生の白衣の裾を掴んで唇を噛み締める。自分の無力さを痛い程感じていた。
「そんなことない。優しい、いい医者だよ」
成宮先生が俺の耳元で優しく囁きながら、頭にある手術の傷跡をそっと撫でてくれる。その優しい指使いが擽ったい。
「ちょっととろくて鈍臭いけど、人の痛みがわかる優しい医者だ」
「一言多いんですよ」
「あははは。だって事実だろ? 不器用で要領が悪い……ただそれだけだよ」
そう笑いながら、成宮先生は俺ごと柊弥君を優しく抱き締めてくれた。
それから数日後。柊弥君は、子供ホスピタルに転院することになった。
子供ホスピタルは、柊弥君みたいに不治の病の子供達が、医療を受けながらも穏やかに残された最期の時間を過ごすための場所。そこは病院だけれど、治療する場所ではない。
ホスピタルに向かうため父親に抱かれた柊弥君は、今にも生命の灯が消えてしまいそうに見えた。
「みなせせんせい、ありがとう。だいすき」
「え?」
「バイバイ」
小さな手をヒラヒラさせながら、何度も何度も丁寧に頭を下げる両親に連れられ、柊弥君はホスピタルに行ってしまった。
俺は、その光景を目の当たりにして、何も言い返せないで立ちすくむ。どんどん遠ざかる柊弥君を見ているうちに、心の中に熱い衝動が込み上げてきた。
次の瞬間、頭よりも体が勝手に動き出す。咄嗟に走り出そうとした俺を止めたのは、すぐ隣で柊弥君を見送っていた成宮先生だった。
「おい、水瀬。どこ行くんだよ?」
「柊弥君を、病棟に連れ戻します。死ぬための病院に転院するなんておかしいでしょ! まだ、まだできる治療があるかもしれない!」
「水瀬、落ち着けって」
「落ち着いていられるわけないでしょう? 離して!」
成宮先生の腕を振りほどこうと必死になって抵抗したけど、自分より体の大きな成宮先生には敵うはずもなかった。
「落ち着け、水瀬」
「嫌だ、離して……!」
「水瀬!」
それは本気で俺を制止させる鋭い声だった。
普段、嫌味ばかり言ってはいるものの、声を荒らげることのない成宮先生の大声に、俺は金縛りにあったかのように動けなくなってしまった。恐る恐る成宮先生を見上げれば、そこには悲痛に顔を歪めた成宮先生がいる。そんな、初めて見る表情に胸がギュッと締め付けられた。
「いいんだ、水瀬。これでいい」
「だって、柊弥君はまだ治る可能性がゼロじゃないんですよね?」
「もう柊弥君は治らないんだよ。だから、ホスピタルで残された最期の時間を穏やかに過ごさしたほうがいいんだ」
「なんで? 嫌だ、そんなの嫌だ……」
まるで駄々っ子のように、フルフルと首を横に振る俺の肩に、成宮先生がそっと手を置いた。
トクントクン。その瞬間、俺の鼓動が高鳴る。それと同時に、強張っていた全身から力が抜けて行くのを感じた。
「俺達医師にも限界はある。その限界を見極めて、残された最期の時間とどう向き合うべきか……その答えを一緒に考えていくことだって、俺達医師の大切な役目だ」
俺の肩に置かれた成宮先生の手に、力が込められる。
「だからこそ、自分ができることを全部やって、最後の最後まで残された治療がないかを調べ尽くして……一筋の希望にすがりつくんだ。……だが、それでもどうにもならないこともある」
成宮先生の体が、カタカタと小さく震えていることに気付く。
あぁ、この人も辛いんだ……。柊弥君の治療を終わりにしようと決めたとき、この人は、どれだけ辛かっただろうか。何も考えずに泣き喚いていた自分が、情けなくなった。
「ごめんなさい……。成宮先生。それから、ありがとうございます。最後の最後まで、柊弥君の事を諦めないでくれて……」
「いや、水瀬だってよくやってくれた」
「本当ですか? 俺も少しは役にたてたのかな……」
「まだまだ一人前からは程遠いけどな」
「あははは。ひでぇ」
自分の肩に置かれた成宮先生の手に、そっと自分の手を重ねる。
この時俺は、もっとたくさんのことを学んで、成宮先生を支えられる存在になりたい……そう強く思ったのだった。
あの日以来、柊弥君は激しい痛みに襲われ、「痛い、痛い」と、泣いている時間が増えた。小さな子供の泣く姿を見ることは本当に辛くて……医者のくせに無力な自分が情けなかった。
「ようやく寝たか……」
「はい。痛み止めが効いてきたみたいで。それまでは、ずっと痛い痛いって泣いてました」
「そうか……」
ベッドに腰を掛けて柊弥君を抱き締める俺の隣に、成宮先生が遠慮もなく座り込む。
「ずっと抱いてやってたのか?」
「はい。柊弥君のママが自宅に洗濯物を取りに行っている間だけですけど」
俺の腕の中で、泣き腫らした目を閉じてスヤスヤと眠る柊弥君の顔を、成宮先生が覗き込む。
「だって……俺はおっとりし過ぎているし、他の研修医より成長のスピードも遅い。でも、痛い所を摩ってあげることとか、抱っこしてあげることならできるから……だから、今の俺にできることはしてあげたい。ごめんなさい。無能な医者で……ごめんなさい」
目頭が熱くなったから、慌てて白衣の袖で涙を拭いながら成宮先生の顔を見つめた。
「あの夜……俺は、成宮先生がいなかったら死んでた。どこの病院にも断られてしまって……死を覚悟した時、成宮先生だけ俺を受け入れてくれた。あの時どれ程感謝したかなんて、言葉では表せない」
結局俺の目から溢れ出した涙を、成宮先生が指先でそっと拭ってくれる。
「だから、俺が救われたように、俺も誰かが病気で苦しんでいたら救いたい。俺は馬鹿で、無能かもしれないけど……でも、助けたい……」
「わかったよ」
「あなたが俺にしてくれたことを、俺もしてあげたい」
「わかったから」
「でも……俺、役立たずだから……何もできない」
俺は成宮先生の白衣の裾を掴んで唇を噛み締める。自分の無力さを痛い程感じていた。
「そんなことない。優しい、いい医者だよ」
成宮先生が俺の耳元で優しく囁きながら、頭にある手術の傷跡をそっと撫でてくれる。その優しい指使いが擽ったい。
「ちょっととろくて鈍臭いけど、人の痛みがわかる優しい医者だ」
「一言多いんですよ」
「あははは。だって事実だろ? 不器用で要領が悪い……ただそれだけだよ」
そう笑いながら、成宮先生は俺ごと柊弥君を優しく抱き締めてくれた。
それから数日後。柊弥君は、子供ホスピタルに転院することになった。
子供ホスピタルは、柊弥君みたいに不治の病の子供達が、医療を受けながらも穏やかに残された最期の時間を過ごすための場所。そこは病院だけれど、治療する場所ではない。
ホスピタルに向かうため父親に抱かれた柊弥君は、今にも生命の灯が消えてしまいそうに見えた。
「みなせせんせい、ありがとう。だいすき」
「え?」
「バイバイ」
小さな手をヒラヒラさせながら、何度も何度も丁寧に頭を下げる両親に連れられ、柊弥君はホスピタルに行ってしまった。
俺は、その光景を目の当たりにして、何も言い返せないで立ちすくむ。どんどん遠ざかる柊弥君を見ているうちに、心の中に熱い衝動が込み上げてきた。
次の瞬間、頭よりも体が勝手に動き出す。咄嗟に走り出そうとした俺を止めたのは、すぐ隣で柊弥君を見送っていた成宮先生だった。
「おい、水瀬。どこ行くんだよ?」
「柊弥君を、病棟に連れ戻します。死ぬための病院に転院するなんておかしいでしょ! まだ、まだできる治療があるかもしれない!」
「水瀬、落ち着けって」
「落ち着いていられるわけないでしょう? 離して!」
成宮先生の腕を振りほどこうと必死になって抵抗したけど、自分より体の大きな成宮先生には敵うはずもなかった。
「落ち着け、水瀬」
「嫌だ、離して……!」
「水瀬!」
それは本気で俺を制止させる鋭い声だった。
普段、嫌味ばかり言ってはいるものの、声を荒らげることのない成宮先生の大声に、俺は金縛りにあったかのように動けなくなってしまった。恐る恐る成宮先生を見上げれば、そこには悲痛に顔を歪めた成宮先生がいる。そんな、初めて見る表情に胸がギュッと締め付けられた。
「いいんだ、水瀬。これでいい」
「だって、柊弥君はまだ治る可能性がゼロじゃないんですよね?」
「もう柊弥君は治らないんだよ。だから、ホスピタルで残された最期の時間を穏やかに過ごさしたほうがいいんだ」
「なんで? 嫌だ、そんなの嫌だ……」
まるで駄々っ子のように、フルフルと首を横に振る俺の肩に、成宮先生がそっと手を置いた。
トクントクン。その瞬間、俺の鼓動が高鳴る。それと同時に、強張っていた全身から力が抜けて行くのを感じた。
「俺達医師にも限界はある。その限界を見極めて、残された最期の時間とどう向き合うべきか……その答えを一緒に考えていくことだって、俺達医師の大切な役目だ」
俺の肩に置かれた成宮先生の手に、力が込められる。
「だからこそ、自分ができることを全部やって、最後の最後まで残された治療がないかを調べ尽くして……一筋の希望にすがりつくんだ。……だが、それでもどうにもならないこともある」
成宮先生の体が、カタカタと小さく震えていることに気付く。
あぁ、この人も辛いんだ……。柊弥君の治療を終わりにしようと決めたとき、この人は、どれだけ辛かっただろうか。何も考えずに泣き喚いていた自分が、情けなくなった。
「ごめんなさい……。成宮先生。それから、ありがとうございます。最後の最後まで、柊弥君の事を諦めないでくれて……」
「いや、水瀬だってよくやってくれた」
「本当ですか? 俺も少しは役にたてたのかな……」
「まだまだ一人前からは程遠いけどな」
「あははは。ひでぇ」
自分の肩に置かれた成宮先生の手に、そっと自分の手を重ねる。
この時俺は、もっとたくさんのことを学んで、成宮先生を支えられる存在になりたい……そう強く思ったのだった。
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