あなたのお気に召すままに

舞々

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第七章 不治の病

不治の病③

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「お疲れ様です、水瀬先生。毎日夜遅くまで大変ですね? 沙羅ちゃんのことですか?」
「はい、そうなんです」


 夜勤の看護師さんに声を掛けられ、俺は思わず顔を上げた。時計を見れば、もう夜の十一時だ。そろそろ帰ろうと、重い体に鞭を打って立ち上がろうとした俺に、看護師さんが話しかけてくる。


「成宮先生も、夜遅くまで沙羅ちゃんの病室にいますよね? いろいろ勉強されているみたいだし、この前は国際電話かな? 英語でどこかのお医者さんとお話してましたよ」
「……そうなんですか」


 俺はその言葉に思わず目を見開く。成宮先生が……そんなの全然知らなかった。


「今日もまだ、心臓外科の病棟にいるみたいですよ。沙羅ちゃん、心臓も悪いから。水瀬先生も、できるだけ早く帰って休んでくださいね」
「はい、ありがとうございます」


 俺はフラフラと廊下を歩く。廊下の冷たい風が火照った頬を冷やしてくれて凄く気持ちいい。遠くで鳴っているナースコールが、酷く遠い世界に感じた。


「成宮先生、沙羅ちゃんのこと、見捨ててたわけじゃなかったんだ。なのに、酷い思い込みをしちゃったな……」


 鼻の奥がツンとなって、目頭が熱くなる。


 医局に戻っても部屋の中は薄暗くて、成宮先生の荷物は置きっぱなしだ。まだ、成宮先生は帰っていない。きっと、沙羅ちゃんの事を色々調べていてくれているんだろう。俺は大きな溜息をつきながら、ソファに座る。


「必死な素振りなんか全然見せなかったくせに、かっこよすぎでしょ……」
 その時、俺の心臓がまたトクントクンと高鳴り出す。


「俺の為でもあるのかな……」
 そう考えると、胸がキュッと締め付けられた。
「先生、ごめんなさい」
 ソファに横になると強い睡魔に襲われた。
「先生。俺、やっぱり病気かもしれません。だって、胸が、胸がこんなにも苦しい……」
 そのまま、俺はそっと目を閉じた。


「おい、こんな所で寝てると風邪ひくぞ」
「んッ……うん……」
「お前は、椅子で寝るのが好きなのか?」
 突然、優しく頭を撫でられる感覚に、俺は現実に引き戻される。その温かい手が成宮先生のものだと分かった俺は、無意識にその手に頬擦りをした。


「水瀬……ほら、起きろ」
 そっと体を揺すられる。でも、それさえ心地よくて……俺はフニャリと微笑んだ。


「成宮先生、沙羅ちゃんの事でこんな時間まで病院にいたんですか?」
「あぁ? そんなん、どうでもいいだろう?」
「ありがとうございます。俺、先生の事誤解してました。あんな態度とってごめんなさい」
 成宮先生の白衣をギュッと掴んで、それに顔を埋める。


「俺、先生の事……全然わかってない……」
「いいから水瀬、もう帰るぞ?」
「嫌だ、帰りたくない」
「お前は、子供か」
「そうです。子供です。だから……」
「だから?」
 俺が見たことがないくらい優しい顔で、俺の顔を覗き込んでくる。その頬にそっと触れた。


「俺、頑張ってるから……ご褒美ください」
「何? お前、ご褒美欲しいの?」
「はい。欲しいです」


 トクントクン。あ、まただ……。心臓が不整脈を打ち始める。呼吸も苦しいし、体が火照って仕方ない。


 そして、この症状を成宮先生にどうにかして欲しい。そう思ってしまって、無意識にその体に自分の体を擦り寄せる。


 いけない。今目の前にいる人は上司だ。職場の上司とこんなこと、ありえないだろう。そう思う冷静な自分もいる。成宮先生の傍にいる時に、いつも感じていた罪悪感。そして、引き返せなくなるのではないかという恐怖心。


 いけないとはわかっているのに、深夜までの残業で上手く働いていない頭に、疲れきった体。それに、薄暗い医局という狭い個室が俺を大胆にさせてしまう。


 正直なところ、今の俺は寝ているのか、起きているのかさえわからない状態だった。夢ならいいな……って思う。これが夢だったら、俺はもっと素直に貴方に甘えられるから。


「ねぇ、ご褒美ください」
「いいよ」


 そう囁いた成宮先生が軽々と俺の体を抱き上げたから、必死にしがみついた。そのままソファに座った成宮先生の膝の上にちょこんと座らせられる。温かい成宮先生の胸に、俺はそっと体を預けた。


 フワリ、と唇に温かいものが触れる感触に、体中が甘く痺れていくのを感じる。その啄むようなキスに、俺は目を細めた。


「はぁはぁ……んん……あ、はぁ……」


 唇が離れた一瞬の隙に、俺は乱れた息を整える。自分でもわかってしまった。熱っぽい視線で、成宮先生に「もっともっと」ってキスをねだっていることを。


 再び唇が重なった時、口の中に甘い味が広がっていくのを感じる。俺は、成宮先生から口移しで何かをもらったらしい。それは口一杯に広がって、トロッと消えていく。俺は成宮先生の唾液と共に、コクンと飲み込んだ。


「美味いだろ? そのチョコレート高いんだぜ?」
 成宮先生が、俺の目の前で悪戯っぽく笑う。
「あ、チョコレートだったんだ」
「はぁ? 何だと思ったんだ?」
「成宮先生のキスの味かと思った」
 俺は、自分でも信じられないくらいの甘ったるい声を出しながら、成宮先生を見つめた。


「ふふっ。俺とのキスは、そんなに甘いの?」
「はい。めちゃくちゃ甘くて、蕩けそう……ん、んんッ。はぁ……」
 もう一度成宮先生がキスをしてくれたんだけど、俺はもう脳みそまで蕩け切っていて。成宮先生のキスが甘いのか、もう一つチョコレートを口移されたのかさえ、わからなかった。


「甘ぁい……」


 俺は夢中で成宮先生とキスを交わす。トクントクンと鳴り響く心臓が、煩くて仕方なかった。


 あんなに綺麗だった桜の花びらが散って、新緑の季節となった。キラキラと若葉は日差しに煌めき、爽やかな風にサラサラと揺れる。真っ青な空がどこまでも続いて、大きく深呼吸をしたくなった。


「気持ちいいなぁ」
 そんな中、俺の病状はどんどん悪化していた。最近では成宮先生の傍にいるだけで、動悸と息切れが激しい。貧血みたいになって、その場に倒れそうになることもしばしばだ。


 柏木に何か薬を処方してもらおうと何度か彼を訪ねてはみたものの、「だから自分に素直になれって言ってんだよ」と、苦笑いされてしまう。


「水瀬もさ、いい加減その不快症状の原因に気付いてるんじゃないの?」
「え?」
「そんな感じがする。わかってるのに認めたくないから、病気のせいにしようとしてるようにしか見えないぜ?」
「…………」
「いい加減自分に素直になって、成宮先生に相談してみろって? あの人だったら、きっとなんとかしてくれと思うよ」
「だから、それは絶対にできないんだって」
「あー、なんか見ててじれったいなぁ」
「ごめん」


 いつもこんな俺の為に忙しい時間を割いて話を聞いてくれる柏木に、謝ることしかできない。


 かと言って、柏木のアドバイス通り成宮先生に聞く勇気もない。「は? お前馬鹿なの?」そう煙たがられる顔が目に浮かぶようだったから。


「もう、マジで苦しい」
そんな症状に振り回されながらも、なんとか毎日の業務をこなしていった。

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