退役した俺の恋人は元上司で

しろい えのぐ

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 朝目が覚めて、隣に愛しい恋人がいることを人は幸せと呼ぶのだろうか。
 それともそれが普通のことなのだろうか。私には分からない。

 昨日はアレックスと久しく同じベッドで眠った。エリオットは魔術の関係上、体温が高い。いい湯たんぽになるとアレックスは甘えるように抱き着いてきて、正直面倒だとは思ったが、これも良いと聞き分けた。
 エリオット・スタンリーは29歳になった今でも、人のぬくもりになれない。今まで10年もの長い間、人のぬくもりを知らず。幼いうちに両親からは引き離され、母のぬくもりすらも知らずに生きてきた。魔術回路を引き継ぎ、正当なスタンリー家の養子となったエリオットには、今まででは考えられないほどの豪華な生活が待っていた。
 広いベッドに美味しい食事、痛い思いをせずに魔術や勉学に励める時間。すべてにおいて優遇されていた。しかし、彼女の周りにはエリオットを女として扱う人間が一人としていなかった。エリオットはもう既に、強い魔術を手に入れた魔術兵器として扱われていたのである。16になるころには、義父から国軍学校へ入学するように言われた。例え強い魔術師であろうとも、軍を理解していなければ立派な軍人として役には立てないと。
 エリオットは毎日冷たいベッドに転がり、いつしか自我を見失っていったのだ。
 軍学校に入学した後、エリオットは国軍の寮に引っ越すことになり一人暮らしが始まった。特に寂しくもない。元々人として扱われなかったところから、一人になっただけだ。ただ、時間の制限もなく。人の目もなく。ほんの少しだけ気楽だったのを覚えている。
 16歳の女が軍学校に入学することは、その時代ではとても珍しいことだった。国軍の9割以上は男性だ。その残りを女性とすると、この組織は5パーセントほどしか女性の軍人を有していない。いや、軍人になりたいという女性はこの国にはたくさんいる。しかし、それを軍が許さないだけだ。女は力が弱い、背も低い。戦争には不要なものだ、と国が切り捨てていたのだ。
 そんな中をまだ成人もしていない女が闊歩するというのは、男たちにとっては腸が煮えくり返るほどに腹が立っただろう。特にエリオットは魔術師だった。軍学校でも優遇されており、元々勤勉のため成績は優秀。身体が小さいが故に巨体の男にも負けないように毎日訓練に明け暮れた。最初こそは周りの目は冷たかったものの、その優秀さに嫌気がさして、誰も近寄らなくなった。誰もエリオットのことを悪く言う人がいなくなったのだ。
 成績は常のトップ。さらには一般兵よりも優れた魔術師ということで、エリオットが国軍学校を卒業するときには既に階級が渡された。それは異例のことであったが、彼女の力量を見れば当然のことだったのだ。エリオットは卒業後、軍曹としてすぐに南方支部へ移動。そして地獄のような戦争を繰り返すようになった。
 魔術師の家柄でも特に優秀なスタンリー家の魔術師が戦場に出るとなると、それは心強いと誰もが語った。そして軍曹として、上に立つものとしてエリオットはできる限りのことはした。誰も死なせない、この力で国の人間を守って見せるのだと。
 しかし、魔術師とて資本は人間の身体だ。強い魔術を使い続ければボロが出る。エリオットは十分にそれを理解していた。だからと言って、戦況が悪い時に自分が戦わなくては死人が出る。エリオットは毎日のように限界まで魔術を使い続けた。
 彼女の魔術はいたってシンプルである。両腕に縫い付けられた魔術回路に己の魔力を注ぎ込み、火炎の魔術を使うだけ。武器は使いやすい(幼少期から使っていた)大剣と、炎の操作。それだけだ。大剣に炎を纏わせることも可能で、炎を操作するなら自由自在だ。大勢の人間を一斉に燃やすことも。しかし、炎というものは人害を及ぼす。戦場の中で生き残り、仲間を守るために戦い続けたエリオットの身体は、1年もしないうちに火傷だらけになってしまった。特に手がひどく焼け焦げ、毎日激痛に苦しめられる日々。それでも毎日大剣を振るい、炎で敵を焼いた。
 それが数年と続くころには、エリオットの綺麗な身体には数々の傷跡や腕には消えない火傷の跡が残ってしまったのだ。一度、部下に言われて医者を訪ねたが、手のひらの指紋は元には戻らないし腕に広がった火傷は治癒魔術を施しても後は残るだろう。これ以上、無理に魔術を使い続ければ、内臓も灰になるぞと念を押されたのを覚えている。
 その言葉を素直に受け入れる頭が、その時のエリオットには残っていなかった。今度は南方から北方へ移動を命じられ、階級はまた中尉へと上がった。またたくさんの部下を引き連れて戦場に出向かなくはいけない。ということは、またたくさんの仲間を守らなくてはいけないということだ。
 そして、北方で隣国の魔術師と出会ったのだった。
 たくさんの仲間が死んだ。隣国の敵も皆、目の前で死んでいくのをエリオットを見ていることしかできずに。その怒りで我を忘れ、自分の身すらも燃やし尽くす炎で隣国の魔術師を討った。エリオットは覚えていないが、その時エリオットは体中に重度の火傷を負い、その場に残っていた軍兵たちが急いで医務室へ連れて行ったのという。その一人が、今も補佐官として隣に立っているマリアだということをエリオットは知らない。
 彼女はすぐに高度な治療が必要ということで救急搬送され、数週間も寝たきり状態が続いた。それは軍の上層部からすれば北方支部に大きな穴があいたようなものであり、激怒したが他の者たちがエリオットを擁護したのだ。
「彼女がいなければ、北方支部は完全に落とされていた。国民が隣国の卑劣な魔術師に殺され、国が制圧されるのを彼女は命懸けで食い止めてくれた。確かに何百もの仲間の犠牲があった。だが、スタンリー中尉がいなければもっと犠牲は増えていた。彼女を否定することは、断じて北方支部全ての人間が許さない」
 エリオットのいなくなった大穴はたくさんの一般兵たちで埋めた。なんとしてでも、国軍の誇りにかけて北方支部の壁を守ったのだ。だからこそ、眠りから覚めたエリオットがすぐに病院を抜け出して北方支部に出向いた時には、彼女がいなくとも支部はしっかりと回っていたのである。寧ろ、無理をして病院を抜け出してきたエリオットのことを叱る部下たちばかりで、エリオットは混乱した。戦場で気絶して、何日もの間、迷惑をかけたというのにどうしてこの人たちは笑っているのか。
「私たちは、中尉がいたから今もこうして生きています。だから、貴女を責めたりはしませんよ」病室に戻されて、火傷の手当をしている途中にある女性がそう言った。金色の髪に青い目をした女だった。
 どうやら、今回のエリオットが抜けた大穴をどうにかするために動いたのはマリア・キールズ軍曹が筆頭だったという。彼女は今もエリオットの補佐官として隣にいるような勇猛果敢な女性だが、その頃からそうだったようだ。女性という立ち位置で軍曹までしか階級を与えられなくとも、軍人として人を守ることに誇りを持っていた彼女は、エリオットが倒れた今、ぐずぐずしている場合ではないと上司である北方支部の司令官に問い合わせたのだという。
「スタンリー中尉の能力が素晴らしいことは重々承知の上です。そのうえで、我々一般兵が何名居ようとも彼女に敵わないでしょう。ですが、それを悲観して苦しんで下を向いているようでは、軍人として、国を守る一人として恥です。決して彼女の力だけで守ってきたというわけではないことを、今、証明するべきです」
 その強い言葉に司令官は動かされ、北方支部は少ない兵での敵襲を迎える形となったが、彼らは全くひるむことはなかった。こんな痛み、こんな苦しみ。戦場の一番前で誰よりも戦っていた彼女に比べたら、どうということはない。例え腕を撃たれようとも。身体中に銃弾を受け、斬りつけられても平然と立っていた彼女に比べれば。
 我々、一般兵の…いや大人の前で戦っていたのは身体の小さな少女だったのだから。

 シャワーを浴びよう。今日も朝から仕事だ、冷えるが身体を清めておく必要があるだろう。と、エリオットは一人で寝室を後にした。気持ちよく眠っているアレックスをそのままに、静かにシャワー室へ向かうと来ていた服を脱いだ。シルクのワンピースは近くの店で作ってもらったもので、アレックスからの贈り物だ。退役した後、仕事はしていないものの、国軍の前線で戦っていた人間にはたんまりと貯金がある。退役した後も、退職金として毎月金が振り込まれている分、生活には困っていない。そこをやりくりして良いワンピースを貰ったのだ。そのワンピースは大事にしているので、貰って半年も経つがほつれも一つもない。
 しかし、そのワンピースを脱いだ後。鏡に映った己の身体にエリオットはため息をついた。消えない傷跡。エリオットの身体中には銃に撃たれた跡、刺された跡、火傷の跡。それぞれが身体中に残っている。お世辞にも綺麗な女性の身体とは言えないだろう。特に腹に残った火傷の跡は、大きく皮膚の色も変わってしまっている。
 よくもこんな身体の女を、好きだと言えるものだなとエリオットは微笑んだ。下着をすべて脱いでからシャワーを浴びる。頭のてっぺんからシャワーを浴びると、少しずつ身体が暖かくなっていく。ホッとしている分、今日も激務に追われるのかと現実に頭を悩ませた。
 昨日は早めに上がった分、今日はたくさんの仕事があることだろう。マリアが気を利かせてくれたと言っても、仕事が減る訳ではない。こればっかりはどうしようもないだろう。
 シャワーを終えて長い髪を拭きながらリビングに行くと、そこにはキッチンで朝食を作っているアレックスの姿があった。
「あ、おはようございます。朝からシャワー浴びるなんて珍しいですね」
「今日はそういう気分だったんだ。それより起こしてしまって申し訳ないな」
「良いですよ、ちょうど起きる時間でしたし。それにエリーは今日一日仕事でしょう。昨日は早めに上がったってことは、今日は激務ですね」
「その通りだ。考えただけで頭が痛い」
「あはは、正直、隣でお手伝いしたいところですけど。軍の情報は一般人には公開できませんからね」
「それに頭の悪い君に、私の仕事が手伝えるとは到底思えないな。精々、執務室の掃除くらいでやめておけ」
「そりゃそうだ」
 アレックスから朝食の皿を受け取ると、机に置く。飲み物を用意していると、アレックスがトースターからパンを取り出していた。それも受け取ると、彼は少し嬉しそうにしていた。全ての朝食の準備を終えてから、アレックスの車椅子を押してやる。いいのに、と嬉しそうに言う彼を無視して席に着かせると幸せそうに、彼は目にしわを寄せて笑った。

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