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1巻
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人攫いに攻撃魔法を使えば、すぐに魔力切れで動けなくなる。だから、身体に魔力を纏わせて、魔力消費の少ない身体強化の魔法を発動させた。
身体が軽くなり意識も今までより鮮明になった気がする。
(これで疲れずに戦えるわ)
「少しストレス発散に付き合ってもらえるかしら?」
「ん? えらい乗り気だな。気持ち良く――ゴハッ」
苛立ちが頂点に達し、つい手が出てしまう。かなり体格の良い男が拳をぶつけただけで路地の端まで飛んでいったので、少し驚いた。
(お兄様が相手をしてくれた時は、平気な顔で受け止められたのに……)
「この女、化けものだ。逃げろ!」
「誰が化けものですって!?」
私が一歩分距離を詰めると、人攫いは大きく後ずさりする。
「ひえっ」
「犯罪者相手に手加減は要らないわよね……?」
王国の法では、相手が人攫いや盗賊であれば二度と動けないほどの怪我をさせても問題ない。だから彼らを完膚なきまでに打ちのめす。
貴族が身を護るために定められたその法がなければ、私もここまではしなかった。……多分。
少し心配になって後始末について考えていると、見覚えのある人が姿を見せる。
「助けは必要なかったみたいですね」
「どうしましょう。少しやりすぎてしまいました」
「人攫いに慈悲は必要ありません。俺が見張っていますから、衛兵を呼んできてください」
パーティーの時に話をした赤い瞳の男性が、呆れと感心が混ざった複雑な表情を浮かべていた。
私は慌てて彼に頷いた。
翌朝。
私は衛兵の詰め所で朝を迎えた。
昨日は夜中まで取り調べを受ける羽目になり、危険だからと泊めてもらったのだ。
遅くまでの取り調べは辛かっただろうと心配されたけれど、夜中まで王太子殿下の仕事を片付けていた時よりは楽だし楽しかった。
なんでもあの人攫い達は手練れで、衛兵でも対応しきれなくて困っていたそうだ。
「――本当に頂いてよろしいのでしょうか?」
「ええ、当然です。賞金首を捕えていただいたのに渡さなかったら、我々の面目に関わります」
その言葉に続いて、金貨を受け取るようにと衛兵に促される。
金貨は一枚で一万ダル。それが百枚あるらしい。質素に過ごせば一年は暮らせる金額だ。
私は恐る恐る手を伸ばそうとして、気付いた。
(この量の金貨はポケットに入りきらないわ……!)
収納用の空間魔法もあるけれど、私の魔力量では維持できない。それに加えて、お金を預けておける銀行の口座は爵位を持っていないと作れないため、持ち歩くしか選択肢がなかった。
「でも、持ち運ぶ方法がないので少し待っていただけないでしょうか?」
「何かご事情があるんですね。では、我々のほうでお預かりしておきます」
「ありがとうございます」
今日の昼食のために金貨一枚だけを受け取り残りを預かってもらい、私は詰め所を後にする。血判を押すために針を突き刺した指が痛むものの、気分は今の空のように澄んでいた。
ただ、昨日の夜から何も食べていないせいでお腹が悲鳴を上げる。
耐え切れなくて商店街に足を向けた。
その時――
「少し話したいことがあるので、付き合っていただけませんか? 朝食は奢りますよ」
あの赤い瞳の男性から、朝食に誘われた。
彼は何かを狙っている様子だけど、危険な香りはしない。だから、誘いを受けるか迷う。
「俺は冒険者をやっていて、前衛で戦える人を探しているのです。俺とパーティーを組みませんか?」
私が返事をしないことに不安を感じたのか、赤い瞳の男性が言葉を付け加える。
「パーティー? どこで開かれるのですか?」
「チームと言ったほうが分かりやすいでしょうか? 仲間にならないかという提案です。貴女は強い。ですから冒険者をするのが一番お金に困らないと思います」
パーティーにチームという意味があるなんて知らなかったが、冒険者についてならある程度は把握している。
彼らは便利屋のようなもので、冒険者ギルドを通して魔物の討伐や薬草の採取といった依頼を請け負う。多くの仕事は危険を伴い、命を懸けなければならないから報酬はかなり良い。貴族の三男四男でも目指す人がいるほど人気の職業だ。
そんな冒険者をまとめる冒険者ギルドは色々な国で発言力を持ち、その力は教会をも凌ぐ。
王家でも冒険者ギルドとの交渉は慎重にならなければいけないとの愚痴を、国王陛下から聞いたこともあった。
そんな冒険者は気性の荒い男性が多く、女性が一人でやるには危険な職業だと言われている。とはいえ、礼儀には厳しいので、チームに所属していればトラブルに巻き込まれることは殆どないらしい。
冒険者としてチームに入れてもらえたら、今の私にとっては利点ばかり。
欠点といえば命を危険に晒すことだけれど、このまま仕事が見つからないほうが問題だ。誘いを断る理由は今のところなかった。
「そういうことなら、まずはお話を伺います」
私がそう答えると、赤い瞳の男性は満面の笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。店は貴女の好みで構いません。行きましょう!」
「分かりました」
返事をして気に入っているお店に足を向けると、男性は斜め後ろから追ってきた。
「お名前を伺ってもよろしいですか?」
「ああ、まだ名乗っていませんでしたね。俺はクラウスと言います。貴女は?」
「シエルと申します」
「家名は名乗らないんですか?」
「ええ、家を追い出されましたから」
私の財産を狙っているお父様達が勘当するとは思えないが、お兄様が当主になるまで家名を名乗るつもりは欠片もない。
「そうですか。……それなら、平民同士らしく、敬語はやめませんか? ただでさえ貴族は狙われるので」
「ええ、そうね。これで良いかしら?」
「ああ、助かる」
他人と砕けた口調で話すのは慣れないけれど、違和感を我慢して敬語を封じる。
もっとも、赤い瞳の男性――クラウスさんも高位の貴族らしい所作を見せていた。見る人が見れば分かると思う。
私だって染みついた所作を変えるのは難しいし……
そうしているうちにお店に着いて、クラウスさんに視線を向ける。
「ここ、安くて美味しいと評判なの。ここでいい?」
「安いなら大助かりだ。節約は生活の基本だからな」
「ええ、そうで……そうね」
うっかり敬語が出そうになり、言い直す。その様子が面白かったのか、クラウスさんはお腹を抱えて笑い始めた。
「言い直しても意味ないって……ッ……」
「そこまで面白いかしら?」
ちょっと理解できないものの、無防備に笑う彼の様子を見ていると怪しい人ではないと思えた。
「――本当に奢ってもらって良いのかしら……?」
「これくらい大したことじゃない。冒険者になるのだったら、もっと食べて体力をつけないとな」
そう口にするクラウスさんの前に並べられているのは、三人分の朝食だ。私は一人分でも多いと感じているのに、彼の胃袋はどうなっているのだろう?
不思議に思いながら、白いパンに手を伸ばす。
この国のパンには二種類ある。硬くて美味しくない黒パンと、柔らかくて美味しい白パン。後者が貴族に好まれるのはもちろん、作るのに手間がかかり値段が高い。今、私達の前にあるのは後者だ。
それを四人分。平民なら卒倒するくらいの金額になる。
「そうね。でも、これ以上は食べられないわ」
「冒険者をやっていれば自然に食べるようになるさ」
そんなに食べて太らないか心配だが、クラウスさんの体格を見る限り杞憂に終わりそう。彼は引き締まった見事な体躯だから。
「そう。……早速本題なのだけど、冒険者になってパーティーを組むことになったら、私は何をすればいいの?」
「前衛をお願いしたい。俺は剣より魔法のほうが得意なんだ」
「私は攻撃魔法を使えないから、その条件で構わないわ」
戦闘になれば前衛のほうが怪我をする危険性が高いが、生活のためだから仕方がない。ここで怖気付いていたら、奪われる生活に逆戻りだ。
「報酬は折半で良いか?」
「ええ。でも、そんなに貰って良いのかしら?」
剣術の嗜みはあるとはいえ、あれは対人戦前提のもの。魔物相手となると私は初心者で足を引っ張る未来しか見えない。だから、少し申し訳ないと感じてしまう。
「均等が一番平等だろ。装備やポーションは高いからな」
「そういうことね」
「あと、宿は二部屋以上空いていたら二部屋借りるが、なかったら俺が床で寝る。前衛はしっかり身体を休ませないと戦いにならないからな」
私に有利すぎる条件に、少し引いた。このままでは私がクラウスさんの休養を奪うことになりそうだ。
「ベッドは交代で使いましょう。私だけ楽するのは嫌よ」
「分かった。装備代は最初だけ俺が出そう」
「大丈夫。懸賞金があるから」
あの懸賞金、放っておいたらお父様に目を付けられ、親の権利と称して盗られる気がする。
こういう予感は当たることが多い。だから、すぐに回収したほうがいい。装備に換えてしまえば持ち歩いていても問題ない上に、人攫いや強盗への牽制にもなる。
「ああ、そういうことか。分かった。それで、パーティーは組んでもらえるか?」
私の考えていることを察したのか、貴族街のほうを一瞬睨むクラウスさん。それからすぐに、彼は不安そうな視線を私に向けた。
「最初は足を引っ張ると思うけれど、それでもいいかしら?」
「もちろん。一緒に成長していこう」
「ありがとう。これからよろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
私が手を差し出して握手を求めると、彼は頭を下げながらその手を握ってくれた。
これで無事に交渉成立だ。
ただ、冒険者になるためにはまだ手続きが必要らしい。
「そうと決まればまずは武器からだな。防具は装備しない人もいるが、武器は持っていないと登録できないんだ」
「そうなのね。武器ってどれくらいするのかしら?」
「安いものでも十万ダルだ。一応、懸賞金を全部持っていたほうがいいと思う」
そう言われ、私は衛兵の詰め所に戻って懸賞金を受け取った。
一応中身が分からないような袋に入れたが、強盗に見つからないか心配だ。
けれど、強盗よりも恐ろしい人に目を付けられていた。
「――追われているわ……」
「あの馬車か?」
「ええ」
後ろから迫ってくる貴族の馬車――グレーティア伯爵家の紋章付きの馬車ほど、今の私にとって厄介な存在はない。
強盗や人攫いなら怪我をさせても問題ないけれど、貴族に怪我をさせると牢屋行きだ。
「家族だからと、私の懸賞金を狙っているに違いないわね」
懸賞金を受け取るのが少しでも遅れていたら、お父様に全てとられていただろう。先に動けたのは良かったが、もの凄い勢いで迫ってくる馬車を見ていると背筋に冷たいものを感じる。
「一旦路地に入ろう」
「ええ」
路地は貴族なら入らないほうが良いと言われている。裏社会のテリトリーだから、何をされるか分からない。
でも、躊躇はしなかった。
お陰で、馬車は諦めて通り過ぎる。
「なんとか逃げ切れたようだな」
「そうね」
まだ視線を感じるものの、お父様が追いかけてくる気配はない。代わりに、揉める声が聞こえてきた。
「旦那様、ここから先は危険です! どうか屋敷にお戻りください!」
「いや、シエルが危険なんだぞ!?」
「追い出しておいて今更心配ですか? 都合が良すぎますよ」
(……使用人さん達に感謝しないといけないわね)
馬車が再び動きだすと、路地の奥から「あの二人、金目の物を持ってそうだな」、「やめとけ。どちらも只者ではない。返り討ちにされるぞ」というやり取りが聞こえてくる。
(裏社会のテリトリーだけあって、私達を狙っている人達は多いのね)
どうやらクラウスさんが周りを威圧して、彼らを踏みとどまらせているらしい。
お陰で無事に路地を抜け、私達は目的の武器屋さんに着いた。
【閑話】 グレーティア家サイド
シエルが朝食を楽しんでいる頃。
グレーティア伯爵邸も朝食の時間を迎えていた。
次女リリアと次男レイフ、それから二人の両親が広いテーブルを囲って会話を進める。笑顔の両親に対して、リリアとレイフは寂しげな視線を昨日まではシエルが座っていた席に向けていた。
「リリア、そんなに宝石が欲しいなら、私が買ってあげよう。だから落ち込むな」
「宝石が理由ではありませんわ」
見当違いのことを口にした父親を睨むリリア。レイフもまた、父親に恨めしそうな視線を向けた。
(どうしてお姉様が追い出されないといけないのよ。もっと教えてもらいたことがたくさんあったのに……)
(シエル姉様を金蔓としか見てないのに、心配するなんてどういうつもりなんですか? どうせ僕のこともリリア姉様のことも……)
昨日の一件で、この一家の父は信頼を失っていた。これからどうなるのかは想像に難くない。
(わたしが我儘を言わなかったら、お姉様は追い出されなかったの……? もしそうなら、わたしはなんてことを)
リリアは後悔していたが、両親は後悔なんて欠片もしていなかった。それどころか、とんでもないことを言い放つ。
「……旦那様、シエルお嬢様が賞金首を捕えたそうで、今は衛兵団がその懸賞金を預かっています」
「ほう。最後に我々に謝罪しようとしているのだな。後で回収しに行くぞ」
「承知しました」
壁際で控えている侍女達が睨みつけていることに気付かないまま、グレーティア伯爵は大急ぎで朝食を口に運ぶ。その様子に、リリアもレイフも自らの意志で家を出ようと決意した。
「……よし、今から行くぞ!」
朝食後、詰め所に押しかけた伯爵に告げられたのは「懸賞金なら本人に渡しました」の一言。
慌てた彼はシエルが向かった方向を聞き出して馬車に飛び乗り、大急ぎで後を追う。
頭の中にあるのは、娘なら家のためにお金を入れて当然という、ここアルベール王国の貴族にのみ通用する常識だけだ。
国外に出れば通用しないものだが、もちろん、そんなことは頭にない。
馬車の窓から血眼になってシエルを探す彼は、傍から見れば近づきがたい様相だ。
「あの白いドレスがシエルだ。後を追え」
「はい」
もっとも、機転を利かせたシエル達を追って路地裏に入るほど愚かではなかった。
その一方で――
隠密を通してこのことを知り、領地の長男アレンは当主の座を得るための行動を始める。
グレーティア伯爵夫妻が夢見る未来への歯車は、まだくるい始めたばかりだ。
◆
「いらっしゃいませ。本日は何をお求めでしょうか?」
武器屋さんの中に入った私達は、早速声をかけられた。
ここは貴族もよく利用しており、商品の品質はお墨付きだ。
簡素なワンピース姿の私は浮いていたが、店員さんは笑顔で対応してくれた。
「彼女の剣を探しているので、適当なものを見繕っていただけますか?」
「かしこまりました。ご予算を伺っても?」
「ええ。九十万ダルくらいでお願いします」
安物の剣だとすぐに刃こぼれする。だから、私は今買える中で一番いいものをお願いした。
店内の貴族達から好奇の視線を向けられているのは気にしない。
(王太子殿下の婚約者だったから、顔を知られているのよね……)
アルベール王国にいる限り、貴族に含みのある視線を向けられ続けるだろう。
「……かしこまりました。いくつか選んでまいりますので少々お待ちください」
「お願いします」
そうして少し待った後、別室に案内された。中に入ると、小ぶりの剣を差し出される。
「こちらがお客様の体格に合うと思います。是非、試しに振ってみてください」
「ありがとう」
早速手に取り、誰もいない場所めがけて振ってみた。
(これは……少し軽すぎるわね)
次の剣は重すぎる。重い剣でも身体強化の魔法を使えば容易に扱えるとはいえ、持ち歩くことを考えると、程良い重さが一番大事だ。
提案されたものを一つ一つ手に取り、合うものを探していく。
そして、最後の一振りで、ようやくしっくりくるものと出会えた。
装飾は最低限だけれど、お陰で扱いやすい。
求めているのは地味でも魔物をしっかり斬れる剣。貴族ならまず選ばないが、それでいい。
「これにします」
「分かりました。どのように装備されますか?」
「腰に下げようと思います」
冒険者は疲れにくいように背負う人が多いが、貴族は腰に鞘を下げることが多い。私も護身用のものを腰に下げていたため、そのほうが扱いやすいと思う。
「かしこまりました」
それから、他にも必要な武器一式を購入して、次は服屋に向かった。
流石に部屋着で外を歩きたくはない。
「町の外で行動するから、スカートはなしだ。長袖長ズボンが必須だろう」
「分かったわ」
クラウスさんに言われた条件で探しているのだけど、困ったことに女性向けのズボンが見つからない。もう五軒も店を回っているのにもかかわらず。
(それはそうよね。ここは王都で着る服を置いているお店だから……)
「いっそ、男物で良いんじゃないか?」
「そうするわ……」
クラウスさんに促されて、男性向けのズボンを試着する。
「どうだ?」
「思っていたよりも動きやすいわね」
着心地も普段のドレスと比べると雲泥の差で、感動した。裾を折り込んで踏まないようにしているが、それだけで身軽だ。
「それは良かった。上はそれで良いのかな?」
「ええ。似合ってないかしら?」
「似合ってるぞ。シエルは何を着ても似合う」
クラウスさんのお墨付きも貰えたから、似たような服を何着か買う。
これだけ買ったのに、お会計は一万ダル。普段のドレスが馬鹿みたいに思える。あれは一着で百万ダルを下らない。
ちなみに、さっきまで着ていた部屋着は十万ダル。平民の立場から見ると馬鹿らしいとしか思えないだろう。
「次は冒険者ギルドの登録ね」
試着室を借りて着替えを終えた私は、少し離れたところで待っていたクラウスさんに声をかけた。
「ああ。簡単な実技試験もあるが、シエルなら心配ないだろう」
「クラウスさんがそう言うなら、自信を持って挑めるわ」
冒険者になって生活費を稼ぐには、試験に合格しないといけないらしい。ここで失敗したら奪われる人生に逆戻りだから、少し緊張してくる。
「ああ。本当に簡単だから気にするな。それと、俺のことはクラウスで良い。パーティー組んでる仲間とは対等でいたいからな。嫌だったら、今まで通りで構わないが」
「分かったわ、クラウス。これで良いかしら?」
「助かるよ」
(……敬語を使わない会話は疲れるわ。慣れれば疲れずに済むかしら?)
そんなことを思いながら、私は冒険者ギルドの中に足を踏み入れた。
「登録をお願いできますか?」
クラウスに案内されて登録受付の前に来た私は、早速担当の女性に声をかけた。
冒険者ギルドの権威は大きい。それなのに、客商売だからか対応は丁寧だ。
物語で見かけた冒険者ギルドは荒くれ者のたまり場だったので入るまで少し怖かったけれど、実際は正反対。体格の良い男性が楽しそうに談笑している姿はあっても、誰もがマナーを守っている。顔つきと体格こそ怖いものの、根は優しそうな人ばかりだ。
少し視線を違うところに向けると、迷子の子をあやす男性が見える。強面のせいで泣かれてしまった様子だ。
「――身分を証明できるものはありますか?」
「いえ、家を追い出されてしまったので、何も……」
身分証がなくても登録できるとクラウスから聞いていたのに、どうも雲行きが怪しい。
犯罪を起こした経歴のある人などは雇えないはずだから、身分を証明できなければ契約は難しいのかも。
「俺が保証人になります。シエルを家族から守るためにも、そのほうがいいですから」
私が言葉に詰まっていると、すかさずクラウスが助けてくれた。
「なるほど、訳ありなのですね。貴方の冒険者カードを見せていただけますか?」
私の事情は隠しておきたいし、こうした含みを持たせた言い方をしたほうが上手く物事が運ぶらしい。
「これでいいか?」
「……っ。はい、ありがとうございます」
金色に輝くクラウスのカードを見た受付の女性は一瞬息を呑み、その後すぐに平静を装った。
(あのカードはそんなに凄いものなのかしら?)
何も知らないから、見当もつかない。
「保証人の確認が終わりましたので、この紙にお名前と血判をお願いします」
「分かりました」
差し出されたペンを使って、名前だけを書いていく。家名を入れたら、お父様に干渉されそうだもの。
偽名を使っても大丈夫だと説明を受けたが、それは選ばなかった。
この名前は三年前に亡くなったお祖母様がつけてくれたもので、すごく気に入っているから。
「針はありますか?」
「こちらに」
身体が軽くなり意識も今までより鮮明になった気がする。
(これで疲れずに戦えるわ)
「少しストレス発散に付き合ってもらえるかしら?」
「ん? えらい乗り気だな。気持ち良く――ゴハッ」
苛立ちが頂点に達し、つい手が出てしまう。かなり体格の良い男が拳をぶつけただけで路地の端まで飛んでいったので、少し驚いた。
(お兄様が相手をしてくれた時は、平気な顔で受け止められたのに……)
「この女、化けものだ。逃げろ!」
「誰が化けものですって!?」
私が一歩分距離を詰めると、人攫いは大きく後ずさりする。
「ひえっ」
「犯罪者相手に手加減は要らないわよね……?」
王国の法では、相手が人攫いや盗賊であれば二度と動けないほどの怪我をさせても問題ない。だから彼らを完膚なきまでに打ちのめす。
貴族が身を護るために定められたその法がなければ、私もここまではしなかった。……多分。
少し心配になって後始末について考えていると、見覚えのある人が姿を見せる。
「助けは必要なかったみたいですね」
「どうしましょう。少しやりすぎてしまいました」
「人攫いに慈悲は必要ありません。俺が見張っていますから、衛兵を呼んできてください」
パーティーの時に話をした赤い瞳の男性が、呆れと感心が混ざった複雑な表情を浮かべていた。
私は慌てて彼に頷いた。
翌朝。
私は衛兵の詰め所で朝を迎えた。
昨日は夜中まで取り調べを受ける羽目になり、危険だからと泊めてもらったのだ。
遅くまでの取り調べは辛かっただろうと心配されたけれど、夜中まで王太子殿下の仕事を片付けていた時よりは楽だし楽しかった。
なんでもあの人攫い達は手練れで、衛兵でも対応しきれなくて困っていたそうだ。
「――本当に頂いてよろしいのでしょうか?」
「ええ、当然です。賞金首を捕えていただいたのに渡さなかったら、我々の面目に関わります」
その言葉に続いて、金貨を受け取るようにと衛兵に促される。
金貨は一枚で一万ダル。それが百枚あるらしい。質素に過ごせば一年は暮らせる金額だ。
私は恐る恐る手を伸ばそうとして、気付いた。
(この量の金貨はポケットに入りきらないわ……!)
収納用の空間魔法もあるけれど、私の魔力量では維持できない。それに加えて、お金を預けておける銀行の口座は爵位を持っていないと作れないため、持ち歩くしか選択肢がなかった。
「でも、持ち運ぶ方法がないので少し待っていただけないでしょうか?」
「何かご事情があるんですね。では、我々のほうでお預かりしておきます」
「ありがとうございます」
今日の昼食のために金貨一枚だけを受け取り残りを預かってもらい、私は詰め所を後にする。血判を押すために針を突き刺した指が痛むものの、気分は今の空のように澄んでいた。
ただ、昨日の夜から何も食べていないせいでお腹が悲鳴を上げる。
耐え切れなくて商店街に足を向けた。
その時――
「少し話したいことがあるので、付き合っていただけませんか? 朝食は奢りますよ」
あの赤い瞳の男性から、朝食に誘われた。
彼は何かを狙っている様子だけど、危険な香りはしない。だから、誘いを受けるか迷う。
「俺は冒険者をやっていて、前衛で戦える人を探しているのです。俺とパーティーを組みませんか?」
私が返事をしないことに不安を感じたのか、赤い瞳の男性が言葉を付け加える。
「パーティー? どこで開かれるのですか?」
「チームと言ったほうが分かりやすいでしょうか? 仲間にならないかという提案です。貴女は強い。ですから冒険者をするのが一番お金に困らないと思います」
パーティーにチームという意味があるなんて知らなかったが、冒険者についてならある程度は把握している。
彼らは便利屋のようなもので、冒険者ギルドを通して魔物の討伐や薬草の採取といった依頼を請け負う。多くの仕事は危険を伴い、命を懸けなければならないから報酬はかなり良い。貴族の三男四男でも目指す人がいるほど人気の職業だ。
そんな冒険者をまとめる冒険者ギルドは色々な国で発言力を持ち、その力は教会をも凌ぐ。
王家でも冒険者ギルドとの交渉は慎重にならなければいけないとの愚痴を、国王陛下から聞いたこともあった。
そんな冒険者は気性の荒い男性が多く、女性が一人でやるには危険な職業だと言われている。とはいえ、礼儀には厳しいので、チームに所属していればトラブルに巻き込まれることは殆どないらしい。
冒険者としてチームに入れてもらえたら、今の私にとっては利点ばかり。
欠点といえば命を危険に晒すことだけれど、このまま仕事が見つからないほうが問題だ。誘いを断る理由は今のところなかった。
「そういうことなら、まずはお話を伺います」
私がそう答えると、赤い瞳の男性は満面の笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。店は貴女の好みで構いません。行きましょう!」
「分かりました」
返事をして気に入っているお店に足を向けると、男性は斜め後ろから追ってきた。
「お名前を伺ってもよろしいですか?」
「ああ、まだ名乗っていませんでしたね。俺はクラウスと言います。貴女は?」
「シエルと申します」
「家名は名乗らないんですか?」
「ええ、家を追い出されましたから」
私の財産を狙っているお父様達が勘当するとは思えないが、お兄様が当主になるまで家名を名乗るつもりは欠片もない。
「そうですか。……それなら、平民同士らしく、敬語はやめませんか? ただでさえ貴族は狙われるので」
「ええ、そうね。これで良いかしら?」
「ああ、助かる」
他人と砕けた口調で話すのは慣れないけれど、違和感を我慢して敬語を封じる。
もっとも、赤い瞳の男性――クラウスさんも高位の貴族らしい所作を見せていた。見る人が見れば分かると思う。
私だって染みついた所作を変えるのは難しいし……
そうしているうちにお店に着いて、クラウスさんに視線を向ける。
「ここ、安くて美味しいと評判なの。ここでいい?」
「安いなら大助かりだ。節約は生活の基本だからな」
「ええ、そうで……そうね」
うっかり敬語が出そうになり、言い直す。その様子が面白かったのか、クラウスさんはお腹を抱えて笑い始めた。
「言い直しても意味ないって……ッ……」
「そこまで面白いかしら?」
ちょっと理解できないものの、無防備に笑う彼の様子を見ていると怪しい人ではないと思えた。
「――本当に奢ってもらって良いのかしら……?」
「これくらい大したことじゃない。冒険者になるのだったら、もっと食べて体力をつけないとな」
そう口にするクラウスさんの前に並べられているのは、三人分の朝食だ。私は一人分でも多いと感じているのに、彼の胃袋はどうなっているのだろう?
不思議に思いながら、白いパンに手を伸ばす。
この国のパンには二種類ある。硬くて美味しくない黒パンと、柔らかくて美味しい白パン。後者が貴族に好まれるのはもちろん、作るのに手間がかかり値段が高い。今、私達の前にあるのは後者だ。
それを四人分。平民なら卒倒するくらいの金額になる。
「そうね。でも、これ以上は食べられないわ」
「冒険者をやっていれば自然に食べるようになるさ」
そんなに食べて太らないか心配だが、クラウスさんの体格を見る限り杞憂に終わりそう。彼は引き締まった見事な体躯だから。
「そう。……早速本題なのだけど、冒険者になってパーティーを組むことになったら、私は何をすればいいの?」
「前衛をお願いしたい。俺は剣より魔法のほうが得意なんだ」
「私は攻撃魔法を使えないから、その条件で構わないわ」
戦闘になれば前衛のほうが怪我をする危険性が高いが、生活のためだから仕方がない。ここで怖気付いていたら、奪われる生活に逆戻りだ。
「報酬は折半で良いか?」
「ええ。でも、そんなに貰って良いのかしら?」
剣術の嗜みはあるとはいえ、あれは対人戦前提のもの。魔物相手となると私は初心者で足を引っ張る未来しか見えない。だから、少し申し訳ないと感じてしまう。
「均等が一番平等だろ。装備やポーションは高いからな」
「そういうことね」
「あと、宿は二部屋以上空いていたら二部屋借りるが、なかったら俺が床で寝る。前衛はしっかり身体を休ませないと戦いにならないからな」
私に有利すぎる条件に、少し引いた。このままでは私がクラウスさんの休養を奪うことになりそうだ。
「ベッドは交代で使いましょう。私だけ楽するのは嫌よ」
「分かった。装備代は最初だけ俺が出そう」
「大丈夫。懸賞金があるから」
あの懸賞金、放っておいたらお父様に目を付けられ、親の権利と称して盗られる気がする。
こういう予感は当たることが多い。だから、すぐに回収したほうがいい。装備に換えてしまえば持ち歩いていても問題ない上に、人攫いや強盗への牽制にもなる。
「ああ、そういうことか。分かった。それで、パーティーは組んでもらえるか?」
私の考えていることを察したのか、貴族街のほうを一瞬睨むクラウスさん。それからすぐに、彼は不安そうな視線を私に向けた。
「最初は足を引っ張ると思うけれど、それでもいいかしら?」
「もちろん。一緒に成長していこう」
「ありがとう。これからよろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
私が手を差し出して握手を求めると、彼は頭を下げながらその手を握ってくれた。
これで無事に交渉成立だ。
ただ、冒険者になるためにはまだ手続きが必要らしい。
「そうと決まればまずは武器からだな。防具は装備しない人もいるが、武器は持っていないと登録できないんだ」
「そうなのね。武器ってどれくらいするのかしら?」
「安いものでも十万ダルだ。一応、懸賞金を全部持っていたほうがいいと思う」
そう言われ、私は衛兵の詰め所に戻って懸賞金を受け取った。
一応中身が分からないような袋に入れたが、強盗に見つからないか心配だ。
けれど、強盗よりも恐ろしい人に目を付けられていた。
「――追われているわ……」
「あの馬車か?」
「ええ」
後ろから迫ってくる貴族の馬車――グレーティア伯爵家の紋章付きの馬車ほど、今の私にとって厄介な存在はない。
強盗や人攫いなら怪我をさせても問題ないけれど、貴族に怪我をさせると牢屋行きだ。
「家族だからと、私の懸賞金を狙っているに違いないわね」
懸賞金を受け取るのが少しでも遅れていたら、お父様に全てとられていただろう。先に動けたのは良かったが、もの凄い勢いで迫ってくる馬車を見ていると背筋に冷たいものを感じる。
「一旦路地に入ろう」
「ええ」
路地は貴族なら入らないほうが良いと言われている。裏社会のテリトリーだから、何をされるか分からない。
でも、躊躇はしなかった。
お陰で、馬車は諦めて通り過ぎる。
「なんとか逃げ切れたようだな」
「そうね」
まだ視線を感じるものの、お父様が追いかけてくる気配はない。代わりに、揉める声が聞こえてきた。
「旦那様、ここから先は危険です! どうか屋敷にお戻りください!」
「いや、シエルが危険なんだぞ!?」
「追い出しておいて今更心配ですか? 都合が良すぎますよ」
(……使用人さん達に感謝しないといけないわね)
馬車が再び動きだすと、路地の奥から「あの二人、金目の物を持ってそうだな」、「やめとけ。どちらも只者ではない。返り討ちにされるぞ」というやり取りが聞こえてくる。
(裏社会のテリトリーだけあって、私達を狙っている人達は多いのね)
どうやらクラウスさんが周りを威圧して、彼らを踏みとどまらせているらしい。
お陰で無事に路地を抜け、私達は目的の武器屋さんに着いた。
【閑話】 グレーティア家サイド
シエルが朝食を楽しんでいる頃。
グレーティア伯爵邸も朝食の時間を迎えていた。
次女リリアと次男レイフ、それから二人の両親が広いテーブルを囲って会話を進める。笑顔の両親に対して、リリアとレイフは寂しげな視線を昨日まではシエルが座っていた席に向けていた。
「リリア、そんなに宝石が欲しいなら、私が買ってあげよう。だから落ち込むな」
「宝石が理由ではありませんわ」
見当違いのことを口にした父親を睨むリリア。レイフもまた、父親に恨めしそうな視線を向けた。
(どうしてお姉様が追い出されないといけないのよ。もっと教えてもらいたことがたくさんあったのに……)
(シエル姉様を金蔓としか見てないのに、心配するなんてどういうつもりなんですか? どうせ僕のこともリリア姉様のことも……)
昨日の一件で、この一家の父は信頼を失っていた。これからどうなるのかは想像に難くない。
(わたしが我儘を言わなかったら、お姉様は追い出されなかったの……? もしそうなら、わたしはなんてことを)
リリアは後悔していたが、両親は後悔なんて欠片もしていなかった。それどころか、とんでもないことを言い放つ。
「……旦那様、シエルお嬢様が賞金首を捕えたそうで、今は衛兵団がその懸賞金を預かっています」
「ほう。最後に我々に謝罪しようとしているのだな。後で回収しに行くぞ」
「承知しました」
壁際で控えている侍女達が睨みつけていることに気付かないまま、グレーティア伯爵は大急ぎで朝食を口に運ぶ。その様子に、リリアもレイフも自らの意志で家を出ようと決意した。
「……よし、今から行くぞ!」
朝食後、詰め所に押しかけた伯爵に告げられたのは「懸賞金なら本人に渡しました」の一言。
慌てた彼はシエルが向かった方向を聞き出して馬車に飛び乗り、大急ぎで後を追う。
頭の中にあるのは、娘なら家のためにお金を入れて当然という、ここアルベール王国の貴族にのみ通用する常識だけだ。
国外に出れば通用しないものだが、もちろん、そんなことは頭にない。
馬車の窓から血眼になってシエルを探す彼は、傍から見れば近づきがたい様相だ。
「あの白いドレスがシエルだ。後を追え」
「はい」
もっとも、機転を利かせたシエル達を追って路地裏に入るほど愚かではなかった。
その一方で――
隠密を通してこのことを知り、領地の長男アレンは当主の座を得るための行動を始める。
グレーティア伯爵夫妻が夢見る未来への歯車は、まだくるい始めたばかりだ。
◆
「いらっしゃいませ。本日は何をお求めでしょうか?」
武器屋さんの中に入った私達は、早速声をかけられた。
ここは貴族もよく利用しており、商品の品質はお墨付きだ。
簡素なワンピース姿の私は浮いていたが、店員さんは笑顔で対応してくれた。
「彼女の剣を探しているので、適当なものを見繕っていただけますか?」
「かしこまりました。ご予算を伺っても?」
「ええ。九十万ダルくらいでお願いします」
安物の剣だとすぐに刃こぼれする。だから、私は今買える中で一番いいものをお願いした。
店内の貴族達から好奇の視線を向けられているのは気にしない。
(王太子殿下の婚約者だったから、顔を知られているのよね……)
アルベール王国にいる限り、貴族に含みのある視線を向けられ続けるだろう。
「……かしこまりました。いくつか選んでまいりますので少々お待ちください」
「お願いします」
そうして少し待った後、別室に案内された。中に入ると、小ぶりの剣を差し出される。
「こちらがお客様の体格に合うと思います。是非、試しに振ってみてください」
「ありがとう」
早速手に取り、誰もいない場所めがけて振ってみた。
(これは……少し軽すぎるわね)
次の剣は重すぎる。重い剣でも身体強化の魔法を使えば容易に扱えるとはいえ、持ち歩くことを考えると、程良い重さが一番大事だ。
提案されたものを一つ一つ手に取り、合うものを探していく。
そして、最後の一振りで、ようやくしっくりくるものと出会えた。
装飾は最低限だけれど、お陰で扱いやすい。
求めているのは地味でも魔物をしっかり斬れる剣。貴族ならまず選ばないが、それでいい。
「これにします」
「分かりました。どのように装備されますか?」
「腰に下げようと思います」
冒険者は疲れにくいように背負う人が多いが、貴族は腰に鞘を下げることが多い。私も護身用のものを腰に下げていたため、そのほうが扱いやすいと思う。
「かしこまりました」
それから、他にも必要な武器一式を購入して、次は服屋に向かった。
流石に部屋着で外を歩きたくはない。
「町の外で行動するから、スカートはなしだ。長袖長ズボンが必須だろう」
「分かったわ」
クラウスさんに言われた条件で探しているのだけど、困ったことに女性向けのズボンが見つからない。もう五軒も店を回っているのにもかかわらず。
(それはそうよね。ここは王都で着る服を置いているお店だから……)
「いっそ、男物で良いんじゃないか?」
「そうするわ……」
クラウスさんに促されて、男性向けのズボンを試着する。
「どうだ?」
「思っていたよりも動きやすいわね」
着心地も普段のドレスと比べると雲泥の差で、感動した。裾を折り込んで踏まないようにしているが、それだけで身軽だ。
「それは良かった。上はそれで良いのかな?」
「ええ。似合ってないかしら?」
「似合ってるぞ。シエルは何を着ても似合う」
クラウスさんのお墨付きも貰えたから、似たような服を何着か買う。
これだけ買ったのに、お会計は一万ダル。普段のドレスが馬鹿みたいに思える。あれは一着で百万ダルを下らない。
ちなみに、さっきまで着ていた部屋着は十万ダル。平民の立場から見ると馬鹿らしいとしか思えないだろう。
「次は冒険者ギルドの登録ね」
試着室を借りて着替えを終えた私は、少し離れたところで待っていたクラウスさんに声をかけた。
「ああ。簡単な実技試験もあるが、シエルなら心配ないだろう」
「クラウスさんがそう言うなら、自信を持って挑めるわ」
冒険者になって生活費を稼ぐには、試験に合格しないといけないらしい。ここで失敗したら奪われる人生に逆戻りだから、少し緊張してくる。
「ああ。本当に簡単だから気にするな。それと、俺のことはクラウスで良い。パーティー組んでる仲間とは対等でいたいからな。嫌だったら、今まで通りで構わないが」
「分かったわ、クラウス。これで良いかしら?」
「助かるよ」
(……敬語を使わない会話は疲れるわ。慣れれば疲れずに済むかしら?)
そんなことを思いながら、私は冒険者ギルドの中に足を踏み入れた。
「登録をお願いできますか?」
クラウスに案内されて登録受付の前に来た私は、早速担当の女性に声をかけた。
冒険者ギルドの権威は大きい。それなのに、客商売だからか対応は丁寧だ。
物語で見かけた冒険者ギルドは荒くれ者のたまり場だったので入るまで少し怖かったけれど、実際は正反対。体格の良い男性が楽しそうに談笑している姿はあっても、誰もがマナーを守っている。顔つきと体格こそ怖いものの、根は優しそうな人ばかりだ。
少し視線を違うところに向けると、迷子の子をあやす男性が見える。強面のせいで泣かれてしまった様子だ。
「――身分を証明できるものはありますか?」
「いえ、家を追い出されてしまったので、何も……」
身分証がなくても登録できるとクラウスから聞いていたのに、どうも雲行きが怪しい。
犯罪を起こした経歴のある人などは雇えないはずだから、身分を証明できなければ契約は難しいのかも。
「俺が保証人になります。シエルを家族から守るためにも、そのほうがいいですから」
私が言葉に詰まっていると、すかさずクラウスが助けてくれた。
「なるほど、訳ありなのですね。貴方の冒険者カードを見せていただけますか?」
私の事情は隠しておきたいし、こうした含みを持たせた言い方をしたほうが上手く物事が運ぶらしい。
「これでいいか?」
「……っ。はい、ありがとうございます」
金色に輝くクラウスのカードを見た受付の女性は一瞬息を呑み、その後すぐに平静を装った。
(あのカードはそんなに凄いものなのかしら?)
何も知らないから、見当もつかない。
「保証人の確認が終わりましたので、この紙にお名前と血判をお願いします」
「分かりました」
差し出されたペンを使って、名前だけを書いていく。家名を入れたら、お父様に干渉されそうだもの。
偽名を使っても大丈夫だと説明を受けたが、それは選ばなかった。
この名前は三年前に亡くなったお祖母様がつけてくれたもので、すごく気に入っているから。
「針はありますか?」
「こちらに」
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