おじさんと呼ばれて

ハリネズミ

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5 初恋 @芽(めぐむ)

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 実は小津さんに会ったのはあれが初めてじゃなかった。
 二年程前、俺は駅で困っていたおばあさんに声をかけた事があった。路線が複雑でどこへ行けばいいのか分からなくて、路線図を前にオロオロとしていた。
 俺も大学進学で上京したてで東京の複雑な路線は分からなかった。おばあさんとふたりあーでもないこーでもないと首を捻る。駅員にでも訊ければ良かったんだけど、事故でもあったのか忙しくしていてとても声をかけられる雰囲気ではなかった。
 俺たちの傍を知らん顔で足早に通り過ぎていく人を見ながら、都会って何か嫌だなって思ってた。そこに声をかけてくれたのが柔らかい雰囲気の年上の男性、小津さんだった。
 小津さんの声はヒーリング効果でもあるのだろうか聞いていて心地が良くて、さっきまでの不安な気持ちはどこかへいってしまった。
 おばあさんも俺も気が付くと笑顔になっていた。

 朝のこんな時間に駅に居るという事は小津さんもこれから会社へ行かなければいけないわけで、そんなに時間の余裕はないはずだった。それなのに口で説明するだけじゃなくて、おばあさんを目的の電車まで連れて行ってくれると言う。
 俺も乗りかかった船だし、と言っても俺が一緒に居たって何の手助けにもならない事は分かっていたけど、何だか離れがたくてついて行く事にした。
 おばあさんを見送った後、小津さんは両手を俺の前に突き出して、パッと開いて見せた。まるで手品みたいにその手の中には飴玉が沢山あって。

「きみは優しいね。これよかったらどうぞ。ご褒美だよ」

 子どもじゃない俺にご褒美に飴玉って言っちゃうところが可愛すぎて固まっていると、「やっぱりいらないよねぇー」と頬を染めながら飴を引っ込めようとするから俺は急いで受け取って、「ありがとうございます」って。
 その時の小津さんの笑顔。
 俺はその笑顔にハートを撃ち抜かれてしまった。
 それが十八年間生きてきて初めて俺が恋に落ちた瞬間だった。

 慣れない都会での生活に本当は疲れ果てていた。
 周りのみんなとノリも話す内容も合わなくて、心が少しずつすり減っていくのが分かった。
 困ってる人に声をかけるなんて事、田舎では当たり前の事だった。
 だけど、都会ここでは誰もが見て見ぬフリで……俺はおばあさんに何ができたわけじゃなかったけど、それでも声をかけずにはいられなかった。
 そして小津さんだけが困ってた俺とおばあさんに優しく手を差し伸べてくれたんだ。
 年齢的にいって、もう恋人やもしかしたら奥さんがいるかもしれない。
 それでも俺は小津さんの事を好きになったんだ。
 恋人は無理でもせめて友だちになれないかなって思った。
 その時はてんぱりすぎて名前も訊く事ができなかったけど、通勤にこの駅を使っているのならいつかまた会えるんだって思っていた。
 だけどそれから小津さんを見かける事はなかった。

 あれから二年が過ぎて俺は都会というものにそれなりに慣れて、身なりを整えたり人との付き合い方もうまくなっていた。
 勿論困っている人を無視するという意味ではない。
 俺は俺のまま都会でも違和感なく生きていけるようになったという意味だ。
 辛い時もあったけど、小津さんのあの飴玉のおかげで頑張れたんだ。
 さすがに貰った飴玉そのものは無くなってしまったけど、それでも『飴玉』は俺に力をくれた。


*****

 あの日は大学の気の合う友人たちとたまたまあの居酒屋に来ていた。そこは料理が素朴で俺の口に合い、アルコールがあまり得意でない俺にも楽しむ事ができた。

 俺たちが座る席はオープンスペースのテーブル席で、そのすぐ側には襖を隔てて大きな座敷があった。こことは距離も近く、大きな声であれば部屋の中の会話を聞く事ができた。盗み聞きなんて趣味はないけれど座敷の中は襖と壁で囲まれており、別世界とでも思っているのか随分と騒がしい。だから聞きたくなくても自然と耳に入ってきて、中から聞こえてくる大きな声に眉を顰めていた。
 そこにあの時のあの人が若い男とふたりで現れて、俺のすぐ目の前を通り過ぎ座敷へと入って行くのが見えたんだ。
 俺がイメージするあの人にはとても似つかわしくない場所――。
 それに聴こえてきた内容からして、あそこは今合コンをやってたはずだ。合コンにあの人がなぜ?
 やっと会えた喜びも束の間、あの人の事が心配でたまらない。
 もしも無理矢理連れてこられたのだとしたら?
 合コンだし『お持ち帰り』なんてされてしまったら?
 俺は一緒に飲んでいた友人たちの会話も上の空で中の様子をずっと窺っていた。
 しばらくして聞こえてきたあの人の名前と年齢と――そして嫌な笑い声。あの人、小津さんが年齢を理由にバカにされ貶められていた。小津さんをバカにしていたヤツら全員に怒りが沸いた。今度は自分が助ける番だと、友人たちに先に帰る事を告げ小津さんを連れ出した。恋人のフリをしたのは――ただの俺の願望……。
 小津さんを安全な場所に連れて行き、離したくはなかったけど手を離した。
 今はまだそんな事をしていい関係ではなかったから。

 初恋のあの人に再び会えた事に舞い上がっていて、俺の事を忘れているだろう小津さんに生意気な口をきいてしまった。
 小津さんは怒っていなかったようだけど、このまま告白するにはあんな事があった後だしここは仕切り直した方がいいと考えた。だから俺の連絡先を渡して小津さんからの連絡を待ったんだ。
 連絡が来たら告白するつもりだった。俺が小津さんを連れ出すのを見ていた友人たちから揶揄われつつも今か今かと小津さんからの連絡を待ち続ける毎日。
 だけど……一週間過ぎた今も小津さんからの連絡はない。
口の中で大きかった飴玉が溶けて小さくなって……、俺はガリリと噛んだ。

 ――――あなたにとっての俺は大した意味もないただの通行人ですか……?
 最初の出会いと次の居酒屋での出会い、俺は運命を感じたんですがあなたは違ったんですか?

 そんな心の中の俺の問いに当然の事だけど誰も答えてくれる人はいなくて、虚しい想いと噛み砕いてしまった飴玉の甘さだけがいつまでも留まり続けた――。
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