【完結】恋人代行サービス

山田森湖

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第2話「初めてのデート」

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第2話「初めてのデート」

午後三時のカフェは、平日の静寂に包まれていた。窓際の席で、私は手元のスマートフォンを見つめている。画面には『恋人代行マッチング』のアプリが開かれ、新着メッセージが点滅していた。

「佐藤美月、26歳。恋人代行歴3年」

これが今の私の肩書きだ。

三年前、就職活動に失敗し、アルバイトを転々としていた頃。偶然見つけたこの仕事に手を出したのは、正直に言えば金銭的な理由からだった。時給は一般的なアルバイトの三倍。ただし、求められるのは「完璧な恋人」を演じることだった。

メッセージを開く。差出人は『T.K』とだけ表示されている。

『はじめまして。恋人代行サービスを利用したいと思っています。詳細をお聞かせください』

シンプルで丁寧な文章。年齢や職業の記載はない。初回の依頼者にしては、珍しく簡潔だった。

私は定型文を打ち込む。

『お疲れさまです。ご依頼ありがとうございます。まずは詳細な打ち合わせをさせていただきたく、お時間のある時にお電話いただけますでしょうか』

返信は驚くほど早かった。

『今から30分後、そちらのカフェでお会いできますか?』

思わず周りを見回す。まさか、もう近くにいるのだろうか。少し不安になりながらも、私は了承の返事を送った。

恋人代行の仕事では、初回は必ず対面での打ち合わせを行う。相手の希望を聞き、どんな「恋人」を演じればいいかを決めるのだ。清楚系、お姉さん系、ちょっとドジな天然系。私はこれまで様々な女性を演じてきた。

そして時には、相手の求めに応じて、もう少し踏み込んだ関係も演じた。手を繋ぐ、キスをする、時には一緒にベッドで過ごす夜もある。それも全て、仕事の一環として。

三十分後、カフェのドアが開いた。

入ってきたのは、長身で整った顔立ちの男性だった。紺色のスーツを着こなし、どこか疲れた表情を浮かべている。年齢は三十代前半といったところか。

彼は店内を見回し、私と目が合うとわずかに頷いた。

「佐藤さんですね」

「はい。T.Kさんでしょうか」

「高橋です。高橋健一」

彼は私の向かいに座り、コーヒーを注文した。その間、私は彼を観察していた。高級な腕時計、きちんと手入れされた爪。おそらく経済的には余裕のある人だ。

「率直にお聞きします」健一は口を開いた。「恋人代行って、どこまでやってくれるんですか?」

ストレートな質問だった。私は慣れた調子で答える。

「お客様のご希望次第です。デートをする、手を繋ぐ、キスをする。それ以上のことも、ご相談に応じて」

「それ以上って?」

「一緒に過ごす時間を、よりリアルにしたいということでしたら」

私は彼の目を見つめた。多くの男性は、この時点で視線を逸らすか、頬を赤らめる。しかし健一は違った。冷静に、まっすぐ私を見返している。

「どのくらいの期間を想定していますか?」

「二ヶ月間。六十日間限定で」

珍しく具体的だった。通常、恋人代行の契約は曖昧な期間設定が多い。

「特別な理由があるのですか?」

健一は少し迷ったような表情を見せた。

「元恋人が結婚します。その結婚式が二ヶ月後。それまでに、新しい恋人がいることを周りに示したくて」

なるほど、元恋人への当て付けか。よくあるパターンだった。

「分かりました。どんな恋人像をお望みですか?」

「あなたのままで構いません」

今度は私が驚く番だった。通常、依頼者は理想の恋人像について詳細に語る。髪型から服装、性格まで。しかし彼は違った。

「今のあなたが気に入りました。演技は必要ありません。ただ、僕の恋人として二ヶ月間、過ごしてください」

胸の奥で、何かがざわめいた。三年間この仕事をやってきて、初めての感覚だった。

「料金は?」

「通常の三倍で構いません。ただし、条件があります」

私は身を乗り出した。

「この二ヶ月間、他の依頼は受けないでください。僕だけの恋人でいてください」

専属契約。これまで受けたことがない条件だった。金銭的には魅力的だが、リスクも大きい。

「検討させていただきます」

「明日までに返事をください」

健一は席を立ち、テーブルに名刺を置いた。

『高橋健一 IT企業経営』

シンプルな名刺だった。

彼が去った後、私は一人でコーヒーを飲みながら考えた。なぜか、心臓の鼓動が早くなっているのを感じていた。

これまで何十人もの男性と「恋人」を演じてきた。しかし今回は何かが違う。彼の真剣な眼差しが、まだ網膜に焼き付いている。

その夜、私は長い時間をかけて契約書を読み返した。

二ヶ月間の専属契約。演技ではなく、自然体での恋人役。

そして心の奥で、小さな声が囁いていた。

「これは、本当に仕事なのだろうか?」

翌日、私は健一に返事をした。

「契約、お受けします」

こうして、私の人生で最も特別な六十日間が始まった。

まだその時の私は知らなかった。演じるはずの恋が、いつの間にか本物になってしまうことを。そして六十日後、私たちは究極の選択を迫られることになるということを。

契約成立から三日後。私は待ち合わせ場所の駅前で健一を待っていた。

初回のデートは、お互いを知るための軽いものになることが多い。しかし健一からのメッセージは意外だった。

『今度の土曜日、僕の友人の誕生日パーティがあります。恋人として同伴していただけますか?』

いきなり友人との集まりに参加とは、かなり本格的だった。通常なら何度かデートを重ねてから、という段階的なアプローチを取るのだが。

ワンピースとカーディガンの組み合わせで、控えめだが上品な印象を心がけた。恋人代行では第一印象が全てだ。相手の友人に「いい恋人を見つけた」と思ってもらえなければ、契約の意味がない。

「美月」

振り返ると、健一が歩いてきた。前回のスーツ姿とは打って変わって、カジュアルなシャツにジーンズ。それでも彼の整った顔立ちは変わらず、通りすがりの女性たちの視線を集めている。

「お疲れさまです」

「お疲れさま、じゃなくて」健一は苦笑いを浮かべた。「『お疲れさま、健一』でしょう?」

そうだった。恋人役では、相手の名前を自然に呼ぶことが重要だ。

「お疲れさま、健一」

改めて言い直すと、健一の表情が少し和らいだ。

「今日はありがとう。急なお願いだったのに」

「いえ、大丈夫です。どんなパーティなんですか?」

歩きながら健一が説明してくれた。大学時代からの友人で、IT関係の仕事をしている人たちが集まる誕生日パーティ。年齢層は二十代後半から三十代前半。既婚者も多いらしい。

「みんな、僕に恋人ができたって聞いて驚いてる」健一は少し照れたような表情を見せた。「特に結婚してる連中は、早く紹介しろってうるさくて」

「モテそうなのに、意外ですね」

思わず本音が出てしまった。健一は確実に女性にモテるタイプだ。経済力もあるし、容姿も申し分ない。

「仕事ばかりで、なかなか出会いがなくて」健一は自嘲気味に笑った。「気がついたら周りはみんな結婚してて、僕だけ取り残された感じ」

その時、健一の手が私の手を取った。

「あ」

思わず声が漏れる。これまで何度も男性と手を繋いできたはずなのに、なぜか動揺してしまった。

「ごめん、驚いた?」健一は手を離そうとしたが、私は首を振った。

「いえ、大丈夫です。恋人らしく見えるように」

「そうだね」

再び繋がれた手は、思った以上に温かかった。

パーティ会場は、洒落たレストランの個室だった。十五人ほどの男女が集まり、和やかな雰囲気に包まれている。

「健一!久しぶり!」

「おー、これが噂の彼女か!」

次々と声をかけられる中、健一は私の腰に手を回した。

「紹介するよ。佐藤美月です」

「美月です。よろしくお願いします」

私は にっこりと笑顔を作った。これまで培ってきた「理想の恋人」の演技だ。

しかし、今日は何かが違った。健一の友人たちは皆、本当に彼のことを大切に思っているのが分かる。そして健一も、心から楽しそうにしている。

「健一のやつ、美月ちゃんと付き合ってから表情が変わったよ」

隣に座った女性が小声で教えてくれた。

「前は仕事の話ばかりで、プライベートの話なんて全然しなかったのに、最近は『恋人が』『美月が』って、楽しそうに話すの」

胸の奥がざわめいた。健一は友人たちに、私のことを話していたのだろうか。

パーティが進むにつれ、私は健一の意外な一面を発見していった。友人たちに対する優しさ、後輩を気遣う姿勢、そして時折見せる少年のような笑顔。

「美月ちゃん、トイレ一緒に行かない?」

誕生日の主役の奥さんに誘われて席を立つ。

化粧室で、彼女は振り返った。

「健一君と付き合ってどのくらい?」

「まだ一週間くらいです」

嘘の設定だったが、自然に言葉が出た。

「そう見えないわ。すごく息が合ってる」彼女は微笑んだ。「健一君、本当に嬉しそう。あんなに幸せそうな顔、初めて見たかも」

戻ってくると、健一が心配そうに私を見つめていた。

「大丈夫?」

「うん、大丈夫」

その時、誰かが「乾杯しよう!」と声を上げた。皆がグラスを手に取る中、健一は私の肩を抱き寄せた。

「健一の幸せを祈って!」

「乾杯!」

グラスが触れ合う音の中で、健一が私の耳元で囁いた。

「ありがとう、美月。君がいてくれて本当に良かった」

その声は、仕事上の感謝を超えた何かが込められているように感じた。

パーティの後、健一が私をマンションまで送ってくれることになった。タクシーの中で、私たちは今日の出来事について話した。

「友達、みんないい人ですね」

「大学時代からの付き合いだからね。家族みたいなもの」健一は窓の外を見つめていた。「みんな幸せそうで、僕だけが取り残されてる感じがしてた」

「でも今日は楽しそうでした」

「君がいてくれたから」

健一は私を見つめた。タクシーの薄暗い車内で、彼の瞳が真剣だった。

「美月、変な質問かもしれないけど」

「何ですか?」

「この仕事、辛くない?」

思いがけない質問だった。これまでの依頼者で、そんなことを聞いてきた人はいなかった。

「辛いって?」

「他人の恋人を演じるなんて、本当の自分を隠し続けることになる。それって、辛くない?」

マンションの前でタクシーが止まった。私は健一を見つめ返した。

「今日は、辛くありませんでした」

それは、本当の気持ちだった。

「また連絡するよ」

「はい、お疲れさまでした」

「お疲れさま、じゃなくて」健一は微笑んだ。「また明日、でしょう?」

「また明日、健一」

タクシーが走り去るまで、私は手を振り続けた。

部屋に戻って、シャワーを浴びながら今日のことを思い返していた。健一の友人たちの温かさ、健一の優しい表情、そして彼の最後の質問。

これまでの恋人代行とは、明らかに何かが違っていた。

ベッドに横になりながら、私は天井を見つめていた。健一の「この仕事、辛くない?」という言葉が、頭から離れなかった。

辛いかどうかなんて、考えたことがなかった。これは仕事で、私は女優のような存在。相手の求める理想を演じているだけ。

でも今日は、演技をしている感覚がなかった。健一と手を繋いでいる時も、彼の友人たちと話している時も、自然な自分でいられた。

スマートフォンが鳴った。健一からのメッセージだった。

『今日は本当にありがとう。みんな君のことを気に入ってくれた。特に田中の奥さんが、「健一君にぴったりの人ね」って言ってたよ』

思わず頬が緩んだ。

『お疲れさまでした。私も楽しかったです』

すぐに返信が来た。

『明日、時間ある?今度は二人きりで、ゆっくりデートしたい』

二人きりのデート。なぜか、胸が高鳴った。

『大丈夫です』

『じゃあ、明日の夕方に迎えに行くよ。おやすみ、美月』

『おやすみなさい、健一』

スマートフォンを置いて、私は目を閉じた。しかし、なかなか眠りにつくことができなかった。

健一の温かい手の感触が、まだ残っているような気がして。

そして心の奥で、小さな不安が芽生えていた。

このまま続けていて、大丈夫なのだろうか。演技のはずが、本当の気持ちになってしまったら。

六十日後に訪れる契約終了の時、私は彼に何と言えばいいのだろう。

第2話 完
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