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カフェと小説
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カフェと小説
シンヤはお気に入りのノートを手に、静かにページをめくっていた。
それは数年前、病気でこの世を去った妻・マドカが遺したもの。
彼女の処女作にして、代表作となった小説だった。
時代の波に乗って、発売と同時に話題となり、ベストセラー入りを果たした一冊。
そしてその主人公には、シンヤ自身の姿が色濃く投影されていた。
――出会いは、ひとつのカフェだった。
当時のシンヤは、仕事に追われる日々を送っていた。
若手ながらも信頼され、責任ある業務を任される一方で、残業も多く、疲弊しきっていた。
そんなある日。
一息つこうと立ち寄ったカフェで、夕食をとっていると、向かいの席に座る女性が目に留まった。
飾り気のない服装に、髪をひとつにまとめ、タブレットに向かって真剣に何かを書き込んでいる。
その集中した横顔に、シンヤは思わず目を奪われてしまった。
それからというもの、同じ時間に何度かカフェを訪れるうちに、彼女の姿を見かけるようになった。
どうやら彼女も、遅い時間に現れる常連客だった。
ある日、偶然にも近い席に座ることとなり、ふとタブレットの画面を覗くと、どうやら小説を書いているようだった。
文章を書いては消し、時折、頭を抱える彼女の姿に、シンヤは思わず微笑んでしまった。
その瞬間――彼女と目が合った。
バツが悪くなったシンヤは、あわてて視線を逸らし、食事に集中するふりをした。
だが数週間後の金曜日、またいつものカフェで夕食をとっていると、彼女が突然、真正面の席に座ってきた。
「お兄さん、サラリーマン?」
突然の問いかけに驚きつつ、「そ、そうだけど……」と答えると、
彼女は勢いよく頭を下げた。
「取材させてください。お願いします!」
あまりの真剣さに、シンヤは戸惑いながらも「いいですよ」と応じた。
彼女の名前はマドカ。フリーランスの小説家だった。
現代のサラリーマンが抱える葛藤や日常をリアルに描きたい――
そのために、シンヤに話を聞きたかったのだという。
それから毎週金曜日。
マドカはシンヤの仕事の悩みや迷いを丁寧に聞き取り、メモを取り続けた。
シンヤも話すうちに、自分でも気づかなかった心の奥を、自然と彼女に打ち明けるようになった。
彼女と話す時間が、いつしか心の癒しになっていった。
そして取材が終わったある日。
マドカはふらりとカフェに現れ、「小説にしたから見て欲しい」と原稿を手渡してきた。
タイトルは――『不屈のサラリーマン』。
ページをめくるたび、そこにはシンヤが確かに生きていた。
マドカの筆致には、温もりと力強さが込められていた。
その後、小説は出版され、大ヒットを記録。
マドカは一躍注目の作家となり、作品はシリーズ化されていった。
シンヤは、どこか遠い存在になってしまった彼女を、静かに、けれど誇らしく見守っていた。
それから一年――。
いつものようにカフェを訪れたシンヤの前に、懐かしい姿があった。
マドカだった。以前と変わらない優しい笑顔で、彼の前に座ると、分厚い封筒を差し出した。
「これは御礼です」
中には、しっかりとした金額の謝礼が入っていた。
驚いて「いや、そんなの要らないよ。それより、ベストセラーおめでとう」と言うと、
マドカは少し照れたように笑い――こう言った。
「じゃあ、私をあげます」
「……えっ?」
一瞬、意味がわからず固まったシンヤに、マドカはしっかり目を見て言った。
「結婚してください」
その一言に、シンヤは胸の奥にしまっていた想いを、ようやく認めた。
会えなかった日々が、どれほど寂しかったか。
彼女の存在が、どれほど大きかったか。
「……わかった。結婚しよう」
シンヤはそう言って、マドカをそっと抱きしめた。
――そして、今。
シンヤはあの日の原稿が綴られたノートを、カフェの一角で開いていた。
カフェのマスターは二代目に代わり、常連として顔なじみとなったシンヤに声をかける。
「シンヤさん、何を読んでるんですか?」
ノートを見つめながら、シンヤは微笑んで答えた。
「そうだな。このカフェでの思い出……全部、かな」
カフェの壁には、初代マスターと、若き日のマドカの写真が飾られている。
まるで今日も、彼らがこの場所を見守ってくれているかのように――
優しく、穏やかに、微笑んでいた。
シンヤはお気に入りのノートを手に、静かにページをめくっていた。
それは数年前、病気でこの世を去った妻・マドカが遺したもの。
彼女の処女作にして、代表作となった小説だった。
時代の波に乗って、発売と同時に話題となり、ベストセラー入りを果たした一冊。
そしてその主人公には、シンヤ自身の姿が色濃く投影されていた。
――出会いは、ひとつのカフェだった。
当時のシンヤは、仕事に追われる日々を送っていた。
若手ながらも信頼され、責任ある業務を任される一方で、残業も多く、疲弊しきっていた。
そんなある日。
一息つこうと立ち寄ったカフェで、夕食をとっていると、向かいの席に座る女性が目に留まった。
飾り気のない服装に、髪をひとつにまとめ、タブレットに向かって真剣に何かを書き込んでいる。
その集中した横顔に、シンヤは思わず目を奪われてしまった。
それからというもの、同じ時間に何度かカフェを訪れるうちに、彼女の姿を見かけるようになった。
どうやら彼女も、遅い時間に現れる常連客だった。
ある日、偶然にも近い席に座ることとなり、ふとタブレットの画面を覗くと、どうやら小説を書いているようだった。
文章を書いては消し、時折、頭を抱える彼女の姿に、シンヤは思わず微笑んでしまった。
その瞬間――彼女と目が合った。
バツが悪くなったシンヤは、あわてて視線を逸らし、食事に集中するふりをした。
だが数週間後の金曜日、またいつものカフェで夕食をとっていると、彼女が突然、真正面の席に座ってきた。
「お兄さん、サラリーマン?」
突然の問いかけに驚きつつ、「そ、そうだけど……」と答えると、
彼女は勢いよく頭を下げた。
「取材させてください。お願いします!」
あまりの真剣さに、シンヤは戸惑いながらも「いいですよ」と応じた。
彼女の名前はマドカ。フリーランスの小説家だった。
現代のサラリーマンが抱える葛藤や日常をリアルに描きたい――
そのために、シンヤに話を聞きたかったのだという。
それから毎週金曜日。
マドカはシンヤの仕事の悩みや迷いを丁寧に聞き取り、メモを取り続けた。
シンヤも話すうちに、自分でも気づかなかった心の奥を、自然と彼女に打ち明けるようになった。
彼女と話す時間が、いつしか心の癒しになっていった。
そして取材が終わったある日。
マドカはふらりとカフェに現れ、「小説にしたから見て欲しい」と原稿を手渡してきた。
タイトルは――『不屈のサラリーマン』。
ページをめくるたび、そこにはシンヤが確かに生きていた。
マドカの筆致には、温もりと力強さが込められていた。
その後、小説は出版され、大ヒットを記録。
マドカは一躍注目の作家となり、作品はシリーズ化されていった。
シンヤは、どこか遠い存在になってしまった彼女を、静かに、けれど誇らしく見守っていた。
それから一年――。
いつものようにカフェを訪れたシンヤの前に、懐かしい姿があった。
マドカだった。以前と変わらない優しい笑顔で、彼の前に座ると、分厚い封筒を差し出した。
「これは御礼です」
中には、しっかりとした金額の謝礼が入っていた。
驚いて「いや、そんなの要らないよ。それより、ベストセラーおめでとう」と言うと、
マドカは少し照れたように笑い――こう言った。
「じゃあ、私をあげます」
「……えっ?」
一瞬、意味がわからず固まったシンヤに、マドカはしっかり目を見て言った。
「結婚してください」
その一言に、シンヤは胸の奥にしまっていた想いを、ようやく認めた。
会えなかった日々が、どれほど寂しかったか。
彼女の存在が、どれほど大きかったか。
「……わかった。結婚しよう」
シンヤはそう言って、マドカをそっと抱きしめた。
――そして、今。
シンヤはあの日の原稿が綴られたノートを、カフェの一角で開いていた。
カフェのマスターは二代目に代わり、常連として顔なじみとなったシンヤに声をかける。
「シンヤさん、何を読んでるんですか?」
ノートを見つめながら、シンヤは微笑んで答えた。
「そうだな。このカフェでの思い出……全部、かな」
カフェの壁には、初代マスターと、若き日のマドカの写真が飾られている。
まるで今日も、彼らがこの場所を見守ってくれているかのように――
優しく、穏やかに、微笑んでいた。
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