心のすきまに【社会人恋愛短編集】

山田森湖

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同期飲みの帰り道、彼は“好き”と言ってしまった

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同期飲みの帰り道、彼は“好き”と言ってしまった

 金曜の夜、久しぶりの同期飲み。
 四年目にもなると、みんなそれぞれの部署で忙しく、集まるのも年に数回になった。
 駅前の居酒屋には笑い声とグラスの音が響き、昔のような無邪気な空気が少しだけ戻ってくる。

 俺は端の席で、彼女——ミサキの笑顔を眺めていた。
 営業部のエース。明るくて、誰とでも仲がいい。けれど、ふとした瞬間に見せる真顔が印象的で、ずっと目で追ってしまう。

 「コウジくん、飲みすぎじゃない?」
 ミサキが笑いながら俺のグラスを取り上げた。
 「まだいけるって」
 「ダメ。顔、赤いよ」
 そう言って彼女は水を差し出してくれた。
 何気ない仕草なのに、その手の白さと、少しだけ酒に潤んだ瞳に、心臓が跳ねた。

 ——ああ、やっぱり俺、ずっと好きなんだ。

 それを自覚したのは、多分ずっと前からだった。
 でも、彼女には同じ部署の仲の良い男もいるし、社内で噂になるのも嫌で、何も言わずにきた。
 それで十分だと思ってた。
 ただ、同じ空間にいられれば、それでよかった。

 終電が近づき、解散の空気が漂う。
 タクシー組と電車組に分かれる中、ミサキは俺と同じ方向だった。

 「じゃ、駅まで一緒に行こっか」
 「うん」

 ビルを出た瞬間、夜風が少し冷たく感じた。
 酔いがまわった身体に、都会の空気が心地いい。
 信号待ちで、ミサキがふと笑った。

 「コウジくんってさ、変わんないよね。入社のときからずっと」
 「変われてない、の間違いじゃない?」
 「ううん。落ち着いてて、優しいとこ。ずっと同じ」
 その言葉が、酔った心に沁みた。

 気づけば、俺は口を開いていた。
 「……俺さ、ミサキのこと、好きなんだ」

 言った瞬間、世界が止まった気がした。
 夜風も、街の音も、何も聞こえない。

 ミサキは驚いた顔でこちらを見つめ、少しの沈黙のあと、小さく笑った。
 「酔ってるでしょ」
 「……たぶん、そう。でも本当だよ」

 彼女は前を向いて歩き出す。
 「そういうの、ズルいよ」
 その言葉が何を意味するのか、聞けなかった。

 駅の階段に着いたころには、もう終電のベルが鳴っていた。
 「じゃあね、また来週」
 彼女は振り返らずに改札を抜けていった。

 俺はホームのベンチに座り、しばらく動けなかった。
 “言ってしまった”ことへの後悔と、少しの清々しさ。
 酔いよりも、胸の痛みが強かった。

 翌朝。
 スマホの通知が鳴る。
 社内チャットに「おはようございます」
 送り主は、ミサキ。
 文面は、いつもと同じ。
 俺への個別メッセージも、既読のつかないまま。

 ——あれは、なかったことになったんだ。

 昼休み、給湯室で偶然すれ違った。
 「昨日、無事に帰れた?」
 ミサキの声は、優しかった。
 でもその優しさが、もう“同期として”のそれでしかないことを、痛いほど感じた。

 「うん、ありがとう」
 俺はそれだけ言って、笑ってみせた。

 心の中では、まだ彼女の笑顔が焼き付いている。
 夜の信号の光、彼女の横顔、そしてあの一言。

 “好きなんだ”

 あれは、俺の中で一度だけ起きた本音の暴発だった。
 彼女の中では、ただの酔いのひと幕として終わったのかもしれない。

 でも、不思議と後悔はしていない。
 誰かを好きになるって、こんなにも静かで、切なくて、そして美しいことなんだと、ようやく知れたから。

彼女は今も、オフィスの向こうで笑っている。
俺はそれを見て、小さく息を吐く。

この距離のままでいい。
きっと、社会人の恋って、そういうものなんだと思う。
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