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君の肌に触れたくて、でも触れられなかった
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君の肌に触れたくて、でも触れられなかった
俺が、マナのことを意識し始めたのは、春の終わりだった。
美術部のアトリエに差し込む西日が、彼女の横顔を黄金色に染めていた。
筆を握る細い指先、風に揺れる髪の匂い、真剣にキャンバスを見つめる横顔。
その全部が、俺の中で“女の子”として輪郭を持ち始めた瞬間だった。
マナは同じクラスで、美術部のエース。誰にでも気さくに話すけど、どこか距離を感じさせる。
彼女が描く人物画は、どれも柔らかくて、少し色っぽい。
「“線”に感情が出るんだよ」と言っていたけど、その言葉の意味が、最近ようやく分かってきた気がする。
放課後、部室に残っていたのは、俺とマナの二人だけだった。
窓の外ではグラウンドの部活の掛け声が響いている。
静かなアトリエの中、マナが不意に口を開いた。
「ねえ、ユウくん。今度の作品展、人物画にしようと思ってるんだけど」
「うん。マナの人物画、評判いいもんな」
「それでね……モデル、ユウくんでいい?」
俺は思わず、手にしていた鉛筆を落とした。
「えっ、俺?」
「うん。なんか、描いてみたい。静かで、でも内側に熱を持ってる感じがするから」
“内側に熱”――その言葉が、やけに胸に響いた。
彼女の視線が俺の手元から首筋をなぞるように動いて、心臓の音が跳ね上がる。
その日から、俺は放課後にマナの描く“モデル”になった。
椅子に座ってじっとしているだけなのに、なぜか落ち着かない。
彼女の視線が、まるで肌に触れてくるように感じるから。
「ユウくん、手、もう少し上げて」
「こう?」
「うん……すごく、いい」
筆を動かすたびに、彼女の指がわずかに震える。
距離にして、わずか数十センチ。
けれどその近さが、俺にはどうしようもなく甘い。
ある日、マナが言った。
「……ねえ、手、触ってもいい?」
「……え?」
「指の形、ちゃんと見たいの。描くために」
そう言って、彼女の指先が俺の手に触れた。
柔らかくて、少し冷たい。
たったそれだけで、息が詰まった。
触れているのは手だけなのに、もっと深いところを見透かされているような感覚。
理性が、きしむ音を立てていた。
「ユウくんの手、あったかいね」
「マナの手、冷たいよ」
「……だから、ちょうどいいかも」
彼女が微笑んだその瞬間、世界がゆっくり止まった気がした。
目を逸らせば終わる。けれど、逸らせなかった。
気づけば、俺の指先が、彼女の手の甲をなぞっていた。
それは、衝動というより、祈りに近かった。
“触れたいけど、壊したくない”――そんな矛盾の中で。
マナは一瞬、息をのんだ。
でも、離れなかった。
「……描くの、やめちゃうかも」
「なんで?」
「ドキドキして、筆が動かない」
そう言って、頬を染めながら笑う彼女が、たまらなく愛しかった。
でも、その日の帰り道。
彼女は急に立ち止まって言った。
「ねえ、ユウくん。今日のこと、誰にも言わないでね」
「……うん」
「ありがとう。ユウくんって、優しいね」
“優しい”――その言葉の裏には、境界線があった。
彼女は俺に“特別”をくれたけど、“恋”をくれたわけじゃない。
それでも俺は、次の日も部室に行った。
彼女が描くキャンバスの中に、自分が存在している限り、そこに意味がある気がしたから。
やがて完成した絵は、やさしい色で塗られた俺の横顔だった。
展示のあと、マナが言った。
「……ユウくん。ありがとう。あの絵、私の“青春”の一部になった」
「俺も、忘れられないです」
「でもね、次のモデル、頼まれちゃった」
彼女の笑顔の奥で、何かが静かに終わっていく音がした。
作品展のあと、マナは別の誰かをモデルに選んだ。
部室に残された俺の椅子には、乾ききった絵の具の匂いだけが残っていた。
触れられなかった手の感触が、ずっと掌の中に残っていた。
“もし、あのとき壊していたら、今も彼女は俺を描いていただろうか”――そう思いながら、俺は静かに部室を出た。
俺が、マナのことを意識し始めたのは、春の終わりだった。
美術部のアトリエに差し込む西日が、彼女の横顔を黄金色に染めていた。
筆を握る細い指先、風に揺れる髪の匂い、真剣にキャンバスを見つめる横顔。
その全部が、俺の中で“女の子”として輪郭を持ち始めた瞬間だった。
マナは同じクラスで、美術部のエース。誰にでも気さくに話すけど、どこか距離を感じさせる。
彼女が描く人物画は、どれも柔らかくて、少し色っぽい。
「“線”に感情が出るんだよ」と言っていたけど、その言葉の意味が、最近ようやく分かってきた気がする。
放課後、部室に残っていたのは、俺とマナの二人だけだった。
窓の外ではグラウンドの部活の掛け声が響いている。
静かなアトリエの中、マナが不意に口を開いた。
「ねえ、ユウくん。今度の作品展、人物画にしようと思ってるんだけど」
「うん。マナの人物画、評判いいもんな」
「それでね……モデル、ユウくんでいい?」
俺は思わず、手にしていた鉛筆を落とした。
「えっ、俺?」
「うん。なんか、描いてみたい。静かで、でも内側に熱を持ってる感じがするから」
“内側に熱”――その言葉が、やけに胸に響いた。
彼女の視線が俺の手元から首筋をなぞるように動いて、心臓の音が跳ね上がる。
その日から、俺は放課後にマナの描く“モデル”になった。
椅子に座ってじっとしているだけなのに、なぜか落ち着かない。
彼女の視線が、まるで肌に触れてくるように感じるから。
「ユウくん、手、もう少し上げて」
「こう?」
「うん……すごく、いい」
筆を動かすたびに、彼女の指がわずかに震える。
距離にして、わずか数十センチ。
けれどその近さが、俺にはどうしようもなく甘い。
ある日、マナが言った。
「……ねえ、手、触ってもいい?」
「……え?」
「指の形、ちゃんと見たいの。描くために」
そう言って、彼女の指先が俺の手に触れた。
柔らかくて、少し冷たい。
たったそれだけで、息が詰まった。
触れているのは手だけなのに、もっと深いところを見透かされているような感覚。
理性が、きしむ音を立てていた。
「ユウくんの手、あったかいね」
「マナの手、冷たいよ」
「……だから、ちょうどいいかも」
彼女が微笑んだその瞬間、世界がゆっくり止まった気がした。
目を逸らせば終わる。けれど、逸らせなかった。
気づけば、俺の指先が、彼女の手の甲をなぞっていた。
それは、衝動というより、祈りに近かった。
“触れたいけど、壊したくない”――そんな矛盾の中で。
マナは一瞬、息をのんだ。
でも、離れなかった。
「……描くの、やめちゃうかも」
「なんで?」
「ドキドキして、筆が動かない」
そう言って、頬を染めながら笑う彼女が、たまらなく愛しかった。
でも、その日の帰り道。
彼女は急に立ち止まって言った。
「ねえ、ユウくん。今日のこと、誰にも言わないでね」
「……うん」
「ありがとう。ユウくんって、優しいね」
“優しい”――その言葉の裏には、境界線があった。
彼女は俺に“特別”をくれたけど、“恋”をくれたわけじゃない。
それでも俺は、次の日も部室に行った。
彼女が描くキャンバスの中に、自分が存在している限り、そこに意味がある気がしたから。
やがて完成した絵は、やさしい色で塗られた俺の横顔だった。
展示のあと、マナが言った。
「……ユウくん。ありがとう。あの絵、私の“青春”の一部になった」
「俺も、忘れられないです」
「でもね、次のモデル、頼まれちゃった」
彼女の笑顔の奥で、何かが静かに終わっていく音がした。
作品展のあと、マナは別の誰かをモデルに選んだ。
部室に残された俺の椅子には、乾ききった絵の具の匂いだけが残っていた。
触れられなかった手の感触が、ずっと掌の中に残っていた。
“もし、あのとき壊していたら、今も彼女は俺を描いていただろうか”――そう思いながら、俺は静かに部室を出た。
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