王妃さまが怖いので婚約やめますね

ともえなこ

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「何よ、またあんたが先回りしてるじゃない」

宮廷の廊下で出くわしたマリアが、苛立ちをあらわにして言い放つ。どうやら私が王妃さまに謁見しようとしていると聞きつけたらしい。

「先回りなんてしてません。私は私の用事で動いてるだけです」

「ふん、どうせ殿下に取り入ろうって魂胆でしょ。さっさと私にその座を譲りなさいよ」

マリアの言葉はいつも厳しく刺さるが、その瞳には相変わらず孤独の影が見える。私が口を開こうとしたそのとき、彼女は小さく肩を落とした。

「……あんたはわかってない。王太子殿下がいかに特別な存在か」

「マリア様にとっては、殿下は特別なんですよね」

「そうよ。幼い頃から、あの人だけが私の言葉に耳を傾けてくれたの。周囲が私を『生意気な令嬢』と避ける中で、殿下だけは笑って受け止めてくれた」

マリアの声には、どこか切ない響きがある。悪役令嬢を名乗ってはいるが、その裏には強い憧れと愛情があるのだろう。

「だから、私は殿下の隣に立ちたい。悪役と言われたっていい。何もかも手に入らなくても、あの人の視界に入れるなら」

「マリア様……」

いつもなら衝突ばかりの私たちだが、今はただ静かに彼女の思いを聞いている。王太子殿下に心を寄せながらも、その想いをまっすぐ表現できずに“悪役”を演じるしかない彼女の痛みが、初めて真っ直ぐ伝わってくる気がした。

「わかるでしょ。あんたも、怖い怖いって逃げ回ってるだけじゃダメだって気づいたんじゃないの」

「ええ、確かに。私も王妃さまや殿下から逃げるだけじゃ何も変わらないと思うようになりました」

正直、今も怖いのは変わらない。だけど行動を起こさなければ、王家を崩そうとする陰謀や、自分の婚約破棄すらままならないのだ。

「私は殿下と結婚したいわけじゃない。むしろ遠ざけたい。だから……マリア様が手を伸ばせるように、私も協力します」

「本当に?」

マリアが憮然とした表情を崩さないまま、小さく首を傾げる。私は深呼吸して頷いた。

「ええ。私にできることは少ないですけど。『悪役令嬢』の役を押し付けられたマリア様の気持ちも、少しはわかったつもりだから」

「……はっ。偉そうに言ってるけど、また逃げ出すんじゃないでしょうね」

「さあ、どうでしょう。簡単に逃げられるほど、もう状況は甘くない気がします」

半ば投げやりな私の言葉に、マリアは一瞬だけ吹き出した。それが笑いだったのか、呆れだったのかはわからない。

「まあいいわ。期待せずに待ってるから」

そう言って、マリアは踵を返して去っていく。その背中には、以前よりも少しだけ柔らかい空気が流れていた。

「本当に、誰もが必死に生きてるんだな」

私もその後ろ姿を見送りながら、そっと呟いた。王太子殿下への叶わぬ恋に苦しむマリア。怖さを振り払えない私。どちらも違う理由で同じ相手に翻弄されている。だけど、少しだけ理解し合えたように思うのは気のせいだろうか。
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