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第1話 婚約相手が決まっていた
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うららかな午後の日差しが、サンルームのガラスを通り抜けて私の金の髪をきらきらと照らす。
ラジエル公爵家が誇る庭園には、色とりどりの花が咲き乱れ、蝶が優雅に舞っていた。
「ああ、なんて平和なのかしら」
完璧な一日。完璧な紅茶。そして完璧な私、リルティア・ラジエル。
この国でも五指に入る大貴族、ラジエル公爵家の一人娘として、私はこれまで何不自由なく、蝶よ花よと育てられてきた。
いずれは私に相応しい、高貴で、知的で、もちろん眉目秀麗な殿方と結ばれるのだろう。そんな未来を疑ったことなど、一度もなかった。
そう、この瞬間までは。
「リルティア、入るぞ」
ノックと同時に、重厚な扉を開けて入ってきたのは、この家の主であるお父様だった。
その厳しい表情に、私は首を傾げた。
「お父様?そのような難しいお顔をなさって、どうかなさいましたの?」
「うむ……。リルティアよ、お前に話がある」
お父様は私の向かいのソファに深く腰を下ろすと、まるで国の行く末を案ずるかのような深刻な溜息を吐いた。
側に控えていた侍女が、すっと新しいティーカップを用意する。その手際の良さも、今はどこか物々しく感じられた。
「お前に、婚約の話が持ち上がった」
「まあ!」
私の声は、自分でも驚くほど弾んでいた。
ついに、このリルティア・ラジエルの伴侶となるべき幸運な殿方が決まったのだ。
「して、お相手はどちらの殿方ですの? やはり、隣国の王子様かしら? それとも、由緒正しい侯爵家の若君?」
期待に胸を膨らませる私に、お父様は言いにくそうに口を開いた。
「……ララフォート王家だ」
「まあ! 王家!」
そこまで聞いて、私の喜びは最高潮に達した。王家! なんて素晴らしい響きでしょう!
この私が、いずれは王太子妃、そして国母に……!
「それで、お相手は……まさか!」
私の脳裏に、たった一人の人物が浮かび上がる。
この国の王太子。
そう、彼しかいない。
「そうだ。カフカ・ララフォート王太子殿下だ」
その名前を聞いた瞬間、私の頭の中で、薔薇色だった未来予想図がガラガラと音を立てて崩れ落ちた。
カフカ・ララフォート。
その名前を知らぬ貴族はいない。
もちろん、良い意味で、ではない。
『聞きました奥様? 王太子殿下、昨夜の夜会でも侍女を口説いていらっしゃったとか』
『まあ、はしたない! そればかりか、気に入らない騎士を殴りつけたともっぱらの噂ですわ』
『公務はサボる、素行は悪い、女癖は最悪。あれが本当に次期国王だなんて、この国の未来が思いやられますわね』
社交界に渦巻く噂の数々が、一気に脳内を駆け巡る。
そう、カフカ王太子と言えば、その美しい見た目とは裏腹の『クズっぷり』で有名なのだ。
そんな男が、この私の、婚約者……?
「……お父様」
私の声は、氷のように冷たくなっていた。
「今、何と仰いました?」
「聞こえなかったのか? だから、カフ-」
「聞こえておりますわ!」
私は、手にしていたティーカップをソーサーに叩きつけるように置いた。ガチャン!と耳障りな音が響く。
「どういうことですの!? なぜよりによって、あの『クズ王太子』がわたくしの婚約者ですの!? お父様もご存知でしょう、あの男の悪評を! このリルティアに、泥でも塗れと仰るのですか!?」
私の剣幕に、さすがのお父様もたじろいでいる。
「ま、待てリルティア! 言葉を慎みなさい! 相手は王太子殿下だぞ!」
「王太子なら何をしても許されるとでも!? とんでもない! あのような男、たとえ王太子であろうと、いえ、王太子だからこそ許しがたい! わたくしは絶対に認めませんわ!」
「しかし、これは国王陛下から直々のお申し入れなのだ! 我ら臣下が断れるものでは……!」
「断ってくださいまし! この婚約が成立するくらいなら、わたくし、一生独身で過ごした方がマシですわ!」
お父様は頭を抱え、「なんということだ……」と呻いている。
けれど、私の怒りは収まらない。
プライドが、私の全てが、この理不尽な決定を拒絶していた。
「もう結構ですわ! わたくし、少し頭を冷やしてまいります!」
私は淑女の作法も忘れ、踵を返してサンルームを飛び出した。
自室に戻るや否や、扉を乱暴に閉め、鍵をかける。
「ありえない……ありえないありえないありえない!!!」
私は目に付いたクッションを掴むと、力任せにベッドへ叩きつけた。
ふかふかの羽毛が、私の怒りを少しも受け止めてはくれない。
「あのクズ王太子が……! この私の夫……!?」
想像しただけで、全身に鳥肌が立つ。
美しいだけの、中身は腐りきった男。
そんな男に、この私が傅かなければならないというの?
冗談じゃないわ。
「……いいえ、まだ決まったわけではないわ」
私は荒い息を整え、鏡に映る自分を睨みつけた。
鏡の中の美少女もまた、強い意志を宿した瞳で私を見返している。
そうだわ。婚約はまだ「決まった」だけ。破棄することだってできるはず。
「見てなさい、カフカ・ララフォート……!」
私は、唇の端を吊り上げて、悪役令嬢のように笑ってみせた。
「このわたくしが、必ずやその化けの皮を剥いで、みっともない醜態を白日の下に晒し、完膚なきまでに叩きのめした上で、婚約破棄を叩きつけてやりますわ!」
クズにはクズに相応しい仕打ちを。
悪には悪意の鉄槌を。
ラジエル公爵令嬢、リルティア・ラジエルの戦いの火蓋は、今まさに切って落とされたのだ。
ラジエル公爵家が誇る庭園には、色とりどりの花が咲き乱れ、蝶が優雅に舞っていた。
「ああ、なんて平和なのかしら」
完璧な一日。完璧な紅茶。そして完璧な私、リルティア・ラジエル。
この国でも五指に入る大貴族、ラジエル公爵家の一人娘として、私はこれまで何不自由なく、蝶よ花よと育てられてきた。
いずれは私に相応しい、高貴で、知的で、もちろん眉目秀麗な殿方と結ばれるのだろう。そんな未来を疑ったことなど、一度もなかった。
そう、この瞬間までは。
「リルティア、入るぞ」
ノックと同時に、重厚な扉を開けて入ってきたのは、この家の主であるお父様だった。
その厳しい表情に、私は首を傾げた。
「お父様?そのような難しいお顔をなさって、どうかなさいましたの?」
「うむ……。リルティアよ、お前に話がある」
お父様は私の向かいのソファに深く腰を下ろすと、まるで国の行く末を案ずるかのような深刻な溜息を吐いた。
側に控えていた侍女が、すっと新しいティーカップを用意する。その手際の良さも、今はどこか物々しく感じられた。
「お前に、婚約の話が持ち上がった」
「まあ!」
私の声は、自分でも驚くほど弾んでいた。
ついに、このリルティア・ラジエルの伴侶となるべき幸運な殿方が決まったのだ。
「して、お相手はどちらの殿方ですの? やはり、隣国の王子様かしら? それとも、由緒正しい侯爵家の若君?」
期待に胸を膨らませる私に、お父様は言いにくそうに口を開いた。
「……ララフォート王家だ」
「まあ! 王家!」
そこまで聞いて、私の喜びは最高潮に達した。王家! なんて素晴らしい響きでしょう!
この私が、いずれは王太子妃、そして国母に……!
「それで、お相手は……まさか!」
私の脳裏に、たった一人の人物が浮かび上がる。
この国の王太子。
そう、彼しかいない。
「そうだ。カフカ・ララフォート王太子殿下だ」
その名前を聞いた瞬間、私の頭の中で、薔薇色だった未来予想図がガラガラと音を立てて崩れ落ちた。
カフカ・ララフォート。
その名前を知らぬ貴族はいない。
もちろん、良い意味で、ではない。
『聞きました奥様? 王太子殿下、昨夜の夜会でも侍女を口説いていらっしゃったとか』
『まあ、はしたない! そればかりか、気に入らない騎士を殴りつけたともっぱらの噂ですわ』
『公務はサボる、素行は悪い、女癖は最悪。あれが本当に次期国王だなんて、この国の未来が思いやられますわね』
社交界に渦巻く噂の数々が、一気に脳内を駆け巡る。
そう、カフカ王太子と言えば、その美しい見た目とは裏腹の『クズっぷり』で有名なのだ。
そんな男が、この私の、婚約者……?
「……お父様」
私の声は、氷のように冷たくなっていた。
「今、何と仰いました?」
「聞こえなかったのか? だから、カフ-」
「聞こえておりますわ!」
私は、手にしていたティーカップをソーサーに叩きつけるように置いた。ガチャン!と耳障りな音が響く。
「どういうことですの!? なぜよりによって、あの『クズ王太子』がわたくしの婚約者ですの!? お父様もご存知でしょう、あの男の悪評を! このリルティアに、泥でも塗れと仰るのですか!?」
私の剣幕に、さすがのお父様もたじろいでいる。
「ま、待てリルティア! 言葉を慎みなさい! 相手は王太子殿下だぞ!」
「王太子なら何をしても許されるとでも!? とんでもない! あのような男、たとえ王太子であろうと、いえ、王太子だからこそ許しがたい! わたくしは絶対に認めませんわ!」
「しかし、これは国王陛下から直々のお申し入れなのだ! 我ら臣下が断れるものでは……!」
「断ってくださいまし! この婚約が成立するくらいなら、わたくし、一生独身で過ごした方がマシですわ!」
お父様は頭を抱え、「なんということだ……」と呻いている。
けれど、私の怒りは収まらない。
プライドが、私の全てが、この理不尽な決定を拒絶していた。
「もう結構ですわ! わたくし、少し頭を冷やしてまいります!」
私は淑女の作法も忘れ、踵を返してサンルームを飛び出した。
自室に戻るや否や、扉を乱暴に閉め、鍵をかける。
「ありえない……ありえないありえないありえない!!!」
私は目に付いたクッションを掴むと、力任せにベッドへ叩きつけた。
ふかふかの羽毛が、私の怒りを少しも受け止めてはくれない。
「あのクズ王太子が……! この私の夫……!?」
想像しただけで、全身に鳥肌が立つ。
美しいだけの、中身は腐りきった男。
そんな男に、この私が傅かなければならないというの?
冗談じゃないわ。
「……いいえ、まだ決まったわけではないわ」
私は荒い息を整え、鏡に映る自分を睨みつけた。
鏡の中の美少女もまた、強い意志を宿した瞳で私を見返している。
そうだわ。婚約はまだ「決まった」だけ。破棄することだってできるはず。
「見てなさい、カフカ・ララフォート……!」
私は、唇の端を吊り上げて、悪役令嬢のように笑ってみせた。
「このわたくしが、必ずやその化けの皮を剥いで、みっともない醜態を白日の下に晒し、完膚なきまでに叩きのめした上で、婚約破棄を叩きつけてやりますわ!」
クズにはクズに相応しい仕打ちを。
悪には悪意の鉄槌を。
ラジエル公爵令嬢、リルティア・ラジエルの戦いの火蓋は、今まさに切って落とされたのだ。
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