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第五話:蜜の空洞
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交際が始まってから知ったミナミの生い立ちは、彼女の華やかな容姿とは裏腹に、苦労の滲むものだった。
彼女は四人姉妹の末っ子として生まれ、実家の経済状況は決して芳しくなかった。 父親は重い心臓の持病を抱えて入退院を繰り返し、母親はもう七十歳。
若い時分から病弱な夫に代わって、家計も子育ても一手に担ってきた無理が祟り、体を壊してしまっていた。 現在は、離れて暮らす姉たちが工面したわずかな金で、どうにか施設に入ってもらっているという。
「私ね、もっと働いて、お父さんとお母さんを楽にさせてあげたいの。でも、今の私の事務員の給料じゃ限界があって……。二人には、せめて最後くらいは綺麗な場所で、美味しいものを食べて過ごしてほしいんだけど」
公園のベンチで、沈みゆく夕日を背にうつむき加減に語る彼女の横顔を見て、私の胸は激しく締め付けられた。
こんなに美しく、か細い女性が、家族という重荷を背負い、たった一人で身を粉にしている。 その健気さが、私の内側にある「誰かに必要とされたい」という乾いた渇望を、一気に潤していった。
私は、彼女を守る盾になりたいと強く願った。
「ミナミさん。もう、自分一人で抱え込まなくていい。これからは、私が君の盾になる。……まずは、一緒に暮らさないか。君が家賃や生活費を心配しなくて済むようになれば、その分をご両親に回せるだろう?」
私の提案に、彼女は驚いたように顔を上げ、潤んだ瞳で私を見つめた。
「……ユウジさん、本当に? 私、あなたにそんな負担をかけたくないわ」
「負担なんかじゃない。これは、私自身の喜びなんだ。君を支えることが、私の人生に意味を与えてくれるんだよ」
私はその日、初めて自分の「資産」を誇らしく思った。 これまで、社員に陰口を叩かれ、取引先に頭を下げることで積み上げてきた通帳の数字が、初めて聖なる輝きを放ったように感じられたのだ。
同棲にあたって、ミナミは一つだけ強い希望を口にした。
「私ね、高いところが好きなの。空が近くて、誰にも邪魔されない場所。……昔の家がね、すごく古くて、いつも外の物音が聞こえていたから。静かなところで、ユウジさんと二人きりで過ごしたいな」
ミナミのその希望は、私にとって至上の命令だった。
私は、彼女が選んだ駅前の新築マンションの最上階、その角部屋を迷わず契約した。 眼下に街の喧騒を見下ろし、天高くそびえ立つその部屋は、外界から隔絶された、私たちだけの「城」だった。
入居の日、まだ家具の少ないリビングの窓辺で、ミナミは私の腕の中に収まった。
「見て、ユウジさん。あんなに遠くに街が見える。ここなら、誰も私たちの邪魔をできないわね。私、こんなに綺麗な景色、生まれて初めて見たわ」
「ああ。ここは君の城だ。君を傷つけるものは、何一つここまでは登ってこれない。……これから、君の事務員の給料は全部、ご両親の治療費や施設代に回していい。生活に必要なものは、すべて私が用意する」
彼女は私の胸に顔を埋め、小さく肩を震わせた。
「……ありがとう、ユウジさん。私、あなたに会えて、本当に救われたわ」
柔らかな髪の香りが鼻腔をくすぐる。
かつて爬虫類と罵られた私の不格好な手が、今は彼女の華奢な体を、守るべき財産として包み込んでいる。 私は自分の指先に、かつてないほどの全能感を感じていた。
同棲を始めて数週間、私はミナミを連れて百貨店の特選フロアを訪れた。
それまで質素な服を着ていた彼女に、私は「社長のパートナー」に相応しい装いをしてほしかったのだ。 いや、正確には、私の金で彼女を塗りつぶしたかったのかもしれない。
「ユウジさん、こんな高級なバッグ……私には勿体ないわ」
控えめに微笑む彼女に、私は次々と商品を差し出した。
「勿体なくなんてない。君の美しさに、これらの品がようやく追いついただけだ。さあ、これも、あれも試してみてくれ」
彼女が戸惑いながらも、私の勧める高価なドレスや宝石を身に纏うたび、彼女の表情から「苦労」の影が消え、代わりに見たこともないような華やかな艶が生まれていく。
鏡の前で、真紅のドレスに身を包んだ彼女が、自分の姿をうっとりと見つめている。 その背中を、私の不格好な手がそっと撫でた。
「綺麗だ、ミナミ。……君の喜ぶ顔が見られるなら、私はいくらでも働くよ」
「……ユウジさんのその手、本当に魔法の手ね。私の欲しかったものを、全部叶えてくれる」
彼女がそう言って私の手を握りしめたとき、私は暗い愉悦を覚えた。
私の手が不格好なのは、私が不格好に生きてきたからだ。 だが、その不格好な人生が積み上げてきた「金」という力が、今、この世で最も美しい女性を私の足元に繋ぎ止めている。
彼女を甘やかせば甘やかすほど、彼女の生活水準が上がれば上がるほど、彼女は私という供給源なしでは生きていけない存在になっていく。
「ミナミ、来週はご両親の施設に、新しい車椅子を届けよう。君が選んだ、一番いいやつをね」
「本当? 嬉しい! ユウジさん……」
彼女に感謝され、頼られるたびに、私の心の「空洞」が甘い蜜で満たされていくようだった。
彼女を愛し、その代価として彼女の自由を、彼女の魂を、少しずつ買い取っているのだということに、当時の私はまだ気づいていなかった。
彼女は四人姉妹の末っ子として生まれ、実家の経済状況は決して芳しくなかった。 父親は重い心臓の持病を抱えて入退院を繰り返し、母親はもう七十歳。
若い時分から病弱な夫に代わって、家計も子育ても一手に担ってきた無理が祟り、体を壊してしまっていた。 現在は、離れて暮らす姉たちが工面したわずかな金で、どうにか施設に入ってもらっているという。
「私ね、もっと働いて、お父さんとお母さんを楽にさせてあげたいの。でも、今の私の事務員の給料じゃ限界があって……。二人には、せめて最後くらいは綺麗な場所で、美味しいものを食べて過ごしてほしいんだけど」
公園のベンチで、沈みゆく夕日を背にうつむき加減に語る彼女の横顔を見て、私の胸は激しく締め付けられた。
こんなに美しく、か細い女性が、家族という重荷を背負い、たった一人で身を粉にしている。 その健気さが、私の内側にある「誰かに必要とされたい」という乾いた渇望を、一気に潤していった。
私は、彼女を守る盾になりたいと強く願った。
「ミナミさん。もう、自分一人で抱え込まなくていい。これからは、私が君の盾になる。……まずは、一緒に暮らさないか。君が家賃や生活費を心配しなくて済むようになれば、その分をご両親に回せるだろう?」
私の提案に、彼女は驚いたように顔を上げ、潤んだ瞳で私を見つめた。
「……ユウジさん、本当に? 私、あなたにそんな負担をかけたくないわ」
「負担なんかじゃない。これは、私自身の喜びなんだ。君を支えることが、私の人生に意味を与えてくれるんだよ」
私はその日、初めて自分の「資産」を誇らしく思った。 これまで、社員に陰口を叩かれ、取引先に頭を下げることで積み上げてきた通帳の数字が、初めて聖なる輝きを放ったように感じられたのだ。
同棲にあたって、ミナミは一つだけ強い希望を口にした。
「私ね、高いところが好きなの。空が近くて、誰にも邪魔されない場所。……昔の家がね、すごく古くて、いつも外の物音が聞こえていたから。静かなところで、ユウジさんと二人きりで過ごしたいな」
ミナミのその希望は、私にとって至上の命令だった。
私は、彼女が選んだ駅前の新築マンションの最上階、その角部屋を迷わず契約した。 眼下に街の喧騒を見下ろし、天高くそびえ立つその部屋は、外界から隔絶された、私たちだけの「城」だった。
入居の日、まだ家具の少ないリビングの窓辺で、ミナミは私の腕の中に収まった。
「見て、ユウジさん。あんなに遠くに街が見える。ここなら、誰も私たちの邪魔をできないわね。私、こんなに綺麗な景色、生まれて初めて見たわ」
「ああ。ここは君の城だ。君を傷つけるものは、何一つここまでは登ってこれない。……これから、君の事務員の給料は全部、ご両親の治療費や施設代に回していい。生活に必要なものは、すべて私が用意する」
彼女は私の胸に顔を埋め、小さく肩を震わせた。
「……ありがとう、ユウジさん。私、あなたに会えて、本当に救われたわ」
柔らかな髪の香りが鼻腔をくすぐる。
かつて爬虫類と罵られた私の不格好な手が、今は彼女の華奢な体を、守るべき財産として包み込んでいる。 私は自分の指先に、かつてないほどの全能感を感じていた。
同棲を始めて数週間、私はミナミを連れて百貨店の特選フロアを訪れた。
それまで質素な服を着ていた彼女に、私は「社長のパートナー」に相応しい装いをしてほしかったのだ。 いや、正確には、私の金で彼女を塗りつぶしたかったのかもしれない。
「ユウジさん、こんな高級なバッグ……私には勿体ないわ」
控えめに微笑む彼女に、私は次々と商品を差し出した。
「勿体なくなんてない。君の美しさに、これらの品がようやく追いついただけだ。さあ、これも、あれも試してみてくれ」
彼女が戸惑いながらも、私の勧める高価なドレスや宝石を身に纏うたび、彼女の表情から「苦労」の影が消え、代わりに見たこともないような華やかな艶が生まれていく。
鏡の前で、真紅のドレスに身を包んだ彼女が、自分の姿をうっとりと見つめている。 その背中を、私の不格好な手がそっと撫でた。
「綺麗だ、ミナミ。……君の喜ぶ顔が見られるなら、私はいくらでも働くよ」
「……ユウジさんのその手、本当に魔法の手ね。私の欲しかったものを、全部叶えてくれる」
彼女がそう言って私の手を握りしめたとき、私は暗い愉悦を覚えた。
私の手が不格好なのは、私が不格好に生きてきたからだ。 だが、その不格好な人生が積み上げてきた「金」という力が、今、この世で最も美しい女性を私の足元に繋ぎ止めている。
彼女を甘やかせば甘やかすほど、彼女の生活水準が上がれば上がるほど、彼女は私という供給源なしでは生きていけない存在になっていく。
「ミナミ、来週はご両親の施設に、新しい車椅子を届けよう。君が選んだ、一番いいやつをね」
「本当? 嬉しい! ユウジさん……」
彼女に感謝され、頼られるたびに、私の心の「空洞」が甘い蜜で満たされていくようだった。
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