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第4帖 大阪 昭和8年 ゴー・ストップ事件
しおりを挟む昭和8年(1933年)6月17日、土曜日のこの日、梅雨の梅雨との間のわずかな晴れ間がのぞいていた。取り立てて忙しくない午前中が過ぎた。
昼食が終わった。大阪は食の町という。安くてうまい店屋物を済ませ、乙倉憲兵上等兵が伸びをしたときだった。
卓上の電話器がジリジリと鳴った。
「はい。大手町憲兵分隊」
それは市民からの急報であった。中年らしい声質で、やや興奮した口ぶりだ。
「落ち着いてください。どんな用件です」
『ああ、上六の交差点です。はい。今ですね、兵隊さんが交番へ連れ込まれて巡査に殴られているんです』
「分かりました。すぐ向かいます。お名前をちょうだい出来ますか」
乙倉は通報者の氏名を手帖にメモに取ると、上司である渋川憲兵大尉に報告した。渋倉は憲兵分隊長でもある。
「よし分かった。乙倉、お前はただちに迎え。後から1人を追いかけさせる」
「はい」
乙倉が現場に向かうと、先程の通報通り、交番は黒山の人だかりである。乙倉はひと呼吸置いてから大きめの声を出した。
「皆さん、申し訳ない。憲兵だ。どいてください」
現在からすればやや荒っぽい口調である。しかし当時のものとしては柔らかな方だった。昭和一桁はまだ身分ごとに言葉遣いの差が見られる時代だった。
憲兵が出て来たぞ、と誰かがはやした。人だかりに、たちまち道が出来る。
乙倉は交番にたどり着いたが、内部から施錠されていて入れない。ガラス越しに中をのぞく。
確かに通報通り、兵隊1人と巡査1人とがけがをしていた。しかもお互いの顔と言わず服と言わず、ケンカした痕跡がある。
「おい、おい」
ガラス戸を叩くが、中の2人はにらみ合ったまま身じろぎひとつしない。乙倉はやむなくガラス戸を蹴り破り、強引に入り込んだ。そこでようやく中の2人は乙倉の存在に気付いたようである。
「おい2人とも、落ち着いてください。僕は憲兵だ」
その言葉に兵隊は勝ったような顔を見せた。
反対に巡査は悔しい顔つきで乙倉に言うのだった。
「卑怯者め!」
「何? 何のことです」
「とぼけないでいただきたい。憲兵さんもどうせそいつの味方なんだ!」
事情が飲み込めないので乙倉は何も言えない。ただ2人をなだめることに意識を注いだ。
やがて増派の憲兵上等兵が到着した。乙倉は兵隊を彼に任せ、まだ興奮気味の巡査をなだめ続けるのだった。それでもなお巡査は乙倉にさえ食って掛からん勢いである。
後に名高いゴー・ストップ事件の始まりだった。
◆
報告書をまとめた後、乙倉は伸びをした。
「まとめ終わったか」
「あ、分隊長殿……。はあ、何とかまとめましたが……」
「なんだその〝何とか〟ってのは。どうしてあの2人は殴り合っていたんだ。ケンカか?」
「はあ、それがですね」
乙倉は順を追って説明した。
昭和8年6月17日。土曜日の午前11時半頃だった。交差点で交通整理に当っていた曽根崎警察署の戸口巡査が、赤信号を無視して横切ろうとしている兵隊を見付けた。
「おい、危ないぞ! 気をつけろ!」
それは歩兵第8連隊の外村一等兵であった。休暇で自宅へ帰って一泊し、この日の午後は映画を見物して、ちょうど帰隊するところであった。電車に乗って帰るため、急いで交差点に入ったところを戸口巡査にとがめられたのだった。
とがめられ、外村一等兵は立腹した。そして言い返した。
「生意気言うんじゃない!」
「生意気とは何だ! 赤信号では止まらねばならんだろうが!」
売り言葉に買い言葉。戸口巡査の語調もつい荒くなる。
平成の時代ならば、信号無視をした外村一等兵が悪い。
だが昭和8年は、大阪の中心街であっても、信号機は珍しい。自動車が今ほど入っていない。信号を守らないと危ない、という感覚が今ほど強くない時代だった。
赤信号は止まるべし、と教えるために戸口巡査がわざわざ立っていたほどである。平成なら小学生でも知っている「常識」は、昭和に入ってすぐの今、極めて新しい概念であった。
外村一等兵が再び交差点に入ろうとしたので戸口巡査はその後を追いかけた。
「おいこら。いま注意したばかりなのにまだ渡るのか」
「何だと。憲兵隊の言うことなら聞くが、巡査の言うことなど聞けるか」
それは理屈としては正しかった。軍紀を保つのは憲兵の仕事だ。もし兵隊が悪事をしたとき、糺すのは憲兵である。
だがここは営内でも戦場でもない。兵隊といっても2年間の徴兵期間を終えれば一般市民だ。まして交差点の安全を与る戸口巡査としては、たとえ新しい概念だとしても、信号無視は看過できない。
「とにかく交番まで来い。信号無視をしたんだからな」
戸口巡査は強引に外村一等兵を引っ張って来たのだった。土曜日の昼間のこととて、交差点は黒山の人だかりである。周囲はすぐに野次馬でいっぱいになった。
戸口巡査におとなしく引っ張られて来た外村一等兵であったが、交番に連れ込まれ、鍵をかけられたところで激高した。
「貴様なんで鍵をかける! 俺が逃げるとでも思っているのか」
「お前が危ないから鍵をかけたんだ。騒ぐんじゃない」
「返事になっておらん!」
ここで外村一等兵が殴り掛かった。戸口巡査も殴り返した。外村一等兵のボタンが吹っ飛び、シャツが破れた。幾度も殴り合ううちに互いに息が上がり、そこで乙倉が登場したのである。
以上の顛末を聞いた渋川は渋い顔を作った。
「どちらにも非があるね。いきなり交番に引っ立てるなんて、やり過ぎだ」
渋川は明治生まれの中年であるから、信号無視が悪いことと分かっていつつもなじめない。だからケンカ両成敗という玉虫色の結論を下した。
乙倉もそれに同意した。ただ、同意しつつも暗に兵隊の非を認めた。乙倉は大正初期の生まれである。故郷に信号機はないが、だからといって無視して良い理屈にはならないと考えている。
「ええ。しかし信号を守らぬ一等兵も良くない。慣れていないのは理由のひとつでしょうが、かといって破っていいものでもない。どう報告したものでしょうか」
「上にか? ありのままに書いておけ。兵と巡査とどっちかに肩入れしようとは思うな。たぶん沙汰止みで終わるさ。よくある下らんケンカのひとつだからな」
「そうでしょうか」
「何かあるのか」
「何となくこのままでは終わらない気がします」
「はは。乙倉。飲み屋を歩けばケンカなんてよくあることだ。それをいちいち捕まえていたら、この世から酒飲みが消えてしまう」
「そうですねえ」
「そういうものさ。さて、それが終われば今日の仕事は終わりか。呑みに行くか?」
「お供します」
乙倉は答えた。もともと酒は好きな方である。
◆
事件は4日後に起こった。6月21日、朝の訓示を終わらせた渋川は、大阪憲兵隊本部からの電話に出て、表情を固くした。
「そんなことになっているのですか」
後から事情を聞いた乙倉は驚いた。
外村一等兵の所属する第8連隊第6中隊長を通して連隊本部、連隊本部から第4師団司令部に話が伝わり、師団参謀長である井関大佐が大阪府に対して抗議を申し入れたという。
「読むか? これがそうだ」
「拝借します。ええと……、本事件は軍服を着用せる現役軍人に対する警察官の不法暴行、傷害、侮辱事件として、一兵士一巡査の間に起った偶発的な問題として看過することはできない。皇軍の威信に関する重大問題であり、断固たる決意を以て解決にあたりたい。な、なんですかこれは」
「個人のいさかいで終わらないということだ」
「師団から大阪府に抗議。つ、つまり軍が府に抗議した」
「そういうことだ。皇軍対府の構図だな。確かに兵隊は暴行されていたし、捕縄で縛られた跡もあった。しかしまさかここまで話を大きくするとは……。大阪府に対して正式抗議を行い陳謝を要求する、と参謀閣下は語られたが、これでは子供のような争いだ。どちらが先に殴ったかを問題にするとは。なあ乙倉。軍も府もメンツにこだわる。これは長引くぞ。お前の予想通りになってしまったなあ」
渋川はあきらめたように笑った。それは呆れた笑いではない。あきらめの笑みである。
他人事ではないのだ。あの交番から第一報を受けたのがここである。その憲兵分隊長たる自分も、彼らを最初に取り調べした乙倉も、期せずしてこの事件に巻き込まれたのである。
◆
まもなく府警察部長も記者会見を開いた。その中で府側は態度を明らかにし、師団側に対抗して抗議した。
警察側の発表は以下の通りである。
一、街頭において兵隊が私人の資格で通行している時は、一市民として交通信号に従うのは当然である。
一、暴行を加えて皇軍を侮辱したというが、これは外村一等兵が最初に戸口巡査を殴ったのが原因で、相方操み合う格闘となったもので喧嘩両成敗である。
一、陛下の軍人というが、軍人が陛下の軍人なら警察官も陸下の警察官である。
一、軍側が暴行傷害、侮辱罪で告訴するなら、警察側では公務執行妨害罪で訴える。
軍側は府側のこの態度にすっかり硬化して、大阪府会議長の仲介幹旋さえも受けつけない。
その後、井関参謀長と警察部長との会談や、大阪憲兵隊長難破大佐の調停も行われたが、両者相譲らず、軍は外村一等兵の「?必職(とくしょく)、傷害、名誉設損罪」の告訴状を、大阪地方裁判所検事局に提出して、法廷で黒白を争うこととなった。
◆
「軍と府の全面衝突か」
渋川は疲れきった顔を見せた。事件発生から4ヶ月。上部機関からの呼び出しを何度も受け、そのたびに将官に意見を求められた。ケンカ両成敗の見解を伝えるや、相手は激怒。
「要するに軍は悪くないと思っているわけだ。軍で法に最も詳しいのは憲兵だから、その憲兵にそう言ってほしいんだな。あの老人どもは」
「分隊長殿。言葉が悪いですよ。お茶でもどうぞ」
「すまんな乙倉。お前もだいぶやつれたなあ」
「何度も呼び出しを受ければやせます。それに僕は憲兵といっても上等兵ですから。上官の数が多いと文句を言って来る数も増えます。味方は分隊長殿だけではないかと思ってしまいます」
だいぶ弱気になっているようだった。軍人であるから階級が上の相手には強く出ない。渋川は大尉であるから、文句を言うのは将官だけだ。
対して乙倉は上等兵。上官などいくらでもいる。
もはや戸口巡査と外村一等兵のことなど誰も覚えていないのではないか。そんな錯覚に乙倉は陥った。軍人は軍の味方であり、警察は警察で上層機関たる内務省を突き動かす。すると陸軍省もやっきになって反論する。
本質は失われていた。今やメンツとメンツのぶつかり合いであり、軍は軍が、警察は警察が正しいとして、互いの主張を頑として受け入れなかった。
「この事件は決着するのでしょうか」
「乙倉、そう弱気になるな。どんな事件でもいずれ終わりが来る。それも急に」
「4ヶ月も経ちますが、一向にそんな気配さえありませんよ。陸軍省も内務省も譲りませんし、従って軍も警察は永久に反目し合う。今度、和田検事正の和解勧告があるそうですが、それでもどうでしょう」
「隣県の白根兵庫県知事の調停もあるらしい。が、恐らくそれで互いに手を引くとにらんでいる」
「どうしてそんな。今までも和解勧告なんてあったのに」
「実はな」と渋川は声を落とす。「お上が大変憂慮されているようなのだ」
乙倉は目を丸くした。危うく湯のみを取り落とすところであった。お上とはつまり陛下である。
「畏れ多いことです」
「俺らでさえそう思うのだから陸軍省はもっとだ」
「内務省も同様でしょう。陛下の警察を自認するくらいですから」
果たして事件以来5ヶ月を経た11月18日、府側の譲歩によって陳謝の形をとり、和解成立となった。
あまりにあっけない幕引きであった。
その後、憲兵司令官と内務省警保局長との間に、現役軍人に対する警察執行についての申合せができ、覚書として残された。
『憲兵屯在地にあっては、制服着用軍人を含む現役軍人に対する行政措置は憲兵において行い、憲兵の屯在しない土地では、警察が先ず、これにあたるが、これを速かに憲兵に通報しその取扱方をきめる』
この文章から始まる名文は当時、憲兵も感嘆したものだが、この事件以来警察の軍人に対する態度は次第に消極的となり、いわゆる「さわらぬ神にたたりなし」という遠慮がみられるようになり、戦後の軍隊横暴論に拍車をかける一因となった。
最後には戸口巡査と外村一等兵が笑顔で握手する写真が紙面を賑わせ、この事件は完全に終熄したが、跡には確実なわだかまりが残された。
応援ありがとうございます!
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