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第3帖 満洲 昭和6年、中村震太郎大尉事件
しおりを挟む昭和6年5月。満洲ではすでに酷暑が始まっていた。
炎暑の中を4名の男たちが、馬を連れ立って歩いていた。
前から2名は日本人で、汚らしい支那服に身を包んでいる。3人目は蒙古人。そして最後尾の1名はロシア系であった。全員は無言で、果てもない道を西へ、西へと進んでいる。
満洲はロシア、支那、朝鮮そして日本の人々が雑多に行き交う土地である。彼らのように複数の人種が商売を営むことは珍しくない。アメリカが人種のるつぼと称されるごとく、満洲もまた多種人が生活を営む地であった。
先頭の男が軽いあくびをした。
「すみません」
そして即座に謝った。
2番目の男はそれを聞いてうなずいた。4名のリーダーは彼である。坊主頭に丸い顔。童顔のため20代に間違われることもあるが、実際は明治生まれの30代半ばである。
「気にするな。ここ1週間歩き詰めだからなあ」
2番目の男はちらっと時計を見た。朝8時。軽めの朝食を済ませてすでに数時間たっている。
「どこか木陰で朝飯の準備だな。小川か何か見えるか」
「あの丘を越えれば民家があるかもしれません」
長南市を出てから景色は変わらない。
背の低い木々がちょこちょこ立つ草っ原で、遠くに朝もやがかかっている。民家は市を出てすぐなくなり、農地になった。その農地さえまばらになって、農民たちの避難小屋も見付からなくなっていた。
草っ原がひたすら広がる原風景の最中である。
小高い丘を越えたとき、先頭の男が「あっ」と小さな声を上げる。2番目の男は警戒したように前を見た。そして目を細めた。
草っ原に軍用テントがいくつも建てられている。柵がその周囲にめぐらされ、歩兵銃を持った兵士が番をしている。ちょうど朝ご飯の時間であるらしく、炊煙が何本も天に向かって伸びている。
「朝もやにまぎれて炊煙に気付きませんでした」
「行くしかあるまい」
2番目の男は、先頭の男をうながした。見詰めたまま動かなければ怪しまれる。あくまでも商人でなければならない。
――友軍ではないな。
2番目の男はそう思った。
ここは満洲である。友軍たる関東軍は遠く遼東半島に居を構えている。
目の前で露営するあれは現地軍である。満洲を支配する軍閥の一であろう。
道は、小高い丘を越え、現地軍が駐屯する前を通っている。今さら引き返せばいかにも怪しい。
2番目の男は何もないふうに道を歩いた。出来ることならすぐ通り過ぎたいが、そううまくいかなったようで、現地軍の複数名が道を通せんぼしている。
近付くと軍装がよく見えた。
――東北陸軍だな。
そのうちの屯墾軍と呼ばれる所属である。指揮官らしい男のえりには俳長(中尉)の階級章が見えた。
「止まれ」と、その中尉は言った。
現地の言葉である。
そしてどこから来てどこへ行くのか。身分証を提示せよと求めて来た。
満洲という地は広く、辛亥革命のち生まれた中華民国の力が及ばぬ土地が日本の5倍もあるという。中央政府の力が及ばぬ空白地には、彼らのような土着の軍が生まれた。そして軍閥と呼ばれる勢力を誇る。
馬に乗っていれば馬賊で、そうでなければ匪賊と呼ばれる。中には中央政府に歯向かわぬことを条件に、通行人から税を取ったり軍隊を組織したり、まるで半独立国のマネをする賊がいた。
今、道に立ちはだかった現地軍もそうした勢力の一部であった。
「へえ、長南市から参りました」
先頭の男は答えた。すると現地軍中尉の顔が険しくなった。
「お前に聞いてはおらん。2番目の男。貴様に聞いたのだ」
中尉はこの一行4名のリーダーを即座に見抜いた。容易ならざることを2番目の男は感じ取った。丁寧に答えた。
「はい。長南市より来ました」
「身分証は?」
「どうぞ」
2番目の男は身分証を手渡した。写真の貼られた身分証の名前の欄には中村三太郎と書いてある。生年月日と身分もある。
この中で正しいのは名字のみであった。
2番目の男は本名を中村震太郎といい、陸軍参謀本部第一部に籍を置く、れっきとした陸軍大尉であった。
そして先頭の男は中村の部下である。
現地軍中尉は中村の顔を見た。
「ナカムラというのか。日本人か」
「そうです。農学士でして、満洲の土壌を研究するためにここへ来たのです」
もちろん彼は農学士などではない。身分を隠して渡満したのは隠密行動のためであった。
現地軍中尉はうさんくさそうな顔になった。そして部下たちに命じて中村たち一行を捕縛した。
◆
兵営に戻った現地軍中尉は、上官につぶさに報告した。でっぷり太った肥満体で、上官は報告を聞いた。
「で、その日本人たちをどうしたね」
「捕縛いたしました。農学士の一行だと言っておりましたがどうにも怪しい。所持していた身分証は偽造でしょう。取り調べして吐かせます」
「確証があるのかね」
「勘です」
「まあ良いだろう。勝手にやりたまえ」
上官はぶっきらぼうに言い放った。おおかた、ワイロやおべっかで成り上がったのだろう。力や知恵ではなく金で階級を買うことは珍しくも何ともない。
その態度が気に食わなかったが、現地軍中尉は敬礼して退室した。それから取調室に中村だけを呼びつけ、机の向かいに座らせた。
「吸うかい」
煙草を1本譲った。中村はそれを遠慮なく受け取った。
「いただこう」
さっきとは打って変わって堂々とした態度だった。現地軍中尉はますます疑いを強めた。商人にしては肝が据わり過ぎている。また農学士にしても怯えが見られない。
「ナカムラと言ったな。日本人とはみんな君のようにずっしり構える者なのかね」
「いいや。僕は特別だよ」
「で、本当はどこへ行くつもりだったのだ」
「満洲里から長南市へ行って、その帰り道に迷ったんだ。こっちに歩いて来たのは偶然だ」
「満洲里? 満洲の果ての果てだ。商売しながら1ト月はかかる」
「ああ、大変だった」
「そのわりには馬の足が細い。おおかた長南市で調達したばかりではないのか」
「お疑いならば商品は差し上げる。非礼もお詫びする」
「ワイロか。私に限ってその手は食わんよ。ナカムラ。君は日本軍人だろう。そして満洲のこの地方を調査している。違うか」
「日本軍人ではない。農学士だ」
あくまでも農学士と言い張る中村だった。
現地軍中尉が中村を軍人と見抜いたには、もちろん理由あってのことである。日本への留学経験があった。しかも日本の陸軍士官学校を卒業していたので、日本軍人の挙動には馴染みがあった。
現地軍中尉は会話を変えた。
「他の3名とはどういう仲かな。先頭の男は」
「あれは自分が使っているだけだ」
「召使いか。ロシア人も同様か」
「あれは途中で倒れていた者を拾っただけで関係ない」
「蒙古人は」
「道案内のために雇ったのだ。彼も関係ない」
「そうか」
現地軍中尉はリストを中村に見せた。それは中村の所持品であった。
「君らの所持品は中庭で開示されている。これがリストだ。相違ないかね」
現地軍中尉は中村に手渡した。藁半紙に手書きされている。もちろん支那語であった。クセのある漢字がずらずらと並んでいる。
中村は一項目ごとに目を通した。
「全部で44点。相違ない」
「断言したね」
「自分の荷物くらい把握している」
「それに我々の言葉にも堪能のようだな。護身用の拳銃はドイツ製の頑丈な物だ。現金は大洋700元か」
国家は貨幣を発行する。しかし国家に信用や力がないとき、国民は得てして外貨に重きを置く。あるいは現地政府が勝手に作った貨幣を重宝する。
満洲に限っていえば、満州国の発足時に調査した結果、主なもので15種類の貨幣があった。このうち大洋と呼ばれる紙幣だけでも4種類もあった。
満洲国は統一後、それら紙幣を満洲国元と交換し始める。大洋700元は700満洲元となり、これは邦貨700円に等しい。
1000円あれば家が建つ。1万円あれば利息でやっと食えてゆける。そんな時代の700円は巨額であった。
「それに毛布、薬品」
「どれも旅には必要だ」
「それではこの手帖は?」
現地軍中尉は革の手帖を見せた。2冊あり、表紙には西暦が金文字で書かれている。
「上海で買ったものだ。文具店ならどこでも手に入る」
「ナカムラ。手帖が問題なのではない。内容だよ」
手帖には満洲各所の地図が記載されていた。手書きの書き込みが随所に見られる。宿泊地、部落名、都市、人口、農地、池沼、川、見通しの有無までびっしりである。
「ナカムラ。正直に言え。お前は日本軍の探偵だろう。満洲へは何用で来たのだ」
◆
現地軍中尉は上官の部屋の扉をノックした。
「入れ」
入室すると上官が赤ら顔で椅子に座っている。朝っぱらから酔っているのだ。開け放たれた窓からは涼しげな風が吹き込んで来る。
「どうだ。奴らは口を割ったか」
「いえ」
現地軍中尉は取り調べの経緯を手短に説明した。
「そういうわけでして自分は彼らを日本軍の探偵であると考えます」
「軍事探偵か」
日本ならば露探(ろたん。ロシアの探偵)とか間諜あるいはスパイとか呼ばれる。戦争中ならばスパイは死刑だ。しかし中華民国と日本とは、小競り合いこそあれ戦争中などではない。
満州事変の発端となった柳条湖事件は、3ヶ月ほど後に起こる。また支那事変の発端となった盧溝橋事件にしても、6年後の昭和12年に起こる。
昭和6年の満洲は、不穏な空気が漂っていても、いわゆる戦闘行為がは発生していない。
「スパイか。それで中尉。君の意見は」
「彼らは日本人であります。日本人の事件でありますから事件を正式に取り扱うべきであると思います」
「ふうん、墾植局に訴えるということか」
墾植局は中華民国の訴訟事務取扱所である。中村の所持していた身分証が偽造である以上、正当性はこちらにある。政治的に解決するため上部機関に訴える。現地軍中尉の考えは理に敵っている。
「政府に任せるということか。うーん。……あ、そうそう。中尉、君は日本の陸軍学校へ留学経験があったな」
上官は急に会話を変えた。
当時の日本はアジア初の憲政国家であった。大日本帝国憲法を発布し、近代化を経て、清、ロシアの両大国に戦勝している。大正8年(1919年)には新設の国際連盟の常任理事国として英、米、仏、伊と列なる五大国に伍している。
有色人種の国家として白人と肩を並べられる唯一の国家が大日本帝国であった。「追いつけ、追い越せ」とばかりにアジア各地からの留学生が増加していた。
辛亥革命を成功させた孫文。毛沢東の信任厚い周恩来。中国国民党党首の蒋介石。中華民国(台湾)元総統の李登輝。第5から9代の韓国大統領を務めた朴正煕。インド独立運動家の父チャンドラ・ボース。
歴史上の人物の名が続々と現れる。最も熱心であったのは支那からの留学生で、彼らは日清戦争に敗北した2年後(明治29年)には早くも留学生を派遣し、日本外務省はそれを受け入れている。
日露戦争で日本が勝つとその数はさらに増えた。昭和初期には合計で5000名からの留学生が日本で勉強をしていた数字が外務省に残されている。
アジアだけではない。戦後GHQで財閥解体を指示したアメリカ人エレノア・ハドレーもいた。数字は不明だが東南アジアからも来ており、最盛期には合計で2万名の留学生が日本にいたのである。戦後、留学生の数が1万名を越えるのは1980年代の終わり頃だ。これが2014年になると6万名にまで急増している。
そうした中には日本の陸軍士官学校に入校する軍人もいた。卒業と同時に帰国し、この現地軍中尉のように、現地で将校の任に就く者もよくあった。
「そうでありますが」
「留学中は日本人にさぞイジメられたろう。ナカムラの一行は拳銃を所持していた。それに身分証は偽造。当人たちは否定はしているが確かに日本の軍事偵察であると思われるから銃殺すべきだ」
「そんなことをすれば外交問題になります」
「勝手に探偵を送り込んでくる方が悪いに決まっておろうが」
「ですから墾植局に送致して処理を仰ごうと」
「とにかく中尉! その日本人たちは軍事探偵だ。看過するわけにはいかん。逃げられないよう閉じ込めておけ。……ああ、所持品は検分するからここへ全部持って来い」
「検分ですか」
現地軍中尉は絶句した。検分と言っているが、要するに所持品を全部パクるということなのだ。
確かに戦時中ならば、スパイは処刑されてしかるべきである。そこに文句はない。
だが今は戦争中でない。だからこその墾植局への送致である。政府を通して日本へ強制送還すれば済む話ではないか。それを所持品目当てに銃殺しようなどとは。
現地軍中尉の不服を見抜いたらしく、上官は言葉を足した。
「心配するな中尉。銃殺したとて日本に分かるものか。部外へ漏れるわけがない。今夜中に幹部を集めておけ。一応全員の意見を聞いておく」
上官はバレなければ良いと思っている。全員の意見を聞くというが本当に聞くだけで、結果などすでに出ている。現地軍中尉はそう思った。
しかし腐っても上官である。現地軍中尉はやむなく敬礼し、ただちに退室した。
その日の夜のうちに中村大尉たちは銃殺刑に処された。
◆
関東憲兵隊本部が中村大尉一行の殺害を知ったのは3日後のことであった。5月28日、本部はただちに隷下にある奉天憲兵分隊に対し、事件の真相を解明するよう急報を飛ばした。
渋川(しぶかわ)憲兵曹長は奉天憲兵分隊に属していた。事件発生を知ったとき、部下の乙倉(おとくら)憲兵上等兵を呼び寄せ、しきりと怒りをぶちまけた。
「けしからん! 実にけしからん!」
「何事ですか」
「こういう事件だ」
渋川は言って、現地の新聞を見せた。2人とも年単位で支那に在勤している。方言は無理だが現地語ならば読み取れる。
概要を知った乙倉は肩を振るわせた。同胞が殺された。しかも金を目当てに。遺体も遺品も焼却された上に、中村大尉を殺害したと思しき部隊長はしらばっくれている。
「何という事件ですか、これは」
「非道だ。まったくもって非道だ。腹が立つのはその続きもだ。現地軍の将校が新聞社宛に送り付けた通達らしい」
「ええと……。〝日本の英雄として礼賛されている伊藤博文公が英雄たる所以は『報国尽忠』の人なるが為である。我々も国に尽くす所以はかくのごときでなければならず、目先の私利私欲の為ではなく……〟。な、何ですかこの言い草は! 自分はこっちの将校を金目当てに殺害しておいて」
「しかも読んでみろ。勇ましいことを言っているが最後のシメには情けないことを書いておる」
「〝この度の日本人一行を銃殺した事件に関し、もし我が屯墾軍将校以下において秘密を部外に漏らした者あればこれを銃殺に……〟。隠蔽するつもりですか。脅しの言葉です」
「乙倉。これは許せん。絶対に許せん。徹底的に調べ上げるんだ。真相を突き止める。大尉の体を日本に還さねば、大尉だって浮かばれない」
渋川の目には涙が浮かんでいた。
◆
昭和6年当時、満洲を支配していた軍閥は張学良(ちょうがくりょう)を長とする一軍であった。カリスマと人望に恵まれた男だった。昭和5年に父・張作霖が関東軍に謀殺されると、内輪もめを起こすことなく、軍閥内の機を握り、亡き父の支配していた満洲をそっくり継承する。このとき若干27歳。
他日、蒋介石に次ぐ実力者と目され、一時は中国大陸の二雄と称されることになる。
ただ、そうなるのは昭和10年以降のことで、昭和6年当時の今、張学良は単なる満洲の支配者。成り上がりの軍閥の長に過ぎない。対して日本は清国とロシアに勝った五大国の一。
事件のあってから1ト月あまり後の昭和6年6月、日本側の厳重抗議に利あらずと判断したか、現地調査を少なくとも3回以上行ってお茶を濁し始め、現地の責任者を更迭するなど隠蔽の動きを見せ始めた。
日本政府としては、張学良に対して抗議しか出来なかった。他国の領土内での事件解決は、その国の政府に委ねられる。
だが関東軍は違った。容易ならぬ事件と見て、奉天憲兵分隊に調査を命令したと同時に奉天領事館、及びハルピン、奉天の各特務機関が一斉に調査に入っていたのである。
関東軍は参謀部の片倉衷(ただし)少佐を満洲に派遣し、満鉄の協力を取り受けて、現地での調査を行わせた。結果、中村大尉の殺害の様子が徐々に分かって来た。
関東軍は奉天領事を張学良と会談させたが、張学良は中村大尉の殺害さえも首肯しなかった。誠意を見せる兆候もなく、しらばっくれる気満々である。
業を煮やした関東軍は独自に行動を起こした。関東憲兵隊本部に兵力の派遣を求めた。選抜された憲兵のうち准仕官、下士官以下20名をもって捜索隊を編成し、さらに支援部隊として歩兵2個大隊を待機させた。またこれとは別に歩兵1個大隊を鉄道警備の名目で満洲に向かわせるため準備し、政府に指示を求めた。
ここまで来るともはや軍事行動である。外務大臣幣原(しではら)喜重郎はこの行動を認めなかった。下手をすると戦争になる。
政府の煮え切らない態度に、かくて、関東軍の行動は頓挫した。
関東軍は政府と連絡の上、これまでの調査結果をまとめて8月17日に概況を公開した。
その間、奉天特務機関から奉天の支那側当局へ、また総領事から張学良へ、南京の重光葵公使から国民党政府外交部へそれぞれ外交ルートを使って厳重な抗議が繰り返された。
すると日本側の発表の翌日、支那側はようやく事件の事実を認め、中村大尉殺害を命令した現地軍の上官を逮捕したのである。続報として奉天の刑務所に投獄し、軍法会議によって処断することを発表した。
その支那側の正式回答のあった9月18日、満洲事変が勃発し、事件の捜査はいよいよウヤムヤとなってしまった。
政府も憲兵も関東軍も事件を解決できなかった。
◆
昭和7年(1932年)、満洲国が建国された。世界の独立国が60余りであった当時、満州国を承認した国家は20。
国土があり、国民がおり、銀行が貨幣を発行し、独自の軍隊を持つ。独立国であることに間違いはないこの国は、日本の影響を強く受けて育った国である。
関東軍は満州国内を移動でき、作戦行動を行える。もちろんこれは満洲国軍からの「要請」があった上での話だ。
一時はまったく停滞してしまった中村震太郎大尉殺害事件は、満州国成立後、再び脚光を浴び、捜査も進展を見せ始める。
事件発生から4年たった昭和10年6月28日のことである。渋川はついに現地軍中尉を逮捕した。
「初めまして」
「通訳もなしに支那語を喋るのですか」
現地軍中尉は驚いた。日本軍人であるから、てっきり日本語で話し掛けて来ると思っていた。そして現地軍中尉も日本語で返答するつもりでいた。
渋川は取り調べを続けた。
「そうだ。さて、貴官らが中村大尉を銃殺に処したる原因は奈辺にありや」
「当時、反日気分は濃厚でありました」
「それは事実だね」
「我々はナカムラら一行を日本軍事探偵……スパイであると判断したため、彼らに怨みが向きました。さらにそれを決定付けたのは自分の上官であります。所持品と現金大洋700元であります。金時計も。それを奪おうと邪心が働き、そのために銃殺し、さらには闇から闇へと葬ろうとしました」
「上官の命令でやったのか。金品目当てに」
「前後の言動からしてそうでありましょう。その結果、銃殺となりました」
「所持金を含めて所持品の処分は?」
「一行を銃殺した朝ですから、5月25日の8時、上官以下主だった将校9名が呼び出されました。拳銃は上官が、金時計は別の将校が、それに現金は上官みずからが配分しました。自分は130元もらいました」
「これかね。悪いが貴官の所持品は検査済みだ。それにしても何年もたつのに1元も減っていない」
「とてもではないが使えません」
「そうか。その後の将校の動静は」
「上官は我々の憲兵司令部に呼び出しを受けて、その後は不明です。将校たちも事変に出て……自分には判然としません」
「本事件が日本側に発覚した原因は」
「上官は口止めしたが、やはり人の口に戸は立てられない。どこかからか漏れたものでしょう」
「この詳図に加えることは」
それは当時の現地軍が駐屯していた付近を地図に書いたものである。兵営から便所までが詳細に記されている。
現地軍中尉はざっと見て首を振った。
「いいえ。しかし何年も前のことをよくぞこんなに調べましたね」
「地道な努力だ。さて、これで取り調べは終わりだね。最後に何か言うことはあるか」
「自分はいかなる処分も受けます。今さら申し開くつもりなど毛頭ありません。ただ1つ、ナカムラは本当に日本の軍事探偵だったのですね」
「無論だ。満洲事変のダシに使われたと思っていたのか。そんなことはない。中村大尉は間違いなく我が方の軍事探偵だ。君の見立ては正しかった」
それを聞いて現地軍中尉は安堵したようだった。肩の力が抜けて、だらりと首を前に倒した。まもなく涙が伝った。
取り調べは終わった。しかし、この現地軍中尉がこののち釈放されたのか、あるいは銃殺刑に処されたのか、いかなる処断を下されたのか、記録が残されていないため杳(よう)としてつかめない。
こうしてみると中村大尉事件は、関東軍に対して、国民政府の張学良に対する指導力の不足と、張学良の外交姿勢とに不信と疑念とをもたせる結果となった。
関東軍司令部内にあって、特に石原莞爾参謀の、武力による満蒙解決策を与えるきっかけとなった事件として注目に値する。
国際的事件が外交交渉によって解決されるのは当然であるが、それには外交当局の方針を、断乎として貫徹する政府の強力な指導力がなければならない。
日本政府はそれに応えられなかった。
結果として関東軍の政府不信につながった。軍人たる同胞を殺されておいて弱腰外交を続ける政府を信ずることは出来ず、それが満州事変という独断行動を生んだのである。
また国民党政府にしても、軍人が軍紀を犯し国法に背いたとき、厳然とそれを処断することの出来ない弱体な政府であると露呈し、もうその国家民族を指導し、かつ治めることは出来ないと国内外に広報してしまった。
日支両国の恥部をあらわにし、特に日本において軍人が外交の切っ先に立つきっかけとなったこの事件は、今ではほとんど知られることなく歴史の荒波に埋もれてしまっている。
応援ありがとうございます!
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