憲兵野史

みゆみゆ

文字の大きさ
9 / 14

第8帖 支那 昭和17年 刑場の露と消ゆ

しおりを挟む

 支那派遣軍総司令官畑俊六大将の他、参謀長、幕僚など、また南京憲兵隊本部からは憲兵司令官大木繁少将、その他在南京各憲兵隊長、分隊長等ご出席のもとに挙行された憲兵学校の卒業式で、憲兵としての乙倉の第一歩は踏み出された。

 乙倉たち第6期卒業生500名は、中支那南京憲兵隊司令部隸下の各都市……南京、上海、漢口、徐州、杭州、南昌等の各憲兵隊に配属、赴任した。

 乙倉は、同期生70名とともに漢口憲兵隊本部に配属となった。そのう乙倉と8名の併せて9名が漢口憲兵隊本部付となり、乙倉と森本兵長、増田兵長の3名が特高課付となった。この漢口憲兵隊本部が、乙倉の波乱の憲兵生活の第一歩であった。 

「乙倉であります」

 乙倉が赴任当時、憲兵上等兵という階級は廃止されていた。憲兵兵長が最下級であった。従って乙倉も憲兵兵長として赴任した。

「よく来た。俺は課長の渋川だ。貴様らを歓迎するぞ。ここは最前線だからそのつもりで事に当たってもらいたい」

「はっ。よろしくお願いします」

「赴任早々、本部の特高課情報室勤務を命ぜられるとは幸先が良いぞ、貴様。乙倉といったな」

「はいっ」

「まあそう固くなるな。じきに慣れるさ。さて最初の仕事だが、漢口全地区の視線を勉強するのだ」

「視線」

「そうだ。特高課でも情報室は特別、軍事機密書類を扱う重要な部署だ。付いて来い」

 課室の奥も奥。憲兵隊の庁舎内でも外部からは容易に出入り出来ない箇所に、何の表札も掲げられていない部屋があった。

 ただし部屋の入り口横には小さな小窓と手すりがある。

「おい、俺だ」

 渋川は小窓をノックした。すると声が返って来て、同時に小さなノートが差し出された。

「部屋の出入りは厳重に取り締まられている。面倒だが出入りの度に名前と入った時刻、出た時刻を書け」

 特高課長でさえも出入りに制限をかけられる部屋だった。そこは10畳位の部屋で、周囲の壁の支那の大地図には、国府軍(中国国民党軍)、中共軍(中国共産党軍)の配備移動情況がその日、その日の情報に基づいて鮮明に分かるようになっていた。

 部隊名の附箋がついた虫ピンが地図上に刺されている。大量だ。さらには友軍を示す虫ピンもあり、日支両軍の状況がパッと分かるものだった。

「どうだ乙倉。まさしくここは支那派遣軍の機密の中枢だぞ。ああ、そっちにまた別の部屋がある。暗号の部屋の書庫だが、ここも厳重に施錠されておるぞ。そっちに情報主任が常在しておる。頑丈な大金庫の中には我が皇軍の真相が一目にして分かる資料が目白押しだぞ。軍政や作戦装備に関する情報、あるいは国情や兵器生産、国民精神の動向といったふうにな。戦う日本の偽らざる姿がそこにはあるのだ」

「めまいがします」

「俺もそうだった。いいか乙倉。ここ漢口隊本部の隸下には約30個の分派遣隊1000名の憲兵がおる。彼らは日夜第一線に挺身し、約10倍1万名近くの工作員を動員して敵の情報を集めておる。その情報は、刻一刻この本部情報室に報告される」

 これを情報主任の憲兵准尉と、総司令官賞を受けた第1期優等生の先輩憲兵軍曹と、乙倉の3名が検討して、確度甲、乙、内、丁に区分整理し、憲兵隊司令部に報告する。

「そういう仕組みになっておる。視線とはそういうことだ。1万名が見て来たものをお前が精査するのだ」

「せ、責任重大です」

「その通り。何かあったら情報主任を頼れ。奴は憲兵隊特高課情報係25年の情報の神様だぞ」

 優秀な情報憲兵であった。大体、軍隊の中枢は最上位の優秀者で占められているが、憲兵隊本部では特にその感が強かった。

 第一線の兵隊と違い、監督的機関であるせいか、どの憲兵の前歴を見ても憲兵学校1、2番という優等生か、卒業後抜群の功績があった優秀な憲兵が多かった。

「声なき聞き、姿なきを見る」というのが憲兵学校でも漢口でも初中後(しょっちゅう)聞いた金言であった。



 憲兵といえば部外の人々は、血も涙も情も無い、無神経の鬼か蛇のような人間とばかり思っているのであろうが、憲兵生活の第一歩を踏んだ乙倉は、憲兵ほどさばけて民主的な、物わかりの良い人間的軍人はいないという印象を受けた。

 もっと極端に表現するなら、職務では終始軍存立を擁護する憲兵であったかも知れないが、現実的には大半が左翼思想を研究しているだけに、その共鳴者はかなりいた。

 実際乙倉も仕事柄左翼思想の本を読んだが、途中で止めてしまった。金持ちから税金を多く取れだの、貧乏人にも土地を配分せよだの、人に貴賤なしだの、極めて共感すべきことが多く、危うく左翼思想に染まってしまうと思ったからである。

 貧乏百姓の6男である乙倉にはあまりにも刺激が強かった。

 事実、隊勤務当時、憲兵でありながら、時に同期生同士で国家改造論を戦わし、戦争を批判し、東条政策を講誘することもあった。これは当時の感覚からすれば、異常である。

 また上官を侮辱するような言葉を使ったり、あるいは時には横暴な憲兵将校に対しての反感のあまり、自分の部下の支那人密偵を使って暗殺してしまおうか、などという相談を耳にしたこともある。

 そして事実、 憲兵分隊長が部下に謀殺された事件もあり、中には横 暴極まる他部隊将校に対して憲兵の特殊な職権をもって、堂々と正面から攻撃衝突するなどの例は枚挙にいとまがなかったのである。

 また憲兵はよく、憲兵学校で教育綱領として引用される「声なきに聞き、姿なきを見る」という戒めを絶対信条として生きてゆかねばならなかった。

 軍内部のことはもちろん、社会の裏面にまで、それこそ眼光紙背に 徹するくらい知りつくし、味わいつくさねば、憲兵の憲兵たる任務はつとまらなかったのである。

 従って、憲兵は、その職務遂行上、本人の思想とか人間性を度外視して、ただ、憲兵という任務のため、終始、自己に厳しく、命令に忠実に生きていたもので、その心情は鬼でも蛇でもなかったことに、乙倉は気付いた。

 しかし同時に、そうした職権濫用の憲兵が、同じ憲兵の手によってどしどし摘発され、極秘に処分されていたという事実も、厳然たる事実として存在した。



 乙倉は特高憲兵の毎日の任務として、国際情勢はもちろんのこと、各国の軍事外交情報、特に国府軍と中共軍との動向に重点を置いて研究をすすめた。

 中でも国府軍関係については彼我の戦闘警備状況、装備、給与の研究。また敵地区の民心の動向から福祉に至るまでを詳細に検討し、これに対してこれらの敵地に列する謀略、工作を進めていた。

 もちろんのこと敵を打ち破るためである。

 このために必要な力に対する判定はもちろんのこと、特定人物の動向も手にとるように日々の情報が入ってきた。

 乙倉は10名にのぼる重慶地区の不良邦人(日本人)の活動状況をマークし、日々の一覧表に克明に記していた。

 その中でも最大の不良邦人「岡野進」こと野坂参三を追跡する一方、中共関係の情報収集も憲兵の重要な任務で、新四軍(しんしぐん)幹部の誘引拉致工作と共に、延安の「岡野進」を初めとする日本人、または逃亡、拉致によって中共地区に入り、反軍抗日運動に活動していた人々をマークし続けた。

 これらの誘引逮捕工作もさかんに研究し進められた。

 当時、漢口隊は対中共工作に全力を挙げていた関係上、何とか野坂を逮捕しなければならないと、あらゆる工作員を派遣して、彼の日々の行動について一挙手一投足に至るまで報告させるともに、彼を巧く誘引謀略に引っ掛けることに専念していたが、何しろ国賓待遇として、中共軍が厳重に警戒し身辺を保護しているので、彼に接近して話をしたり、親しく文通している工作員があっても、そしてまた、相当深く彼に接近し、身辺を包囲し、着々と工作を進めても、生かして逮捕することは容易なことではなかった。

 だが彼を生かして拉致すれば、延安にある、各種の反軍反戦同盟の全貌が分かる。毎日部下に話していることや、延安と漢口は何百里の行程にありながら、あたかもテレビジョンのように憲兵の耳目に入ってくるのだ。

 が、何しろ敵地区という悪条件の上に、敵たる中共軍の工作員も活動しており、相当慎重に工作を進めなければならない。

 ただ単に彼を暗殺してしまうのなら、それこそ簡単な仕事である。何故ならば彼の部下として命令又は教育を受けて活動している中共軍の中には、日本憲兵隊の工作員が偽装して潜入し、彼の側近として毎日寝食をともにしている者もあったからである。

 しかし殺してしまっては意味がない。生きて捕えることが急務であった。



 野坂参三の反軍工作というのは、専ら逃亡日本兵や一般住民または一部朝鮮人等を盛んに前線地区に派遣して、わが方の警備地区に「お前達は何故戦争をやるのか」といった反戦ビラや、「日本の国で父や母、妻子や恋人が毎日帰りを待って泣いている」などと題するパンフレットや、「内地の恋人、芳子より」というラブレター式のものなど、各種各様のプロパガンダを警備地区のいたるところにばらまいたり、各部隊に送付したりすることであった。

 士気の低下をメインとする戦法であったが、兵士個人の良心に訴えかけることで、内面からの崩壊を狙ったものだ。

 時には、あまり勇敢にわが警備地区に進出し過ぎて、警備隊の討伐や憲兵隊の工作員に逮捕され、本部に護送されてくる者も珍らしいことではなかった。

 こうして野坂誘引工作に関しては、細大もらさずその情報を集めることができたが、彼を逮捕するまでにいたらぬうちに残念ながら終戦となってしまったのだった。

 野坂参三は戦後、ソ連経由で日本に「凱旋」し、日本共産党のトップとなり、平成4年になんと101歳という恐るべき長寿をまっとうしたのだった。



 そうして乙倉が任務に励んでいたある日のことである。第一線の憲兵分隊から、丸々と肥った体を黒い支那服に包んだ25、6歳くらいの青年が護送されてきた。

「肥満体ですね。支那人ですか」

「いや、日本人だ」と渋川は答えた。

「つまりは不良邦人という訳ですか」

「そうだ。この男の身柄は、今日1日だけ本部に留置する。明日は領事館警察に引渡す。不良邦人として内地強制送還処分に付することになるだろう」

 ごく一般的な処置であった。国外で素行の悪い日本人が逮捕されて強制送還される。

「乙倉。護送憲兵から身柄と書類を受け継いでおけ」

「はい」

 乙倉は引き継ぎがてら、その不良邦人の経歴に目を通した。

 彼はいわゆる一般邦人で、北支で花の買付けに出掛けて中共軍に捕えられた。そこで約1年間、中共軍の軍事行動に従軍させられてきたというのであった。 

「なんてこった。とんだ不良邦人だ」

 よりにもよって漢口隊が追う、中共軍の真っ只中にいたとは。期せずしてであったが、1年間も。

――これは取り調べが必要だな。

 それだけ長い間いれば情がわく。もしも彼が共産主義に共鳴していれば、中共軍のスパイをみすみす内地に送ることになる。

 乙倉は留置する前に、一応、中共地区の日本人に関する情報を取るため、約1時間ほど憲兵隊本部地下の取調室に連行し取調べを始めた。

 護送分隊からの聴取書を参考として、取調べを進めてみたが、何ら前回の申立にかわるところはなかったので、さっそく留置場に連行し、支那服を脱がせて、身体検査をした。 何もなければ内地に送還して終わりだ。

「ん?」

 彼の股下から一片のもみくちゃにされた紙片が落ちた。乙倉が何の気なしにその紙片を拾いあげてみると、鉛筆で何か細かく走り書きしてある。

 読んでみると「遺言」の書き出しである。

 乙倉はびっくり仰天した。……「自分は元40師団長の伝令奥村伍長である。大阪出身当年26歳。自己の不注意から一生に取返しのつかない過ちを冒して、国賊の汚名をきてしまった。おかあさん、妹よ許して下さい。自分は死んで御許び致します」という意外な文句である。

――これは……!

 乙倉は俄然、緊張した。そして直ちに、このことを情報主任に報告すると、厳重なる再取調べをせよとの命令だ。

 明日は一般邦人として身柄を領事館に引渡さんとしたその男は、乙倉の取調べに対して、今は観念したのか、率直に「元」日本軍の陸軍伍長であることを自供した。

 念のため逃亡兵捜査手配を調べてみると、やはり彼は1年前の逃亡 下士官であることが手配写真とともに確認された。名前は擬装されていた。

 自供によると、奥村伍長は第40師団長の護衛伝令長として討伐戦に参加中、ふと、情欲の虜となり、部落の婦人を強姦し、その結果死に至らしめた。たまたま、その支那婦人は猛烈な性病で、彼はその性病に感染してしまったが、最前線なので、思うような治療もできず、自暴自棄となっていた矢先に、再度討伐戦に参加させられ、ついには疾痛のために行軍もできず、部隊から置き去りにされてしまった。

 そしてあてどもなく山中をさまよううち、見知らぬ住民から言葉をかけられ、案内されるまま中共軍の部隊に連れてゆかれ、完全に捕虜となった。

 彼は中共軍にあって、岡野進らがやっている「労農学校」に入れられ共産教育を施されたが、病気と自暴自棄から、優遇されるまま、連日強烈な支那酒をあおっては怠けていたので、中共軍も彼の不熱心を怒り、重慶の捕虜収容所に護送することになった。

 その護送される途中、監視兵の隙をみて逃げだしたものの、再び部隊に帰れば必ず死刑になることは陸軍伍長の彼はよく知っていた。敵前逃亡は重罪であり、死刑なのは陸軍刑法にも定められている。

 そこで、彼はうまく日本軍警備地区に潜入し、一般邦人になりすまして、内地に帰ろうと企み、警備地区に近づいたところを、歩哨線にひっかかった。

 彼は、 とっさに歩哨に、一般邦人であると身分を偽った。それ以来、警備隊、憲兵隊の再三の取調べも危機一髪のところまで来ていながら、邦人になりすまして通ってきたというのである。

 かくて、すべてを自供した彼は、陸軍刑法の定むるところにより数個の罪名によって軍法会議に送られた。

 そして刑場の露と消えた。



「何を思い悩んだ顔をしておる」

「あ、渋川課長。いえ、奥村伍長のことです。何とか内地に返せば良かったのかと思う反面、あれがお国のためだと思うと……」

「そんなことで悩んでどうする。今こうしている間にも戦争は続いているのだ。中共軍の攻撃で何名もの友軍が死んでいるのだぞ。彼らの無念を晴らすにも、これからの犠牲を減らすにも我々は行動し続けねばならんのだ」

「そうか。いえ、そうですね」

「乙倉。貴様酒は飲めるか。今夜飲みに行こうじゃないか」

「お供します」

「行けるクチか」

「ええ、多少ならば」

 さっきうつむいたカラスが今はもう前を向いた。その夜、2人は赤提灯のたなびく夜の町に繰り出した。

 奥村伍長は、乙倉が憲兵生活に入って、最初に手がけた死刑第1号の犠牲者であっただけに、今でも、ありありと乙倉の脳裏に焼きつけられている。憲兵の任務は、いかに冷厳なものであるか。そしてそれでも乙倉は憲兵である以上、その服務から逃れることは出来ない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

楽将伝

九情承太郎
歴史・時代
三人の天下人と、最も遊んだ楽将・金森長近(ながちか)のスチャラカ戦国物語 織田信長の親衛隊は 気楽な稼業と きたもんだ(嘘) 戦国史上、最もブラックな職場 「織田信長の親衛隊」 そこで働きながらも、マイペースを貫く、趣味の人がいた 金森可近(ありちか)、後の長近(ながちか) 天下人さえ遊びに来る、趣味の達人の物語を、ご賞味ください!!

処理中です...