憲兵野史

みゆみゆ

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第11帖 東京 昭和20年 『く』号兵器

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 軍の本土決戦準備に即応して内地憲兵もまた大増員大拡張が行なわれた昭和20年3月、憲兵隊臨時編制が発令されて、全国にわたり1県ごとに地区憲兵隊が配置された。

 各軍作戦地域に即応して、1個の憲兵隊が置かれたのである。

 これは本土が戦場化し、中央から地方への連絡が困難となった場合に備えての措置と思われた。

 米軍は上陸に先立って徹底した爆撃、艦砲射撃を昼夜の区別なく行う。通信網の断絶が起こり得る。現地のことは現地で処理する自活命令が下されたのである。

 渋川は東部憲兵隊司令官を拝命することになった。
 
 その範囲は東部軍の管轄に一致し、地上部隊ならば第十二方面軍に該当する。すなわち関東、甲信越一帯である。

 これに伴い、その隊司令部も人員、装備など拡充されたので、渋川はその職務編成を新たにし、本土決戦に備えて戦場体制に移行した。

 昭和20年6月初めのある日、司令部にほど近い「主婦の友」社ビルに、佐々井という技術大尉が訪ねてきた。

 係りの者が来意を聞くと、「極秘の要件」というので、中隊長の大西憲兵大尉がこれと面接した。

 佐々井大尉はこう語った。

「わたしは科研の者だが、軍の重要事項について、折り入って申し上げたい」

 そう前置きして、次のようなことを話した。

 科研とは陸軍科学研究所のことで、多摩川ベりにあり、軍機保護法による厳重な立ち入り禁止の秘密の官衛であった。

「ここでは以前から殺人光線なる秘密兵器が極秘に研究されています。わたしもその研究部の一員ですが、この研究を主宰するXという人物は、まことにいかがわしい男で、わたしたちは、彼の研究そのものに多くの疑問をもっているのです。はっきりいえば、Xという男は インチキ師だと断定して差し支えありません。わたしたち彼のもとで働いている技術将校は、彼を軽蔑し、かつ心から慣概しているのです。 このようなインチキ師のために、国家の莫大な費用が使われることは、まことに残念なことで、わたしたちは、もはやこんな低級にして無能、詐欺漢に等しい彼の下で研究を続けることはできません。彼は間違いなく大詐欺師です。軍の上層部が彼にだまされていることはなんとしてもなげかわしい限りです。憲兵隊は、速やかに彼のインチキ性をあばいて、軍の上層の人びとを反省させてもらいたいと思います」

 実にとんでもない発言であった。

 申し出の趣旨をだまって聞いていた大西憲兵大尉は、静かに反問した。

「お話の筋はわかりました。だが、あなたはそのXをどうしたことでインチキだというのです」

「彼にはおよそ科学的な知識がありません。アメリカではエジソンの弟子だとか、ドイッで国立研究所の所長をしていたとかいっていますが、その学問的素養は零に近いのです。これが第一点です。第二点は、彼の研究にはなに一つ理論的な裏付けがありません。そして第三はその研究態度ですが、全くおおざっばで、すべてが場あたりといった感じです」

「それで、いま研究は進んでいるのですか」

「一度、照射効果はあったようですが、その後まったくゆきづまり、今日ではにっちもさっちもいかなくなっているのです」

「よくわかりました。さっそく上司に報告しまして、憲兵隊として善処したいと思います」

「よろしく願います。わたしたちはいつでも憲兵隊の活動に協力することを誓います。なお、 今日はわたし一人が参上しましたが、これは、わたしたち同志が相談のうえで、わたしが代表となって参りましたもので、決してわたし一人の意思ではないのです。この点もご承知お きを願っておきます」

 大西は事重大とみたのであろう。さっそく、渋川のところに報告してきた。 

「何ということだ」

 渋川は考えた。事はまさに佐々井大尉のいうとおりかもしれない。この研究所は荒れている。これは事実であ ろう。

 しかし、すでに陸軍はXなる者を迎えて、この新兵器に戦局のすべてをかけているようにも思われる。いったい、このような兵器はどうしてつくるものだろう。殺人光線というからには、光線や電波を使って飛行機のエンジンを焼いたり、搭乗員を殺傷するものだろうか。

 すると、こうした光線や電波を遠く一万メートルにまで照射するとなると、莫大なエネルギーが必要となる。素人には、ちょっとむずかしく夢のような話の気もするが、しかし、また、その実用化が開発できるのかもしれない。

 とすると、憲兵隊のいらざる手出しが、事を不成功に導いたとなっては申しわけないことだ。事は慎重を要する。下手な手を軽々に打 ってはならない。

 渋川は、大西に対して、とりあえず極秘裸にXなる人物の身元だけを洗うことを命じた。

 特務隊が編成され、焼野原を四方八方に飛んだ。すでに東京は大半が焼けていた。

 以下その特務たちの報告である。

 一、Xというのは、いま科研の構内に一戸を備え夫人と共に住んでおり、女中も使っている。

 一、構内に一戸を構えているのは、防課上の配慮から科研で提供しているのだそうだが、そこでの生活はまず上流の生活とみてよい。彼は軍から勅任待遇をうけているという。どこからここに移り住んだのか、その前住地を調べている。千葉県の稲毛海岸近くに貧乏暮らしをしていたとの情報もあって、この地方をあたってみているが、まだこの事実はつかめない。

 一、現在の妻は二番目とか三番目とかいわれている。だから、彼についての唯一の手がかりは、別れた前妻玉子をつかむことによって得られるのではないか。

 一、現在、彼の本籍地は世田谷区にある。前科はない。

 一、昭和10年頃から3度も転籍している。東京から山梨、山梨から大阪、大阪から東京という風に、転居するごとに転籍をしている。なんのための転籍かは不明だが、われわれの生活常識ではこんなに転籍することはない。あるいは、過去の何かを隠すためのものかもしれない。この点、なお引きつづき内査 の必要がある。

 一、Xと同棲していた前妻の玉子という女が新宿付近に住んでいることがわかった。ある会社の寮の吹事婦をしていた玉子のいうところは、次のようであった。

 一、3年ばかり同棲していた。ずっと貧乏暮らしで、すっかり生活に疲れてしまった。Xは全く変わり者で、明日食べるものがなくても、発明だ発明だと訳のわからぬことをやっている。

 一、発明狂とでもいうか、次々といろいろなものを工夫していたことは事実だ。しかし、どれもこれも、ものになったものはない。

 一、一種の移り気で、一つのものに打ち込んでいると思うと、また他のものに移っていく性格だった。

一、玉子と一緒だったころは、なにか薬のようなものをつくって売ろうとたくらんでいたが、あんなィンチキ薬では人は相手にしない。これも失敗してしまい、食うや食わずの毎日で、玉子もあまりのことに、Xに愛想をつかして逃げ出してしまった。

 一、今はどうしているか知らないが、やはり発明か何かで、人びとに迷惑をかけたでのはないか。

 そして特務隊の最後にはこんな言葉で締めくくられていた。

 ……こんな話をした玉子は、いくぶん憂え顔だったので、玉子はXの悪妻であったとも思えない。この話はまず正直に聞いてよいであろうと思われる。

 妻に逃げられた男、生活力のない男、発明発見に明け暮れている男、それが転々と居を変えている。あるいは詐欺の常習ではあるまいか。彼になにか裏がありそうである



 要するに過去に何かあるという漠然とした事実が出ただけで、詳しいことは何も分からなかった。
 
 しかし、渋川には、ものごとを技術的に判断する能力はない。殺人光線といったものが、 空想の世界のものか、それともすでに十分に科学的に根拠を持つものかはわからない。

 だがXはここの研究主任として勅任待遇を与えられ、陸軍より優遇されていることは事実だった。

 果たして彼がそれに値するものなのか、どうか。 Xはここの若い所員たちに、こんなことをいったという。

「ぼくは、若いころからアメリカに渡った。そしてエジソン博士の知遇を得て、その門弟だった。アメリカからドイツに渡った。ドイツでは、ヒットラーの招聘に応じ、ドイツ国立科学研究所の所長をつとめたこともある。日本には長くいないので、ここでは、あまり学者たちになじみもなく、学界にも知られていないが、これでも外国では名の売れた発明家だ。どこからわたしのことを聞いたか、東条陸相もかつて、ほくのところに協力をたのみにきたことがあるが、彼の態度があまりにも倣慢だったので、断わってしまった。ところが今度は菅中将が見えて、辞を低うして迎えてくれたので、陸軍のために尽くそうという気になったのだ」

 そういうところの彼の過去は、誰も知る者がない。おそらく彼の大風呂敷であろう。

 ドイツの国立科学研究所にヒットラーが日本人を迎えるなどということは、ありえないことであろう また、東条陸相が彼に協力を求めたといったことも眉睡ものだろう。しかし、菅中将がいんぎんに彼を迎え入れたことは事実であった。

 その事実が彼の大風呂敷をぼやけさせた。全部が嘘でない。よってどこまでが本当なのか、まったく判然としない。タチが悪かった。

 ところで、彼の研究所における研究態度といったものは、どんなものだったか。所員たちは、口を揃えていった。

「彼は、気が向かないときは、なにもしないで遊んでいる。彼が研究といっても実証のない空想のようなものである。だいたい彼には基礎知識が皆無である。だから、彼の研究といっても思いつきである。こんな男になにができるものか、全くの食わせものだよ」

 ひどく辛練である。 

 渋川は迷った。若いころ、いささか常軌を逸する在郷の一将官を説得してもらおうと、その盟友、中島今朝吾中将に依頼に上がったとき、この中島中将は、「君、天才と気狂いとはどう違うかね」と、渋川に一矢を酬いられたことを思い出した。

 それについ数年前、憲兵恐怖症に陥ったひとりの軍人。彼もまたただの心配性であった。

 天才と気狂い。渋川はこの言葉を心の中で反智していた。あるいは、自分たちの常識的な判断を許さないものがあるのかもしれない。

 だが、また、渋川にはこんな経験もある。それは水から油をつくるという詐欺漢のことである。

 支那事変も長期化し石油資源は潤渇してきた。ガソリンの一満は血の一満などとも叫ば出してきた昭和15年ごろのことである。

 ある男が自ら発明家と名のって、政客、辻嘉六氏に近づいていた。この男、水からガソリンができたといって持ち込んだのである。石油の枯渇に備えて、国内に石油国策の声が高く、人造石油の事業計画もさかんなときだったので、 辻氏は喜んでこれに飛びついた。

 水からガソリン、こんな大発明ができれば、すべては解決される。ひそかにこの研究の将来に期待して、その事業化をもくろんでいた。

 そこで、この男のために家を与え、かつ生活を保障した。さらに、その研究に便するため、彼の計画によって研究所を作ってやった。

 さて、この男もさるもの、辻氏のところには、お宅の自動車に使われるぐらいのものはいつでも造りますとて、いつも一升瓶に入れた自分のつくったというガソリンを届けていた。

 辻氏は得意になって、この自動車は水で動いているのだ、と仲間にふれ歩いていた。渋川もその車に乗せてもらったことがある。だが、残念ながら辻氏は、この男がいつもガソリンを少量しか持ってこないことに気がつかなかった。

 辻氏は、今日の研究段階では少量しかできないものだと信じきっていたからである。この水からのガソリンは、政界仲間では知れわたっていた。それが、どうして海軍の耳に入ったものか、ある日、海軍の将校がこの男の研究所を訪れた。

 そして、そのバックにこの男がいることを知った。海軍艦政本部からは、辻氏にあててこれが実験を見せてもらいたいと申し込んできた。事の真実を信じ込んでいる辻氏は、もちろん大喜びでこれを承諾した。

 この男はまもなく、いくばくかの実験材料を携えて、海軍の水交社に缶詰にされてしまっ た。そしてこの男の実験が始まった。ちょうど、そのころだった。陸軍航空本部の基課長が渋川を訪ねてきた。

「水からガソリンをつくるとのことで、海軍がこれを実験していると聞く。もしこれが成功するならば、海軍の独占とすることなく、ぜひ陸軍も一枚加えてもらいたい。ついては、そういった運びになるよう憲兵に協力してもらえないか」

 渋川は陸海軍のとらぬタヌキの奪い合いかと苦笑したが、それだけガソリン不足が切迫した状況だった。

 水からガッリンというが、これは科学的にも根拠のあると反問したところ、この課長は首をひねった。

「わたしもよくわからないが、ドイツにはそういった情報もあるということだ」

 至って頼りない返事だった。だが、陸軍もこの実験なるものに色目をつかっていて、水交社での実験は、海軍技術陣の前で公開されることになった。

 多くの技術者を前にして、くだんの男は、わけのわからぬ薬品を使って苦心惨魔である。だが、いつまでたってもできない。試験瓶を前にして夜、12時、1時を過ぎることも稀でなかった。

 この男は研究につまると今日は頭が痛い、身体の調子が悪いといって寝込んでしまう。海軍では、この男の研究態度というか、その実験なるものに疑問を持った。

 これはあやしいと感づいたのである。そこで、海軍は一策をとった。実験用に与えた試験瓶をひそかにスケッチしておい た。それから見学の技術者たちは、あまりこの実験室には出入りしなくなった。

 1週間もたった真夜中のことである。「できました、できました、やっとできました」と、この男、試験瓶をふって嬉しそうである。

 見ると、立派なガソリンである。天然のものと寸分違わないものだった。だが、この男の手にしている容器は、海軍のスケッチしたものではなかった。いつのまにかすり替えられ ていたのだった。

 この男は検事局に送られた。それに、この事業化のために奔走していた辻氏も割をくって警視庁に引っ張られたのである。

 渋川は、こんな思い出をたどりながら、このXなる人物もまた、このたぐいではないかと疑い始めた。

 渋川は、捜査を続行すべきか放棄すべきか、捜査を続行するとなると、もはや究所内に指向しなくてはならない。そして捜査が始まるならば全ての業務は停止される。

 渋川は熟慮の末、一応この捜査を留保して、警告することにした。責任者とは、そのころ兵器行政本部長の菅中将である。

 渋川はまず、大城戸憲兵司令官にこれまでのいきさつを報告した。ところが大城戸中将は菅中将と同期(25期)で親しい間柄だっこのためか、このケースはしばらくわたしに委してもらえないか、と要望されたので、渋川は承諾し、その成り行きを見ることにした。

 大城戸中将はさっそく菅中将に連絡された。渋川は菅中将の言い分はこうであった。

「Xは決してインチキではない。彼がいう経歴はともかくとして、会ったときは立派な紳士そのものだ。彼の使うドイツ語も、実に上品で流暢であり、長く外国生活した人にちがいない。また、偉大な発明発見というものは、決して学者の研究室より生まれるものではない。 大なる天才による発見のあとに、理論づけされたものが多い。わたしは彼こそ天才的発明家であると信じている。だから、わたしはこの国の危局に、こんな威力兵器が出現することになれば、この劣勢は挽回できるものと思う。だから、わずか2、300万くらいの研究費は惜しむべきではないし、このことが成功すれば、こんな不平不満はたちどころに吹っ飛んでしまうだろう。だから、わたしは若い者の騒ぎも一時的なものだと思っている」

 大変な入れ込みようである。

 では、その研究なるものは、どんな程度に進んでいるものか。

 再び菅中将はいう。

「Xの企画と設計によって、この殺人光線という新兵器は、一応完成したのだった。それは、だいたい4キロメートル以内の照射効力を持つものであったが、さて、これを実験するということになると、大騒ぎになった。我も我もと、その実験台になろうとする志願者が続 出した。彼の下で働いていた若い将校たちは、常日頃からこのXに疑いを持っだけに、たい へんな意気込みで、進んでこの試験材料に身体を張ったのだ。現にわたしの副官なども進んで試験台になった。ところがその実験の結果はどうだろう。これに照射されたわたしの副官などは、頭痛、発熱、順吐、腹痛に悩まされ、2日間も寝込んでしまった。わたしの副官だけではない。この光線に当てられた人びとは大勢あったが、すべて異状を訴えたのだ。こうしてこの第1回の実験は成功した。今日騒いでいる将校たちも、このときはたいへんな感激で、あらためて彼を見直したといっていたのである。ところが、この殺人光線はもともと防空兵器として、敵の飛行機を目標としたものであっ
たから、照射距離4キロメートルぐらいではどうにもならない。さらに10キロメートルくらい効力を及ぼすものにしなくてはならなかった。そこで、これまでの試作が壊されて、また新しい企画で考案されたが、それが最近になって、なんとしても成功しない。そこでまた、これらの将校が騒ぎ立てているのだ」

 このことの真偽は、渋川の保証の限りでない。菅中将がこうした話をしたことは間違いのないことである。もちろん、この渋川には、技術的にどうこうといった判決を下すことはできない。専門の技術屋の言い分を肯定するよりほかに途はなかった。

 しかし、天才とはこんなものだろうか。このXの身分素姓には、わたしたちの常識では、 たしかに疑われるべき節が多い。

 この男は、菅中将には昭和16年にドイツより帰国したと語ったといわれるが、すでに昭和10年ごろから日本在住のあとを残している。なんのための虚偽か、疑えば疑わしい男である。

 さきに述べた水からガソリンの例のように、この実験はどんなかたちで行なわれたものか 照射というもどれだけの距離でなされたものか、巧妙なインチキをやろうとすれば、魔術使いのようにできたのではあるまいか。

 また、一度これに成功したとしながら、すく壊してしまったというのも、どういうものか。こうした常識的な疑問が起こらぬではない。

 しかし発明狂といわれるように、発明発見に明け暮れている前歴者であることも、また事実であるとすれば、この殺人光線のアイデアもあながち荒唐無稽とけなしてしまうわけにもいかない。いま一歩、つき進んで徹底的に彼を洗うことによって、技術面とは別に、彼の本体が暴かれるかもしれない。だがそれには、彼をもはや憲兵隊に呼び出すよりほかに手段はない。

 が、それはこの戦勢挽回の転機をなすであるう人発明が砕けて、この国の滅亡につながる。

 渋川は、あれこれ考えた末、部下たちの反対を押しきって、このケースは、そのことの1日も早い成功を祈りながら、あえて疑問を懐きながら、これを捨てた。

 昭和20年6月。敗戦2カ月前のことであった。

 終戦後、進駐軍の調査では、この殺人光線の研究は、ねずみを殺す程度のものだったと発表されたように記憶しているが、はたしてそのとおりのものであったのか、あるいは終戦のころには、もっとよい成果にまで進めていたものか、渋川には知る由もない。

 天才と狂人、詐欺漢か発明家か、Xなる人物については、渋川はいまでも疑問の男だと思っている。 

 さて、戦争と新兵器、日本ではあの小さい風船爆弾をロッキー山脈の彼方に落とすことしかできなかったのだろうか。わたしたちは、この戦争中、「成層圏飛行が成功すれば、米本土爆撃も可能であり、そしてそれも近いうちに実現するらしい」「比島戦には強烈な特殊爆弾が、ひそかに送られたはずだ。きっと比島ではアメリカ軍はこっばみじんにやっつけられるだろう」などといった秘密話に、胸をおどらせて、その出現を一日千秋の思いで待ちあぐんでいたが、そんな気配はどこにもなく、たった2発の原子爆弾で、悲惨な敗戦となってしまった。

 Xは敗戦と同時に姿を消してしまい、今となっては素性を調べる者もない。恐らくは永久に分からないままであろう。

 Xが発明したこの怪光線兵器は、こんにちでは怪力(くわいりき)の頭文字を取って『く』号兵器と呼ばれていたことが判明し、トンデモ兵器として名高い。

 しかし当時、このトンデモ兵器をめぐって憲兵も真面目に対応していた。
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