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第12帖 千葉 昭和8年 酔っ払いは革命志士
しおりを挟む戦前、千葉市は、広島県呉市や長崎県佐世保市と並び、軍都と称された。
当時の房総半島には何もなく、ただ台地と森とが広がる格好の地であり、何か秘密を守りたいならばここに立てるのが一番だった。それに無人の土地が多く、演習地を設置するのにちょうど良かった。
千葉市周辺の諸学校はすべて軍の実施学校だったので、ここには若い将校が地方の原隊から短期間派遣されて、入れかわり立ちかわりしている。
東京の革新将校の狙いどころだった。
現在の腐敗した政治に終止符を打ち、天皇親政の政治を目指す将校たちをいう。後年、二・二六事件を引き起こすことになるが、それは5年後の話だ。
当時、憲兵部内では「一部将校」と呼称されていた革新将校が、歩兵学校と野戦砲兵学校の職員の中にも数名いたので、東京方面からは、しきりと怪文書や思想啓蒙の宣伝文書が送られてきたし、人の往き来も相当あって、憲兵としても青年将校の動きには細心の注意を払っていた。
さて、荒れに荒れた昭和10年の暮れも押しつまった大晦日の夜、市内の某料亭で若い将校が乱暴して手がつけられないというので、憲兵隊に知らせてきた。
さっそく憲兵が駆けつけてその酔っばらい将校を取り押さえ、憲兵隊まで連れてきたのだが、この酔っばらいは憲兵隊にきても酔いに乗じ居丈高に、逆に憲兵を叱りつけるといったありさま。隊員としても相手が将校であってみれば、独断でこれを検挙留置することもできかねて、分隊長だった渋川のところに急ぎ報告してきた。
渋川の官舎は分隊庁舎のつづき、板堀一つを境にしている。渋川はこの裏木戸から急いで登庁した。
見るとそこにはずんぐりした若い少尉が悠然と構えており、もうひとり若い少尉が傍らにいた。この酔っばらいの介添えをしているとみた。
渋川が分隊長室に入っても敬礼もしない。恐ろしい顔でにらんでいる。
「どうしたのだ、君」
「どうもしない」
「どうもしない? 君は今までどこにいたのだ」
彼はだまって依然このわたしをにらみつけている。その眼はいやに憎々しげである。傍らの少尉はハラハラしている。
突然、この男は叫び出した。
「憲兵分隊長? 分隊長なら分隊長らしく、軍服を着て出てこい。着流しでわれわれに対するとは何事だ!」
と、渋川に食ってかかってきた。
なるほどその通りである。渋川は着流しに羽織をひっかけたままだ。 これまでこの若い少尉の不遜な態度も、それが酔余の勢いだと、じっと耐えていたが、仮にも将校に向かって不遜である。渋川は怒鳴り返した。
「馬鹿野郎! 貴様のその態度はなんだ。いくら少しばかり酒を飲んだからとて俺は分隊長だ。憲兵なのだ。憲兵はどんな服装でも服務に着けるものだ! 貴様のごとき馬鹿者には物をいってもわからん。わかるまで留置場に入っとけ!」
渋川はタンカを切ると、彼を連れて来た当直下士官に叫んだ。
「当直下士官! この男をすぐ留置場にぶち込め!」
当直下士官は彼を引きずるようにして連れ出した。介添え役の背の高い少尉は、やはりウロウロている。
そして泣きそうな声で嘆願してきた。
「分隊長殿、留置場へ入れることだけは堪忍してやって下さい。私も悪かったのです。堪忍して下さい」
「ならん!」
すがるような声をはねつけた。
分隊長室の隣は、こうした者を一時的に閉じ込めておく留置所がある。
いずれどこかの派遣学生だろうが、上官を上官とも思わない、この厚かましさは酷い。これがこの節の若者の下克上というやつだろうか。
しばらくして留置所の方が静かになった。渋川が時計を見ると、すでに4時間が経過していた。
当直下士官がおずおずとやって来た。
「分隊長殿、あいつも悪かったと申し上げております。許してやって下さい。う一度会ってやって下さい」
「そうか。悪かったというのなら連れて来い!」
今度は直立不動の姿勢である。この酔っばらい男も正しく敬礼した。
「まことにご無礼をいたしました」
と、殊勝気に下を向いている。渋川はこの男にいささか興味をおぼえた。
「ヨシ。すわれ」
彼らはもはや羊のように、渋川の前にすわっている。
「君の名前は何だ」
「山田信一であります」
「原隊は」
「朝鮮羅南歩兵第73連隊」
「学校は通信か機関銃か」
「通信であります」
「今夜のことを逐一述べてみよ」
彼は今夕以来の行動を述べた。料亭で女中の態度が悪いと慣概し、玄関であばれ、正月用の飾り物を庭へ投げつけた。そこに活けてあった見事な生け花など水盤もろともひっくりかえした。
さらにこれを止めようとした女中たちを投げとばしたことなど、すっかり白状した。
「悪いことをしたと思っているのか」
「申しわけないことだと思います。将校としての体面を汚したことは、なんとも申しわけあ りません」
「よし。いずれこの責任は負わねばなるまい。学校当局には自分で報告しろ。ときに君は何期か」
「はい、46期であります」
渋川は、この男は臭いと直感した。
――革命志士とやらのひとりではあるまいな?
というのは、彼の不遜な態度が感じられたし、羅南といえばそのころ朝鮮における五・一五事件(昭和7年)に立ち上がった士官候補生が44期生であり、この46期生もすでに学校時代から革新の空気を吸っているとみたからである。
自分たちが歴史を作るという概念に、この若き将校も染まっている可能性がある。
「君は大蔵大尉を知っているか」
「はい。知っております」
渋川には、この男は少なくとも革新将校の流れを汲むものと読み取れた。聞いてみると、なかなかに部内の様子にも通じているし、また、派閥の中にいなければ知りえないことまで知っていた。
新しい革新将校を発見したというわけだった。渋川は彼を解放したあと、その後ろ姿をじっと眺めていた。
「どうかなさいましたか」
「いや、ちょっとな」
いずれ彼らが革命と称して立ち上がる日が来る気がしてならなかった。やがて柱時計が鐘の音を打った。午前1時である。
「ご苦労」
「は、いえ」
渋川はまた官舎に戻った。
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