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四番勝負
信じるな
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※※※※※
翌日。
「で、それから高木海人とは?」
「それっきり!だって私は閻魔に担がれて運ばれちゃったんだもん。LINEもこない」
黒板の前で涼馬と戯れている閻魔をみながら、亜子ちゃんが溜め息をついた。
筒状に丸めた英語のプリントで涼馬にポカポカと頭を殴られている閻魔は、何故か嬉しそう。
やがて涼馬が呆れたように閻魔を見たあと、耳元で何か囁くと、閻魔は弾けるように笑った。
そのうち涼馬までが天井を仰いで笑いだして、一部始終を見ていた私は、そんな二人の様子に苦笑した。
「ああ、高木海人、もったいない!」
私はホッと息をついて亜子ちゃんに笑った。一番後ろの自分の席はみんなが見渡せる。
私は思い思いに過ごしているクラスメートをみながら、ポツポツと呟くように言った。
「私、高木君に付き合ってほしいって言われて、揺らいだんだ、心が。ズルいよね。
好きになった人と付き合いたいなんて言いながら、あんな真剣な告白をしてくれるなら高木君と付き合おうかなー、なんて」
亜子ちゃんが僅かに首を横に振りながら笑った。
「いいじゃん、それで。なにも悪いことじゃないじゃん」
「そうなんだけど……だからね、閻魔が来てくれて助かったのかも知れないなーって」
……じゃないと……断ると高木君が可哀想とか、こんなイケメン振ったら勿体ないとか、なんかうまく言えないけど手っ取り早く恋がしたくなって、理想の自分の恋からかけ離れちゃうような気がしたんだ。
「そっか。ルナらしいかもね。しかし、円真君はなんで急に現れたわけ?」
亜子ちゃんが男子とはしゃいでいる閻魔を見ながら、首をかしげた。
亜子ちゃんには閻魔が突然やって来て私を迎えに来たとしか言ってない。
「あんたの事、手のかかる妹か何かと勘違いしてんじゃないの?」
「そうかもね。めいわくー」
私は亜子ちゃんにプッと頬を膨らませて見せた。
きっと閻魔はこう思ってるにちがいない。自分から私を守ると言った手前、放り出すことも出来ない。
かといって私だけが恋愛にうつつを抜かし、自分は大好きな蘭さんに会えないのがシャクに障るんだわ。そりゃあ、私だけズルいかもだけど。
そんな私の気持ちにまるで気づいていない亜子ちゃんは、物憂げな眼差しで遠くを見つめた。
「好きになった相手と思いきりの恋愛って、憧れるわあ」
「うん」
私にもそんな人がいつか現れるのだろうか。
「高木君に、謝りのLINEいれなきゃ」
「そだね。直接だと重いしね」
私は子供みたいにはしゃぐ閻魔達男子から眼をそらすと、スマホを取り出した。
※※※※※
土曜日の翌朝。
「ルナ」
起きてるけど……無視。
昨日から、私は閻魔を無視している。
「ルナ」
……だから、喋らないってば。
私の部屋を遠慮気味に開けた閻魔が、早口で言った。
「朝……飯を作ってやったぞ」
……え?……嘘でしょ。私はベッドから身を起こして閻魔を見た。
ドアから顔を出している閻魔は少し拗ねたような顔をして、一瞬私を見た後そっぽを向いた。
「食わねぇなら、俺が全部、」
「食べる!」
高木海人の事件を忘れるくらいの衝撃だった。
だってあの世で死者の審判をしていた閻魔が、朝食を作ったなんて。
ベッドから勢いよく起き上がった私を見て、閻魔がホッとしたように息をついた。
「どうしたの、朝ご飯作ってくれるなんて……」
すると閻魔は、ベッドに座ったままの私に手を伸ばした。
「いいから、来い」
伸ばされた手に私が手を伸ばすと、閻魔が私を引き寄せた。
「あ」
トン、と床に降りたら急に閻魔が私を胸に抱いた。……フワリと優しく。
温かい閻魔の身体は大きくて、私の鼓動がドクンと跳ねた。
「な、なに、閻魔」
「………」
男らしく逞しい身体にスッポリと包まれて、バクバクと脈打つ心臓の音が耳元で響く。
閻魔の手の感覚を背中に感じて、私はもう顔が熱くて仕方がなかった。
「閻魔ってば」
「アイツが好きなのか」
……アイツ?
「アイツって?」
その瞬間、顔が見える距離まで身を起こした閻魔が私を見下ろした。
些かつり上がり気味の眼で私を不機嫌そうに見下ろしているのに、閻魔は更に両腕に力を込めて私を抱き寄せた。
「……んっ、閻魔、苦し、」
「答えろ。アイツ……高木海人に惚れたのか」
「ほ、惚れるって……好きになる暇なかったじゃん!閻魔が乱入してきたからっ」
閻魔は、唇を引き結んで私の瞳を覗き込んだ。
「……」
「もうっ、苦しいっ。離してっ」
私が眉を寄せて閻魔を見上げると、彼は一瞬息を飲んだように眼を見開いた。
「閻魔ってば」
「よし」
よし?!
「……っ!」
閻魔が身を屈めたかと思うと、私の額に柔らかい感覚が広がった。
……キスだ。キスした、閻魔が。
ドキン!と一際胸が高鳴って、私は間近に見える閻魔の喉元を見つめた。
確かキスは四度目だ。
閻魔の屋敷で頬にキスされたのが最初。
彼が閻魔帳を取り戻しに来た時が、二度目。
三度目は高木海人に告白された時、突如現れた閻魔は私の髪にキスをした。そして今、額にキス。
そりゃ、チャラい閻魔にしたらなんて事ないのかもしれないけど、私はそうじゃない。
四回目のキスは凄くゆっくりでこの上なく優しくて、閻魔の唇の感覚がモロに伝わってきた。
カッコいいからって、ズルいよ。
やがてゆっくりと唇を離した閻魔を私は睨んだ。
「チャラすぎ!」
「チャラすぎとは?」
「女の子なら何人とでも仲良く出来ちゃったり、好きでもない女の子と平気でチュウ出来ちゃう男の事!」
「…………」
「早く離して」
ゆっくり腕を解いた閻魔が、スッと踵を返した。
「早く食うぞ」
「うん」
「メニューはなに?」
「メニューとはなんだ」
「献立」
「親子丼とやらだ。昨日、涼馬にスマホを借りて覚えたんだ」
「えー、すごいじゃん!」
私は閻魔の広い背中を見ながら、ワクワクして階段を降りた。
※※※※
数日後。
「ルナ」
真後ろで声がして、私は勢いよく振り返った。
「仁!」
艶やかな赤髪と、同色の綺麗な瞳。
私は、腕を組んで机に腰かけている仁に抱きついた。
「おっと!」
仁が飛び付いた私を慌てて抱き止める。
「仁!どこ行ってたの?ずっと会いたかったのに」
仁は私を抱き止めて、なだめるように背中をポンポンと叩いた。
「ちょっと忙しくてな」
私は身を起こして仁の顔を見つめた。
「いっぱい仁に話したいことがあるの」
仁がにっこりと笑う。
「どうした?」
「ねえ仁、閻魔が来たの」
仁が真顔に変わった。
「人間以外の気配がまるでない。ここにいるのか?もしかして……閻魔帳か?」
私は軽く頷いて、溜め息をついた。
「多分私が、ここは死者の国じゃないんだから人間と同じように振る舞えって言ったから、術か何かで人になってるんじゃない?
それよりも朱里がね、意識を取り戻したの。だから閻魔に返したんだけど」
「ならもういいんじゃないのか」
私は閻魔のニヤリとした顔を思い返しながら、頬を膨らませた。
「それが良くないの。居座っちゃってる」
「なんだって?」
仁がクッと眼を鋭くした。
「とり憑かれてるんだって、私」
私は小さく息を飲む仁にバタバタと掌を振り、何でもないといった風に笑った。
「大丈夫だよ、絶対に閻魔の勘違いだから」
「閻魔は、お前が取り憑かれてるってどうして分かったんだ」
私は袖をまくり上げて、仁に肩のアザを見せた。
「このアザは魔物に取り憑かれた者に浮かぶ印なんだって」
仁がビクッと身体を震わせた。
「これは……烙痕(ステイグマダ)だ」
仁の顔は何故か真っ青で、私は思わず彼の額の汗をぬぐった。
「仁、大丈夫?」
仁はすぐに私のアザから眼をそらすと、袖を整えながら口を開いた。
「……閻魔は、何をする気なんだ」
「さあ。なんでも、魔物に取り憑かれた者は死ぬから俺が守ってやるって、」
「無理だ!」
突然、仁が声を荒げた。
「仁?」
驚いた私を見て、仁が我に返ったように瞬きをした。
「……何が無理なの?」
「ルナ」
仁が苦痛に歪んだ顔で私を見た。
たちまち、私の胸に不安が生まれてグルグルと渦巻く。
「なに、どうしたの?仁、なんか変」
「ルナ、いいか。良く聞け。お前は……悪魔に眼をつけられてるんだ」
「……悪魔?」
仁が私を抱き締めた。
「ルナ、俺と来い。夢の中なら俺が守ってやれる。な?俺と夢の国へ行こう」
私は焦りながらも仁の赤い髪を撫でて、彼を落ち着かせようとした。
「待って仁、意味が分かんない」
「ルナ、お前を死なせたくない。俺と夢の国で暮らそう。そしたら死ななくてすむし、ずっと一緒にいられる」
仁の必死な赤い瞳に、私は混乱した。
「仁、意味分かんない。悪魔ってどんな悪魔?仁はなにか知ってるの?」
私の質問に、仁が怯えたように息を飲んだ。
「ルナ……うっ!!」
その時、空気を切るような何か鋭いものが私の髪を乱した。
「仁!」
その瞬間、仁の頬に一筋の黒い線が生まれて、私は眼を見張った。仁の血は黒い。
「仁、血が……!」
「そんなもんじゃ済まなくなるぜ。おい、赤髪の悪魔、ルナを離せ!」
「っ……!」
振り向くと部屋の中央の空間に、閻魔が胡座をかいて浮いていた。
それを見た仁が、私を身体から離して身構える。
「……閻魔か」
閻魔が顎をあげ、斜めに仁を見ると不敵な笑みを浮かべた。
「どこのどいつか知らねぇが、天下の閻魔様を呼び捨てとはいい度胸じゃねぇか」
「ルナ、下がってろ」
仁は低い声で私にそう言うと、閻魔に向き直った。
「閻魔帳は返しただろう。現世から……ルナから去れ!」
「フッ、わかってねぇな。お前みたいな雑魚が俺に意見できる日なんざ、一生来ねぇんだよ」
言うなり閻魔が縦に構えた指二本を顔の中心に移動させ、短く何かを呟いた。
「ぐわぁーっ!」
たちまち仁が膝を折り、頭を押さえて苦しみだす。
「仁、仁!」
閻魔だ。閻魔の仕業だ。
「閻魔っ!やめて。仁は私の友達なの!!」
地に降り立つ閻魔に駆け寄りしがみつくと、閻魔は私の髪をスルリと撫でた。
「ルナ、お前は騙されてるんだ。どいてろ。トドメ刺してやる」
私は焦って首を振った。
「嫌だ、ダメ!仁は子供の時から大好きなの。お願いやめて」
涙声になった私を閻魔は驚いたように見下ろした。
「……なんだと」
みるみる閻魔の顔に怒りが生まれた。ダメだ、閻魔はマジで怒ってる。
「仁、逃げてっ!」
「……ルナ」
仁の苦しげな声に胸を突かれる。
「仁、早く!話は夢で」
閻魔が低い声で叫んだ。
「逃がすかよ!長い間ルナを騙していた罰を下してやる!」
閃光が、仁の身体を貫いた。
悲鳴と共に仁の姿がかき消え、彼が無事かどうか分からないまま辺りが静まり返った。
……仁……仁。
「ルナ、こっち来い」
こちらに伸ばした閻魔の手を、私は思いきり弾き返した。涙で閻魔の顔が滲む。
「ルナ、お前はあの赤髪に騙されてるんだ」
「嘘よっ!仁は友達なのにっ」
「お前はなんにも分かってねーんだよっ!アイツを信じるな」
絶対違う!絶対に違うもん!!
「閻魔なんか嫌い!離してっ。……きゃあああっ!!」
その時、久々に腕のアザがズキッと痛んだ。
身体に長い剣を突き立てられたように、激しい痛みだった。
「おい、ルナ!」
「きゃあああっ!!」
倒れそうになった私を、血相を変えた閻魔が抱き止めた。
ダメ……ダメだ。次の瞬間、雷に打たれたように身体に電気が走った。
「あああっ!」
「ルナ、ルナ!しっかりしろ!」
このときの私は知らなかった。肩のアザが、濃い紫色に変化していた事に。
薄れ行く意識の中で、私はただ仁の無事だけを祈っていた。
※※※※※※
目が覚めると、ベッドに寝かされていた。
そばには椅子を引き寄せて座る閻魔の姿があった。
「ルナ」
左手が温かくて、見ると閻魔が握っていた。
「仁は?」
「殺してない。無事だ」
よかった……!
閻魔は短くそう言うと、私の顔を覗き込んだ。
「……そう怒るなって」
「だって、仁を」
「取り憑いたのが、アイツだったらどうするんだ」
「……仁はそんなことしないよ」
「悪魔にいいヤツなんかいねぇんだよ。下心があるに決まってるだろ」
お前が言うなっ。
「閻魔なんか嫌いだから!仁は悪魔だけど優しいのに!」
ムカつく。キッと睨みながら起き上がろうとした私を、閻魔が支えた。
肩が痛くてそっと見ると、アザが濃く変化している。
「……アザの色が濃くなってる……」
肩のアザを覗き込んだ閻魔の顔色が変わった。
「…………」
「……閻魔。私、本当に死んじゃうの?」
閻魔が私の手を強く握った。
迫った眉の下の、黒に近い紫の瞳が不敵に光る。
「俺を誰だと思ってる」
閻魔は更に続けた。
「俺がお前を守ってやる」
「閻魔……」
なんでだろう。大好きな友達の仁を傷つけられて、ムカつくのに。
なのにどうして私は閻魔を信じてるんだろう。
閻魔にそう言われると安心するのは何故なんだろう。
強くて逞しくて、私に真っ直ぐ差し伸べてくれる閻魔の手を、離したくなくて。
「閻魔……ありがと」
本当に閻魔は、頼れる従兄みたいだ。
「飯食うか?」
「うん」
「作ってやる」
私が笑うと閻魔も白い歯を見せた。
「抱いて降りてやろうか?」
真面目な顔でそんな事を言うから、思わず吹き出してしまう。
「大丈夫だよ。ありがと」
※※※※※
夕食時も閻魔は仁に近づくなと口うるさく言ったけれど、私は仁が心配でならなかった。
『赤髪の悪魔を信じるな』
仁は確かに夢魔で悪魔だけど一度でも私に危害を加えたことはないし、逆にいつも優しかった。
長く生きている仁はよく古代の話や夢の国の話をしてくれるし、ふたりで夢の中でよく遊んだ。
そんな仁が私に取り憑いて、命を奪おうとしているなんて到底思えない。
私はお風呂から上がると、眠りについた。夢の中で早く仁に会いたくて。
けれどこの日を境に、私は仁に会うことが出来なかった。
自分の部屋で呼び掛けても、夢の中で探しても、仁は私に答えてはくれなかったから、私にはなす術がなかった。
「仁……」
それでも呼ばずにはいられなくて、私は何度も彼の名を呼んだ。
翌日。
「で、それから高木海人とは?」
「それっきり!だって私は閻魔に担がれて運ばれちゃったんだもん。LINEもこない」
黒板の前で涼馬と戯れている閻魔をみながら、亜子ちゃんが溜め息をついた。
筒状に丸めた英語のプリントで涼馬にポカポカと頭を殴られている閻魔は、何故か嬉しそう。
やがて涼馬が呆れたように閻魔を見たあと、耳元で何か囁くと、閻魔は弾けるように笑った。
そのうち涼馬までが天井を仰いで笑いだして、一部始終を見ていた私は、そんな二人の様子に苦笑した。
「ああ、高木海人、もったいない!」
私はホッと息をついて亜子ちゃんに笑った。一番後ろの自分の席はみんなが見渡せる。
私は思い思いに過ごしているクラスメートをみながら、ポツポツと呟くように言った。
「私、高木君に付き合ってほしいって言われて、揺らいだんだ、心が。ズルいよね。
好きになった人と付き合いたいなんて言いながら、あんな真剣な告白をしてくれるなら高木君と付き合おうかなー、なんて」
亜子ちゃんが僅かに首を横に振りながら笑った。
「いいじゃん、それで。なにも悪いことじゃないじゃん」
「そうなんだけど……だからね、閻魔が来てくれて助かったのかも知れないなーって」
……じゃないと……断ると高木君が可哀想とか、こんなイケメン振ったら勿体ないとか、なんかうまく言えないけど手っ取り早く恋がしたくなって、理想の自分の恋からかけ離れちゃうような気がしたんだ。
「そっか。ルナらしいかもね。しかし、円真君はなんで急に現れたわけ?」
亜子ちゃんが男子とはしゃいでいる閻魔を見ながら、首をかしげた。
亜子ちゃんには閻魔が突然やって来て私を迎えに来たとしか言ってない。
「あんたの事、手のかかる妹か何かと勘違いしてんじゃないの?」
「そうかもね。めいわくー」
私は亜子ちゃんにプッと頬を膨らませて見せた。
きっと閻魔はこう思ってるにちがいない。自分から私を守ると言った手前、放り出すことも出来ない。
かといって私だけが恋愛にうつつを抜かし、自分は大好きな蘭さんに会えないのがシャクに障るんだわ。そりゃあ、私だけズルいかもだけど。
そんな私の気持ちにまるで気づいていない亜子ちゃんは、物憂げな眼差しで遠くを見つめた。
「好きになった相手と思いきりの恋愛って、憧れるわあ」
「うん」
私にもそんな人がいつか現れるのだろうか。
「高木君に、謝りのLINEいれなきゃ」
「そだね。直接だと重いしね」
私は子供みたいにはしゃぐ閻魔達男子から眼をそらすと、スマホを取り出した。
※※※※※
土曜日の翌朝。
「ルナ」
起きてるけど……無視。
昨日から、私は閻魔を無視している。
「ルナ」
……だから、喋らないってば。
私の部屋を遠慮気味に開けた閻魔が、早口で言った。
「朝……飯を作ってやったぞ」
……え?……嘘でしょ。私はベッドから身を起こして閻魔を見た。
ドアから顔を出している閻魔は少し拗ねたような顔をして、一瞬私を見た後そっぽを向いた。
「食わねぇなら、俺が全部、」
「食べる!」
高木海人の事件を忘れるくらいの衝撃だった。
だってあの世で死者の審判をしていた閻魔が、朝食を作ったなんて。
ベッドから勢いよく起き上がった私を見て、閻魔がホッとしたように息をついた。
「どうしたの、朝ご飯作ってくれるなんて……」
すると閻魔は、ベッドに座ったままの私に手を伸ばした。
「いいから、来い」
伸ばされた手に私が手を伸ばすと、閻魔が私を引き寄せた。
「あ」
トン、と床に降りたら急に閻魔が私を胸に抱いた。……フワリと優しく。
温かい閻魔の身体は大きくて、私の鼓動がドクンと跳ねた。
「な、なに、閻魔」
「………」
男らしく逞しい身体にスッポリと包まれて、バクバクと脈打つ心臓の音が耳元で響く。
閻魔の手の感覚を背中に感じて、私はもう顔が熱くて仕方がなかった。
「閻魔ってば」
「アイツが好きなのか」
……アイツ?
「アイツって?」
その瞬間、顔が見える距離まで身を起こした閻魔が私を見下ろした。
些かつり上がり気味の眼で私を不機嫌そうに見下ろしているのに、閻魔は更に両腕に力を込めて私を抱き寄せた。
「……んっ、閻魔、苦し、」
「答えろ。アイツ……高木海人に惚れたのか」
「ほ、惚れるって……好きになる暇なかったじゃん!閻魔が乱入してきたからっ」
閻魔は、唇を引き結んで私の瞳を覗き込んだ。
「……」
「もうっ、苦しいっ。離してっ」
私が眉を寄せて閻魔を見上げると、彼は一瞬息を飲んだように眼を見開いた。
「閻魔ってば」
「よし」
よし?!
「……っ!」
閻魔が身を屈めたかと思うと、私の額に柔らかい感覚が広がった。
……キスだ。キスした、閻魔が。
ドキン!と一際胸が高鳴って、私は間近に見える閻魔の喉元を見つめた。
確かキスは四度目だ。
閻魔の屋敷で頬にキスされたのが最初。
彼が閻魔帳を取り戻しに来た時が、二度目。
三度目は高木海人に告白された時、突如現れた閻魔は私の髪にキスをした。そして今、額にキス。
そりゃ、チャラい閻魔にしたらなんて事ないのかもしれないけど、私はそうじゃない。
四回目のキスは凄くゆっくりでこの上なく優しくて、閻魔の唇の感覚がモロに伝わってきた。
カッコいいからって、ズルいよ。
やがてゆっくりと唇を離した閻魔を私は睨んだ。
「チャラすぎ!」
「チャラすぎとは?」
「女の子なら何人とでも仲良く出来ちゃったり、好きでもない女の子と平気でチュウ出来ちゃう男の事!」
「…………」
「早く離して」
ゆっくり腕を解いた閻魔が、スッと踵を返した。
「早く食うぞ」
「うん」
「メニューはなに?」
「メニューとはなんだ」
「献立」
「親子丼とやらだ。昨日、涼馬にスマホを借りて覚えたんだ」
「えー、すごいじゃん!」
私は閻魔の広い背中を見ながら、ワクワクして階段を降りた。
※※※※
数日後。
「ルナ」
真後ろで声がして、私は勢いよく振り返った。
「仁!」
艶やかな赤髪と、同色の綺麗な瞳。
私は、腕を組んで机に腰かけている仁に抱きついた。
「おっと!」
仁が飛び付いた私を慌てて抱き止める。
「仁!どこ行ってたの?ずっと会いたかったのに」
仁は私を抱き止めて、なだめるように背中をポンポンと叩いた。
「ちょっと忙しくてな」
私は身を起こして仁の顔を見つめた。
「いっぱい仁に話したいことがあるの」
仁がにっこりと笑う。
「どうした?」
「ねえ仁、閻魔が来たの」
仁が真顔に変わった。
「人間以外の気配がまるでない。ここにいるのか?もしかして……閻魔帳か?」
私は軽く頷いて、溜め息をついた。
「多分私が、ここは死者の国じゃないんだから人間と同じように振る舞えって言ったから、術か何かで人になってるんじゃない?
それよりも朱里がね、意識を取り戻したの。だから閻魔に返したんだけど」
「ならもういいんじゃないのか」
私は閻魔のニヤリとした顔を思い返しながら、頬を膨らませた。
「それが良くないの。居座っちゃってる」
「なんだって?」
仁がクッと眼を鋭くした。
「とり憑かれてるんだって、私」
私は小さく息を飲む仁にバタバタと掌を振り、何でもないといった風に笑った。
「大丈夫だよ、絶対に閻魔の勘違いだから」
「閻魔は、お前が取り憑かれてるってどうして分かったんだ」
私は袖をまくり上げて、仁に肩のアザを見せた。
「このアザは魔物に取り憑かれた者に浮かぶ印なんだって」
仁がビクッと身体を震わせた。
「これは……烙痕(ステイグマダ)だ」
仁の顔は何故か真っ青で、私は思わず彼の額の汗をぬぐった。
「仁、大丈夫?」
仁はすぐに私のアザから眼をそらすと、袖を整えながら口を開いた。
「……閻魔は、何をする気なんだ」
「さあ。なんでも、魔物に取り憑かれた者は死ぬから俺が守ってやるって、」
「無理だ!」
突然、仁が声を荒げた。
「仁?」
驚いた私を見て、仁が我に返ったように瞬きをした。
「……何が無理なの?」
「ルナ」
仁が苦痛に歪んだ顔で私を見た。
たちまち、私の胸に不安が生まれてグルグルと渦巻く。
「なに、どうしたの?仁、なんか変」
「ルナ、いいか。良く聞け。お前は……悪魔に眼をつけられてるんだ」
「……悪魔?」
仁が私を抱き締めた。
「ルナ、俺と来い。夢の中なら俺が守ってやれる。な?俺と夢の国へ行こう」
私は焦りながらも仁の赤い髪を撫でて、彼を落ち着かせようとした。
「待って仁、意味が分かんない」
「ルナ、お前を死なせたくない。俺と夢の国で暮らそう。そしたら死ななくてすむし、ずっと一緒にいられる」
仁の必死な赤い瞳に、私は混乱した。
「仁、意味分かんない。悪魔ってどんな悪魔?仁はなにか知ってるの?」
私の質問に、仁が怯えたように息を飲んだ。
「ルナ……うっ!!」
その時、空気を切るような何か鋭いものが私の髪を乱した。
「仁!」
その瞬間、仁の頬に一筋の黒い線が生まれて、私は眼を見張った。仁の血は黒い。
「仁、血が……!」
「そんなもんじゃ済まなくなるぜ。おい、赤髪の悪魔、ルナを離せ!」
「っ……!」
振り向くと部屋の中央の空間に、閻魔が胡座をかいて浮いていた。
それを見た仁が、私を身体から離して身構える。
「……閻魔か」
閻魔が顎をあげ、斜めに仁を見ると不敵な笑みを浮かべた。
「どこのどいつか知らねぇが、天下の閻魔様を呼び捨てとはいい度胸じゃねぇか」
「ルナ、下がってろ」
仁は低い声で私にそう言うと、閻魔に向き直った。
「閻魔帳は返しただろう。現世から……ルナから去れ!」
「フッ、わかってねぇな。お前みたいな雑魚が俺に意見できる日なんざ、一生来ねぇんだよ」
言うなり閻魔が縦に構えた指二本を顔の中心に移動させ、短く何かを呟いた。
「ぐわぁーっ!」
たちまち仁が膝を折り、頭を押さえて苦しみだす。
「仁、仁!」
閻魔だ。閻魔の仕業だ。
「閻魔っ!やめて。仁は私の友達なの!!」
地に降り立つ閻魔に駆け寄りしがみつくと、閻魔は私の髪をスルリと撫でた。
「ルナ、お前は騙されてるんだ。どいてろ。トドメ刺してやる」
私は焦って首を振った。
「嫌だ、ダメ!仁は子供の時から大好きなの。お願いやめて」
涙声になった私を閻魔は驚いたように見下ろした。
「……なんだと」
みるみる閻魔の顔に怒りが生まれた。ダメだ、閻魔はマジで怒ってる。
「仁、逃げてっ!」
「……ルナ」
仁の苦しげな声に胸を突かれる。
「仁、早く!話は夢で」
閻魔が低い声で叫んだ。
「逃がすかよ!長い間ルナを騙していた罰を下してやる!」
閃光が、仁の身体を貫いた。
悲鳴と共に仁の姿がかき消え、彼が無事かどうか分からないまま辺りが静まり返った。
……仁……仁。
「ルナ、こっち来い」
こちらに伸ばした閻魔の手を、私は思いきり弾き返した。涙で閻魔の顔が滲む。
「ルナ、お前はあの赤髪に騙されてるんだ」
「嘘よっ!仁は友達なのにっ」
「お前はなんにも分かってねーんだよっ!アイツを信じるな」
絶対違う!絶対に違うもん!!
「閻魔なんか嫌い!離してっ。……きゃあああっ!!」
その時、久々に腕のアザがズキッと痛んだ。
身体に長い剣を突き立てられたように、激しい痛みだった。
「おい、ルナ!」
「きゃあああっ!!」
倒れそうになった私を、血相を変えた閻魔が抱き止めた。
ダメ……ダメだ。次の瞬間、雷に打たれたように身体に電気が走った。
「あああっ!」
「ルナ、ルナ!しっかりしろ!」
このときの私は知らなかった。肩のアザが、濃い紫色に変化していた事に。
薄れ行く意識の中で、私はただ仁の無事だけを祈っていた。
※※※※※※
目が覚めると、ベッドに寝かされていた。
そばには椅子を引き寄せて座る閻魔の姿があった。
「ルナ」
左手が温かくて、見ると閻魔が握っていた。
「仁は?」
「殺してない。無事だ」
よかった……!
閻魔は短くそう言うと、私の顔を覗き込んだ。
「……そう怒るなって」
「だって、仁を」
「取り憑いたのが、アイツだったらどうするんだ」
「……仁はそんなことしないよ」
「悪魔にいいヤツなんかいねぇんだよ。下心があるに決まってるだろ」
お前が言うなっ。
「閻魔なんか嫌いだから!仁は悪魔だけど優しいのに!」
ムカつく。キッと睨みながら起き上がろうとした私を、閻魔が支えた。
肩が痛くてそっと見ると、アザが濃く変化している。
「……アザの色が濃くなってる……」
肩のアザを覗き込んだ閻魔の顔色が変わった。
「…………」
「……閻魔。私、本当に死んじゃうの?」
閻魔が私の手を強く握った。
迫った眉の下の、黒に近い紫の瞳が不敵に光る。
「俺を誰だと思ってる」
閻魔は更に続けた。
「俺がお前を守ってやる」
「閻魔……」
なんでだろう。大好きな友達の仁を傷つけられて、ムカつくのに。
なのにどうして私は閻魔を信じてるんだろう。
閻魔にそう言われると安心するのは何故なんだろう。
強くて逞しくて、私に真っ直ぐ差し伸べてくれる閻魔の手を、離したくなくて。
「閻魔……ありがと」
本当に閻魔は、頼れる従兄みたいだ。
「飯食うか?」
「うん」
「作ってやる」
私が笑うと閻魔も白い歯を見せた。
「抱いて降りてやろうか?」
真面目な顔でそんな事を言うから、思わず吹き出してしまう。
「大丈夫だよ。ありがと」
※※※※※
夕食時も閻魔は仁に近づくなと口うるさく言ったけれど、私は仁が心配でならなかった。
『赤髪の悪魔を信じるな』
仁は確かに夢魔で悪魔だけど一度でも私に危害を加えたことはないし、逆にいつも優しかった。
長く生きている仁はよく古代の話や夢の国の話をしてくれるし、ふたりで夢の中でよく遊んだ。
そんな仁が私に取り憑いて、命を奪おうとしているなんて到底思えない。
私はお風呂から上がると、眠りについた。夢の中で早く仁に会いたくて。
けれどこの日を境に、私は仁に会うことが出来なかった。
自分の部屋で呼び掛けても、夢の中で探しても、仁は私に答えてはくれなかったから、私にはなす術がなかった。
「仁……」
それでも呼ばずにはいられなくて、私は何度も彼の名を呼んだ。
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