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九番勝負
揺らがぬ想い
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※※※※※※※
三年後、春。
私は社会人になっていた。
「皆、進級&入社おめでとう」
「乾杯!」
この春私は短大を卒業し、無事就職が決まった。
亜子ちゃん、舞花ちゃん、架純ちゃん、桜ちゃんも専門学校やら短大やらを卒業し、それぞれ社会人としての一歩を踏み出している。大学生の涼馬は無事進級出来た。
そんなある日、私達仲間は久し振りに集まり、飲み会を開いた。
場所は皆が集まりやすい駅から徒歩数分のリーズナブルな洋風居酒屋だ。
皆、高校生の頃とはずいぶん環境が変わったために話が尽きず、散々近況報告をし合い飲んで食べて楽しんだ。
「ダメ、明日早いのに飲み過ぎちゃった!」
亜子ちゃんが自分の頬をパチパチと両手で叩きながらそう言うと架純ちゃんが、
「ほら帰るよ!明日の朝御飯当番チェンジしてあげるからさ」
亜子ちゃんと架純ちゃんは会社が近いのもあり、ルームシェアをしている。
「じゃあ架純ちゃん、亜子ちゃん頼んだよ」
「おっけ!じゃあまたね!」
桜ちゃんは同棲中の彼が迎えに来ていて、居酒屋の前で別れた。
「じゃ、涼馬、ルナ送ってよ」
「おう」
「じゃね!おやすみ!」
「ん、またね!」
※※
「皆居なくなると急に静かだね」
駅への道を涼馬と一緒に並んで歩きながら、私は夜空を仰いだ。
「アイツらうるせーんだよ」
「涼馬、言葉が悪い。賑やかなだけ!」
私がそう言うと涼馬が笑った。
「なあ、ルナ」
「んー?」
片側四車線の道路が騒がしく、私の返事はかき消されたけれど、涼馬はそれに構わず言葉を続けた。
「あの日からもう三年が経つぞ」
私は星の見えない夜空を諦め、半歩先で立ち止まりこちらを見つめる涼馬を見上げた。
肌寒い風が、まるで心までもを撫でたように身が震えた。
「……うん……分かってる」
……あの日とは……私たちの前から閻魔が去った日だ。
「お前、もういいんじゃないのか?」
三年前の卒業式の日、私は涼馬に真実を告げた。
本当は、閻魔を愛しているって。
閻魔に会いに行ったけれど、彼に受け入れてもらえなかった事も。
「もう、充分だろ。そろそろお前自身の幸せを見つけろよ」
私は焦って少し笑った。
「なに、涼馬。私、今幸せだよ。無事に就職も決まったし、こうして皆とたまに会えるし」
「そーゆー意味じゃねぇよ」
真面目な顔で私を見下ろして、涼馬は続けた。
「お前だけだろ、恋人いないの。高木も桜も恋人と同棲中だし、俺だってお前に朱里を紹介してもらったし」
「感謝してよね!私の大切なイトコ、あんたに紹介したんだから!」
そう。
あれから朱里は徐々に快方に向かい、現在は司法試験に向けて猛勉強中だ。
涼馬はそんな朱里を陰ながら支え、二人とも仲睦まじくやっている。
私は……私は……。
「なあ、ルナ」
涼馬の瞳の中で、心配そうな光が揺れる。
「俺はお前が心配なんだよ」
ああ、涼馬はいつの間にこんなにイイ男になったんだろう。
いや確かに、高校生の時からイイ男には違いなかった。
今はそれに加えて落ち着きが出てきて、頼りがいがある。
「ほら!朱里の家に行くんでしょ?!早く駅に行かないと、終電逃すよ?」
「ルナ……」
「涼馬」
私は涼馬の言葉を遮るとニッコリと笑った。
「私は大丈夫!実は……もう少し閻魔を思っていたいの。完全に思い出に変わるまでは」
ごめんね涼馬、心配かけちゃって。
この気持ちを正直に言うと、涼馬はますます心配するから言えないけれど、私の中ではまだ閻魔は思い出になってないしする気もないの。
ごめんね、涼馬。それからありがとう。
「朱里によろしく言っといて。さあ、行くよ!」
私は涼馬の腕を掴むと、駅までの道を急いだ。
※※※※※
先に最寄り駅に到着する私は電車内で涼馬と別れると改札を抜け、トボトボと自宅へ向かった。
ひとりになると同時に、涼馬の気遣うような口調が蘇る。
『お前、もういいんじゃないのか?
もう、充分だろ。そろそろお前自身の幸せを見つけろよ』
……私自身の幸せ……。
……ごめんね、涼馬。
だけど、この意味が分からないよ。
閻魔のいない世界で、幸せを見つけるのは凄く難しいんだ。
自宅へ近づくにつれ、足取りが重くなる。
マンションのエントランスに着いた頃には視界が滲んだ。
ダメだ、私。
泣くな、泣くな。
俯き加減でエレベーターに乗り込むと、急いで自宅の階のボタンを押し、鼻をすする。
夜に泣いて帰るってどうよ。
エレベーターの扉が開くと共に玄関ドアへと足を進め、予め手に持っていた鍵で開けると私は素早く部屋に飛び込んだ。
「閻魔……」
声に出すと余計寂しいのに、呼ばずにはいられなくて胸が苦しい。
寂しいよ、閻魔。
三年が経っても、私は閻魔と暮らしていた頃を忘れられないでいた。
そういえば閻魔って、テレビが好きだったよな。
特にお笑いやバラエティー番組。
たまに音楽番組をつけては、皆でカラオケに行くからって新しい歌を覚えていたっけ……。
狭いリビングにペタンと座り、小さなローテーブルに手を伸ばすと、私はリモコンの電源ボタンを押した。
すぐ暗闇に青い光が浮き上がり、聴き馴れたメロディが耳に届く。
《His voice 忘れない His voice 切なくて His voice あの日から His voice 愛してる》
閻魔の声は……。
そう、低くて、落ち着いていて。
『ルナ』って呼ぶ声が柔らかくて優しくて……。
声が聞きたい。閻魔の声が、聞きたい。
「閻魔……」
ポトリポトリと落ちた涙がラグに吸い込まれて、まるで何も無いかのように沈んで消えた。
それがまるで私と閻魔のように思えて苦しい。
「閻魔……大好き。あなたじゃないとダメなの。閻魔、会いたい」
「嬉しいぜ、お前がまだ俺に惚れてるなんて」
……だめだ、私……。マジで重症だ、幻聴が聞こえるなんて……!
飲み過ぎちゃったのかも知れないけど、それもよかったかもしれない。だって、閻魔の声が聞きたかったから。
私は涙を拭くと、照明のリモコンに手を伸ばしてリビングの電気をつけた。
どうせなら、声だけじゃなくて顔が見たい。
幻覚でもなんでもいい。閻魔なら、いい。
「ルナ」
「っ……!」
やけにリアルな声だった。
背中が無意識にビクンとして、思わず硬直する。
「ルナ」
嘘…よね…。嘘だよね?!
背後から低くて艶やかな閻魔の声が聞こえて、私の心臓が痛いくらいに脈打ち始めた。
「なあ、こっち向けって」
……やだ、怖い。
だってこれが本当に幻聴で、振り向いたダイニングテーブルに誰もいなかったら、私はもっと泣いてしまうもの。
「ルナ、聞こえてんのか」
声と共にフワリと空気が動いた。
アッと思ったのは一瞬で、逞しい腕が私の身体をフワリと抱く。息が、出来ない。
「ルナ、会いたかったぜ」
後ろから私の髪に顔を埋め、唇を寄せる仕草に身が震えた。
熱い身体と、懐かしい香りが私を堪らなくする。
「え、んま……?」
喉がカラカラで痛かったけど、何か言わなきゃダメだと思った。
「閻魔、なの」
「ああ、俺だ」
「な、んで」
照明のリモコンが手から滑り落ちて、コン、とラグの上に落ちる。
「ルナを愛しに来た」
私を、愛しに……?
激しく脈打つ心臓が痛い。
それは本当?なら、もっと答えて。
「消えない?私が振り向いて、あなたを見ても消えないでいてくれる?もし消えちゃったら、私はもう耐えられない」
震える声で真剣に問い掛けたのに、閻魔はフウッと笑った。
「ああ、消えない。ずっとお前の傍にいる」
もう、我慢出来なかった。
腕をほどき、振り返った私の眼に写ったのは、夢にまで見た愛しいその人だった。
「え、んまっ……!!」
凛々しい眉の下の些かつり上がり気味の眼。
その瞳は黒に近い紫色で。
「嘘……」
閻魔が精悍な頬を傾けて、照れたように笑った。
「嘘じゃない」
「閻魔どうして……?どうして、ここに?」
「俺はお前に惚れてるから」
向き直った私に、閻魔がニッコリと笑った。
「だって三年前……会いに行ったら閻魔はっ……」
「あー……それは……」
閻魔が天井を見て視線を泳がせた。
「あん時はその……修行中だったんだ。だからお前の気持ちには応えられなかった」
「しゅ、修行?」
「そ」
「なんの?」
私が尋ねると、閻魔は唇を引き結んだ。
涼やかな眼を真っ直ぐ私に向けて。
「閻魔」
閻魔の表情があまりにも真剣で、それでいて言葉を発しなくて、不安になる。
「ねえ、答えて」
「お前と、人生を共にするための修行」
「……え?」
人生を共に……?人生を、私と……?
呆然とする私に、閻魔が優しく微笑んだ。
「母上は人間だったが俺は……生粋の人間じゃない。それどころか父上の血を色濃くひいているせいか、あの世の中でもかなりの力を持っている」
閻魔のお母さんが人間だったのは知らなかったけど、閻魔が凄く強いのは分かっていた。
アスモデウスと闘った時の、あの圧倒的な強さはその証拠だ。
後で仁に聞いたらアスモデウスは悪魔の中でも上位で、敵う相手などいなかったらしいから。
見つめることしか出来ない私に、閻魔は更に続けた。
「三年前、俺は自分の気持ちをお前に押し付けてばかりいた。お前の不安も理解せずに。……悪かったと思ってる」
そ……それって……。
「ルナ、俺と共に暮らさないか?人間界で」
こんな時に凄く間抜けだとは思ったけど、息が止まりそうになって思わず口を大きく開けてしまった。
「なんだよ、その顔」
「だ、だって」
「なあルナ、俺とずっと一緒にいてくれないか。ふたりで同じように歳を重ねながら、ずっと」
反射的に両手で口元を覆い、私は眼を見開いた。
ふたりで同じように歳を……?そんな……そんな訳、ない。
だって閻魔は人間よりも歳をとるのが遅い。それもかなり。
なのに、そんな事……。
怖くて突っ込んで訊けない私に、閻魔が困ったように笑った。
「そんな顔するな。言っただろう?お前とこの人間界で人生を共にするために修行したって」
それから私の両手首を優しく掴むと、閻魔はそれを顔の前から遠ざけた。
「それって、人間になったって事……?」
震える声しか出ない私を、閻魔は愛しそうに抱き寄せた。
「俺の中に父上の血が流れている以上、俺は生粋の人間にはなれない。だが……その部分を封印したんだ、自分の内側に。自分自身の力が強いために、封印するのに時間がかかっちまったがな。そしてその封印は自分では解けない」
なんだかよく意味が解らないけれど、閻魔は私と一緒に生きる決心をし、自分の能力を封印して限りなく人に近い存在になったって事?
そしてその封印を自分では解けなくし、私と同じスピードで人生を進んでいくと……。
「……本当……?」
「ああ」
「もっ、もしも喧嘩とかしたり私の事嫌になったりしたら、封印解いて帰っちゃうとか」
不安のあまり私がそう言うと、閻魔は僅かに眉を寄せた。
「そんな事しない。それに封印は自分じゃ解けなくしたと言っただろ?
封印を解くには六文船のジジイの術がいる。しかもジジイは簡単にそんな重大な術を使うようなヤツじゃねぇし」
六文船のジジイって……。
「お爺ちゃん、元気?」
「ああ、元気だ」
「私、船に乗せてもらったんだよ」
「知ってる」
閻魔が白い歯を見せて笑った。
「し、死者の審判はどうするの?それにこっちで暮らすって事は仕事探さなきゃならないんだよ?!現実的な事言って悪いけど、戸籍とかその、書類的な事とか……」
その言葉に閻魔が少しムッとして、私の額に自分の額をコツンとぶつけた。
「死者の審判なら、父上に任せてる。父上の天職だしな。それにこの世に住むための準備なら、もう完了してるし心配しなくていい」
「…………」
最後の術を使ったんだろうか……。
その時私はハッと我に返った。
「あっ、そうだ!閻魔。涼馬がね、閻魔の事ちゃんと覚えてたんだよ」
私がそう言うと、閻魔は一瞬驚いたように眉を上げた。
「……そうか。あいつもお前と一緒なんだな」
そう言った後閻魔は、人が大切な思い出を語る時に見せる独特の光を瞳に宿して、再び口を開いた。
「昔……アイツと、会社を立ち上げようと約束したんだ。アイツ、親父の会社を継ぐのは兄弟に任せて、自分は一から起業したいって。……覚えてんのかな」
私は嬉しくなって声を抑えることが出来なかった。
「絶対覚えてるよ!涼馬きっと喜ぶよ!さっきまで一緒に飲んでたから多分まだ起きてるはず!今から電話して知らせ……んっ」
最後まで言えなかった。
だって閻魔が唇で私の口を塞いだから。
「……るせぇ」
少しだけ、ほんの少しだけ唇を離すと、閻魔は殆ど息だけでこう言って再び私に口付けた。
私の腰に回した両腕を、ギュッと絡ませて。
やだ、キュンとする、胸が。
でも顔が見たいのに、これじゃ見えない。
甘いキスは胸がキュウッとなるけど、やっぱり顔が見たくて、私は閻魔の胸をそっと押した。
「……ん?」
ん?じゃなくて。
「閻魔……顔が見たい。もっとゆっくり」
私が呟くようにそう言うと、閻魔がクスリと笑った。
「……なら、ゆっくり見ろ」
閻魔はそう言うと、少し私から身を離した。
形のよい額、男らしい眉に綺麗な眼。通った鼻筋に、綺麗な口元。
それに加え、引き締まった逞しい身体つき。
何もかもがカッコ良すぎて、やっぱり改まると長く見つめていられない。
カアッと顔が熱くなって思わず横を向いた私に、閻魔が拍子抜けしたように言った。
「なんだ、もういいのか」
いや、もっと見たいけど、改まるとやっぱり……。
そんな私を一層抱き寄せて、閻魔は甘く笑った。
「ほら、続きするぞ」
な、なに言って……!心臓が……破裂する。
「あーっ!」
急に叫んだ私を前に、閻魔はあからさまに嫌な顔をした。
「……なんだよ」
「そ、そういえばっ!あんた私の部屋にどうやって入ったのよ?!」
「あ?」
「あ、じゃないよっ。まさか、術じゃないでしょーねっ?!」
私が眉を寄せると閻魔は、
「そうだ、お前ここから引っ越せ!物騒だ」
「なんで!?」
すると閻魔は鼻で笑った。
「術使うまでもねーわ。こんなチャチな錠前、十数えるまでもなく開いたぜ」
物騒なのはあんただっつーの!
しかも錠前って……。
「今度からダメだからね!ちゃんと合鍵あげるから、それ使う事!ちゃんと人間らしい行動とってよね」
私の言葉を聞いて、閻魔が不満そうに瞳を光らせた。
「言っとくが、俺の母上は人間だぞ?それくらい朝飯前だ」
……怪しい。凄く怪しい。
けれど、少し拗ねたような閻魔が可愛くて、私は手を伸ばすと彼の頬を包み込んだ。
「……閻魔……」
「ん?」
黒に近い紫の瞳が、凄く優しい。
この瞳を、私は傍でいつまでも見ながら生きていきたい。
私は閻魔の頬から手を離すと、彼の両手をそっと握った。
「閻魔、来てくれてありがと」
私の言葉に閻魔のつり上がり気味の眼が、みるみる丸く変わった。
それから戸惑ったように私から視線をそらすと、小さく咳払いをした。
「お、おう」
こんな風に照れた顔も見ていたい、ずっと。
嬉しくて嬉しくて、両腕を投げ出すように閻魔の首に絡めると、私はその愛しい唇にキスをした。
三年後、春。
私は社会人になっていた。
「皆、進級&入社おめでとう」
「乾杯!」
この春私は短大を卒業し、無事就職が決まった。
亜子ちゃん、舞花ちゃん、架純ちゃん、桜ちゃんも専門学校やら短大やらを卒業し、それぞれ社会人としての一歩を踏み出している。大学生の涼馬は無事進級出来た。
そんなある日、私達仲間は久し振りに集まり、飲み会を開いた。
場所は皆が集まりやすい駅から徒歩数分のリーズナブルな洋風居酒屋だ。
皆、高校生の頃とはずいぶん環境が変わったために話が尽きず、散々近況報告をし合い飲んで食べて楽しんだ。
「ダメ、明日早いのに飲み過ぎちゃった!」
亜子ちゃんが自分の頬をパチパチと両手で叩きながらそう言うと架純ちゃんが、
「ほら帰るよ!明日の朝御飯当番チェンジしてあげるからさ」
亜子ちゃんと架純ちゃんは会社が近いのもあり、ルームシェアをしている。
「じゃあ架純ちゃん、亜子ちゃん頼んだよ」
「おっけ!じゃあまたね!」
桜ちゃんは同棲中の彼が迎えに来ていて、居酒屋の前で別れた。
「じゃ、涼馬、ルナ送ってよ」
「おう」
「じゃね!おやすみ!」
「ん、またね!」
※※
「皆居なくなると急に静かだね」
駅への道を涼馬と一緒に並んで歩きながら、私は夜空を仰いだ。
「アイツらうるせーんだよ」
「涼馬、言葉が悪い。賑やかなだけ!」
私がそう言うと涼馬が笑った。
「なあ、ルナ」
「んー?」
片側四車線の道路が騒がしく、私の返事はかき消されたけれど、涼馬はそれに構わず言葉を続けた。
「あの日からもう三年が経つぞ」
私は星の見えない夜空を諦め、半歩先で立ち止まりこちらを見つめる涼馬を見上げた。
肌寒い風が、まるで心までもを撫でたように身が震えた。
「……うん……分かってる」
……あの日とは……私たちの前から閻魔が去った日だ。
「お前、もういいんじゃないのか?」
三年前の卒業式の日、私は涼馬に真実を告げた。
本当は、閻魔を愛しているって。
閻魔に会いに行ったけれど、彼に受け入れてもらえなかった事も。
「もう、充分だろ。そろそろお前自身の幸せを見つけろよ」
私は焦って少し笑った。
「なに、涼馬。私、今幸せだよ。無事に就職も決まったし、こうして皆とたまに会えるし」
「そーゆー意味じゃねぇよ」
真面目な顔で私を見下ろして、涼馬は続けた。
「お前だけだろ、恋人いないの。高木も桜も恋人と同棲中だし、俺だってお前に朱里を紹介してもらったし」
「感謝してよね!私の大切なイトコ、あんたに紹介したんだから!」
そう。
あれから朱里は徐々に快方に向かい、現在は司法試験に向けて猛勉強中だ。
涼馬はそんな朱里を陰ながら支え、二人とも仲睦まじくやっている。
私は……私は……。
「なあ、ルナ」
涼馬の瞳の中で、心配そうな光が揺れる。
「俺はお前が心配なんだよ」
ああ、涼馬はいつの間にこんなにイイ男になったんだろう。
いや確かに、高校生の時からイイ男には違いなかった。
今はそれに加えて落ち着きが出てきて、頼りがいがある。
「ほら!朱里の家に行くんでしょ?!早く駅に行かないと、終電逃すよ?」
「ルナ……」
「涼馬」
私は涼馬の言葉を遮るとニッコリと笑った。
「私は大丈夫!実は……もう少し閻魔を思っていたいの。完全に思い出に変わるまでは」
ごめんね涼馬、心配かけちゃって。
この気持ちを正直に言うと、涼馬はますます心配するから言えないけれど、私の中ではまだ閻魔は思い出になってないしする気もないの。
ごめんね、涼馬。それからありがとう。
「朱里によろしく言っといて。さあ、行くよ!」
私は涼馬の腕を掴むと、駅までの道を急いだ。
※※※※※
先に最寄り駅に到着する私は電車内で涼馬と別れると改札を抜け、トボトボと自宅へ向かった。
ひとりになると同時に、涼馬の気遣うような口調が蘇る。
『お前、もういいんじゃないのか?
もう、充分だろ。そろそろお前自身の幸せを見つけろよ』
……私自身の幸せ……。
……ごめんね、涼馬。
だけど、この意味が分からないよ。
閻魔のいない世界で、幸せを見つけるのは凄く難しいんだ。
自宅へ近づくにつれ、足取りが重くなる。
マンションのエントランスに着いた頃には視界が滲んだ。
ダメだ、私。
泣くな、泣くな。
俯き加減でエレベーターに乗り込むと、急いで自宅の階のボタンを押し、鼻をすする。
夜に泣いて帰るってどうよ。
エレベーターの扉が開くと共に玄関ドアへと足を進め、予め手に持っていた鍵で開けると私は素早く部屋に飛び込んだ。
「閻魔……」
声に出すと余計寂しいのに、呼ばずにはいられなくて胸が苦しい。
寂しいよ、閻魔。
三年が経っても、私は閻魔と暮らしていた頃を忘れられないでいた。
そういえば閻魔って、テレビが好きだったよな。
特にお笑いやバラエティー番組。
たまに音楽番組をつけては、皆でカラオケに行くからって新しい歌を覚えていたっけ……。
狭いリビングにペタンと座り、小さなローテーブルに手を伸ばすと、私はリモコンの電源ボタンを押した。
すぐ暗闇に青い光が浮き上がり、聴き馴れたメロディが耳に届く。
《His voice 忘れない His voice 切なくて His voice あの日から His voice 愛してる》
閻魔の声は……。
そう、低くて、落ち着いていて。
『ルナ』って呼ぶ声が柔らかくて優しくて……。
声が聞きたい。閻魔の声が、聞きたい。
「閻魔……」
ポトリポトリと落ちた涙がラグに吸い込まれて、まるで何も無いかのように沈んで消えた。
それがまるで私と閻魔のように思えて苦しい。
「閻魔……大好き。あなたじゃないとダメなの。閻魔、会いたい」
「嬉しいぜ、お前がまだ俺に惚れてるなんて」
……だめだ、私……。マジで重症だ、幻聴が聞こえるなんて……!
飲み過ぎちゃったのかも知れないけど、それもよかったかもしれない。だって、閻魔の声が聞きたかったから。
私は涙を拭くと、照明のリモコンに手を伸ばしてリビングの電気をつけた。
どうせなら、声だけじゃなくて顔が見たい。
幻覚でもなんでもいい。閻魔なら、いい。
「ルナ」
「っ……!」
やけにリアルな声だった。
背中が無意識にビクンとして、思わず硬直する。
「ルナ」
嘘…よね…。嘘だよね?!
背後から低くて艶やかな閻魔の声が聞こえて、私の心臓が痛いくらいに脈打ち始めた。
「なあ、こっち向けって」
……やだ、怖い。
だってこれが本当に幻聴で、振り向いたダイニングテーブルに誰もいなかったら、私はもっと泣いてしまうもの。
「ルナ、聞こえてんのか」
声と共にフワリと空気が動いた。
アッと思ったのは一瞬で、逞しい腕が私の身体をフワリと抱く。息が、出来ない。
「ルナ、会いたかったぜ」
後ろから私の髪に顔を埋め、唇を寄せる仕草に身が震えた。
熱い身体と、懐かしい香りが私を堪らなくする。
「え、んま……?」
喉がカラカラで痛かったけど、何か言わなきゃダメだと思った。
「閻魔、なの」
「ああ、俺だ」
「な、んで」
照明のリモコンが手から滑り落ちて、コン、とラグの上に落ちる。
「ルナを愛しに来た」
私を、愛しに……?
激しく脈打つ心臓が痛い。
それは本当?なら、もっと答えて。
「消えない?私が振り向いて、あなたを見ても消えないでいてくれる?もし消えちゃったら、私はもう耐えられない」
震える声で真剣に問い掛けたのに、閻魔はフウッと笑った。
「ああ、消えない。ずっとお前の傍にいる」
もう、我慢出来なかった。
腕をほどき、振り返った私の眼に写ったのは、夢にまで見た愛しいその人だった。
「え、んまっ……!!」
凛々しい眉の下の些かつり上がり気味の眼。
その瞳は黒に近い紫色で。
「嘘……」
閻魔が精悍な頬を傾けて、照れたように笑った。
「嘘じゃない」
「閻魔どうして……?どうして、ここに?」
「俺はお前に惚れてるから」
向き直った私に、閻魔がニッコリと笑った。
「だって三年前……会いに行ったら閻魔はっ……」
「あー……それは……」
閻魔が天井を見て視線を泳がせた。
「あん時はその……修行中だったんだ。だからお前の気持ちには応えられなかった」
「しゅ、修行?」
「そ」
「なんの?」
私が尋ねると、閻魔は唇を引き結んだ。
涼やかな眼を真っ直ぐ私に向けて。
「閻魔」
閻魔の表情があまりにも真剣で、それでいて言葉を発しなくて、不安になる。
「ねえ、答えて」
「お前と、人生を共にするための修行」
「……え?」
人生を共に……?人生を、私と……?
呆然とする私に、閻魔が優しく微笑んだ。
「母上は人間だったが俺は……生粋の人間じゃない。それどころか父上の血を色濃くひいているせいか、あの世の中でもかなりの力を持っている」
閻魔のお母さんが人間だったのは知らなかったけど、閻魔が凄く強いのは分かっていた。
アスモデウスと闘った時の、あの圧倒的な強さはその証拠だ。
後で仁に聞いたらアスモデウスは悪魔の中でも上位で、敵う相手などいなかったらしいから。
見つめることしか出来ない私に、閻魔は更に続けた。
「三年前、俺は自分の気持ちをお前に押し付けてばかりいた。お前の不安も理解せずに。……悪かったと思ってる」
そ……それって……。
「ルナ、俺と共に暮らさないか?人間界で」
こんな時に凄く間抜けだとは思ったけど、息が止まりそうになって思わず口を大きく開けてしまった。
「なんだよ、その顔」
「だ、だって」
「なあルナ、俺とずっと一緒にいてくれないか。ふたりで同じように歳を重ねながら、ずっと」
反射的に両手で口元を覆い、私は眼を見開いた。
ふたりで同じように歳を……?そんな……そんな訳、ない。
だって閻魔は人間よりも歳をとるのが遅い。それもかなり。
なのに、そんな事……。
怖くて突っ込んで訊けない私に、閻魔が困ったように笑った。
「そんな顔するな。言っただろう?お前とこの人間界で人生を共にするために修行したって」
それから私の両手首を優しく掴むと、閻魔はそれを顔の前から遠ざけた。
「それって、人間になったって事……?」
震える声しか出ない私を、閻魔は愛しそうに抱き寄せた。
「俺の中に父上の血が流れている以上、俺は生粋の人間にはなれない。だが……その部分を封印したんだ、自分の内側に。自分自身の力が強いために、封印するのに時間がかかっちまったがな。そしてその封印は自分では解けない」
なんだかよく意味が解らないけれど、閻魔は私と一緒に生きる決心をし、自分の能力を封印して限りなく人に近い存在になったって事?
そしてその封印を自分では解けなくし、私と同じスピードで人生を進んでいくと……。
「……本当……?」
「ああ」
「もっ、もしも喧嘩とかしたり私の事嫌になったりしたら、封印解いて帰っちゃうとか」
不安のあまり私がそう言うと、閻魔は僅かに眉を寄せた。
「そんな事しない。それに封印は自分じゃ解けなくしたと言っただろ?
封印を解くには六文船のジジイの術がいる。しかもジジイは簡単にそんな重大な術を使うようなヤツじゃねぇし」
六文船のジジイって……。
「お爺ちゃん、元気?」
「ああ、元気だ」
「私、船に乗せてもらったんだよ」
「知ってる」
閻魔が白い歯を見せて笑った。
「し、死者の審判はどうするの?それにこっちで暮らすって事は仕事探さなきゃならないんだよ?!現実的な事言って悪いけど、戸籍とかその、書類的な事とか……」
その言葉に閻魔が少しムッとして、私の額に自分の額をコツンとぶつけた。
「死者の審判なら、父上に任せてる。父上の天職だしな。それにこの世に住むための準備なら、もう完了してるし心配しなくていい」
「…………」
最後の術を使ったんだろうか……。
その時私はハッと我に返った。
「あっ、そうだ!閻魔。涼馬がね、閻魔の事ちゃんと覚えてたんだよ」
私がそう言うと、閻魔は一瞬驚いたように眉を上げた。
「……そうか。あいつもお前と一緒なんだな」
そう言った後閻魔は、人が大切な思い出を語る時に見せる独特の光を瞳に宿して、再び口を開いた。
「昔……アイツと、会社を立ち上げようと約束したんだ。アイツ、親父の会社を継ぐのは兄弟に任せて、自分は一から起業したいって。……覚えてんのかな」
私は嬉しくなって声を抑えることが出来なかった。
「絶対覚えてるよ!涼馬きっと喜ぶよ!さっきまで一緒に飲んでたから多分まだ起きてるはず!今から電話して知らせ……んっ」
最後まで言えなかった。
だって閻魔が唇で私の口を塞いだから。
「……るせぇ」
少しだけ、ほんの少しだけ唇を離すと、閻魔は殆ど息だけでこう言って再び私に口付けた。
私の腰に回した両腕を、ギュッと絡ませて。
やだ、キュンとする、胸が。
でも顔が見たいのに、これじゃ見えない。
甘いキスは胸がキュウッとなるけど、やっぱり顔が見たくて、私は閻魔の胸をそっと押した。
「……ん?」
ん?じゃなくて。
「閻魔……顔が見たい。もっとゆっくり」
私が呟くようにそう言うと、閻魔がクスリと笑った。
「……なら、ゆっくり見ろ」
閻魔はそう言うと、少し私から身を離した。
形のよい額、男らしい眉に綺麗な眼。通った鼻筋に、綺麗な口元。
それに加え、引き締まった逞しい身体つき。
何もかもがカッコ良すぎて、やっぱり改まると長く見つめていられない。
カアッと顔が熱くなって思わず横を向いた私に、閻魔が拍子抜けしたように言った。
「なんだ、もういいのか」
いや、もっと見たいけど、改まるとやっぱり……。
そんな私を一層抱き寄せて、閻魔は甘く笑った。
「ほら、続きするぞ」
な、なに言って……!心臓が……破裂する。
「あーっ!」
急に叫んだ私を前に、閻魔はあからさまに嫌な顔をした。
「……なんだよ」
「そ、そういえばっ!あんた私の部屋にどうやって入ったのよ?!」
「あ?」
「あ、じゃないよっ。まさか、術じゃないでしょーねっ?!」
私が眉を寄せると閻魔は、
「そうだ、お前ここから引っ越せ!物騒だ」
「なんで!?」
すると閻魔は鼻で笑った。
「術使うまでもねーわ。こんなチャチな錠前、十数えるまでもなく開いたぜ」
物騒なのはあんただっつーの!
しかも錠前って……。
「今度からダメだからね!ちゃんと合鍵あげるから、それ使う事!ちゃんと人間らしい行動とってよね」
私の言葉を聞いて、閻魔が不満そうに瞳を光らせた。
「言っとくが、俺の母上は人間だぞ?それくらい朝飯前だ」
……怪しい。凄く怪しい。
けれど、少し拗ねたような閻魔が可愛くて、私は手を伸ばすと彼の頬を包み込んだ。
「……閻魔……」
「ん?」
黒に近い紫の瞳が、凄く優しい。
この瞳を、私は傍でいつまでも見ながら生きていきたい。
私は閻魔の頬から手を離すと、彼の両手をそっと握った。
「閻魔、来てくれてありがと」
私の言葉に閻魔のつり上がり気味の眼が、みるみる丸く変わった。
それから戸惑ったように私から視線をそらすと、小さく咳払いをした。
「お、おう」
こんな風に照れた顔も見ていたい、ずっと。
嬉しくて嬉しくて、両腕を投げ出すように閻魔の首に絡めると、私はその愛しい唇にキスをした。
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