恋愛ノスタルジー

友崎沙咲

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冷たい婚約者

《6》

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会わずに帰った暁には、

『わが社に来たなら顔くらい出したらどうなんだ。君が来たのは受付で確認が出来ているのに会いに来ないなんてどんな噂が立つかわからないだろう』

とかなんとかブツブツ言われるのもテンションが下がる。
案の定、

「峯岸彩様。いらっしゃいませ。社長なら部屋にいらっしゃいますのでこちらの専用エレベーターへどうぞ」

秘書の黒須さんは私に深々と一礼するとシルバーの洒落た眼鏡を指で直した。

「いえ、私今日は仕事で」
「存じております。ですがあと10分で社長は外出されますので先に社長室へどうぞ」
「はあ……」

ああ、会社をあと十分遅れて出れば良かった……。
ガックリと肩を落とす私にまるで気付かず、黒須さんはエレベーターに乗り込むと再び口を開いた。

「楽しみですね、結婚式」
「……」

この人は本当に圭吾さんの秘書なんだろうか。
普段の彼を見ていたらこの結婚を喜んでいるか否かが一目瞭然なはずなのに。
もしかしてとんでもなく鈍いのかも。
張り付いたように見つめることしか出来ない私に、黒須さんは続けた。

「社長室の隣がプライベートルームとなっています。そこでしばらくお待ちください」
「はい……」

私の返事はひどく掠れていた。

***

社長室の隣にある圭吾さんのプライベートルームは、シャワールームが完備されたゆったりとした部屋だった。
黒を基調としたシンプルなそこには、小さなテーブルと冷蔵庫、ベッドが置いてあり、落ち着く感じがする。

「国際事業部の議事録は何時に仕上がるんだ?」
「午後八時を予定しております」 
「以前の報告書は投資、売上げ、利益に関して全てが甘かった。中でも水インフラの改善報告は出資額がかさんでいるわりに何も進んでいなかったじゃないか」
「申し訳ございません!」

厳しい圭吾さんの声が、広い社長室の端にあるプライベートルームにまで響く。

「俺が納得できない結果なら、事業部長の更迭も辞さない」
「しゃ、社長……!」

私は秘書である黒須さんに通されたこの部屋で、聞こえてくる圭吾さんの声をじっと聞いた。
……怖……。

「ベトナムの農地開発の件も然りだ」
「その件に関しましては、二時間後に添付メールが送られてくる予定です」

……ダメ。やっぱり会わずに帰ろう。
だって会ったところでどうせ不機嫌だろうし、会話だって広がらないし……。
テンションさがって雑貨のチョイスに影響が出るのも嫌だ。
……もういいや。帰っちゃえ。

意を決すると私は立ち上がった。
それからフカフカとした絨毯を小走りで進み、ドアに近付く。
レバーハンドルを下げてドアの外に出た後は、エレベーターホールまで素早く移動して乗ってしまえば脱出成功だ。
その時、

「どこに行くんだ」
「うわっ」

サッと開いたドアの向こうに圭吾さんが立っていて、彼は至近距離から鋭く私に問いかけた。
予想だにしていなかった状況に言葉が浮かばない。

「……あ、の……えっと」
「……」

整った顔が、まるで彫刻のように無表情だ。
どうやら私が答えを返すまで、そこから動く気はないらしい。
ああ、もう。
仕方なく、私は空中にさ迷わせていた視線を圭吾さんに向けて口を開いた。

「えーっと、なんだかお取り込み中みたいだったから帰ろうかなーなんて思ったりして……」
「……」

圭吾さんは唇を引き結んだまま私を見下ろしている。
うっ……まさかの無視。

「……あのー……」
「今日は遅くなる」
「はあ」

言うなり圭吾さんは踵を返し、社長室へ戻ってしまった。
……ほら、お互いに嫌な思いをしただけじゃないの。
私は心の中で黒須さんに文句を言いながらエレベーターホールを目指した。
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