恋愛ノスタルジー

友崎沙咲

文字の大きさ
12 / 39
意外な一面

《1》

しおりを挟む
*****


「凌央さんー、こんにちはぁ!」
「おう!来たな」

夢川貿易から出た私はスーパーで食材を調達すると、急いで凌央さんのマンションを目指した。
渡されていたカードキーで凌央さんの家に入ると、一番北側のアトリエから声が響く。

「丁度良かった。水飲む時にそっちに硝子棒を忘れてきた。取ってきてくれ」
「あ、はーい!」

大きく返事をしたものの、硝子棒は見当たらない。
……冷蔵庫の近くかな。お水を飲んだ時に忘れたって言ってたから。
私はダイニングテーブルに食材を置くと、キッチンと隣り合わせの仕切りのないリビングを覗き込んだ。

***

「……なんだよこれ」

凌央さんは私が手渡した物をシゲシゲと見て呟いた。

「リビングに見当たらなくて、キッチンの引き出しから取ってきました。ガラス棒ってマドラーの事じゃないんですか?」

そうだと疑わなかった私が驚いていると、凌央さんは身体を大袈裟に仰け反らせた。

「これは俺がハイボール混ぜる時に使ってるやつで硝子棒じゃねえよ」
「ああ、どうりで軽いなーって思いました。プラスティックですか?」
「お前、ふざけてんのか。マドラーの素材なんかどうでもいーんだよ。硝子棒ってのは線を描く道具だ」
「えっ?ガラスの棒で描くんですか?」

さすが雨で画を描く人だけのことはある。

「雨でも棒でも描くなんて、凄いですね!」

称賛を込めて見つめる私を暫く張り付いたように見つめていたけれど、やがて凌央さんはクッと笑うと私の手を掴んだ。

「……来い」

大きくて温かい凌央さんの手の感覚に、思わず心臓が跳ね上がる。
嬉しい……手を握られたのが嬉しい……!

「なにアホみたいな顔してんだよ。早く来い」

甘い雰囲気はまるでないけど。

「あれだ。あれが硝子棒」

リビングに連れていかれ、凌央さんの指差したテーブルを見ると、何か細く透明なものが見えた。
近寄ってよく見ると、片方の端が球になっている正真正銘、ガラスの棒だった。

「なにこれ」
「だから硝子棒だよ」
「ほう……」

どうみても何かをかき混ぜる道具に思えるけど……。
イマイチ響けない私はガラスの棒を凝視して考えた。
中が空洞でインクなんて入っていないガラスの棒で、どうやって描くんだろう。

筆のようにこの丸い先端を、インクや絵の具に浸すとか?
だけどこのガラスが絵の具を吸うとはまるで思えない。
……うーん……。
私の表情を察して珍回答が飛び出すとでも思ったのか、凌央さんは笑いを押し殺しながら口を開いた。

「……使い方見せてやるから来い」
「は、はいっ。お願いします」

百聞は一見にしかずだもんね。

***

「凄い……!」

私は硝子棒を定規の窪みに滑らせ、巧みに筆を動かして意のままに直線や曲線を描く凌央さんの指先を感嘆の思いで見つめた。

「こうやって硝子棒を滑らせながら筆を動かすと、直線も曲線も思うように描けるんだ」

筆と硝子棒をお箸のように持ち、その幅を広くしたり狭くしたりしながら、彼はケント紙の上に美しい線を生み出していった。
それに……。

「……なんて素敵な画なの……」

広いテーブルの上にある鮮やかな画に、私は息を飲んで見入った。
後で聞いた話によると、それは《全紙》と呼ばれているサイズの画だった。
数多くの鮮やかな色を使い、寄せては遠ざかる波と直線的な大地を思わせる模様。
その抽象的な背景に彩られ、太陽神アポロンが唇を引き結び雄々しく瞳を光らせている。
私の掠れた呟きに、凌央さんがフッと顔をあげた。

「これはイタリア料理店の開店祝いに贈る画なんだ。入り口に飾りたいんだと」
「凄く素敵です!きっとお客様は料理の美味しさだけじゃなく、この画からも幸せを感じるでしょうね!」

絶対にそうだ。だって凄く素晴らしい画だもの。
言いながら凌央さんを見ると、彼は少し驚いた顔をして私を見上げていた。
それから我に返ったのか、定規や筆をサイドテーブルに戻してクスリと笑う。

「誉めてくれた礼として、晩飯おごってやるよ。飲みに行こうぜ」

言いながら立ち上がった凌央さんに、私は慌てて首を振った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

せっかくですもの、特別な一日を過ごしましょう。いっそ愛を失ってしまえば、女性は誰よりも優しくなれるのですよ。ご存知ありませんでしたか、閣下?

石河 翠
恋愛
夫と折り合いが悪く、嫁ぎ先で冷遇されたあげく離婚することになったイヴ。 彼女はせっかくだからと、屋敷で夫と過ごす最後の日を特別な一日にすることに決める。何かにつけてぶつかりあっていたが、最後くらいは夫の望み通りに振る舞ってみることにしたのだ。 夫の愛人のことを軽蔑していたが、男の操縦方法については学ぶところがあったのだと気がつく彼女。 一方、突然彼女を好ましく感じ始めた夫は、離婚届の提出を取り止めるよう提案するが……。 愛することを止めたがゆえに、夫のわがままにも優しく接することができるようになった妻と、そんな妻の気持ちを最後まで理解できなかった愚かな夫のお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID25290252)をお借りしております。

沈黙の指輪 ―公爵令嬢の恋慕―

柴田はつみ
恋愛
公爵家の令嬢シャルロッテは、政略結婚で財閥御曹司カリウスと結ばれた。 最初は形式だけの結婚だったが、優しく包み込むような夫の愛情に、彼女の心は次第に解けていく。 しかし、蜜月のあと訪れたのは小さな誤解の連鎖だった。 カリウスの秘書との噂、消えた指輪、隠された手紙――そして「君を幸せにできない」という冷たい言葉。 離婚届の上に、涙が落ちる。 それでもシャルロッテは信じたい。 あの日、薔薇の庭で誓った“永遠”を。 すれ違いと沈黙の夜を越えて、二人の愛はもう一度咲くのだろうか。

氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁

瑞原唯子
恋愛
王命により、アイザックはまだ十歳の少女を妻として娶ることになった。 彼女は生後まもなく始末されたはずの『厄災の姫』である。最近になって生存が判明したが、いまさら王家に迎え入れることも始末することもできない——悩んだ末、国王は序列一位のシェフィールド公爵家に押しつけたのだ。

政略結婚の果て、私は魔女になった。

黒蜜きな粉
恋愛
政略結婚で冷酷と噂される辺境伯のもとへ嫁いだ魔術師の娘フリーデ。 努力すれば家族になれると信じていたが、初夜に「君を抱くつもりはない」と突き放される。 義母の「代わりはいくらでもいる」という言葉に追い詰められ、捨てられたくない一心でフリーデは子を宿すため禁じられた魔術に手を染める。 短いお話です。

頑張らない政略結婚

ひろか
恋愛
「これは政略結婚だ。私は君を愛することはないし、触れる気もない」 結婚式の直前、夫となるセルシオ様からの言葉です。 好きにしろと、君も愛人をつくれと。君も、もって言いましたわ。 ええ、好きにしますわ、私も愛する人を想い続けますわ! 五話完結、毎日更新

【完結】その人が好きなんですね?なるほど。愚かな人、あなたには本当に何も見えていないんですね。

新川ねこ
恋愛
ざまぁありの令嬢もの短編集です。 1作品数話(5000文字程度)の予定です。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...