4 / 7
vol.4
喧嘩と裏切り
しおりを挟む
「白石、お前、ちゃんと食ってるのか?」
は?
チラリと私を見た後に、思いがけない言葉を投げ掛けて、三崎課長は手元の資料に視線を落とした。
「なんですか?」
「最近、痩せたようだから」
「…………」
なに、この会話。
確かに、私は最近痩せた。
3キロは痩せたんだけど、それを三崎課長に指摘されるとは。
「もう上がりだろ?飯でも食いに行かなかいか?おごってやる」
「え?」
私は企画部のオフィスを見回した。
金曜日は残業手当がつかないため、私と三崎課長以外誰もいなかった。
「間抜けな声を出すな」
いやだって、正気か、この人。
「二人で、ですか」
私がそう言うと、三崎課長はスッと立ち上がり私を真っ直ぐ見つめた。
「嫌か?俺と二人だけは」
……それはこっちの台詞だよ。
三崎課長……、三崎翔矢は、私よりも7歳上の32歳。
仕事は出来るし、スラリとした長身と涼やかなイケメンのせいで、社内の女性から圧倒的な人気がある。
けれど、何故か『俺に寄ってくるなオーラ』があからさまに出ているものだから、皆、指をくわえて見ている感が否めない。
そんなイケメンが、私と二人で飯?!
しかも課長は普段から私に冷たい。
加奈ちゃんとか、菜々子先輩には優しいのに、私には冷たいしニコリともしないのだ。
もしかして私、リストラなんだろうか。
「課長……もしかして私、首ですか」
私が上目遣いでそう言うと、彼は一瞬口をポカンと開けて、すぐに眉を寄せた。
「バカか。お前を首にしたら、大打撃だ」
「へ?」
「飯食いに行くぞ。早く支度しろ」
「はい……」
◇◇◇◇
二人で会社を出て並んで歩いていると、不意に課長が身を屈めて、私の顔を覗き込んだ。
「寒くないか?」
「はい」
「何が食いたい?」
私は課長をマジマジと見つめた。
「大丈夫ですか?」
課長は、あからさまに眉を寄せた。
「お前、失礼なヤツだな」
私は立ち止まった。
「白石?」
「……いえ、なんでもないです」
だって、不気味なんだもん。
課長は相変わらず眉を寄せたまま私に歩み寄ると、ガシッと手を握った。
「希望がないなら、俺の行きつけの店、連れていく」
うわっ!
グイグイと手を引かれて、私は三崎課長の行きつけの店へと入った。
「座れ」
「はい」
大通りから一本北に入った、狭い通りを更に北に入り、路地裏に進んだ先にある料理処。
「何でも好きなものを食え」
「はあ」
……多分、会話が弾まない気がします……。
私は何だか物凄く居心地が悪かったから、課長に思いきって言った。
「課長、お酒飲んでもいいですか?」
三崎課長は私を見つめると、フッと笑った。
「いいよ」
ドキンとした。
だって、『いいぞ』じゃなくて『いいよ』だったから。
課長は、私に会社の顔とは違った顔を見せた。
何だかそれが新鮮で、結構楽しかった。
「課長、ごちそうさまでした。課長、お酒強いですね」
店を出て大通りを目指しながら、私が悪戯っぽく笑うと、課長は綺麗な顔を私に向けた。
「弱く見えてたか?」
「ははは。そんなこと、考えた事ないですよ」
「考えてくれないか、これから俺の事」
「は?」
二人だけの路地裏で立ち止まり、ボケッと課長を見つめていると、課長はあからさまに嫌そうな顔をした。
「お前、鈍いのか」
……鈍いんじゃなくて、あんたがビックリさせてるんだよっ。
「そんなに見つめるな」
言うなり課長は、フワリと私を胸に抱いた。
「アンナ」
ドキンと鼓動が跳ねて、私は課長の胸の中で身動ぎした。
「心の中で、ずっとそう呼んでた」
早鐘のような心臓が煩くて、どうしたらいいか分からなくて、私はただただ課長の厚い胸に抱かれていた。
路地裏まで聞こえる何処かの音楽が、やけに良く聴こえる。
「アンナ、好きだ」
「か、課長……あの、あの私」
課長が僅かに身を離して、私の目を覗き込んだ。
「ん?なに?」
課長の涼やかな瞳と、通った綺麗な鼻筋。
それらが凄く近くにあって、私は不思議な気がしてならなかった。
「みんなに、見られます」
「かまわない」
かまわないのかよっ!
私はどうすりゃいいのーっ。
もう、恥ずかしいわ不思議だわで、私はアタフタと狼狽えた。
そんな私を見て、課長は照れたように笑った。
「この間の、サンプルの件、寺田から聞いたよ。頭ごなしに悪かったな」
わたしは、首を振った。
「いえ、あれは私のミスです」
課長は、思いきったように言った。
「ずっと、お前が気になってた。俺との事、考えてみてくれないか」
課長との事……?
「は、い……」
そうしか、言えなかった。
課長は私の額に唇を押し付けてから、体を離した。
「送るよ」
「ありがとう……ございます」
それから私達は、まるで散歩をするようにゆっくりと歩いた。
課長は私の手を離さなかったから、私も素直にそのまま歩いた。
街はとても賑わっていて、手を繋いで歩く私達を、誰も気にしてはいなかった。
街路樹に絡められたライトがとても綺麗で、なんだか私達は恋人同士みたいだった。
「課長、もうここで結構です。ありがとうございました」
いつも新太と別れていた交差点で、私は課長にそう言った。
「そうか。じゃあ、また明日」
「はい」
課長は私の手を離さない。
「あの、課長?」
「アンナ」
「……っ!」
勢いよくその手を引かれ、私は課長に抱き締められると同時に、キスをされた。
唇に課長の大きな唇が重なり、私は眼を見開いく。
多分、3秒くらい。
「おやすみ」
課長は、少し微笑んでから踵を返した。
私は暫く呆然とその後ろ姿を見つめていた。
どれくらいそうしていたのかは、分からない。
だけどなんだか急に寒くなって我に返った。
……帰ろ。
ゆっくりと体の向きを変え、私はトボトボと歩き出した。
交差点を渡ると、大通からそれる為か、人通りが極端に減る。
その時、街路樹の脇から見知った顔が現れた。
背が高く、ボサボサ頭の眼鏡のアイツ。
「新太?!なにやってんの?」
なんだか凄く久し振りな気がしたから、私は少し笑った。
「なんか、久し振りだよね。どうしたの?」
新太は何故か黙りこくったまま、私の真正面に立ち、唇を引き結んでいた。
「なに、どーしたのよ?今日は加奈ちゃんと一緒じゃないの?」
新太は答えない。
私は新太の腕を掴んで揺すった。
「ねえ、新太ってばっ」
それから新太の眼鏡越しの瞳を見上げる。
「新太?!」
「アンナって三崎課長嫌いじゃなかった?なんでキスしてんの」
新太の声は低く、冷たかった。
「へ?」
私はビックリして、新太の腕から手を離そうとした。
その手を素早く新太が掴んだ。
「なあ答えて、アンナ」
「新太?」
「アンナってば。なんでキスしたの」
口調は静かだけど、怒ってるのが私には分かる。
「新太?私からキスしたんじゃないよ、されたんだよ」
「関係ない!キスしたのは確かだろ?!」
新太が声を荒げた。
私はビクッとして肩をちぢめた。
混乱して思わず息を飲む。
だって、なんで新太が怒るの?!
なんで怒られてんの、私。
「なに怒ってんの」
驚きのせいか声が掠れたけど、そんなのどうでもいいといったように、新太は私を引き寄せて至近距離から睨んだ。
「拭け」
「え?」
「唇、拭けって!!」
新太が私の首に片腕を回して、もう片方の袖を私の唇にあてがうと、乱暴に擦った。
「痛っ!痛いよ新太っ!」
袖との摩擦で、私の唇は一気に熱くなった。
「痛いってば、新太っ!」
その時、新太が乱暴に私の頬を掴んだ。
眼鏡の奥の瞳が苛立たしげに光っていて、私は眉を寄せたまま、それを見つめた。
「俺とのキスより、良かった?それとも、もうヤったわけ?感じた?イッた?」
「し、ん」
ヒリヒリと痛む私の唇に、新太が自分の唇を寄せて乱暴に塞いだ。
嘘でしょ。
私は暴れた。
ふたりに距離が生まれ、唇が離れる。
私はすかさず叫んだ。
「加奈ちゃんに悪いって思わないの!?」
「思わない」
斬って捨てるように、新太が冷たい声を放った。
「な、んで」
新太はこんな人だった?
出来たばかりの恋人を裏切るような男だった?
なんなの?なんで?
「新太、どうしたのよ!?変だよ、新太。私達はもうそんなんじゃないでしょ?」
新太は拳を握りしめたまま、私から顔を背けた。
「あんた、加奈ちゃんと付き合ってるんでしょ?!なのに、こんなのダメじゃん!」
「俺の事はどうでもいい」
はあっ!?
「どうでもよくないわ!加奈ちゃんと」
私の言葉を新太が遮った。
「三崎課長と付き合ってんの?」
「付き合ってないよ」
新太が意地悪そうに笑った。
「じゃあ、なに?俺に恋人が出来たから、三崎課長が、代役って訳?」
「はあっ!?」
新太が一歩ずつ私に近付く。
「愛とかないのに、一緒に飯食って、DVD観て、買い物行って、セックスすんの」
新太が再び私の二の腕を掴んだ。
「答えろよっ!」
「いい加減にしろっ!!新太のバカッ!」
新太が、我に返ったように眼を見開いた。
「新太……」
新太は小刻みに頭を左右に振ると、苦しげに顔を歪めた。
「アンナ……」
足早に新太は去っていってしまい、私はガタガタと震える体を自身の腕で抱き締めた。
ポツポツと雨が降り始めていたが、私は全く気付いてはいなかった。
◇◇◇◇
翌日、私は加奈ちゃんの眼を見れなかった。
加奈ちゃんの恋人である新太と、キスをしてしまったから。
加奈ちゃんはいつもと変わらない様子だったけど、私は必要以上に彼女と関わることはなかった。
三崎課長もいつも通りで、彼を見ていると昨日の事が嘘みたいだった。
……今日は早く帰って寝よう。
何だか疲れてるし。
……総務課、行かないと。
私はパタンナーとの打ち合わせでいない菜々子先輩の為に、領収書を総務課へと届けに向かった。
エレベーターが私達企画部のある3階に止まり、扉がゆっくりと開いた瞬間、私は息を飲んで硬直した。
エレベーターの中に、新太がいたから。
新太に言われた言葉が甦る。
『 愛とかないのに、一緒に飯食って、DVD観て、買い物行って、セックスすんの』
新太も私を見て僅かに息を飲んだ。
今エレベーターに二人きりはキツイ。
私は素早く踵を返した。
階段に向かいながら、唇を噛み締めた。
……なんでこんな事になっちゃったんだろ。
新太に恋人が出来たから?
その恋人が、加奈ちゃんだったから?
私が三崎課長に告白されたから?キスされたから?
どれも違う気がするし、どのせいにも思える。
新太と、もう二人で会うことはない。
鳥姫で、焼き鳥を食べビールを飲み、愚痴をこぼし合うことも。
そう思うと、胸がグーッと重かった。
◇◇◇◇◇
週末、私は街に出掛けた。
理由は……三崎課長に、映画に誘われたから。
独りになると、新太と仲たがいした事ばかり考えて、苦しくなる。
お互いに長い間恋人がいなかったために、馴れ合いすぎたのだ。
けれど、新太には恋人が出来た。
もう、友達以上の関係は終わりにすべきだ。
三崎課長の誘いは素直に嬉しかった。
だって気が紛れる。
新太の事を考えなくてすむ。
劇場の前で、三崎課長の姿を見つけた。
「課長!」
私が走り寄ると、課長は決まり悪そうに口元に忙しなく手をやり、私を困った顔で見た。
「課長はやめろ」
「あははは!すみません。三崎さん、何が観たいですか?」
私がそう言うと、課長は人混みも気にせずに私を引き寄せて、腰に手を回した。
「いつか、翔矢って呼んでくれるか?」
「か、ちょう……」
「アンナ」
課長が綺麗な唇を私の頬に寄せた。
「んっ、くすぐったい」
思わず首を縮めた時、信じられない光景が眼に飛び込んできた。
加奈ちゃんがいたの。
彼氏と。
腕を組んでにっこり笑っている加奈ちゃんは、相変わらずウルウル系女子だった。
でも、違ったの。
彼氏が、新太じゃなかった。
動揺する私になどまるで気付かず、加奈ちゃんは、彼氏にキスをされてフワリと微笑んだ。
「アンナ?」
「あ、ごめんなさい!」
私は我に返って三崎課長の整った顔を見た。
「私、なんでもいいですよ」
「じゃあ、これにしよう。時間も待たなくてすみそうだし」
「はい」
いつの間にか、加奈ちゃんの姿は消えていた。
私の動揺は、映画中も収まらなかった。
……まるで意味がわからない。
なんなの?!
加奈ちゃんが新太に告白して、二人は恋人同士になったんだよね?
まだ、飽きるような段階じゃないでしょ?
なのに、なんで他の人とイチャついてんの!?
意味分かんない。
加奈ちゃんが、二股掛けてるの?
だとしたら、許せない。
新太に、そんな事するなんて、許せない。
確かめなきゃ。
確かめなきゃ。
私は加奈ちゃんに真相を確かめる決心をした。
は?
チラリと私を見た後に、思いがけない言葉を投げ掛けて、三崎課長は手元の資料に視線を落とした。
「なんですか?」
「最近、痩せたようだから」
「…………」
なに、この会話。
確かに、私は最近痩せた。
3キロは痩せたんだけど、それを三崎課長に指摘されるとは。
「もう上がりだろ?飯でも食いに行かなかいか?おごってやる」
「え?」
私は企画部のオフィスを見回した。
金曜日は残業手当がつかないため、私と三崎課長以外誰もいなかった。
「間抜けな声を出すな」
いやだって、正気か、この人。
「二人で、ですか」
私がそう言うと、三崎課長はスッと立ち上がり私を真っ直ぐ見つめた。
「嫌か?俺と二人だけは」
……それはこっちの台詞だよ。
三崎課長……、三崎翔矢は、私よりも7歳上の32歳。
仕事は出来るし、スラリとした長身と涼やかなイケメンのせいで、社内の女性から圧倒的な人気がある。
けれど、何故か『俺に寄ってくるなオーラ』があからさまに出ているものだから、皆、指をくわえて見ている感が否めない。
そんなイケメンが、私と二人で飯?!
しかも課長は普段から私に冷たい。
加奈ちゃんとか、菜々子先輩には優しいのに、私には冷たいしニコリともしないのだ。
もしかして私、リストラなんだろうか。
「課長……もしかして私、首ですか」
私が上目遣いでそう言うと、彼は一瞬口をポカンと開けて、すぐに眉を寄せた。
「バカか。お前を首にしたら、大打撃だ」
「へ?」
「飯食いに行くぞ。早く支度しろ」
「はい……」
◇◇◇◇
二人で会社を出て並んで歩いていると、不意に課長が身を屈めて、私の顔を覗き込んだ。
「寒くないか?」
「はい」
「何が食いたい?」
私は課長をマジマジと見つめた。
「大丈夫ですか?」
課長は、あからさまに眉を寄せた。
「お前、失礼なヤツだな」
私は立ち止まった。
「白石?」
「……いえ、なんでもないです」
だって、不気味なんだもん。
課長は相変わらず眉を寄せたまま私に歩み寄ると、ガシッと手を握った。
「希望がないなら、俺の行きつけの店、連れていく」
うわっ!
グイグイと手を引かれて、私は三崎課長の行きつけの店へと入った。
「座れ」
「はい」
大通りから一本北に入った、狭い通りを更に北に入り、路地裏に進んだ先にある料理処。
「何でも好きなものを食え」
「はあ」
……多分、会話が弾まない気がします……。
私は何だか物凄く居心地が悪かったから、課長に思いきって言った。
「課長、お酒飲んでもいいですか?」
三崎課長は私を見つめると、フッと笑った。
「いいよ」
ドキンとした。
だって、『いいぞ』じゃなくて『いいよ』だったから。
課長は、私に会社の顔とは違った顔を見せた。
何だかそれが新鮮で、結構楽しかった。
「課長、ごちそうさまでした。課長、お酒強いですね」
店を出て大通りを目指しながら、私が悪戯っぽく笑うと、課長は綺麗な顔を私に向けた。
「弱く見えてたか?」
「ははは。そんなこと、考えた事ないですよ」
「考えてくれないか、これから俺の事」
「は?」
二人だけの路地裏で立ち止まり、ボケッと課長を見つめていると、課長はあからさまに嫌そうな顔をした。
「お前、鈍いのか」
……鈍いんじゃなくて、あんたがビックリさせてるんだよっ。
「そんなに見つめるな」
言うなり課長は、フワリと私を胸に抱いた。
「アンナ」
ドキンと鼓動が跳ねて、私は課長の胸の中で身動ぎした。
「心の中で、ずっとそう呼んでた」
早鐘のような心臓が煩くて、どうしたらいいか分からなくて、私はただただ課長の厚い胸に抱かれていた。
路地裏まで聞こえる何処かの音楽が、やけに良く聴こえる。
「アンナ、好きだ」
「か、課長……あの、あの私」
課長が僅かに身を離して、私の目を覗き込んだ。
「ん?なに?」
課長の涼やかな瞳と、通った綺麗な鼻筋。
それらが凄く近くにあって、私は不思議な気がしてならなかった。
「みんなに、見られます」
「かまわない」
かまわないのかよっ!
私はどうすりゃいいのーっ。
もう、恥ずかしいわ不思議だわで、私はアタフタと狼狽えた。
そんな私を見て、課長は照れたように笑った。
「この間の、サンプルの件、寺田から聞いたよ。頭ごなしに悪かったな」
わたしは、首を振った。
「いえ、あれは私のミスです」
課長は、思いきったように言った。
「ずっと、お前が気になってた。俺との事、考えてみてくれないか」
課長との事……?
「は、い……」
そうしか、言えなかった。
課長は私の額に唇を押し付けてから、体を離した。
「送るよ」
「ありがとう……ございます」
それから私達は、まるで散歩をするようにゆっくりと歩いた。
課長は私の手を離さなかったから、私も素直にそのまま歩いた。
街はとても賑わっていて、手を繋いで歩く私達を、誰も気にしてはいなかった。
街路樹に絡められたライトがとても綺麗で、なんだか私達は恋人同士みたいだった。
「課長、もうここで結構です。ありがとうございました」
いつも新太と別れていた交差点で、私は課長にそう言った。
「そうか。じゃあ、また明日」
「はい」
課長は私の手を離さない。
「あの、課長?」
「アンナ」
「……っ!」
勢いよくその手を引かれ、私は課長に抱き締められると同時に、キスをされた。
唇に課長の大きな唇が重なり、私は眼を見開いく。
多分、3秒くらい。
「おやすみ」
課長は、少し微笑んでから踵を返した。
私は暫く呆然とその後ろ姿を見つめていた。
どれくらいそうしていたのかは、分からない。
だけどなんだか急に寒くなって我に返った。
……帰ろ。
ゆっくりと体の向きを変え、私はトボトボと歩き出した。
交差点を渡ると、大通からそれる為か、人通りが極端に減る。
その時、街路樹の脇から見知った顔が現れた。
背が高く、ボサボサ頭の眼鏡のアイツ。
「新太?!なにやってんの?」
なんだか凄く久し振りな気がしたから、私は少し笑った。
「なんか、久し振りだよね。どうしたの?」
新太は何故か黙りこくったまま、私の真正面に立ち、唇を引き結んでいた。
「なに、どーしたのよ?今日は加奈ちゃんと一緒じゃないの?」
新太は答えない。
私は新太の腕を掴んで揺すった。
「ねえ、新太ってばっ」
それから新太の眼鏡越しの瞳を見上げる。
「新太?!」
「アンナって三崎課長嫌いじゃなかった?なんでキスしてんの」
新太の声は低く、冷たかった。
「へ?」
私はビックリして、新太の腕から手を離そうとした。
その手を素早く新太が掴んだ。
「なあ答えて、アンナ」
「新太?」
「アンナってば。なんでキスしたの」
口調は静かだけど、怒ってるのが私には分かる。
「新太?私からキスしたんじゃないよ、されたんだよ」
「関係ない!キスしたのは確かだろ?!」
新太が声を荒げた。
私はビクッとして肩をちぢめた。
混乱して思わず息を飲む。
だって、なんで新太が怒るの?!
なんで怒られてんの、私。
「なに怒ってんの」
驚きのせいか声が掠れたけど、そんなのどうでもいいといったように、新太は私を引き寄せて至近距離から睨んだ。
「拭け」
「え?」
「唇、拭けって!!」
新太が私の首に片腕を回して、もう片方の袖を私の唇にあてがうと、乱暴に擦った。
「痛っ!痛いよ新太っ!」
袖との摩擦で、私の唇は一気に熱くなった。
「痛いってば、新太っ!」
その時、新太が乱暴に私の頬を掴んだ。
眼鏡の奥の瞳が苛立たしげに光っていて、私は眉を寄せたまま、それを見つめた。
「俺とのキスより、良かった?それとも、もうヤったわけ?感じた?イッた?」
「し、ん」
ヒリヒリと痛む私の唇に、新太が自分の唇を寄せて乱暴に塞いだ。
嘘でしょ。
私は暴れた。
ふたりに距離が生まれ、唇が離れる。
私はすかさず叫んだ。
「加奈ちゃんに悪いって思わないの!?」
「思わない」
斬って捨てるように、新太が冷たい声を放った。
「な、んで」
新太はこんな人だった?
出来たばかりの恋人を裏切るような男だった?
なんなの?なんで?
「新太、どうしたのよ!?変だよ、新太。私達はもうそんなんじゃないでしょ?」
新太は拳を握りしめたまま、私から顔を背けた。
「あんた、加奈ちゃんと付き合ってるんでしょ?!なのに、こんなのダメじゃん!」
「俺の事はどうでもいい」
はあっ!?
「どうでもよくないわ!加奈ちゃんと」
私の言葉を新太が遮った。
「三崎課長と付き合ってんの?」
「付き合ってないよ」
新太が意地悪そうに笑った。
「じゃあ、なに?俺に恋人が出来たから、三崎課長が、代役って訳?」
「はあっ!?」
新太が一歩ずつ私に近付く。
「愛とかないのに、一緒に飯食って、DVD観て、買い物行って、セックスすんの」
新太が再び私の二の腕を掴んだ。
「答えろよっ!」
「いい加減にしろっ!!新太のバカッ!」
新太が、我に返ったように眼を見開いた。
「新太……」
新太は小刻みに頭を左右に振ると、苦しげに顔を歪めた。
「アンナ……」
足早に新太は去っていってしまい、私はガタガタと震える体を自身の腕で抱き締めた。
ポツポツと雨が降り始めていたが、私は全く気付いてはいなかった。
◇◇◇◇
翌日、私は加奈ちゃんの眼を見れなかった。
加奈ちゃんの恋人である新太と、キスをしてしまったから。
加奈ちゃんはいつもと変わらない様子だったけど、私は必要以上に彼女と関わることはなかった。
三崎課長もいつも通りで、彼を見ていると昨日の事が嘘みたいだった。
……今日は早く帰って寝よう。
何だか疲れてるし。
……総務課、行かないと。
私はパタンナーとの打ち合わせでいない菜々子先輩の為に、領収書を総務課へと届けに向かった。
エレベーターが私達企画部のある3階に止まり、扉がゆっくりと開いた瞬間、私は息を飲んで硬直した。
エレベーターの中に、新太がいたから。
新太に言われた言葉が甦る。
『 愛とかないのに、一緒に飯食って、DVD観て、買い物行って、セックスすんの』
新太も私を見て僅かに息を飲んだ。
今エレベーターに二人きりはキツイ。
私は素早く踵を返した。
階段に向かいながら、唇を噛み締めた。
……なんでこんな事になっちゃったんだろ。
新太に恋人が出来たから?
その恋人が、加奈ちゃんだったから?
私が三崎課長に告白されたから?キスされたから?
どれも違う気がするし、どのせいにも思える。
新太と、もう二人で会うことはない。
鳥姫で、焼き鳥を食べビールを飲み、愚痴をこぼし合うことも。
そう思うと、胸がグーッと重かった。
◇◇◇◇◇
週末、私は街に出掛けた。
理由は……三崎課長に、映画に誘われたから。
独りになると、新太と仲たがいした事ばかり考えて、苦しくなる。
お互いに長い間恋人がいなかったために、馴れ合いすぎたのだ。
けれど、新太には恋人が出来た。
もう、友達以上の関係は終わりにすべきだ。
三崎課長の誘いは素直に嬉しかった。
だって気が紛れる。
新太の事を考えなくてすむ。
劇場の前で、三崎課長の姿を見つけた。
「課長!」
私が走り寄ると、課長は決まり悪そうに口元に忙しなく手をやり、私を困った顔で見た。
「課長はやめろ」
「あははは!すみません。三崎さん、何が観たいですか?」
私がそう言うと、課長は人混みも気にせずに私を引き寄せて、腰に手を回した。
「いつか、翔矢って呼んでくれるか?」
「か、ちょう……」
「アンナ」
課長が綺麗な唇を私の頬に寄せた。
「んっ、くすぐったい」
思わず首を縮めた時、信じられない光景が眼に飛び込んできた。
加奈ちゃんがいたの。
彼氏と。
腕を組んでにっこり笑っている加奈ちゃんは、相変わらずウルウル系女子だった。
でも、違ったの。
彼氏が、新太じゃなかった。
動揺する私になどまるで気付かず、加奈ちゃんは、彼氏にキスをされてフワリと微笑んだ。
「アンナ?」
「あ、ごめんなさい!」
私は我に返って三崎課長の整った顔を見た。
「私、なんでもいいですよ」
「じゃあ、これにしよう。時間も待たなくてすみそうだし」
「はい」
いつの間にか、加奈ちゃんの姿は消えていた。
私の動揺は、映画中も収まらなかった。
……まるで意味がわからない。
なんなの?!
加奈ちゃんが新太に告白して、二人は恋人同士になったんだよね?
まだ、飽きるような段階じゃないでしょ?
なのに、なんで他の人とイチャついてんの!?
意味分かんない。
加奈ちゃんが、二股掛けてるの?
だとしたら、許せない。
新太に、そんな事するなんて、許せない。
確かめなきゃ。
確かめなきゃ。
私は加奈ちゃんに真相を確かめる決心をした。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
魔力ゼロと捨てられた私を、王子がなぜか離してくれません ――無自覚聖女の王宮生活――
ムラサメ
恋愛
伯爵家で使用人同然に扱われてきた少女、エリナ。
魔力も才能もないとされ、義妹アリシアの影で静かに生きていた。
ある日、王国第一王子カイルの視察で運命が動き出す。
誰も気づかなかった“違和感”に、彼だけが目を留めて――。
私を簡単に捨てられるとでも?―君が望んでも、離さない―
喜雨と悲雨
恋愛
私の名前はミラン。街でしがない薬師をしている。
そして恋人は、王宮騎士団長のルイスだった。
二年前、彼は魔物討伐に向けて遠征に出発。
最初は手紙も返ってきていたのに、
いつからか音信不通に。
あんなにうっとうしいほど構ってきた男が――
なぜ突然、私を無視するの?
不安を抱えながらも待ち続けた私の前に、
突然ルイスが帰還した。
ボロボロの身体。
そして隣には――見知らぬ女。
勝ち誇ったように彼の隣に立つその女を見て、
私の中で何かが壊れた。
混乱、絶望、そして……再起。
すがりつく女は、みっともないだけ。
私は、潔く身を引くと決めた――つもりだったのに。
「私を簡単に捨てられるとでも?
――君が望んでも、離さない」
呪いを自ら解き放ち、
彼は再び、執着の目で私を見つめてきた。
すれ違い、誤解、呪い、執着、
そして狂おしいほどの愛――
二人の恋のゆくえは、誰にもわからない。
過去に書いた作品を修正しました。再投稿です。
愛しの第一王子殿下
みつまめ つぼみ
恋愛
公爵令嬢アリシアは15歳。三年前に魔王討伐に出かけたゴルテンファル王国の第一王子クラウス一行の帰りを待ちわびていた。
そして帰ってきたクラウス王子は、仲間の訃報を口にし、それと同時に同行していた聖女との婚姻を告げる。
クラウスとの婚約を破棄されたアリシアは、言い寄ってくる第二王子マティアスの手から逃れようと、国外脱出を図るのだった。
そんなアリシアを手助けするフードを目深に被った旅の戦士エドガー。彼とアリシアの逃避行が、今始まる。
婚約破棄したので、元の自分に戻ります
しあ
恋愛
この国の王子の誕生日パーティで、私の婚約者であるショーン=ブリガルドは見知らぬ女の子をパートナーにしていた。
そして、ショーンはこう言った。
「可愛げのないお前が悪いんだから!お前みたいな地味で不細工なやつと結婚なんて悪夢だ!今すぐ婚約を破棄してくれ!」
王子の誕生日パーティで何してるんだ…。と呆れるけど、こんな大勢の前で婚約破棄を要求してくれてありがとうございます。
今すぐ婚約破棄して本来の自分の姿に戻ります!
不機嫌な侯爵様に、その献身は届かない
翠月 瑠々奈
恋愛
サルコベリア侯爵夫人は、夫の言動に違和感を覚え始める。
始めは夜会での振る舞いからだった。
それがさらに明らかになっていく。
機嫌が悪ければ、それを周りに隠さず察して動いてもらおうとし、愚痴を言ったら同調してもらおうとするのは、まるで子どものよう。
おまけに自分より格下だと思えば強気に出る。
そんな夫から、とある仕事を押し付けられたところ──?
図書館でうたた寝してたらいつの間にか王子と結婚することになりました
鳥花風星
恋愛
限られた人間しか入ることのできない王立図書館中枢部で司書として働く公爵令嬢ベル・シュパルツがお気に入りの場所で昼寝をしていると、目の前に見知らぬ男性がいた。
素性のわからないその男性は、たびたびベルの元を訪れてベルとたわいもない話をしていく。本を貸したりお茶を飲んだり、ありきたりな日々を何度か共に過ごしていたとある日、その男性から期間限定の婚約者になってほしいと懇願される。
とりあえず婚約を受けてはみたものの、その相手は実はこの国の第二王子、アーロンだった。
「俺は欲しいと思ったら何としてでも絶対に手に入れる人間なんだ」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる