アメ上がり

夜色シアン

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本編

アメ上がり

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ーーぽちゃん

 一つの粒が、水溜まりに落ちた。

 それは静かに、されども天からの恵が降り注ぐ合図にもなった。

 だが天は雲一つもない快晴、つまり天気雨だった。

 サラサラ、ザーザーと天から降り注ぐ雨は台地を力一杯に濡らしていく。

 決して弱まることもないようだった。

「雨かぁ」

 時刻は夕刻。彼は困っていた。

 昼時に降り出した天気雨が夕刻になって天気雨ではなく少し強い雨が降り始め、その雨が一向に止む気配がないのだ。

 別に近くに雨宿りができる場所が無いわけでもなければ、彼が歩く道だけ降っていないという訳でもない。

 行き急ぎすれ違う人も、ただただ傘をさし歩く人も彼のことは気にしない。

 だが一人だけ彼のことを気にしてなのか色とりどりの鮮やかな傘を差し伸べた人がいた。

 彼は驚いた。すれ違う人も、どこかに行き急ぐ人も、誰もが彼自身の存在に、気づいていないかのように気にすることが、全くなかったからだ。

「ずぶ濡れだけど、どうしたの? 迷子かな?」

 と傘を差し伸べた彼女は彼が濡れないように傘を差し伸べつつ問う。

 そう問われた彼は自身に傘を差し伸べたこと、話しかけてきたことに戸惑いを隠せずにはいなかった。しかし戸惑いつつも彼は「うん」と返事を返していた。

「うーん……雨も酷いし、もう夕方だし……ここから交番も遠いし……そうだ家に来る?」

 恐怖だった。こうして迷子になった彼のことを一切気にする人も、接してくる人も全くいなかったから、ここまで自身のためにしてくれるということが驚きを越して恐怖となった。

 しかし逃げようとしても傘の彼女は彼のことを引き留め結局、無理矢理自宅へと連れていった。

 彼女の家に辿り着くと直ぐに、大きなタオルで彼の体に付着している水を吸わせた。

 その直後慌ただしく彼女は部屋の中を歩き回った。水気を吸ったタオルを干したり、衣類を洗濯したりなどテキパキこなしていたのだ。

「ごめんねーこんな簡単なのしかできなくて。夫ならもっと美味しくできるんだけど……明日君のこと探してる人探さないとなぁ」

 数分後慌ただしく動き回った彼女は皿一杯の卵料理を彼に差出した。

 誰でも簡単に出来るゆで卵、スクランブルエッグなどの卵料理だ、どうやら彼女は主婦ながらも全く料理が出来ないらしい。

 とりあえず料理を残す訳には行かないため、そして空腹を満たすため目の前の料理を、ぺろりと完食してみせた。無論最初は抵抗があったが、空腹には勝てなかったのだろう。

 それから何時経ったたのだろうか。彼女の部屋の窓から覗く風景は漆黒の闇に包まれておりいつの間にか雨は上がっていた。

 部屋の時計が示す時間は十時、いや外が暗いため二十二時だ。

 しかしその時間になっても彼女の夫は帰ってくる気配はない。

 だが彼はなぜ帰ってこないのか時計を見たあとに不意に右を向いて知ることとなった。

「あぁ、交通事故で……ね」

 気になるような目線を向けていたためか落ち込んだような声色で彼女はそう言い放つ。

 と言うのも彼が見つけたのは小さな祭壇。その祭壇の中央にある写真たての中には男性がいたのだ。

 それが示すのは紛れもなくその男性の死、彼女の部屋にあるということは交通事故で他界してしまった夫なのだろう。 

 それ以降、彼女は祭壇を見て落ち込んだまま眠りについたため彼も眠りにつくことにした。

 ーー翌日、彼も彼女も予想していなかったことが起きた。

 彼を探してる人を探そうと、彼女が彼を連れ家を出ようとした時、突然その場に倒れたのだ。

 その日の彼女は顔も青白く起きた時からまるで酔っ払いかのようにふらついていたのだ。

「どうしたの!?」

 と彼が問いかけるが体調が悪いせいなのか全く聞こえていないらしい。念の為もう一度、もう一度と問いかけるもののやはり返事はなかった。

 その代わり息を荒らげとても苦しそうな表情を見せていた。

「た、助けなきゃ!」

 彼は昨日雨の中助けてくれた恩を返すため勇気を振り絞り外に出て、すれ違う人に「助けてください」と、「人が倒れたんです」と、必死に呼びかけた。

 だが昨日と全く同じで、すれ違う人は彼の言葉なんて全く聞いていない。それにそこにいるのかすら見えてないのではと思うほど、やはり気にされることは無かった。

 行き急げば人一人の声など聞こえない人もいるだろうが、急がぬ者ですら彼の声が人々の耳に届かないのだ。

 仕方なく諦めて彼女の元に戻ろうとした時。

「あれ?どっちから来たっけ……」

 と再び迷子になってしまっていた。

 目の前で人が倒れ、慌ててしまったからこそのミスだった。彼女以外彼のことに目を向ける人なんていないと知っていたのに。

 そう思っていたのにーー何故か彼女だけは彼のことを目で捉え必死に今にも倒れそうな状態なのに。

「あ、いたいた……」

 倒れた後、急に外へと飛び出して行った彼を心配して、満身創痍の体で追いかけてきていたのだ。

「急に外にでてったらまた迷子になるよ……?」

「ごめんなさい……」

 満身創痍の体で元気がない声だが怒っているのは確かだった。

「ほら行こう?」

 それでも彼女は無茶をして彼を探してる人を探そうと必死だった。

 だがそんな体では探すものも探せない。そう思い彼は「明日でもいいよ」と言いそうになるのだが、明日にしたらその分会えなくなると彼女が思っているように感じ、彼の口からは何も言うことは叶わなかった。

 そして満身創痍の体で探すこと数分、やはり限界だったのだろうか、彼女は道端に再び倒れてしまった。

 流石に街中のため多くの人がそれを目撃し、駆け寄る人、電話をかける人、ただただ見る人、と色んな人がいた。しかしそれ程に人が集まっているのにも関わらず、その人たちの目線は彼のことを捉えていなかった。

 しばらくすると人集りの誰かが、呼んだであろう救急隊員が到着し、彼女を病院へと連れていった。

 結果、その場に残されたのは彼のみとなる。

 彼はまた一人になってしまったのだ。

「元の家に帰ることも出来ないし……」

 悩んだ結果、きっとここに戻ってくると思い、来る日も来る日もその場で待った。

 しかし待っても待っても彼女はその場に戻ってくることは無かった。

「あぁ、きっと忘れられたんだな」

 そして彼はその場を後にした。

 一歩また一歩と、台地を踏み締めるがやはり彼のことは誰も見ることは無い。

 子供がふと彼に気づくものの、すぐ近くにいた親に止められ結局見なかったことにもされる。

 ーーあぁ、僕って一体なんなんだろう

 声にも出ない言葉が頭をよぎる。

 誰からも見られることもなければ助けを呼ぶ声も周りには届かない。どれだけ叫ぼうが、どれだけ大きく声を出そうが決して周りには届かない。

 行く宛もなければ帰る場所もわからない。

 迎えが来なければ迎えにくる者だって居ない。

 彼女というたった一つの光が消えた今、彼は喪失感に襲われ、日々道端で丸くなるだけだった。

 座り込んで丸くなることで、周りの風景や音を聞かないようにしていたのだ。

「どうしたらいいんだろ……」

 丁度その頃雲行きが怪しくなり、直ぐに大雨が降り始めた。道を歩く人は皆、それがわかっていたように次々と傘を差し始める。

 しかし彼は傘などは相変わらず持っていないためただ濡れるだけだった。

 頭が、肩が、胴体が、足が。体の全てが雨風にさらわれ驚く程にずぶ濡れになった。

「また雨……」

 それなのにも関わらず、そう呟いたのにも関わらず雨宿りは決してしない。あの時、彼女が優しく傘を差しのべたのは雨が降っている時。それ故なのか今回も雨宿りはしないのだ。

 ピタ、ピタと足を進め彼女が来るのを期待した。それでなくても彼女のように彼をしっかりと目で捉える人が来るのを期待した。

 ーー期待していたはずだった。

 その期待は突如永遠に遠のいたのだ。

 彼がうつらうつらと雨に打たれながら、いつの間にか侵入していた大きな道の上を歩いていると、急に彼の意識は遠のくこととなったのだ。

 ーーしばらくの時が経ち、目が覚めるとどれだけ待っても来ることがなかった彼女がいた。

 いや、それだけじゃない。周りの人が彼を中心に群がり、まるで見物みものかのようにじっと彼を見つめ続けていた。

「ごめんね……」

 あの優しい彼女から発っせられた声だったが、誰が聞いても声が震えており、涙声だと、彼女が彼に対して泣いているのだとわかる。

 ーーああ、なんだ僕のこと忘れてなかったんだ

 しかしその声は不思議と口からは出ず、彼女に伝わることは無かった。

 だが、忘れてないと知った彼はとても穏やかな気持ちになる。

 自分のことを気にかけてくれる人が、優しく接してくれる人が、彼女自身のことは後回しにして自分の事を優先してくれる人が泣いているからだ。

 それにーー

 ーーなんだ、皆ちゃんと僕のこと見えてるんだ

 と注目を浴びているからこそその言葉が頭をよぎった。なのに口からはやはり言葉がでない。

 その後からは彼にとって不思議な体験だった。

 ふわりと体が浮くような感覚を覚えたのだ。

 その感覚は次第に強くまるで風船にでもなったのかのように彼は浮いた。

 いや正しくは彼の魂が抜けたのだ。幽体離脱に近いがそうではない。戻ろうとしてもどんどんとはるか上空に招かれるように上へ上へと登っていく。

 その時目に映ったのは大雨が降る中、数名の人が集団となり輪を作り、その中心に彼女と……一匹のアメリカンショートヘアの猫がいる風景だった。

 その猫は車に轢かれたかのようにあちらこちらの骨が絶たれ、息もしていない。どう見ても絶命だった。

 ーーそうか、僕は……

 彼が自分自身が猫であることを悟った瞬間。浮上する感覚が更にまし、魂を大地から引き裂くかの如く天は魂を吸い込んだ。

 その刹那、彼が見たのは一人の彼女が、大雨が強くなっても、その雨が上がっても、小さな自分を……もうそこには居ない自分を、抱きしめ続け泣き崩れた姿だった。
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