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第二章 クリスタ編

96.甘いひと時

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「レイ様。そろそろ準備はよろしいでしょうか?」

「ん……。今いく。」


レイラの姿になったレイは、部屋にある姿見に自分の全身を映してどこかおかしいところがないか確認してから、部屋の外で待っていたアスランのところへと向かった。



リディアーナからの指示を待つと決めてから二日。

レイラが慣れない旅で体調を崩してしまったという理由でこの宿に延泊し、密かにリディアーナからの連絡を待っていたのだが、色んな事情を加味した結果、明日このマゼラの街を後にし、いよいよクリスタ国内に入ることに決めたのだ。


ここ二日は部屋に引き籠り、ただじっとしていることしか出来ない自分に苛立ちが募っていたレイは、今後どうなってしまうのかという不安に駆られながらも、ようやく次の行動に移れることに少しだけホッとした気持ちが生まれていた。


今夜はファランベルク国内での最後の夜ということもあり、少しくらいはマゼラという街を純粋に楽しむために、アスランと二人きりで外出しようということになっている。



「お待たせ。」

「では、参りましょうか。」


そう言ったアスランがごく自然な仕草でレイをエスコートするために手を差し伸べてくれた。


「ありがとう。でも……」


レイはあえてその手を取らずにアスランの隣に立つと、躊躇うことなく腕を絡めて自分の身体をアスランに密着させる。


「今日はこっちで。」


本当の恋人同士のようなやり取りに少し照れながら、レイがアスランを見上げて微笑むと、アスランも優しく微笑み返してくれた。

こうしてレイ達にしては珍しく、いつになく甘い雰囲気のまま、夜の街へと出掛けることになったのだった。





アスランがあらかじめ予約しておいてくれたマゼラで今人気だという落ち着いた雰囲気の店に到着したレイ達は、すぐに奥にある個室へと案内された。


いつもは執事という立場から、一度も食事の際に同席したことのなかったアスランが、今日はレイの向かい側に座っているということに何とも言えない気恥ずかしさを感じつつも、和やかに二人きりの時間が過ぎていく。

しかし、レイラの姿になっているせいなのか、デートらしいデートというものを前世も含めて初めて経験したせいなのかはわからないが、デザートが運ばれてくる頃にはすっかり気疲れしてしまっていた。


(たぶん僕には恋愛脳というものが備わってないのかもしれないな……。)


レイは自分が恋愛というものに向いてない体質なのだということを感じずにはいられない。


(トキメキよりも『萌え』のほうが勝った時点で、何か違うのかも……。)


自分の二回の人生を振り返り、冷静にそう判断する。


なので、

「少し休憩してから宿に戻ることにいたしましょうか。」

とアスランに言われた時も、レイはそれが意図する事にすぐに気付くことができず、呑気に気が利くな、などと感心してしまっていた。


給仕係から部屋の鍵らしきものを受け取ったアスランを見た時にようやく、これが前世ドラマなどでよく見かけた『上に部屋を取ってあるんだ』というシチュエーションなのだと気付き、レイは自分の鈍感さを痛感し、複雑な気持ちにさせられた。

その上、随分と手馴れた様子で物事を進めていくアスランに対し、そこはかとなく面白くない気持ちが沸いてくる。

恋愛向きの性格でなくても、嫉妬するということを知っているレイは、ついアスランに対し胡乱げな視線を向けてしまったのだった。



アスランの過去を問い詰める気満々で、用意された部屋へと向かったレイは、いきなり出鼻を挫かれることになってしまった。


「──ねぇ、アスラン。……何コレ?」


部屋に到着してすぐに、アスランから着替えて欲しいと渡された衣装を見たレイは、信じられない物を見た時のような気持ちでそう尋ねた。


「これからレイ様に着替えていただくドレスですが。」

「うん。それはわかってるんだけど……。」


先程までの甘々な雰囲気はすっかり消え失せ、有能な執事モードに変わったアスランからの簡潔過ぎる説明に、レイは思わず穴が開くかと思うほどドレスを凝視してしまう。


(いくらなんでもナイでしょ。コレは……。)


たった今アスランから渡されたドレスは、いつもレイラになった時に着ているようなふんわりとした可愛らしいデザインや色使いのものとは全く異なり、襟ぐりが大きく開き、身体のラインが強調されるようタイトなシルエットになっている扇情的なデザインの深紅のドレスだった。


(これって、スカーレットさんが着てたのと同じようなデザインだよね……。)


完璧なお色気ボディの持ち主であるスカーレットの姿を思い出し、レイは思わず自分の身体を見てしまった。


いくら男らしさというものがまだ備わっていない見た目であるとはいえ、どうやっても男の身体に変わりはない以上、高度な露出のあるデザインや、女性らしい曲線を強調したようなものを着こなすにはどう考えても無理がある。


「コレ、着るの?僕が?……………ムリでしょ。」

「レイ様のサイズで仕立てられているものですから問題はないと思いますが。」


何て事のないようにそう言ったアスランに、レイは即座にツッコミを入れる。


「いやいや。問題大ありだから!!なんでこのドレス?!でもって、なんで部屋にこんなの用意されてんの?!」

「何かの場合に使うことになるかもしれないと王女殿下がご用意下さったものをここに持ってきておいたのです。活躍の場があって良かったですね。」


ニッコリと微笑むアスランのその表情からは、レイがこれを着る以外の選択肢が用意されていないことがありありと伝わってきた。


(こういう言い方をするってことは、何かあるのか……?)


レイは即座にアスランの行動の意図を読み取ろうと試みる。


(───もしかして……!!)


アスランはレイが何かに気付いた事がわかったのか、口の端を軽く上げた。


(やっぱりそういう事なワケね……。)


ある可能性に思い至ったレイは、自然と大きなため息と共に、事前説明を何もしなかったアスランへの不満が溢れてしまう。


「……わかった。着ればいいんでしょ……。着れば。
──でもさ、こういうことは事前に説明しといてよ。」


レイは今日のお出掛けを本気でデートだと思っていた自分が恥ずかしくなってしまった。


「申し訳ございません。」


アスランの全く心が籠っていなそうな謝罪に、レイは苦虫を噛み潰したような顔で、不承不承用意されたドレスを身に付けることにしたのだった。




アスランから仕度を手伝ってもらいながら、改めて今日の段取りを聞かされたレイは複雑な気持ちになっていた。


(これが作戦だってことはわかったけど、なーんか釈然としないよねー。)


ここに来るまでこれからやる事を何も聞かされていなかったレイは、はっきり言って面白くない。

レイ自身、隠し事が上手いほうではない事はそれなりに自覚しているが、こんな風に蚊帳の外に置かれると、全く信頼されていないと言われているようで腹立たしい。


(しかもこんな作戦思い付くなんて、アスランの普段の生活が偲ばれるよね……。)


ドレッサーの鏡越しにアスランを軽く睨み付けてみたが、レイの無言の抗議は涼しい顔でスルーされてしまった。

どんどん機嫌が下降していくのを隠そうともしないレイとは対照的に、その表情から全く心の内が窺えないアスランに対し苛立ちが募っていく。


そんなレイの気持ちを知ってか知らずかアスランは穏やかな笑みを浮かべると、レイのすぐ後ろに立ち、鏡越しに視線を合わせてきた。


「レイ様は黒髪もよくお似合いですね。」


リディアーナが用意してくれていた数種類の髪色のウィッグの中から黒髪を選んで着けたレイは、意識して大人びたメイクを心掛けた甲斐もあってか、それなりに大人の女性に見える仕上がりになっていた。


「色気はどうにもならないけど、自分でもそれなりにいい線いってると思うんだ。」


ドレスを見た時に連想したスカーレットの容姿を参考に色々工夫してみたのだが、どうやら方向性は間違っていなかったらしい。

一生懸命頑張った結果を褒められれば悪い気はしない。

レイはアスランに対する苛立ちが少しだけ薄れた気がした。


「仕上げにこちらを。」


アスランから渡されたのは、黒いレースで出来た太めのチョーカーだった。

こういった場合に備えてなのか、どうやら少しずつ男性らしさが現れ始めているレイの首元を隠すために、事前にリディアーナが用意しておいてくれた物らしい。


レイが鏡に映る自分を確認しながら、チョーカーの留め金を外していると──。


「あ……っ……」


すぐ後ろに立っていたアスランが、座っているレイの身体を包み込むように抱き締めてきたのだ。


突然の抱擁に戸惑ったレイが慌てて後ろを振り返ろうとすると、思いの外強い力で抱き締めてくるアスランにその動きを封じられてしまう。


「アスラン……?」


名前を呼んだレイに答えるように、アスランは腕の力を弱めると、そのままその手でレイのうなじをなぞるようにして長い黒髪をそっと片側に寄せた。

そして露になったレイの白い首筋に口付けを落としていく。


「……ん…っ……」


擽ったいようなもどかしい感覚にレイが思わず声を漏らすと、アスランの手は首筋から鎖骨を辿り、大きく開いた胸元からドレスの中へと進入していった。


「ちょ…っ、……アスラン…っ…!ダメだって……!!」


慌ててやめさせようとするレイの言葉を無視して、アスランの指先は的確に目標へと向かっていく。


「……あ…ァ……ん…っ…!」


胸の尖りを捉えると同時に、首の後ろ側をキツく吸われ、レイは椅子に座ったまま身体を大きく震わせた。

仰け反るようにして上を向いたレイの顔に、すかさずアスランの整った顔が近づいてくる。


そして唇が触れ合うと思った瞬間。


「……愛しています。」


たった一言、囁くようにそう呟くと、アスランはそっと唇を重ね、すぐに離れていってしまった。


「え……?」


あまりにあっさりと終わってしまった口付けに、レイが呆気に取られていると、すっかりいつもどおりの表情に戻ったアスランが何事もなかったかのようにレイの手に握られていたチョーカーを受け取って着けてくれた。


(アスランの考えてることがさっぱりわからない……。)


アスランの一連の行動の意味がわからず、レイは首を捻りながら鏡に向かうと、今の口付けで少しだけ剥がれてしまった赤い口紅を塗り直すことにした。


鏡越しに後ろにいるアスランに視線を向けると、レイとの口付けで付いてしまった口紅を親指の腹で拭っている姿が見えた。

アスランにしては珍しいぞんざいな仕草に不意にドキリとさせられたレイは、何故か慌てて視線を逸らせてしまったのだった。




「お時間です。」

「……わかった。」


アスランに声を掛けられ、レイはもう一度鏡に映る自分の姿を確認してから、ゆっくりと立ち上がった。

アスランは既に入り口の扉の前に立っている。


すると程なく、右隣の部屋から三回壁を叩く音が聞こえた後、それほど間を置かず今度は部屋の扉が三回叩かれた。


待機していたアスランが静かに扉を開けると、扉を叩いた人物が滑り込むようにして室内へと入ってくる。

誰が来るのか聞かされていなかったレイは、よく知る人物の登場に思わず相好を緩ませた。


「迎えに来たよ。レイちゃん。」

「……カイン。」


カインの姿を見た瞬間、これからやるべき事に対して感じていた不安な気持ちがほんの少しだけ晴れたような気がしたのだった。
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