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第二章 クリスタ編

112.静かな怒り

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迎えに来てくれたアスランと一緒にクリスタの公邸を後にしたレイは、道中の馬車の中でずっと無言だったアスランに連れられ、サミュエルが用意した宿へと戻って来た。 


(これってもしかしなくても、怒ってるってことだよね……?)


先導するアスランの後ろ姿を見ながら、内心こっそりため息を吐いていると、部屋へと続く通路に見覚えのある人影を発見し、レイは思わず足を止める。

その人影はレイの姿を認めると、早足でレイのほうへと歩み寄ってきた。


「フレドリック様……。」


レイはフレドリックに対し、まずは今回の潜入に際し、事前の擦り合わせもなく一方的に頼み事をするような形となってしまったことを謝罪しようとしたのだが。

フレドリックはレイの前に立つと無言のままいきなりレイの両腕を痛いほどの力でギュッと掴んできたのだ。

そして。


「お前はどれだけ無茶な真似をすれば気が済むんだッ!!」


頭ごなしに叱られ、レイは驚きに目を瞠る。

こんな風にして家族以外の人間に叱られるというのは初めての経験だけに、驚き過ぎてつい反応が遅れてしまった。
しかし、レイはすぐに姿勢を正すと、真っ直ぐにフレドリックを見つめて謝罪した。


「ご迷惑お掛けして申し訳ございませんでした。」


真摯な態度のレイにフレドリックはほんの少しだけ表情を和らげる。


「……迷惑だとは思っていない。なにかあったら呼べと言ったのは俺の方だしな。
だがな、いくら大人びた考え方をする人間だろうと、お前はまだ成人前の子供だ。自ら率先して危険なところに飛び込んで行くなど言語道断だ。しかも男娼の真似事だと!?それを手紙で知らされた俺がどれだけ心配して公邸に乗り込んでいったかお前にわかるか? お前の身に何かあったら俺にお前のことを託してくださったジークヴァルト様に申し訳がたたん。」


フレドリックが思いの外早く公邸へとやってきたのは、どうやら無茶な真似をしたレイを心配してのことだったらしい。

最初に言葉を交わした時とは違い、いつの間にかレイはフレドリックにとって、ジークヴァルトから頼まれた護るべき対象ということになっていたようだ。

そのレイが無謀にも単身クリスタの公邸に乗り込んだとあっては黙って待つなどということはできなかったのだろう。

レイは、自分が指定した時間よりも随分早い時間に公邸にやってきたフレドリックのことを恨めしく思ってしまった自分を猛省した。


「……本当に申し訳ございませんでした。」


すると、フレドリックはレイの腕を掴んでいた手を緩めると、軽く項垂れていたレイの頭を軽くポンと叩いたのだ。

レイはその気安い対応に驚き、顔を上げた。


「言っておくが、お前が子供だからこう言ってるわけじゃないぞ。例えお前が大人だろうと、俺は同じようなことを言っていた筈だ。 自分を犠牲にして何かをしようとする人間を見て周りの人間が喜ぶと思うのか?お前が逆の立場だったらどう思うかよく考えてみろ。」

「……申し訳ありません。」


最早、謝罪の言葉しか口に出来ないでいるレイに、フレドリックが苦笑いする。


「男が何度も謝るな。何にせよ、お前が無事で良かった。」


そう言って貰えたことに少しだけホッとしたレイは、今度は謝罪の言葉ではなく、心から感謝の言葉を述べた。


「本当にありがとうございました。フレドリック様のご厚意に深く感謝致します。」

「俺の存在がお前の役に立てたのならそれでいい。それがジークヴァルト様より課せられた俺の使命でもあるからな。 何にせよ、お前の無事が確認出来て良かった。正直、このままファランベルクに戻ることになっていたらどうしようかと思っていたところだったしな。」

「え?ファランベルクに戻られるのですか?」

「ああ。実はこれから王女殿下の使いですぐにここを発つことになったんだ。」


あまりにも慌ただしい出発にさせてしまったことに、申し訳ない気持ちになりながらも、これから先、行動を監視されなくて済むことがわかり、胸を撫で下ろす。


(これってもしかして……。僕がフレドリック様をどうにかしてくれってアスランに言ったせい?)


思わず少し離れた位置にいるアスランにチラリと視線を向けてみたものの、何の反応も得られない。


「なんだ?ランドルフの執事に他の男と話してる姿を見られるのが気になるのか?」


そういう意味ではなかったのだが、本当のことを言うわけにもいかず、レイは曖昧に笑っておいたのだった。



フレドリックからリディアーナの来訪を聞かされたレイは、もう一度フレドリックに対し丁寧に礼を述べた後、道中の無事を祈る言葉を告げて別れると、部屋の前に立ち、ひとつ大きく深呼吸してから扉を開けた。


「お帰りなさい。待ってたわ。レイちゃん。」

「リディアーナ様!!」


部屋の中央に置かれたテーブルセットにはひと目でお忍びだとわかるワンピース姿のリディアーナが座っており、その後ろにはリディアーナの護衛であるセレスの姿が。
壁際に目をやると、リディアーナの侍女でレイの代わりにアスランと共に行動してくれていたスザンナとカインが、やや緊張したような面持ちで控えていた。


「色々あったみたいだけど、とりあえず無事で良かったわ。早速だけど、公邸であったことの報告をお願い。
──悪いけど、二人だけにしてちょうだい。」


性急とも云えるリディアーナの言葉でレイ以外の人間が速やかに退出する。

レイは扉が完全に閉まるのを待ってからリディアーナの許可を得て着席すると、神妙な面持ちで口を開いた。


「リディアーナ様。今回の件、僕の身勝手な行動を許可していただきありがとうございました。」

「こっちこそ、助かったわ。レイちゃんのお陰でクリスタは漸く手の内を全部晒す気になったみたい。 明後日は何を言われることやら。」

「……実は、クリスタ側からこれを預かって参りました。」


苦笑い交じりのリディアーナに、レイは柏木に渡されたモバイルバッテリーを差し出す。


「充電したら、中に入ってる文書と『ボイスレコーダー』を確認するよう言われました。出来たら明後日までに、と。」

「……確か少しだけ充電すれば、後は充電しながら使うことが出来たわよね。」

「すぐに持ってきます。」


レイはこの部屋に置いていった自分の荷物の中から柏木のスマートフォンを取ってくると、すぐにバッテリーに繋いでテーブルの上に置いた。

そして、少し充電されるまでの間に、場を繋ぐ意味で公邸潜入のあらましを説明してみたのだが……。


「…………。 色々言いたいことはあるけど、とりあえずはデータを確認してからにしましょうか。」


リディアーナからは何故か酷く疲れたような笑みを向けられ、レイはどういうことかと首を傾げつつ、約14年ぶりにスマートフォンの電源を入れるという動作を行ったのだった。


画面が眩しいほどに明るくなり、前世の世界では馴染みの深かった世界的通信機器メーカーのロゴが表示される。


「久しぶりに見ると液晶画面って眩しいくらいに明るいわね……。」


この世界の住人でありながらも、前世の世界の感覚を忘れていないリディアーナが自分と同じ事を思っていたのがなんとなく不思議な気がして、レイは思わずクスリと笑ってしまった。

メイン画面を指先でスライドすると、パスワードの入力案内が表示され、そこに柏木から教えられた数字を入力する。

すぐにロックが解除され、画面に表示された数個のアイコンの中から、まずは『ボイスレコーダー』を選択してタップした。


再生された音声データは、遠くにいる人物達の会話を録音したものらしく、その音声はやや不明瞭ながらもファランベルク語の会話らしいことから、柏木がこの世界に来てから録音されたものだということがわかる。


「これって……」


そう呟いたリディアーナの表情は、聞き進めていくうちに段々と険しいものに変わり、レイはその内容に徐々に顔色を青褪めさせた。

続けて文書データを開くと、そこには先程聞いた音声がどういった経緯で録音されたものかということから、音声データに登場する人物の特徴などが事細かに記載されていた。


「……随分ナメた真似してくれるじゃない。」


記録された全ての情報を読み終わったリディアーナは、口許に不敵な笑みを浮かべながら、低くそう呟く。


「リディアーナ様……?」


不安に駆られたレイがリディアーナの名前を呼ぶと。


「フフ……、大丈夫よ。どんな事があろうとも既にこちらはありとあらゆる事を想定して準備してあるわ。後は明後日クリスタ側がどういうつもりだったかってのを、じっくりと聞かせてもらうだけよ。ファランベルクを巻き込んだんですもの。あちらもただで済むとは思ってないと思うけど。」


その黄金の瞳と言葉尻に静かな怒りを感じ取ったレイは戦慄した。


「それにしても、柏木さんてすごい人ねぇ。いきなり右も左もそれこそ言葉すらも通じない異世界に飛ばされてきたっていうのに、冷静に状況判断して国家機密に関わるほどのポジションまで辿り着いたってことでしょ。頭の回転がいいだけじゃなくて、肝も据わっているなんて、素晴らしい人材だわ。出来ればこっちに引き抜きたいくらいよ。いっその事、今回の迷惑料代わりに彼の身柄をこちらに渡してもらえるよう交渉してみようかしら。」


冗談とも本気ともつかない言葉に、レイは僅かに表情を強張らせた。

──柏木がファランベルクにくるのは色んな意味で非常にマズい気がするのだ。


(そういえばさっき、柏木さんとアスランって結構険悪な感じだった気が……。)


レイの表情の変化に目敏く気付いたリディアーナは、面白いものを見つけたと云わんばかりに軽く目を細めた。


「あら?レイちゃんて確か、柏木さんがファランベルクに引き入れられるか交渉するって言ってなかったっけ? なのにその表情ってどういうことなのかしら? もしかして、さっき話してくれたことの他に何か楽しい事があったんじゃない?」


先程、公邸に潜入した際の方法や、その後ユーインと話したこと等といった当たり障りないことは話したものの、柏木との間にあった個人的なやり取りについては何も話していなかったレイは、ギクリとさせられる。


「ねぇ、レイちゃん。この間、二人の関係を聞いた時、社長の娘と社長秘書という間柄で兄妹みたいな関係だって言ってたわよね? 実はそう思ってたのはレイちゃんだけだったって可能性はないの?」


相変わらず抜群に勘の鋭いリディアーナに、レイは言葉を詰まらせた。


「あの……、実は……」



結局。

隠し事に向いていないレイが、なし崩し的に全てを告白すると、それを聞き終わったリディアーナは、先程公邸潜入のあらましを説明した時の微妙な感じとは違い、今度は無表情になってしまった。

そして。


「前世の婚約者。執着愛。混線する多角関係。
──BLだったら抜群に萌えるシチュエーションの筈なのに、その渦中にいるのがレイちゃんかと思うと不安しか感じないわ……。」


リディアーナはぶつぶつとそう呟きながら、何かを考え込み始めたのだ。

絶対に面白がって煽ってくるに違いないと思っていたレイが密かに拍子抜けしていると。


「レイちゃん、よく聞いて。」


リディアーナは怖いくらいに真剣な表情で口を開いた。


「……はい。」

「レイちゃんのこの状態をゲームとかに例えると、ここでの選択がエンディングにダイレクトに影響しちゃうような重要な分岐点だと思うの。」

「?」


ゲームといえば、友人がやっている様子を見ているばかりだったレイは、リディアーナの言葉にいまいちピンとこないまま首を傾げた。

リディアーナはレイが全く理解していないことを感じ取ったのか、若干の苛立ちを滲ませている。


「つまりは、ここでの選択肢が後々の状況を決める重要なポイントだって言ってるのよ。 ハーレムエンド狙いならこっから先の選択肢はひとつだって間違うことが出来ないってくらいの正念場なのよ!」


この人生でのエンディングはレイとしての人生の終焉という形となる以上、そんなあり得ない状況を力説されても、正直「そうですか……。」としか言い様がない。

反応が薄いレイに、リディアーナが本当にわかっているのかとばかりに胡乱げな視線を向けてきた。

レイはとりあえず曖昧に笑って誤魔化しておく。


「ゴメン……。一気に欲張ろうとした私が悪かったわ。レイちゃんはそんな小賢しいことをアレコレ考えられるようなタイプじゃないものね。
わかった。もうこの際、誰ルートを選ぶかは一先ず置いといたとしても、とりあえずあなたの執事達にはすぐにでも正直に今の状況を話したほうがいいと思うわよ。 恋人だったら全部を話すと上手くいかなくなることのほうが多いけど、彼等の場合は下手に隠し事をすると悪化する気がするから。」


恋愛経験ゼロのレイではこの突然の話題転換がどういうことなのかさっぱりわからない。

しかし、先程微妙に怒りのようなものを滲ませた様子のアスランを思い出す限り、隠し事をしておくのはマズいような気がしたレイは、リディアーナの助言に素直に頷いておいた。


(でも、どう説明すればいいわけ……? 下手したらカインも怒ってる可能性もあるよね……。)


それからリディアーナは尚もレイに恋愛指南らしきものをしてくれたものの、二人の執事に対する説明のことで頭が一杯になっていたレイの耳には、残念ながらその言葉は少しも届いていなかった。
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