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40. 青と銀
しおりを挟むローガンの言葉に、エルンストは瞬きをした。
その視線が自分を捉えていることに気づき、エルンストは自身の服装を見た。
「私の服は十分に──」
「君の立場を示す衣装が必要だろう。予算は気にしなくていい。君のおかげで我が家には余裕ができた。豪華な服を仕立てたところで釣りが出る」
ローガンは一度、エルンストの頬に触れかけて手を止め、ぎこちなく腕を組む。
「君の努力に報いるには、良い機会だろう」
柔らかな声音。その意味を理解するまでに、少し時間がかかった。
────贈り物。
自分のために、ローガンがそう言ってくれているのだと気づくと、胸が熱くなる。
「……よろしいのですか?」
「当然だ。むしろ、遅すぎたくらいだ」
ローガンは至極真面目に言い、エルンストはつい笑みを零した。
数日後、王都から仕立て屋が到着した。
老舗中の老舗、王侯貴族の衣装を手掛ける名匠のテーラーと、その針子たち。
ローガンがルオランに紹介を頼み、わざわざヴァルトシェイドまで呼び寄せたと聞き、エルンストは恐縮した。
更にはルオランが手配した最高級の布地が陽の光に照らされ、部屋いっぱいに広がっていた。
光沢を放つ絹や天鵞絨。
深紅、灰青、月白、夜の闇のような群青。ひとつひとつが、まるで宝石のように輝いている。
「愛されてるなぁ、エル坊」
ルオランの揶揄いはいつものことのはずが、まともに受けてエルンストの頬が紅潮する。
「やめてくれ」
「でも久しぶりだろう? ちゃんと着飾るの。美しいものは、美しいままに大切にすべきさ」
ローガンがその会話を聞き、首を傾げる。
「……服を仕立てるのは、久しぶりなのか?」
ルオランが肩を竦めた。
「弟に遠慮して、既製品ばかりだったもんな」
「言うな、ロラン!」
思わず昔の呼び方を出してしまい、エルンストは口を押さえる。焦って舌が縺れてしまった。
ローガンの眉が僅かに動いた。
「……何の話だ?」
「夫人の弟御は、それはもうワガママでね。彼のものを何でもかんでも欲しがるんですよ。新調した服なんてことごとくねだられ奪われる。だから彼はいつの間にか、つまらない既製品しか着なくなったんです」
「や、やめてくれルオラン!」
恥部を暴露されてエルンストは狼狽える。
ローガンに惨めな自分を知られるのは恥ずかしくて怖くて堪らない。
「……いつか君が話してくれた、馬の話と同じか?」
「衣服に関しては拗ねたのではなく、いつもねだってくる弟が鬱陶……ああ、なんでもありません……」
醜い本音を言いかけて、エルンストは両手で顔を覆う。情けない。
そして、こんなことに動揺する自分にも腹が立つ。
ローガンに呆れられたくないという一心で必死に取り繕おうとする自分が惨めだ。
ローガンに見せたいのは、完璧なエルンストだけなのに。
「事情は理解した。俺は何も思っていない。顔を上げてくれ」
その声音に促され、エルンストはゆっくりと顔を上げた。
「……すみません」
「謝ることじゃない。せっかくだ、好きなものを選べ」
嬉しさと悔しさが同時にこみ上げる。
ルオランを睨むと、言って良かっただろう、と大して反省もしない。
「では、ごゆっくり。お邪魔しましたぁ」
憎らしいルオランは引き際を悟って、笑って退室していった。
「さあ、エルンスト。好きな布でも、デザインでも遠慮なく」
「……私は、どんなものが似合うのでしょうか」
「どれでも似合う」
即答だった。
あまりに真っ直ぐな言葉に、エルンストは目を伏せる。
ローガンの言葉はいつも誠実で、嘘がない。それ故に、胸の奥に直接触れてくる。
好きな色を選ぶというだけのことが、これほど緊張するとは思わなかった。
もう誰かに奪われることを恐れなくていい。
今は、初めて自分の手で、自分の好きなものを選べる。
────自由だ。
指先が、夜明け前の空のような青に触れた。
光の角度で、藍にも群青にも変わる。
好きだった。ずっと、好きだと隠してきた色。
「……この、深い青を」
テーラーが頷く。
「冷たさではなく、静かな気高さを纏う色。夫人にぴったりでございます。袖口などは刺繍で装飾するのも良いでしょう」
「……素敵です。そうしてください」
言葉が自然に零れた。
「君はその色が好きなのか?」
「ええ。夜明け前の深い青が好きです」
「君は早起きだからな」
「ふふ、確かにそうです」
「美しい色だ。俺も気に入った。これを基調に、いくつか誂えよう」
「いくつか……ですか?」
「良い機会だ。まとめて作れば手間も省ける」
「ありがとうございます……」
ローガンの言葉が、全身に静かに染み込んでいく。
「ローガン様とお揃いのものも、作ってもいいですか?」
一瞬、ローガンが驚いたように目を瞬かせ、それから柔らかく頷いた。
「君の望むままに」
エルンストは微笑む。
ローガンが自分を受け入れてくれることが、ただ嬉しかった。
「この銀糸で刺繍を。ローガン様の瞳の色にそっくりですから」
「俺の瞳はそんなに明るくない」
「ローガン様は、あまり鏡をご覧にならないのですね」
軽口を交わし、ふと二人の笑いが重なった。
その響きは、遠い春の陽光のように温かい。
生地選びが終わると、テーラーが木箱を開いた。
中には、ブローチやカフス、指輪、襟飾り──繊細な装飾品が整然と並んでいる。
「アクセサリーもお選びくださいませ」
エルンストは遠慮しようとしたが、ローガンが先に手を伸ばした。
「俺が見繕おう」
「えっ?」
「どうせなら、君に似合うものを選びたい」
ローガンの指が、決めていたかのようにひとつのブローチに触れた。
銀の台座に繊細な彫刻が施され、中央には青緑の宝石がはめ込まれている。
白群色──澄んだ夏の空のような輝き。
「これを」
ローガンの声には、迷いがなかった。
テーラーが満足げに微笑む。
「お見立てが素晴らしい。公爵夫人の髪と瞳の美しさを、より引き立てるでしょう」
エルンストは呆然とその石を見つめた。
「ありがとうございます」
「君の瞳の色だ」
「……ローガン様には、こんなふうに見えているのですか」
「君も鏡はまともに見ないようだ」
二人で並んで装飾品を選ぶ時間は奇妙にくすぐったく、そして人生の中でも上位に数えるくらい楽しいひとときだった。
こんなに贅沢な気分は久々で、今の自分がそれを味わって良いのかと遠慮の気持ちも湧き上がる。
────でも、これは贅沢ではない。必要経費だ。
心の中でそう言い訳しながらも、胸の奥で波打つぬくもりは確かに〝幸福〟と呼べるものだった。
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