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2. 諦念と好奇心
しおりを挟む「こんなの、あんまりですよ」
そう溢したのは、エルンストの従者兼秘書の男、ダミアンだった。黒髪で長身の彼はエルンストに新しい紅茶を淹れにきたばかりで、その香り立つ紅茶のカップを白いテーブルに少々雑に下ろした。
ダミアンは二十代の半ばで、従者として仕えて十年になる。
「何がだ?」
エルンストは手元の書類から顔を上げずに問う。ダミアンは、はあ、と大きく溜め息を吐いた。
エルンストの執務室には捌ききれないほどの書類が机に山積みになっていて、インクの香りが部屋に染み付いていた。
「何がって、ローガン・ヴァルトシェイド公爵との結婚ですよ! よりによって獣人の国へ嫁ぐことになるなんて……」
「帝国も王国も同性同士の結婚は昨今では当たり前になっただろう? それに、獣人は同性でも子を成すことができるらしい」
淡々と答えるエルンストは、手元の書類を処理済みの箱に重ねていく。
帝国と王国は同盟を結ぶにあたり、互いの国の文化や習慣を尊重し合うことを取り決めた。その一環として同性同士の結婚も認められ、貴族の間では密かに流行している。
「獣人とヒトとの間にも子は成せるのかな」
「そういうことではなく! 相手は、あの戦闘狂の狼男です。皇帝陛下は一体何を考えているんだか……」
「まあ、一番良い売り先が見つかった、くらいだな」
エルンストは最早、他人事だ。インク壺にペン先を浸すタイミングでダミアンを改めて見遣れば、納得のいっていない表情をしていて、思わずふっと笑ってしまった。
「今更、どこに行かされても驚かないよ」
そもそも、エルンストはロートベルク家の長男でありながら、家門を継ぐ資格を剥奪されていた。名目上は彼の数々の〝やらかし〟が原因とされているが、実際はエルンストの弟を跡継ぎにしたいという父の思惑が全てだ。家族にすら必要とされないエルンストが、今や政治の駒としてフェンリュクス王国へ嫁がされる運命にある。
エルンストは書類を読み終えると、最後のサインを書き入れ、ペンを置いた。
「事業はほとんど手放すことになりそうだ。有用なものは優秀な人材に引き継いで、あとは父と弟に任せる」
「そんな……本当に行くんですか? 獣人の国へ」
ダミアンは信じられないといった顔でエルンストを見つめる。エルンストが九歳の頃から仕えてきたダミアンは、主が金銭にどれほど執着しているかを誰よりも知っていた。それが築き上げた財産をあっさり手放すなど、到底信じられる話ではない、とダミアンは不満そうだ。
「どうせ父と弟の手に渡ったところで、数年も保たないだろうな」
エルンストは書類を整理しながら軽く肩を竦める。
「フェンリュクスでも運用できそうなものはいくつか持っていくさ。心配するな」
「それでも、惜しくないんですか? あれだけ努力して築き上げたものを──」
「金はまた稼げばいい」
エルンストはこともなげに言い放つ。そして、ダミアンをちらりと見て、少しだけ笑った。
「それに、あの国にはまだ俺の知らない何かがある気がする」
「獣人の国に……ですか」
「ああ。未知の土地に足を踏み入れるのは悪くないだろう」
主の無邪気な笑みに、ダミアンは困惑した表情を見せた。それでも、エルンストのその飄々とした強かさはいつも触れているからか、自分の中で無理矢理に納得させることにしたようだ。
「それと、ヴァルトシェイド公爵のことも気になる」
「……まさか、もう懸想を?」
「違う」
エルンストは馬鹿を言うなと手のひらを翻す。
「どんな人か、まだ分からない。だが、何か問題は抱えているだろう」
「どういうことですか?」
「ヴァルトシェイド公爵家は王国の二大公爵のひとつ、広大な北領を守護する筆頭だ。ヴァルトシェイド公爵領は帝国と王国の間に位置し、二国にとっての盾。王国の要とも言える家門の当主が未だ結婚をしておらず、更には帝国の人間と婚姻を結ぼうとしている。褒賞だの同盟の楔だのという事情はもちろんあるだろうが、打診されてそれを素直に受けるのも不自然な話だな」
エルンストの言葉にダミアンは目を丸くして驚いた。
「ヴァルトシェイド公爵には何か事情があって……」
「さあね。ただ、気にはなる」
エルンストは言葉を切り、不敵な笑みを浮かべた。蠱惑的で、人を惹きつけずにはいられない笑みだった。
「上手くすれば今よりももっと稼げるかもしれない」
「……あなたって人は、本当に強欲な方だ」
ダミアンは呆れながらも、エルンストのその頼もしさに笑みを溢した。
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