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3.出会いと輝石
しおりを挟む数日後、帝都にあるロートベルク伯爵家の邸にて、正式な顔合わせが行われた。
エルンストが応接室の扉を押し開けると、そこには一人の男が立っていた。
彼こそが、フェンリュクス王国の英雄にして、公爵の地位を持つローガン・ヴァルトシェイド。
銀灰色の髪と瞳を持つ男は、威圧感さえ漂うほどの体躯を備えていた。鍛え上げられた長身の身体は、深い黒に銀の縁取りが施された騎士の礼装を完璧に着こなし、肩には公爵家の紋章をあしらった濃紺のマントが掛けられている。
腰には儀礼用に装飾された佩剣が収まり、その柄に刻まれた銀の紋章が、彼の地位と血筋の重みを静かに物語っていた。
エルンストの目を奪ったのは、頭部に生えた大きな狼の耳と、衣の裾から覗くふさふさした尻尾だった。獣人である証ともいえるそれらが、男の存在をただの人間の枠に収めようとしない。
そして、その鋭い銀の瞳がエルンストを射抜いた。まるで相手の価値を見定めるような、研ぎ澄まされた視線。
刃物のような眼差しが収まる顔貌は、鼻筋が真っ直ぐで高く、北方の血を感じさせる白い肌に縁取られていた。整っている、などという月並みな言葉では言い足りない。冷たく、端正で、完璧だ。
エルンストは、不意に〝ハンサムだ〟と心の中で呟いた自分にぎょっとした。
獣人とはいえ、こうして見ると、ほとんどのパーツは人間に近いものなのだな──どうでもいいことに意識を逸らしながら、エルンストは喉奥に上がる緊張をごくりと飲み下した。
「ヴァルトシェイド公爵様ですね」
穏やかな微笑みを浮かべながら、エルンストは静かに言葉を発した。
「お初にお目にかかります。ロートベルク伯爵家長男、エルンスト・ロートベルクでございます」
「ローガン・ヴァルトシェイドだ」
短い返答。彼の低い声は、重厚で耳を打つようだった。
エルンストはその声に潜む威圧感を意識しつつ、表面上の微笑みを崩さなかった。
「どうぞお掛けになってください」
父のロートベルク伯爵が促すと、ローガンは一礼し、椅子へと腰掛けた。その仕草には無駄がなく、ひとつひとつの動きが洗練されている。
「ご足労いただき、ありがとうございます」
エルンストは彼の向かいに座り、穏やかな声で言葉を続けた。
「この度は我がロートベルク家を選んでいただき光栄です。帝国としても、フェンリュクス王国との関係をより強固にしたいと考えております故」
しかし、ローガンは何も言わず、ただエルンストを見つめる。その沈黙は長く、彼の鋭い瞳が観察を続けていることを感じさせた。
────値踏みされている、か。
エルンストは内心で小さく苦笑した。だが、その視線に押し潰されるようなことはしない。
「この縁談が両国の同盟をより確かなものにする一助となれば幸いです」
「……ああ、俺も切に願っている」
ローガンの言葉には、一瞬の間が挟まれた。その声には含みがあり、エルンストは微かに眉を寄せる。
簡単な自己紹介や世間話から、今後の日程や準備などの会話を淡々と流れるようにした後、伯爵が会話を締めくくろうとした。その時、ローガンが唐突に立ち上がった。
「婚約式も省略してすぐに挙式となる。せめて、この場でプロポーズだけでもさせてほしい」
「え……?」
その思いがけない言葉に、エルンストは思わず驚きの声を上げた。
ローガンは懐から小さな箱を取り出し、膝をついて同じ視線の高さでエルンストに向けた。
「受け取ってくれるだろうか」
彼が静かに箱を開けると、中には一つの指輪が収められていた。
それは銀細工で精巧に作られたリングで、中央には漆黒の宝石が嵌め込まれている。宝石は夜空を切り取ったように美しく、その表面には微細な光が散りばめられていた。
「……きれい」
エルンストは思わず漏らした。
見たことのない宝石だ。夜の深い闇を思わせる漆黒に、ほんのりと銀色や紫の輝きが宿る石。光を反射すると、表面に星空が浮かび上がるようにきらきらと輝いている。その美しさに見惚れてしまう。
これほどまでに心を奪われる宝石は見たことがないと、エルンストは息を呑んだ。
「気に入ってくれたか」
ローガンの声にハッと我に返ったエルンストは、慌てて頷いた。
「はい、とても美しいです……このような素晴らしいものを頂けるなんて光栄です」
「我が領で採れるノクタルナイトという石だ」
ローガンの声には、誇らしさが微かに宿っている。
「夜の闇を閉じ込めたような輝きからその名が付いた」
「ノクタルナイト……初めて聞きました」
彼はエルンストの左手を取り、その薬指にそっと指輪を嵌める。冷たい金属の感触が、心臓を高鳴らせた。
「とても似合っている」
ローガンが指先に口付けを落とした瞬間、エルンストの胸に奇妙な感情が走った。それは動揺と、何か説明が付かない高揚が入り混じったものだった。
「……ありがとうございます」
エルンストは上擦る声を抑えて、何とかそう答えた。心臓が早鐘を打ち、顔が熱くなるのを感じたが、それを悟られぬよう平静を装う。
ローガンはそんなエルンストの様子を静かに見つめていたが、やがて「ではこれで失礼する」と言い残すとその場を去った。
「……っふう」
火照る顔を手で煽いで、エルンストは深く息を吐いた。
「意外と紳士な方だったな。噂とは違う」
父の言葉に、エルンストは同意するように頷いた。まだ彼について何かを評価する気になれなくて、言葉は紡げなかった。
獣人とはこんなにも情熱的だったのか。それともローガンが特別なのか。
探るような視線に晒されたものの、こんなに丁寧に接せられるとは思わなかった。彼は、政略結婚の駒にされたエルンストを気遣ってくれたのだ。
ローガンは公爵家の主人として、そして一人の男としての礼儀を示した。彼はエルンストの心情を汲み取り、その立場を尊重してくれた。それが分かっただけで十分だった。
冷徹な狼公爵、ローガン・ヴァルトシェイド。
彼がどのような人であるかはまだ分からないが、少なくとも、エルンストは彼に好感を持った。
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