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第一章 大晦日の出会い
07 謎の少女の問いかけ
しおりを挟む視線が集まった場所は、先ほどのお守りを売っていた授与所だ。
俺たち以外にも、色とりどりのお守りを選んでいる途中だったり、授与所の近くに設置されたおみくじ掛けに結び目をつくって白い花を咲かせていたり、買い物や参拝を終えてなお授与所の近くにいたひとたちが皆、なんだなんだと驚いた顔を音の出所へ向けている。
よく見れば、売り場に立っていた巫女さんたちまで目を丸くして固まって、俺たちから見て授与所の一番左側を凝視していた。
束になった視線の先を俺は追った。興味や関心の、色も太さもばらばらと違う糸の先にいたのは――先ほど、俺と岡埜谷を冷やかしなら帰れとばかりに見ていた、あのポニーテールの巫女さんだった。
彼女は素早くその場でしゃがみ込み、カウンターの向こうに姿を隠す。それも一瞬で、すぐに立ち上がって顔を覗かせると、筒のようなものを胸に抱えて、深く頭を下げた。
「――お騒がせして申し訳ございません。大変失礼いたしました」
しんと静まっていたこの場に、彼女の声はよく響いた。
音を聞くまで背中を向けていた俺には、彼女が何をしてしまったのかわからない。けれど意図せず集められた興味や警戒の色を含んだ視線の数と、気のせいかもしれないが少し震えて聞こえた声に、少しだけ可哀そうだなと思った。
彼女の謝罪の声を合図に、参拝者たちの糸が解れていく。あっという間に彼らの中から先ほどの音の記憶は遠くへと追いやられてしまって、人が多いゆえの賑やかさが再び授与所の周りに漂い始める。
近くにあった狛犬の像と同じ口をしていた松井田が我に返った。
「え。いまの、何があったんだ?」
「ああ。なんか、おみくじの筒を落としちゃったみたいだよ」
俺と向かい合うように立っていたとはいえ、流石に俺の後方にあった授与所の方までは意識を向けていなかったらしい。松井田が首を傾げると、ちょうどその瞬間を目撃していたらしい我妻がことの真相を伝えた。「そうなの?」松井田が授与所の方を見る。
情報のおこぼれに預かった俺も松井田と同様にそちらをみるが、ポニーテールの彼女は何事もなかったかのように、巫女としての務めを果たしている。
ふいに彼女が顔をあげて、こちらを見た。
「……?」
ばち、と目が合った気がした。けれど、俺が驚いて僅かな身じろぎした途端、すっと視線が逸らされる。
「広瀬? どうかした?」
戸惑っている俺に気付いたのか、ゆきが俺の肩を叩きながら俺の顔を覗き込んだ。岡埜谷とちがって、俺より頭一つぶんも小さなゆきは、俺を下から見上げる形になる。人生の半分以上を一緒に過ごした耳馴染んだ声は、おそらく耳元に落とされたとしてもぞわぞわとは縁遠いのだろうなと思う。
「……いや、何でもない」
さすがに自意識過剰だなと俺は首を横に振った。
目が合った、なんて思ってしまったけれど、よくよく授与所の場所や俺たちの集まっている位置を考えれば答えは明白だった。定規をまっすぐ当てずとも、直線で結べるお互いの場所。彼女が顔をあげたその先に、たまたま俺たちが居ただけの可能性は十分にある。そもそもが赤の他人だ。
もしかして向こうが俺のことを気にしているのでは、なんて自意識過剰の頂点かつポジティブ選手権優勝者みたいな厄介な思考はあいにく欠片も持ち合わせていないし、むしろ先ほどの岡埜谷襲来によってお守りを落としてしまったことをまだ根にもたれているのでは、というネガティブ大会シード権保有者みたいな考えの方が強い。うん、こっちはこっちで厄介だ。狢は同じ穴で喧嘩をはじめ、どんぐりは背比べを諦める。ということでやめよう、この話。
脱線し始めた思考から逃れるべく、俺はゆきにお守りを買わなくていいのかと授与所の方を後ろ手に親指で示した。一拍置いて「買う!」と前のめりに答えたゆきが、我妻たちを巻き込んでお守りを見に行くのを見送りながら、俺は自らからゆきの興味や心配が剥がれていったことに安堵する。
そうやって俺が見過ごした違和感が、実際は気のせいではなかったのだと身を持って思い知ることになるのは、すぐのことだった。
ほくほくと幸せそうな顔でお守りの入った袋を持っているゆきと、同じく何かしらのお守りを買ったらしい松井田と岡埜谷。それから一緒にラインナップを見にいったけれど何も買わなかったらしい我妻と合流した。じゃあいい加減に帰ろうか、いや帰る前に階段下に並んでいた屋台に寄りたい、いいや帰る、いや待てじゃがバタプレミアムが、などと再び意見を戦わせていたときだった。
「あの!」
乱れなく整列された石敷の上を踏み、隙間に残された白雪を靴で汚す。傾くのが早い太陽がナイトキャップを探し始めたのか、マフラーで守り切れなかった頬を冬の寒さが指先で突いてくるのに眉をしかめながら、訪れる夜から逃げるように俺たちは行きで潜り抜けてきた大きな鳥居を目指す最中。ふいにその声は俺たちを呼び止めた。
正直な話、俺たち宛ての呼びかけだとは少しも思わなかった。
けれど、その声がやけに必死で大きくて、しかもさきほど耳にしたばかりの声だったから、俺も、俺以外の四人も一緒に声の聞こえた方向に振り向いたのだ。
石敷の上は箒で雪が払われた形跡があったけれど、それ以外は白い絨毯となって敷地内を覆っていた。その絨毯に惜しげもなく足跡を残しながら、先ほどの授与所の方からこちらへと走ってくる巫女さんの姿があった。白い雪の中、落ちた椿が映えるように、銀世界の仲間入りを果たしている境内での赤い袴もよく目立つ。しゃらりしゃらりと左右に揺れるポニーテールは、まっすぐに俺たちに向かって走ってくる。そこでやっと、俺は彼女の用事が自分たちにあるのだと気付いた。
「え。おれら?」
岡埜谷が思わずといった風に溢したその言葉は、俺の内心の代弁のようだった。その隣で松井田がしぱしぱと瞬きをする。
さっきまでお守りを売っていた巫女さんがこちらを追いかけてくる理由なんて、俺にはゆきたち四人の誰かが買ったお守りをそこに置いてきたとか、おつりを貰うのを忘れてきたとか、そのくらいしか思い浮かばなかった。だから俺は四人の顔をすぐに見たというのに、ゆきも我妻も、松井田も岡埜谷も、全員がぽかんとした顔で走ってくる巫女さんの方を見ている。どいつもこいつも心当たりという言葉が顔から読み取れない。
仕方なく視線を戻せば、走ってきた彼女は俺たちの前で立ち止まると一度膝に手を置いて呼吸を整えた。大きく上下する肩を見て、ゆきが「ええと。その、大丈夫ですか?」と声をかけた瞬間、ぱっと彼女は顔をあげた。
そこにあった表情は、俺が一人で授与所の前に居た時に見たような、感情の読み取りづらい大人びたものではなかった。まるく開いた瞳には雪の結晶のような光が瞬いて、唇は内側から飛び出そうなものを押さえつけるように固く強く引き結ばれている。紅潮した頬は寒いのが原因で色付いているのだろうけれど、例えば噴水に出来た虹だとか、模様の入ったすべすべの石だとか、雨に濡れた花の中に隠れていたアマガエルだとか、そういった素敵と心から思ったものを見つけたばかりの幼子のような興奮にも見て取れた。
「――あの、」
そうして、彼女は俺が予想もしていなかった言葉を口にした。
「――神様って、いると思う?」
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