真冬のカランコエ

ももくり

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第一章

YOU 1

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 本心なんて、

 自分のものすら分からないのに
 他人のものなんて分かるはずも無く。


 だから本心すら分からない
 曖昧な私達は、


 誰かと分かり合うなんて
 たぶんきっと有り得ないのだ。


 それでも誰かと一緒にいたいと
 思ってしまう。


 相手のことを
 分かりたいと願ってしまう。



 私達はなんて哀れで、
 
 愛おしい生き物なのだろうか…。






 ────
 >ねえねえ、
 >朝礼前に主任が言ってたの聞いた?

 >えっ、何のこと?

 >あのね、番匠さんと瞳さんが
 >どうやら付き合ってるみたいなの。

 >嘘?!あの2人が??


 私がこの会社に就職することを決めた理由の1つとして、若くして就任した社長の理念そのままにとにかく社員が伸び伸びしていることだ。有休はキッチリ取得させられるし、年功序列や男尊女卑も無い。基本的なルールとマナーさえ守ればある程度自由にさせて貰えるので、たぶん他社と比べると働きやすいと思う

 …のだが。その分、垣根が無いというか、フランク過ぎてパーソナルスペースにズカズカ入り込む人が多い気がする。私と芳が過去に交際していたことがバレた際も、恐ろしいほどの速度でそれが広まり。ランチタイムや飲み会などの集まりで、ネタに詰まるとその話題を出された。

 そして今回の光正と瞳さんの件に関しても、真偽を確認しようとする人は殆どおらず、ただ口寂しくなるとその話題を出してしまうという調子で。しかも光正はかなり目立つ存在だった為、格好のネタになってしまったらしい。同期の男性社員が詳細を知りたがって祐奈に電話してきたと聞いた時は軽い感動すら覚えたほどだ。

 そしてその晩、光正と食事をしたところ、瞳さんから謝られたという話題になった。

「えっ、なんで?だって勝手に噂されて困っているのは瞳さんも同じじゃないの」

 私の言葉に光正もトンカツを頬張りながら深々と頷く。

「うん、俺もそう思うんだけどさ、『番匠さんの彼女に申し訳ない』って。『同じ営業部の人でしょ』とも言われた。さり気なく探られてる感じだったな」

 瞳さんは不器用な人だから、“さり気なく”が出来なかったのだろう。

「そ…っか、そりゃそうだよね。相手の名前を聞くまで信じられないかも。『言い寄って来る女を牽制するための嘘』だと思い込もうとして勝手に期待する。私だったらきっとそうなっちゃうなあ。ねえ光正、もう言っちゃおうか?下手に隠すからこれほど話が拗れちゃったんだし」

 一瞬、嬉しそうな顔をしたかと思うと、すぐに口元を引き締めて光正は答える。

「でも俺、雅が佐久間さんとか他の女性社員から嫌がらせされるのはなんかイヤだなあ。俺がいつも傍にいて守れればいいけど。雅が必死で仕事しているのを知ってるし、その環境を悪くするのは心苦しいよ」

 こんなことを言い切ってしまうほど、この人はモテまくっているワケで。それは私が想像するより何倍、いや何十倍も凄いのかもしれない。取り敢えず公表するのは保留にして身内…すなわち芳、健介、祐奈の3人に相談してみようという話で一旦は纏まった。

 そしてその機会はスグに訪れる。翌日、芳と健介が帰って来て、そのお疲れ会をすることになったのだ。メンバーはいつもの4人に、光正を加える形で。いや、私からすれば光正とのことをカミングアウトする決意を固めたので、光正の参加は必須なのだが。


「夜7時にいつもの居酒屋ね。私と健介は先に行って待ってるから」
「はーい、分かったよ」

 出先から飲み会の場へ向かうと言う祐奈にそう告げて、私は主任から頼まれたプレゼン資料を必死で完成させようとしていた。

「ただいま戻りました~」
「おっ、芳。お疲れ様。俺も今、戻ったところだ」

 芳と主任が同時に出先から帰って来て。まるで友達同士みたいにじゃれながら、スケジュールボードに向かって遂行済みの予定を消している。主任が自席に座ったことを確認した私は、素早くプレゼン資料を差し出した。

「おー、高橋さん。急かして悪かったな。もう出来たのか?」
「お疲れ様です。…あの、実はまだ完成していなくて、この箇所の比較データがどこに有るのか、教えて欲しいのですが」

 すべて頭に入っているらしく、主任は共有フォルダ名をスラスラと答え、そのまま突然こう言った。

「あ、そう言えば。残念だったな、小西くんとのこと」
「……」

 今ここで、翔との破局について切り出されるとは。心の準備をしていなかったため思わず黙ってしまう。そんな私に代わって芳が返事をした。

「へ?嘘、雅、お前あの男とダメになったのか?」
「……」

 斜め後ろから登場した伏兵に驚き、またもや黙ってしまうと次は主任が答える。

「いやあ、実は今日、久々に客先で小西くんと会っちゃってさ。順調だと思ってたから、高橋さんとのことを揶揄ったんだよ。そしたら『実は…』とか言われて。ウチの高橋さんを振るなんて、アイツ何様だっつうの、なあ?」

 …まずい、なんだかまた拗れそうな予感がする。

「振られた?!本当か雅」
「芳、声が大きいってば。ああ、はい、そうですよ。私のことは女として見れないんですって」

 でも、ずっと私を好きでいてくれた人がすぐ傍にいたから、今はその人と付き合っています。そう言いたかったが、さすがにこの場では言えるはずも無く。下唇を噛み締めたその姿を見て、どうやら芳も主任もこう思ったらしい。“ようやく出来た彼氏にフラれ、傷ついた女性を晒し者にしてしまった。どうにか取り繕わなければ”

「雅、来て」
「えっ?!な、何??」

 芳がいきなり私の手首を掴み、主任に向かって言う。

「主任!俺ら10分ほど休憩してきます」
「おっ…おお、分かったぞ」

 明らかに私達は目立ってるのに周囲の目をまったく気にせず、芳はそのまま私を屋上へとつれ去った。もう春になったからか、夜7時近くになってもまだ空は明るい。妙に低い位置で見える月が、いつもより大きく見えた。

「まっ、満月かな?」
「はっ?」

 予想外な芳の質問に思わず笑ってしまったのは、私も月のことを考えていたからだ。

「ああ、きっと違うな。なんだか右側が欠けてる気がする」
「そうかなあ?私には左下が欠けて見えるんだけど」

 普段通りのその会話に胸を撫で下ろし、この状況をこう解釈した。…そっか、あのままオフィスにいたら滝沢主任がどんどん暴走して、私の失恋話は更に掘り下げられ明日には社内中の噂の的になっただろう。そこから助けてくれたんだな。芳、やるじゃん。

「──か?」
「えっ?あ、何?もう一度言って」

 芳は私から目を逸らしたまま、挙動不審な感じで繰り返す。

「うー、えっと、あのさ。“お疲れ会”が終わったら雅んちに寄ってもいいか?」

 やっぱり、いつもの芳とは違う。いつもなら『いくぞ』と断言するクセに、なぜ質問口調なのだろうか?

「ご…めん。今日は先約があって…」
「先約?!…誰と??」

 報告するつもりではあったが、そのタイミングは今では無い。

「だ、誰って…。私にも色々ある…よ」
「バカ言え。夜中に誰かと約束だなんて、雅にそういう相手は俺以外いないはずだ」

 は??

 まったく、その自信はどこから出てくるのか。芳は私の全てを知ってるつもりだけど、それは勝手な思い込みだよ。ふつふつと湧き出る反抗心。いや、もしかしてこれは捻じ曲がった自尊心なのかもしれない。

 ねえ、芳。私を好きになる男性なんて、いないと思っているでしょう?でも、いるの。本当にいるんです。…下水道を手探り状態で歩いていたら、見えない誰かに背中を押された気分だ。ダメ、まだ歩く速度を上げちゃ。先に何が有るか分からないのに。

「…ば、番匠さんがウチに来るのっ」
「はあん?!なんで番匠さんが??あの人、瞳さんと付き合ってるんだろ?」

 だからダメなんだってば、もっと慎重に歩かないと。だってほら、いきなり下水道が途切れ、河川に落ちる可能性だって有るでしょ。

「ち、違う。番匠さんの相手は瞳さんじゃない」
「なんでそんなこと雅が知ってるんだ?いや、それより先に今晩の話を進めよう。番匠さんとは何時に解散予定だ?」

 ザッパ──ン!!!

 背後から大量の水が押し寄せ、私は身体ごとその濁流に流される。

「ば…ううん、光正はそのまま泊まるの。あのね、私達、付き合ってるんだよ」

 恐る恐る芳の顔を覗き込むと、どうやら固まっていて。たぶん驚いているのだと思い、ゆっくりと繰り返した。

「…あのね芳、黙っててゴメン、光正と付き合ってるのは私なの」

 なぜか芳は軽く怯えた表情を浮かべ、一呼吸おいてから目を逸らす。

「雅、俺さあ、そういう冗談って嫌いなんだけど」
「じょ、冗談??」

「だってあの小デブにフラれて、数日後に番匠さんへ乗り換えるなんてさ、俺の知ってる雅はそんな女じゃない。じゃあ、小デブとは本気じゃなかったってことか?それで次は誰でもいいからって、見た目重視でイケメンの番匠さんかよ。そうじゃないよな?雅はもっと何事にも真剣で、恋愛なんてその最たるもののはずだ。だいたい、あの番匠さんと雅に接点なんて無いだろ?

 …そっか、アレか。お前、相手の言葉を好意的に解釈するクセが有るからな。きっと番匠さんが社交辞令で言ったのを自分の中で都合よく変換して、付き合ってるつもりになってるんだろ?番匠さんって男は、無駄に優しいからなあ。よーし、分かった。今日から俺が慰めてやるからさ、番匠さんにはお役御免だと言ってやれ。…な?そうしろ、雅」

 驚くというよりも、なんだかもう笑えてきた。

 どれだけ私の価値を低く見ているのか。格が違うって?瞳さんほどの美人なら納得だけどって?言っておくけどね、そういうアンタも私と付き合ってたんだよ?『光正と付き合っている』と聞かされて、なぜ真実じゃないと決めつけるの?

「芳のバカッ、もういい!」
「は?な、何だよバカって。あのさ番匠さんを狙う前にまず俺だろ?」

「何がよ?!」
「やっと恋愛してみようと思って、即行で小デブにフラれて、『じゃあ次』ってなったら、真っ先に俺が浮かぶはずだろうってそう言ってんだよッ」

「イヤだよ!芳なんて誰とも長続きしないじゃん。そういう遊びの恋愛はしたくないのッ」
「バッ、バカ、俺だって本命とだったら末永く幸せに暮らせるんだよッ」

「じゃあ尚更のこと私じゃダメじゃんッ。ていうかアンタの本命、多過ぎだし!よくもまあ次々と本命が見つかるわね!」
「はあん?!ここんとこ付き合ってたのは皆んな本命じゃないし」

 少し苛ついたようにして、芳は続けた。

「いいか、よく聞け。俺が付き合った女の中で、本当に好きだったのは1人だけだ。それ以外は全部、向こうからしつこく言い寄って来て、『遊びでも構わない』というから仕方なく付き合った女達なんだ。『遊びでも構わない』と言いながら、結局、最後には束縛し始めて、それで別れるの繰り返し。あのな、俺には本命がいるんだよ。…ずっとずっと好きな女がさ」

 
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