clean freak に恋をして

ももくり

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1.室長と私

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 難解な男を好きになりました。
 
 400年間証明できなかった、
 数学の超難問“ケプラー予想”よりも難解です。
 
 でも、そんな彼が
 『キミって全然分からないよ』と言うので、
 たぶん私も難解なのでしょう。
 
 さあ、一緒に紐解きましょうか
 …恋の行方を。
 
 
 

 
 
 
 
「おはようございます、副社長。新聞をお持ちしても宜しいでしょうか?」
 
 バッサー。
 
 ほれ読め、言われた通り『日本工業経済新聞』を専務から奪って来てやったぞ。それからいつもの『日刊建設工業新聞』と『日本建設産業新聞』だッ!もう文句無いだろ。
 
「広田さん、有難う。手間を取らせて申し訳ないね」
「いえ、お役に立てれば幸いです。今、コーヒーをお持ちしますね…」
 
 『うふ』と5mmほど口を開けて微笑み、静々と給湯室へ向かう。
 
 ここからが戦場だ。

「あ、広田!朝イチで社長に来客だ。既に応接室で歓談中だからコーヒーを頼む」
「はいっ、お客様は何名ですか?!」
 
「5」
「承知いたしました」
 
 素早くカップとソーサーを人数分セットする。冷めないうちに運んで行きたいのに、案の定、室長が私を呼び止めた。
 
「おい、広田!そのまま持って行くつもりか?」
「え?そうですが」
 
「カップの取っ手は左側に統一しておけ。バラバラだと見ていて気持ちが悪い」
「お言葉ですが、お客様には見えていません。揃えながらテーブルに置けば問題無いかと…」
 
 秘書課唯一の男性でしかも室長の
 辰野豊32歳。

 切れ長の目、美しい顎のライン、常に笑みを浮かべているように見える口元。たぶん、10人いれば10人が男前だと評するその顔にシルバーフレームの眼鏡を掛けるなど、私を殺しにかかっているに違いない。
 
 はう、イケメン。
 
 しかしこの男は中身が非常に残念で、几帳面な上に神経質でいちいち私の手を止める。

 多分、誰もが出会って1秒で恋に落ち、
 喋って3分で大嫌いになる人物なのである。

「本当に広田は雑だなあ。それほど手間は掛からないだろう?素直にそうした方がお互い気持ちいいと思わ…」
「はい、全部左にしましたッ」
 
 このイライラが伝わりますように。
 
 そう願ったのも束の間、彼は第二の試練を与えてくれる。
 
「食器用の布巾はきちんと2つ折りにして干せ。適当に引っ掛けておくと落ちてしまうぞ」
「はい、前を失礼しまーす」
 
 室長の斜め前、すなわち給湯室の壁面に設置されている布巾掛けへ指摘どおり干し直す。

「うむ。では行ってヨシ」
「行ってまいります」
 
 うぜーうぜーうぜー!!
 こめかみの血管、切れそーっ!!
 
 そう心の中で叫びつつも、応接室のドアをノックする。
 
「はい、どうぞ」
 
 ダンディ社長の渋い低音に迎えられ、私はようやく本当の笑顔で挨拶をし、コーヒーを配り終えて再び給湯室へと向かう。そこにもう室長の姿は見えず、代わりに秘書課のドンこと京香さんと面白くて愉快な千秋さんがキャッキャとコーヒーを淹れていた。
 
「あー、奈緒ちゃんお疲れ~。朝から室長にヤラれてたでしょ~、ぐふふ」
「そうなんですよ千秋さんッ。アイツ、相手を選んでやってますよね?ベテランの京香さんや真理恵さんはもちろん、彼氏が次期社長という千秋さんには一切注意しないクセして。私にだけネチネチと細かいことを言って来るんですよッ」

「だけど変よねえ。以前いたエリザちゃんなんて、もっと大らかで作業が雑だったのに。でも、奈緒ちゃんほど叱られなかったわよ」
 
 京香さんの言葉で更に脱力する。アイツめ、個人的な恨みから私を…。いえ、これは言えません、言えないんですけど。
 
「あ、そんなことより副社長のコーヒーは?持って行かなくて大丈夫なの?」
「うわ、思い出させてくれて有難うございます。急がなきゃ!!」
 
 …この調子で私は『指導』と銘打った辰野室長のイビリを受け続けているのだ。
 
 
 
 
「ああ、今日もアッという間に過ぎましたね!」
「広田、お前なあ。今日も営業部への回覧を間違えていたぞ」
 
「ええっ?!室長、そ、そんなはずは…」
「そんなはずもクソもあるか。確認印を押す欄が下方にあってな、班ごとに名前が印字されているんだ」
 
「そんなの知ってますよ」
「今月から営業部内で班構成が変わってるぞ?」
 
 ていうかさ、仕事が終わって帰宅途中なのに、この人いつまで私に指導を続けるつもりなの?
 
「あの…もう会社では無いので、そろそろ仕事の話はヤメませんか?」
「チッ」
 
 ううう。舌打ち、ダメゼッタイ。
 
 見慣れた街並みをテクテク歩いていると、ようやく我が家が見えて来た。築30年だが、手入れが行き届いていて、とても綺麗な一軒家である。
 
「ただいま~」
 
 ドアを開けてスグにそう言うのは私だけで、相変わらず室長は無言のまま靴を脱ぐ。
 
「あ、お帰りなさい!豊ったら今日も奈緒さんと一緒に帰って来たの。うふふ、なんかもう新婚さんみたいね」
「余計なことを言うと口を縫いつけるぞ」
 
 割烹着を着た、ふくふく頬っぺのお母さんは息子の暴言に怯みもせずニコニコ笑っている。

 そうです、もうお気づきでしょうが。

 驚くことに、私と室長は同居中なのです。
 しかも、既に半年ほど経過していたりして。
 
 
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