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<零>
その29
しおりを挟む「いい?ここだけの話ですからね。
兼友正親こと帯刀政親は、次期社長になります。それを古参の役員が激しく抵抗しているワケ。理由は年配の爺ちゃん連中たちが、27歳の若造に従うなんて有り得ないというプライドの問題なんですって。
34人のうち16人が役員会議をボイコットし、その後も色々と妨害工作をしているらしいわ。でも、あの政親さんですからね。歯向かった16人を1人ずつ潰してるそうよ。昨日の時点で『残り6人』とか言ってたわ」
ポカンと口を開けた高久さんと靖子に代わって、私だけが質問を返す。
「つ、潰してる??」
「ふふ。『プライドの問題』とかカッコつけて言ってたけど、実際は先日退任した玉木常務のように不正経理で私腹を肥やしていることがバレたくないだけなのよ。
本当にヤリたい放題だったみたいで、金銭の管理もそれはもう杜撰だったって。だから政親さんは今、経理部の奥に籠ってその証拠集めをしているの。
で、1人1人にその証拠を突きつけ、法的に訴えられたくなければ辞任してくれと説得して回っている。もちろん、役員の席が大量に空くと困るから、帯刀グループ内で信頼できる人材をスカウトし、次から次へと埋めて行ってるのよ。
帯刀物流の横井社長の力を借りてね」
横井社長…。
ああ、だから私がバーでバイトしていた時に仲良く2人で来店したのか。
「って、課長、すんごく忙しいんですね」
「そうよ、死ぬほど忙しいみたいよ」
「そっか。じゃあ、邪魔しない方がいいですね」
「うーん。でも『たまに零の顔が見たくなる』とかなんとかホザいていたけど。深夜まで経理部の奥の部屋に籠っているから、たまに差し入れでも持って行ってあげたら?」
コクンとすぐに頷き、それから考え直した。もしかして偽装がバレないように茉莉子さんの手前、そう言ってみただけなのかも。
うう。でも、私の方が会いたいんだなあ。
…………
そんなワケで、高久さんと靖子から質問攻めに遭う茉莉子さんを放置し、課長の元へと走った。
ジーッ、ジジジー。
何を印刷しているのか、あちこちで謎の音が響き渡っている。経理部には経費等の申請で何度も訪れているが、残念ながら親しいと呼べるほどの人はいない。だからドアを開けてすぐのカウンター前で私はボッサリと立ち尽くしていた。
ランチタイムでもちらほら人が残っているが、どちらかというと社交性の無いボッチタイプの人だから残っているワケで。首を伸ばしてみても、誰も気づいてくれない。
キリンになる。
このままだと私は絶対、キリンになる。
しかし課長に会うには経理部の中を突っ切って行かねばならず、営業部の下っ端社員が無断でそれを出来るとはどうしても思えないのだ。一応、メールや電話で課長への連絡を試みたが、電源を切っているらしく反応は無かった。
「あら、松村さん?どうしたの」
「えっ、ああ、その、兼友課長に用事が…」
経理部では貴重な陽キャラである岡さん…別名オッカサンが背後から声を掛けてくれた。
「ああ、もうすぐ結婚するんだっけ?大変ね、一番忙しい時期にお相手があの調子で。社長命令で内部監査させられてるんですってね。何もこの時期にしなくてもいいのに。ほんと同情しちゃうわ~」
「う、あの、仕事…なので仕方ないです…」
そういうことにしてあるんだな?適当に話を合わせねば。…というかもう休憩時間、残り10分切った~!
少し焦った顔をすると、恰幅の良い40代後半の名実共にオッカサンは私を手招きする。
「あら、ごめんごめん。急いでるのよね?」
「えと…はいっ」
本当は用事なんて何も無くて、ただ会いたいだけなのだとは死んでも言えず。でも、課長の方が茉莉子さんに『零の顔が見たい』と言ってたはずだし…と自分に言い訳しながら、オッカサンの後について行く。
いつもの見慣れた経理部内を突っ切り、途切れたパーテーションの最奥にドアは有った。
「過去伝票の保管庫なんだけどね、この先はさすがに経理部以外の人間は立入禁止。私が兼友課長を呼んでくるからココで待ってて」
「はい、ご面倒をお掛けします」
オッカサンは恐ろしいほどの素早さで課長を引っ張り出してくれたかと思うと、『はいはい、邪魔者は消えますよ~』と陽気に去って行った。
そんなワケで保管庫のドアの前で、私と課長は向き合っている。お陰様でパーテーションが我らを隠し、誰からもその姿は見えないようだ。
「零?…なんだ、どうした?」
「う…その、様子を伺いに…」
「様子?別に普通だが」
「で、ですよねー」
久々過ぎてその顔を直視出来ず、モジモジと俯く私はどうやら忙しい課長を苛立たせてしまったらしい。
「こら、顔を上げろ」
「茉莉子さんから聞きました。その…古参役員との飽くなき死闘を…。ボスキャラを倒すまではまだまだ遠いですか?」
「おい、こら聞いてんのか?零、顔を上げろ」
「出張だとか外出だと周知されていたので、真実を知ってついうっかりフレンドリー気分で応援に駆け付けた次第です」
おずおずと顔を上げると、課長が目で私を犯す。いや、正確には侵されているのだろうか。視線を通して課長の熱い何かが流れ込み、私の心を侵略してしまいそうだ。
「…ふふっ、やっと顔が見れた。本当のことを伝えておかなくて悪かったな。その…いつ解決するか自信が無くってさ、ちょっとだけ弱気になってたんだよ。
俺は零がいるとつい甘えてしまうから、この仕事をしている間は零断ちしようと思って。いや、でも結局はこうして会ってるんだけどさ」
いつもハキハキとしたその口調が、珍しくボソボソとしていて。この人はいま1人で闘っているんだと思うと、なんだかその姿が妙に愛おしく感じた。
「…ん?れ…い」
自分からキスするなんて人生初めてだったけど、でも、なんだかそんな気分だったのだ。
そう、まるで甘い楔を打ちつけるようなそんな願いを込めたキス。一旦離れた唇を課長はすぐに引き戻し、私たちは何度もキスを繰り返した。
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