かりそめマリッジ

ももくり

文字の大きさ
30 / 111
<零>

その30

しおりを挟む
 
 
 ちくしょ、悔しい。
 一度好きだと認めたら、すべてが虚しくなる。

 どうせこんな風にキスをしても、どんなに想いを募らせても、1年で終わるのだ。いや、自称ストーカー製造機のこの男のことだ、好きだと伝えようものなら絶対斬り捨てられる。

>お前も他の女と同じなんだな。
>なんだかガッカリだよ。

 とかなんとか言われて、距離を置かれるに違いない。きゅうううん…可哀想な私の恋心。

 ようやく唇が離され、『ウォーター』の言葉を言わせようとヘレン・ケラーの頬をピタピタと触ったサリバン先生みたく、課長は私を撫でた。

 え?例えが古いうえに長すぎるですって?それはもう、慣れてくださいとしか言い様が…。えと、とにかく課長はそんな私に問うのだ。

「ったく、お前、俺のことが大好きだよな」
「好きじゃないです」

 いやいや、そんなに動揺しなくても。

「え、でも、以前、言っただろ?零のお兄さんの前でさ、俺のこと、ほら」
「何か言いましたっけ」

 本当はガッツリ覚えていますけどね。

「『愛しまくってます』って言っただろ?」
「ああ、あれ。だって兄の前ですよ?そう言わないと納得してくれなかったでしょ?安心してください、課長のことは何とも思っていませんから」

「そ、それじゃあなんでお前、わざわざ会いに来てキスまでしてんだよっ?!」
「それは…サ、サービスです」

 冷や汗タラタラ状態の私に、課長は言う。

「零、何を怖がっているんだ?俺のことが本当は好きだよな?いいから正直に答えろよ」
「す、好き…じゃないです」

「バカだなあ。『好きじゃない』って、そんな顔して言ったらすぐに嘘だとバレるぞ?」
「本当に本当に好きにはなりませんッ」

 だからお役御免にしないでください。そう願いながら私はオウムのように繰り返す。

>好きじゃない、好きじゃない…。

 なぜか課長は嬉しそうにウンウンと頷き、優しく私の頭を撫で続けていた。

 貧乏なのも、両親がいないのも、それを糧に強く生きてきたつもりだが。結局、ことあるごとに思い知らされてしまう。

 私には“自信”というものがキレイサッパリ無いのである。

 嵐の中、荒野にポツンと取り残されているような、そんな心細さがいつでも付き纏い。シッカリした両親の元で育った課長や茉莉子さん、極端な例を挙げると同じ貧乏なのに高久さんにすら劣等感を抱いている。

 向こう側とこちら側の境界線は存在し、絶対に分かり合えることは無いと思ってしまうのだ。だから肝心なことはいつでも口にしないまま心を押し殺し、傍観者のようにして生きて来た。

 きっと今回の結婚も、このまま本当の想いを告げずに終わるのだろう。…そんなことをボンヤリ考えていたら、課長が餅でも捏ねるみたいに私の頬を揉み出す。

「ったくもう、分かった。今晩は頑張って早目に帰るから、俺んちに来い」
「じょんなに、む、…り…にゃくても」

 正しい日本語を話せないのは、課長が頬をコネコネしているせいだ。

「はあ?そのくらいの無理はさせろよ。と言っても早くて21時くらいになるかもな。どうせ今日は料理教室の日だろ?茉莉子さんに車で零を送るよう頼んでおくから」

『そんなに無理しなくても』と言ったのが伝わっていることに驚きつつ、私は無言で頷く。そして、昼休憩が残り3分になったところで慌てて営業部へと戻った。

 …面倒臭い女にだけはなるまい。

 何故かそのことを右人差し指で左手の平に書き、ひたすら呑み込む私。そう、落ち着くための儀式である『人』という文字を書いてエア食いするアレと同じ要領だ。

「め、ん、ど、う、く、さ…」

 隣席に座っている茉莉子さんが、憐みの表情で私の肩を叩きながらこう言った。

「いや、そんなことしてる時点で既に面倒臭い女になっちゃってるけどね。もう昼休憩も終わるからその辺でヤメたら?」

 す、すごいね!どうして私のやっていることが分かったんだろう?帯刀家の人たちってもしやエスパーなんじゃ?

「いやいや、アナタ思いっきり呟いてたし。普段大人しい人ほどキレると怖いって言うから、座席替えを要求しようかと思ったほどだし」
「あ…そ…でしたか。ご心配お掛けして申し訳ございませんでした」

 本当にもう、どうしよう。
 これがストーカー製造機の底力なの?!

 あんなにサッパリスッキリしていた私が、こんなに思い詰めているんですけどっ。しかも、課長に好かれるには理想のタイプである『俺に興味を持たず、仕事の邪魔をしない女』を目指さなくてはいけないんですけどっ。

 難易度高すぎるよ…。

 とにかく、その晩、思い詰めている私は料理教室の試食をフード・ファイター並みの勢いで済ませ。一心不乱に課長宅を目指したところ、予定より1時間も早く到着してしまう。いつもの如く合鍵で中へと入ると、誰もいないはずの台所から声が聞こえてきた。

 それも、明らかに女性の声である。

「…で、…の、……じゃない?」

 何となく嫌な予感がして、身を隠しながら話がよく聞こえる食糧庫へと移動した。そこは玄関から直接入ることが出来る、一畳ほどの狭いスペースだ。

「うわっ、それは契約違反だわ。いざとなれば期間を縮めて放り出しましょう」
「こんな時に面倒を起こさないで欲しいのに、正直とても困っているんだよ」

 声の主は課長と…元カノの公子さんだった。よく通る声で公子さんは続ける。

「大丈夫よ、私たち2人なら絶対に上手く行く。まだ道のりは遠いけど、一緒に頑張りましょう」

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

なほ
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模るな子。新入社員として入った会社でるなを待ち受ける運命とは....。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです

沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!

処理中です...