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<零>
その37
しおりを挟む何と言っても手ブラだし。運賃の支払いを真っ先に心配してしまうのが貧乏人の悲しい性である。
「わ、私っ、バッグを宴席に置きっぱなしで。財布とかスマホも無いんだけどっ」
「ああ、じゃあ靖子ちゃんに俺から電話して、荷物を持って来てくれるよう頼んでおくよ」
当たり前と言えば当たり前なのだが、男性というのは身軽な生き物で、その多くはバッグなんぞ無くても生きられる。現に高久さんも尻ポケットに財布、胸ポケットにスマホを入れ、他は何も必要無いようだ。
「いったいどこへ向かっているのでしょうか?…あの、私、こういうの困るんですけど」
契約結婚のことを知らない高久さんから見れば、新妻を2週間も放置する政親さんは人でなしに映るのであろう。しかし、一千万円を既に貰っている私からすれば、そんなことで怒ってはならないのだ。
周囲から円満な夫婦だと思われないと、私は職務怠慢ということになってしまう。ましてや、自分に気が有ると分かっている男と、逃避行なんぞしてしまっては違約金問題である。
いや…それだけか?本当に私、お金のことだけで焦っているのか?気持ちが冷めたなどと脳内では言ってみたけど、結局政親さんに誤解されたくないのではないか。ほれ、正直に言ってみな。久々に会ってもっと傍にいたかったんだよね?
…私ったら、いじらしい。
政親さんを想ってキュンキュンするのではなく、政親さんをこれ以上好きになるまいと抵抗し、それでもやっぱり惹かれてしまう自分自身にキュンキュンしてしまう。
可愛いな、私!
そしてこういう自分も嫌いじゃないな!
タクシーが向かった先はどこかのファミレスで。問答無用でドリンクバーを注文させられ、ひたすらそこで時間を潰そうと言われた。
「あの、高久さん??いったいココで何を…」
「さすがに俺のアパートには連れて行けないし。だってほら、不倫とか噂になってもマズイだろ。もうすぐ靖子ちゃんが来てくれるからさ、そのまま松村さんは彼女のところに泊まりなよ」
「靖子のところに…?」
「うん、そう。実は俺達ずっと心配してたんだ。だって新婚旅行には行かないって言うし、挙式後も一緒に住んでる気配が無かったからさ。
何より、松村さんの表情が死んでたよ。普通、新婚の女性って多少の疲れは見せるけど、あんなに暗い顔はしないって。…で、さっきの会話だろ?
1週間も連絡無しで放置されてたって?ダメ押しで更に1週間放置するって?そんなの許しちゃダメだよ。あまりにも松村さんをバカにし過ぎだ」
だ~が~ぐ~ッ
(※「高久」と言っている)。
だから、弱っている時にそういうのヤメて?!いくらウザイ男でもフラッとくるからっ。
「バカになんてしてないがな」
ん?天から声が??
気のせいかと思ったけど、顔を上げるとそこにやっぱり政親さんが仏頂面で立っていた。
「んま、政親さん?!」
「靖子ちゃん、なんでソイツを連れて来るんだ」
同時に叫ぶ私と高久さん。政親さんの陰に隠れて靖子が弱々しく答えた。
「だって、社長命令だって言うんだもん。見つからないよう零のバッグを持って店を出たつもりだったんだけど、バレてたんだもん」
う?ええっ??
この状況で何故か政親さんが私の腕を引っ張り、立ち上がらせたかと思うと羽交い絞めにした。
ぐえ、…ほ、ほね…折れそう…。
「ああ、もう、だからイヤだったんだよ。会って、声を聞いたら離したくなくなるッ。ああ、零、可愛いよ、零いいいいッ!!」
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