泣きながら恋をする

ももくり

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失ったはずの恋

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…………………
 
 
「それがさあ、あの冷徹メガネったら、私のときには『他言無用』と言ったクセに、松崎さんとの仲はオープンにしてるんだよ?!」
「それは酷いなあ。でも、もうイイじゃんか。次の恋にいこう、次」

ほどよく出来上がっている私と長澤は、汚くても旨いと評判の焼鳥屋で6杯目のビールを飲んでいた。
 
「げぷ。もうお腹ちゃぷちゃぷ~」
「おいおい、ほんと色気ないなあ」
 
相変わらず、呼べば来てくれる長澤。そんな長澤を相手に愚痴をこぼしまくる私。実りの無い時間だと知りつつも、ストレス発散とばかりにウダウダしていると、いつの間やら目の前に見覚えのある人が。

「恵麻じゃないか!ったくお前、俺のこと着拒しやがって。いったいどういうつもりだよ」
「…どなたでしたでしょうか?」
 
いえ、分かって訊いてるんですけどね。
私を騙したIT社長の山辺さんだって。
 
もちろん1人きりではないらしく、側近たちがどんどん店の奥へと入っていく。
 
「お前さあ、せめて連絡取れるようにしとけよ。って、おい、まさかコイツ新しい男じゃないよな?」
「違います、会社の人です。というか、山辺さんにはもう関係無いことですよね」
 
長澤が居心地悪そうに薄ら笑いを浮かべていたので、目で詫びる。
 
「関係ありまーす。俺、ただいま絶賛離婚調停中!もう少しで晴れて恵麻リンと一緒になれるよん」
「は?」
 
「だからもう、いつ来てくれてもイイ」
「えっ、ちょ…」
 
問答無用とばかりに、合鍵らしきものをムリヤリ握らされた。
 
「やだ、困る、こんなの渡されても…」
「今は別宅をメインにして住んでるんだ。場所は分かるだろ?あっ、悪い、部下たち待たせてるからもうあっちに行くわ。じゃあ、またな恵麻リン」
 
そう言い残して、スキップみたいな足取りで去って行く。その姿を横目で眺めながら、長澤が言う。
 
「ほえー、驚きの軽さだなあ。あれは死ぬまでフラフラしてるぞ。おい、まさかあの男とヨリを戻したりしないよな?」

それもいいかな、と思い始めていた。だって、なんだかんだ言って好きだったんだ。私と付き合ってた間、あの人浮気はしなかった。というか、私自身が浮気相手だったんだけどね。まあ、それはそれってことで。
 
ひたすら無言の私に、長澤が真顔で続ける。
  
「自分をもっと大切にしなよ。恵麻ちゃんはさ、すごく素敵な女性なんだから」
「素敵?私が?」
 
コイツもまた、軽いからな。
話半分にして聞かないと。
…そう思いつつも、悪い気はしなくて。
 
「長澤が彼氏だと楽しそうだよね」
「え?!あ、うんッ。じゃさ俺と…」
 
「でも、そんな感じになれないんだよねー。恋人同士になった姿が想像できないと言うか」
「あ…は?そ、そうか??」
 
 
…それから数日後。
悩んだ挙句に私は、IT社長とヨリを戻すのだ。
 
 
 
 
 
 
「ごめん、恵麻リン。今日さあ、接待が入っちゃって。帰りは朝方になると思うから、先に寝てて」
「うん、分かった」
 
それだけを言うために、わざわざ帰宅したのか。
ほんとマメで憎めない人だな。
  
山辺さんはとろとろに優しくて、手負いの私にはそれがすごく有り難かった。思ったより、ボスから受けた傷は深く、そして治り難かったようだ。
 
簡単に、松崎さんを選んだこと。
簡単に、別れたこと。
簡単に、元の関係に戻ったこと。
 
すべてがあの人にとっては、『簡単』で。私の存在は、羽根よりも軽いに違いない。…でも、いいんだ。山辺さんは私を選ぶんだって。奥さんよりも私の方が好きらしいよ。
 
だから、いいの。
 
「恵麻…じゃなくて森さん、ちょっと」
 
その日ボスに、未使用の会議室へと連れ込まれた。

「何か御用でしょうか?」
「新しい男が出来たって本当か?」
 
質問の意図が分からなくて、キョトンとする私。
 
「見た人がいるんだ。その…不倫じゃないかと」
「彼は確かに既婚者でしたけど、先日離婚しました。暫くして何もかも落ち着けば、私と結婚する予定です」
 
それを聞いたボスは、なぜか憐れむような目で私を見つめている。
 
「お話はそれだけですか?」
「いや、待て。待ってくれ」
 
懐かしい香りに包まれたかと思うと、
急に身動きが取れなくなった。
 
 
どうやら私は、ボスに抱き締められているらしい。
 
 
 
 
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