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悪い男

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 予想外に前田諒は悪い男だった。

 ストイックそうなその風貌は見掛け倒しだったらしく、彼の周囲には常に女性の影がちらつく。3つ年上の村瀬裕美ムラセ ユミさんは、営業部所属のキリッとした美人だ。前田がOJT研修を受けた際にトレーナーだったとかで、それ以降も2人きりで会っている姿をよく周囲に見られている。他にも同じ総務部で別の課に所属している新人の太田朱里オオタ アカリ。このコは男性の前だと態度が変わる典型的な猫かぶり女子なのだが、肉食系でもあり、より良いオスを求めてあちこち渡り歩いていると噂されている。その太田さんがここ最近、『自分が前田の彼女だ』と公言して憚らない。

 じゃあ私は何なのか?

 本人に訊くまでも無く分かっている。
 …そう、ストレス解消用のサンドバッグだ。

 それも仕方ないだろう。たかだか大学を出て数年の若造が、時には親ほど年の離れた相手に向かって欠点を指摘し、改善するよう指導する。そのことに対して分かり易く反感を示してくる人もいるし、ハッキリ拒絶されることも有る。相手を納得させるほどの知識や経験を積むことがどれほど大変か。もちろん人材開発課の人間であれば、自己啓発本なんて年間で100冊以上は読破しているが、詰め込んだ他者の思考が増えれば増えるほど本来の自分が消失してしまいそうになるのだ。明るく笑って見せても中身は崩壊寸前、それが短時間だけでも空白にすることが出来れば幾分かラクになれるのである。

「千脇、この餃子、なんか水っぽくないか?」
「え?ああ。タネを混ぜたまま暫く放置しちゃったからかな。急に電話が掛かってきたんだよね」

「ほんとお前っていつまで経っても料理が上手くならないよな」
「ははっ、ごめん」

 自分でも本当に不思議なのだが、こんな風に料理がヘタだと言われても全然怒る気にもならない。なぜなら前田は彼氏では無いからだ。

 >俺の彼女、めちゃくちゃ料理上手なんだよな。
 >特に豚汁とか美味しいんだ。

 …いつだったか、総務部の飲み会で前田が宮丸くんにそう惚気ていた。その“彼女”がどの人のことかは不明だが、とにかくお気に入りのその女性は前田好みの料理を作るらしい。しかもどうやら私にはマゾっ気が有るようで、そんな話を聞いておきながらその数日後に彼が我が家にやって来た際、豚汁を作って出してみたりするのだ。

 もちろん結果は、惨敗。

「相変わらずゴチャゴチャと具材を入れ過ぎなんだよ。それに俺、ジャガ芋より里芋の方が好きだな」

 勝手なことをホザきやがってと内心は思ったが、それも口には出さなかった。何度でも言うが前田は彼氏では無いからだ。週に数回やって来て、裸でストレスを解消するだけの相手。そう、セフレですら無い。私はこんな男とフレンドになったりしないのである。

「ちょっ、コップを割っちゃうところだったでしょ?!人が洗い物してる時に後ろから抱き着かないでよッ」
「は?バアカ、6日も触れなかったんだぞ、ちょっとくらいサービスしてくれてもいいじゃないか」

 はいはい、どうやら他の女性達から相手にして貰えなくて溜まっているようですね。って、いでで、そんなムリヤリ首を曲げてキスしなくても。

「はーっ、ああ、もう、無理!」
「へ?」

「このままベッドに連れてく!」
「って、前田?!私、手が泡だらけなんですけどッ」

 ザバザバと泡を洗い流され、そのまま拉致されるかの如くベッドへと連れ去られる。

「千脇、お前も自分で服を脱げ。時間短縮に協力しろ!」
「あー、はいはい」

 なんだよこの雑な扱い。いくら私が花沢さんだからって酷くない??きっとこれがマリちゃんとか村瀬さんとか太田さんが相手だったら、お姫様抱っこくらいして大サービスするクセに。

「早く!ほら見てみろ、俺はもう全部脱いだぞ!」
「…煩いなあ」

 まったくムードもクソも無い。っていうかこんな目に遭わされても素直に従う自分が哀れだわ。小さく『はあ…』と溜息を吐いた私を見て、前田が不機嫌そうに呟く。

「千脇…、そういうの、傷つくんだけど」
「はあ…」

 それはこっちの台詞だし。他の女と一緒くたにされて、都合よく扱われながらもこうやってご飯作ってアンタを迎え入れるのは、何だかんだ言って好きだからだよ。そこんとこ、気付かれないようにするのも結構骨が折れるんだからねッ。
 
 くっそ、ムカつく。ほんとムカつく。
 なんでこんな極悪非道な男に惚れちまうのさ。

「だから溜め息とか吐かれると傷つくんだってば」
「はあ…」

 こんな小さな抵抗くらい許してよ。

 ええ、そうです。現状打破のため新しい恋を見つけようと奮闘してみたものの、副社長が紹介してくれた地味メガネの清水さんには吉川さんという素敵な彼女がいて、最終的にはその吉川さんと仲良くなってしまう始末。実は餃子が水っぽくなった原因はその吉川さんからの電話で、どうやら私に素敵な男性を紹介してくださるらしい。清水さんの親友ってところがちと心配だけど、二次元大好きなゲームオタクだから絶対に浮気しないんですとさ。でも、今どきゲームの世界も3Dが主流だからね?!それじゃあもう“二次元好き”の看板に偽りアリって感じじゃない?…って、そこ?私の突っ込みセンサーはそこに反応しちゃうワケ?

「なあ、もっと声出せよ、千脇」

 毎度お馴染み、エロボイスを要求され反骨心ムクムクで堪える私をひたすら責める前田の図。

「出せよ、千脇。もっと俺に夢中になれって」
「う…っく、…やだ」

 可愛くない女だと自分でも思う。

 だけど、好きという気持ちにブレーキをかけさせるお前が悪い。…などとを考えながらも、いつも最後は喘ぎまくるヘナチョコな私なのだ。

 
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