19 / 45
その19
しおりを挟む猿が人間に進化した時のエピソードを、昔誰かが教えてくれた。
たぶんきっと教えてくれたのは、中学生の頃に仲が良かった女友達のお兄さんで、かなり昔のことだから記憶も曖昧だし、信憑性も怪しいのだが──とにかく、そのお兄さんに寄れば、毛むくじゃらの猿がある日突然、毛の生えていない人間を産んだのだと。そしてそれに驚いた猿は、我が子を石で叩き殺したらしい。
それでも次から次へと人間は産まれ、最終的には猿達もその状況を甘受したからこそ、こうして我らが蔓延ったのだ。
「…ん~、七海が何を言いたいのか俺には分からないな」
「ええっ、何で?!」
今いるのはいつもの店では無い。
何故ならシェフ兼雇われオーナーだった森本さんの開業資金が目標額に達したとかで、あのビヤスタンドは閉店してしまったのである。お陰で最近の私と湊は、日替わりで巣を渡り歩くジプシー状態だ。
残念ながら会社近くの店で顔見知りに遭遇せずに済む確率は非常に低く、何処にいても必ず誰かに会ってしまう。それも大抵の場合は若くて綺麗な女性達で、グイグイと強引に合流して来るのだ。勿論、目当ては湊なのだが、今はまだ私が彼女だと浸透していないのだから仕方ない。
ここ数日は主にウチの会社の女性社員達から奇襲を受けていたため、キラキラ女子が選びそうにないオッサン好みの小汚い居酒屋に飛び込んでみたのだが、これが大正解。久々に湊とじっくり話せたので、ずっと胸に溜めていた想いを吐き出してみたところ、どうやらその真意は伝わらなかったらしい。
照れ臭さが先に立ち、遠回しな言葉を使ったせいかもしれない。確かに途中で湊の眉間の皺が深くなった気がする…などと反省しつつ、今度は覚悟を決めてストレートな言葉を投げつけた。
「友人関係から恋愛関係へ移るその戸惑いを、伝えたかったの」
「猿が人間に進化する話で?!」
つくねから茶色いタレがボトリと垂れたが、そんなことはお構いなしで湊は話し続ける。
「何だよソレ、分かり難いっつうの!!」
バッグからポケットティッシュを取り出し、テーブルに落ちたタレを拭きながら私は首を傾げた。
「何でよ?すごく分かり易いと思うけど。正に私は猿が人間を産んだ気分なの。なんかさー、友人から彼氏になるって、進化だと思わない?境界線はいったい何処なのか、そしていつからそうなったのか。これまでだってしょっちゅう一緒にいたのに、何が変わって、何が変わらないのか。周囲から見た私達は相変わらずいつもの2人で、関係が変わったことなんて自己申告制だから、言わなければ付き合っていることは認識されないんだよね。でもまあ破局した場合を考えると、余り大っぴらに言わない方がいいのかな…とか、思ったり思わなかったり」
「付き合って早々、破局の話かよ。っていうか、七海の話、ほんと長いよな」
ええ、しかもオチが弱いとよく言われます。哀しいけれど、たぶん母のDNAを色濃く継いだ結果ではないかと。
「でも、俺、結構スキ」
「え」
思わず耳を疑った。だって、つまらないと評判の私の長話をスキだなんて。…私は勝手に熱くなっていく頬を両手で隠しながら湊を見つめる。
「七海の話し方ってまるで歌ってるみたいで、心地いい。しかも偶にハッとすることを言うんだよな。自分では気付いていないんだろうけど、無意識に金言を授けてくれることが結構有って、だから一言一句聞き逃せないんだ。あのさ、俺、今まで女と会話してあまりその内容って記憶に残ったことが無いんだけど、最近ふと『あ、これって誰かが教えてくれたあの話と似てる…』と思ったら、その『誰か』が七海だったってことが凄く多い」
なんだ、いったいどうした??
確かに私達は付き合うことになったけど、それは『なんとなく成り行きで』みたいな感じだったはずなのに。この、徐々に互いを理解していく感じはまるで本物のカップルみたいではないか?
って勘違いするな、私。きっとこの人は女性に対していつもこんな感じなのだ。ほれ、あの、リップサービスというか、相手の利点を挙げて潤滑な関係を築くという戦略に決まっている。
くうう。
イケメンな上に煽て上手って、卑怯だよ。
などと考えつつも私は冷静を装い、レモンハイを一気飲みするのであった。
0
あなたにおすすめの小説
白い結婚のはずが、旦那様の溺愛が止まりません!――冷徹領主と政略令嬢の甘すぎる夫婦生活
しおしお
恋愛
政略結婚の末、侯爵家から「価値がない」と切り捨てられた令嬢リオラ。
新しい夫となったのは、噂で“冷徹”と囁かれる辺境領主ラディス。
二人は互いの自由のため――**干渉しない“白い結婚”**を結ぶことに。
ところが。
◆市場に行けばついてくる
◆荷物は全部持ちたがる
◆雨の日は仕事を早退して帰ってくる
◆ちょっと笑うだけで顔が真っ赤になる
……どう見ても、干渉しまくり。
「旦那様、これは白い結婚のはずでは……?」
「……君のことを、放っておけない」
距離はゆっくり縮まり、
優しすぎる態度にリオラの心も揺れ始める。
そんな時、彼女を利用しようと実家が再び手を伸ばす。
“冷徹”と呼ばれた旦那様の怒りが静かに燃え――
「二度と妻を侮辱するな」
守られ、支え合い、やがて惹かれ合う二人の想いは、
いつしか“形だけの夫婦”を超えていく。
叱られた冷淡御曹司は甘々御曹司へと成長する
花里 美佐
恋愛
冷淡財閥御曹司VS失業中の華道家
結婚に興味のない財閥御曹司は見合いを断り続けてきた。ある日、祖母の師匠である華道家の孫娘を紹介された。面と向かって彼の失礼な態度を指摘した彼女に興味を抱いた彼は、自分の財閥で花を活ける仕事を紹介する。
愛を知った財閥御曹司は彼女のために冷淡さをかなぐり捨て、甘く変貌していく。
偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~
甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」
「全力でお断りします」
主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。
だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。
…それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で…
一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。
令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
多分悪役令嬢ですが、うっかりヒーローを餌付けして執着されています
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【美味しそう……? こ、これは誰にもあげませんから!】
23歳、ブラック企業で働いている社畜OLの私。この日も帰宅は深夜過ぎ。泥のように眠りに着き、目覚めれば綺羅びやかな部屋にいた。しかも私は意地悪な貴族令嬢のようで使用人たちはビクビクしている。ひょっとして私って……悪役令嬢? テンプレ通りなら、将来破滅してしまうかも!
そこで、細くても長く生きるために、目立たず空気のように生きようと決めた。それなのに、ひょんな出来事からヒーロー? に執着される羽目に……。
お願いですから、私に構わないで下さい!
※ 他サイトでも投稿中
追放された令嬢ですが、隣国公爵と白い結婚したら溺愛が止まりませんでした ~元婚約者? 今さら返り咲きは無理ですわ~
ふわふわ
恋愛
婚約破棄――そして追放。
完璧すぎると嘲られ、役立たず呼ばわりされた令嬢エテルナは、
家族にも見放され、王国を追われるように国境へと辿り着く。
そこで彼女を救ったのは、隣国の若き公爵アイオン。
「君を保護する名目が必要だ。干渉しない“白い結婚”をしよう」
契約だけの夫婦のはずだった。
お互いに心を乱さず、ただ穏やかに日々を過ごす――はずだったのに。
静かで優しさを隠した公爵。
無能と決めつけられていたエテルナに眠る、古代聖女の力。
二人の距離は、ゆっくり、けれど確実に近づき始める。
しかしその噂は王国へ戻り、
「エテルナを取り戻せ」という王太子の暴走が始まった。
「彼女はもうこちらの人間だ。二度と渡さない」
契約結婚は終わりを告げ、
守りたい想いはやがて恋に変わる──。
追放令嬢×隣国公爵×白い結婚から溺愛へ。
そして元婚約者ざまぁまで爽快に描く、
“追い出された令嬢が真の幸せを掴む物語”が、いま始まる。
---
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる