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Lesson9
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その人が兄の失恋相手だったということに、暫くしてから気づいた。
15分間の午後休憩。電話番のため女性陣は交代制となっており、私は16時からだ。それぞれ過ごし方は異なるが、大抵はお茶を飲んだり、スマホチェックなんかして寛ぐ。今日は電話が長引いたので遅れて休憩に入り、自販機コーナーに向かったところ既に先客がいた。
「桐生さん、あれから琴子と2人きりで会ってるんですって?お泊りなんかもしたそうじゃないですか。このまま上手くいくといいですね」
「…え?ああ、あはは」
コトコ。
お泊り。
その言葉だけが頭に響く。
何となく気まずくて、回れ右をして別階の自販機コーナーへ向かう。ちょうど誰もいなかったのでパイプ椅子に腰を下ろして考えを纏めた。
うん、やっぱり桐生さんが言う『好き』や『特別』はそんなに深い意味は無いんだな。相手が喜ぶからその言葉を使うだけで、だから本気にしちゃダメだったんだ。その『コトコさん』といつ会っていたんだろう?いや、とにかく私は毎晩行かない方がいいのかもしれない。
缶コーヒーから立つ細い湯気越しに、ボンヤリ遠くを見つめる。
ふと視線を落とすと、スマホのランプが点滅していることに気付く。午前中のうちに届いていたらしいメッセージ。送信者の水木さんは兄の同僚で、周囲からは『シゲルさん』と呼ばれている男性だ。もともと同郷ということもあり、上京したばかりの頃は何かとお世話になった。寮暮らしの兄があまりマンション事情に詳しく無かった為、不動産巡りに付き合って貰ったりしたのだ。
>お客さんが柿をくれたんだけど、
>有香ちゃん、要りませんか?
彼の温和な顔が目に浮かび、思わず笑みが零れる。そしてすぐに『欲しいです!』と短く返した。
>じゃ、今日の夕方にでもマンションに行くね。
素早い返信に驚きながらも私は、心を決めることにした。…もう桐生さんのところに行くのは控えようと。
「シゲルさんへのお礼の品、買って帰らないと」
そう小さく呟いて私は休憩を終わらせる。桐生さんにも一応、
>今晩は用事があって行けません。
>当分、行けないかもです。
…とメッセージを送っておいた。
その日の終業後、コーヒーショップに寄って手頃なギフトセットを購入した。シゲルさんはコーヒーが好きだからきっと喜んでくれるだろう。
「いけない…、もう、こんな時間!」
帰宅早々バタバタと窓を開け、空気を入れ替えているとチャイムの音が室内に響き渡る。時刻はまだ18時30分。慌ただしくドアを開けると、いつもの笑顔を浮かべたシゲルさんが立っていた。
「ごめん。丁度、外回り中でさ。はい、これ」
「うわあ、すごい大量ですねえ」
「自宅の庭に、柿の木があるお客さんで。カラスに狙われるから急いで収穫するんだって。本当はこの2倍ほど貰ったんだよ」
「あ、良かったら中に入ってお茶していきませんか?」
『次の約束まで1時間もあるし』と言って、シゲルさんは上がっていく。異性というよりも第二の兄という感じなので、特に抵抗は無い。早速、コーヒーショップで購入したオリジナルブレンドの豆を使用する。ふんわりと漂うその香りに、幾分か心も落ち着いたようだ。
「相変わらず、キレイにしてるね」
「あは。シゲルさんったら、最初はちょくちょく来てくれたのに最近は全然なんですもん」
「そりゃあね。有香ちゃんの彼氏にも悪いし」
「え?ああ。…あの彼とはもう別れましたよ」
たぶん、田之倉さんのことは兄経由で知ったのだろう。
「え?もう??」
「あは。いろいろありまして…」
どうぞ、とコーヒーを出す。
どうも、とシゲルさんは受け取る。
このとき、マナーモードに設定しておいたスマホが震えた。
「あ、電話だ。ちょっと失礼しますね」
桐生さんからだ。なんだか嫌な予感がしたので、寝室まで移動してから応答する。
「もしもし?」
「お腹すいた。遅くなってもいいから、来て」
彼はとても不機嫌で。
「え、でも、いま来客中で…」
「だから遅くなってもイイって。当分会えないなんて、無理。とにかく来て」
それだけ言って、彼は電話を切ってしまう。
画面に表示されている時刻はあと数分で19時。今から買い物をしてあの人の家に行くのか。…そう思うと気が重くなる。
コトコさんに頼みなよ。
喉元まで出かかったけど、嫉妬してるみたいに思われるのが嫌で堪えた。モヤモヤしたままシゲルさんの元に戻ると、彼はいきなり口を開いた。
「あの…さ」
ハイと返事をする隙さえ与えて貰えず、そのまま話は続けられる。
「俺とつき合わない?」
シゲルさんと、私が付き合う…?
少し呆けていると、彼はアハハと笑い出す。
「返事はスグじゃなくていいよ。でも、早い方が嬉しいなあ」
そして、言い逃げするかのように彼は去って行った。
正直、一緒にマンション探しをしていたときは少しだけ揺らいだ。何故かと言うと、自分たちがまるで新婚夫婦みたいだったから。初心な私は『こんな風に頼れる男性が彼氏だったらなあ』と、コロリと落ちたのだ。何ごとにもタイミングが重要で、今このときに言われたのも何か意味があるのかもしれない。
…なんてことを思いながら、足早に桐生さんの元へと急いだ。
「ほら、来ようと思ったら来れるクセに。なんで『行けない』とか言うんだよ」
やっぱり彼は不機嫌で、私は無言のまま台所へと向かう。シゲルさんから貰った柿も少しだけ持ってきた。売り物とは違って見た目はかなり不格好だけど、1つ食べてみたらとても甘くて。
「なに、それ」
「ああ、さっき貰ったんです」
「…誰から?」
「兄の友達ですよ」
「それって男?」
「はい」
隠そうかとも思ったけど、コトコさんの件を考えると別にどうでも良くなって。
「男と会うのに、今日、来れないって言ってたんだ。ひどいなあ、三嶋は」
「ひどくないですよ。相手とは別に何でもないし」
だってコトコさんとは『泊まった』って。
私は、シゲルさんと手さえ握ったこともないよ。
「俺を試してるんだ?ひどいなあ、ひどいよ」
「試してなんて、いません。そんなこと…」
する資格、私には無いし。
彼女ですらないのに。
「ん。それでもいいよ。無理させて悪いけど。なるべく来てよ。三嶋の顔、見たいし。少しでも一緒にいたい」
胸がキュウキュウ痛むけど。
平気なフリして、手早く食事の支度をする。
「俺が好きなの、知ってるくせに」
後ろから抱きしめられ。そっと髪にキスされる。
あと2週間で桐生さんのケガは治り、こうして通う理由も無くなる。そのとき私はどうするんだろう?そしてこの人はどうするんだろう?探るように彼の瞳を覗くけど、答えは出ない。目の前には好きな人がいて、その人も私を好きだと言う。
それを単純に喜べない自分が可哀想で、
可哀想すぎて、堪らなかった…。
……
「もう限界だから」
抱き締めさせて、と彼は呟いた。田之倉さんとの約束も守りたいから、何もしないと。ただ自分の腕の中に閉じ込めたいだけなのだと。
沈黙を了解と受け取ったのか、お風呂上りにそのまま寝室へと向かう。
最初は背中から抱きしめられ、次は私が仰向けになって彼がその上からそっと重なってくる。苦しくないからきっと、彼が両肘に体重をかけているのだろう。
「あは。限界に挑戦だな」
少しずつ、彼の重みを感じてくる。
「足、開いてて」
彼の下腹部と私の下腹部も密着する。徐々に変化してくるものを感じるけど、でもその先に進もうとはしない。ただ、視線だけが熱く絡み合う。
「普通に繋がるより、ずっと気持ちいい。なあ有香。どうすれば俺と付き合ってくれる?」
「…貴方のことが、信じられれば」
「時間をかけて信じて貰うしかないのかな。俺、頑張るから。絶対に他の男のところへは行くなよ」
「ねえ、コトコさんって、誰?」
「コトコ?ああ、有香を好きになる前、コンパで知り合った女。1回だけ寝たけどそれ以来、会ってない」
「ふうん」
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無言で首を横に振る。
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ううん、このままでいたい。
「ねえ、桐生さん…しても、いいよ」
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「それ、『付き合ってもイイ』と受け取るけど。そう解釈しちゃうぞ?」
コクン、と頷く。
「ああ、もう…」
「なに?」
「うん。嬉しいなあ、と思って」
その晩、私たちは、再び結ばれた…。
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