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第一章:凡夫賊子/Ordinary People

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「一郎……俺が悪かった……謝る。一生かけてお前に償いをする……。お前を、そんな人間に育ててしまった責任を取る。だから……せめて……深雪みゆきと優斗くんから輝かしい将来を奪うのだけはやめてくれ……。お前にも人の心が有るなら……実の妹とその亭主ぐらいは見逃してやってくれ……たのむ」
 親父オヤジの頭は……いつも以上にハゲが目立つ髪型だった……。ロクにブラシも入れてないモノを「髪型」と呼べればだが……。
 顔に浮ぶ表情は……俺の悪い頭では巧く表現出来ないが……どうやら、もう、怒る気力も無いようだ。
 義理の弟の優斗は……頭を抱え……、妹の深雪は、ゴミでも見る表情……。そして「警備顧問」の猿渡のおっちゃんは……居心地が悪そうな表情。
「父さん……優くん……やるべき事は簡単だよ。この馬鹿兄貴を、とっとと県警けいさつに突き出そうよ。今、やるべき事は『正しい事』だよ。あたしらの一家の将来が、どうなるかも単純な話だよ。……間違った事をやればやるほど、ドツボにハマってくだけ」
「そ……そんなのは……女子供の感情的な理想論だ……。……ウチの一家が受けるダメージを少なくする方法を冷静に考えてだな……」
「感情的になってるのは、父さんだよ。冷静に考えたら『この馬鹿兄貴を切り捨てれば、ウチの一家が受けるダメージが最小限になる』以外の答なんて出る筈が無いよ。大体、『ウチの一家』の問題なのに、何で、この場に母さんが居ないの?」
「おい、俺が何をやったって言うんだ? 俺は何もやってないぞ」
 顔を伏せてるバカ義弟おとうと以外は……完全にバカを見る目付きになった。
「でも……まだ時間的な余裕は有りますよ」
 そう言ったのは猿渡のおっちゃん。
「そこ、余計な事、言わない」
「ですけどね……ミニコミ誌の編集者の行方不明事件を捜査してんのは福岡県警。で、殺しの現場は……」
「隣の県だ……。確かに……時間は……稼げる……。県警同士の管轄ショバ争いで……。助かった……」
「ええっと……何か良く判んないけどさ……。猿渡さんの『奥の手』は使えないの?」
 とりあえず、馬鹿のフリをして聞くだけ聞いてみた。
「まだ……使えますよ……。最初にデータベースを作った暴力団は潰れましたが……古いバックアップが別の組織に流れて、それを元に新しいデータベースが作られてます」
「じゃあ、猿渡さん、まだ……そのデータベースを使えんの?」
「アクセスは出来ますよ。でもね……伝家の宝刀は抜くフリをする為に使うモノなんですよ……。本当に抜いちゃったら、それは宣戦布告。始まるのは、我々と複数の広域警察に近隣の県警の本気の戦争ですよ。血みどろのね」
 そうか……まだ最終兵器は残ってはいる……。
 猿渡のおっちゃんが「ヤクザに情報を流してたマル暴の刑事」ってトンデモない立場なのに「表向きは自己都合退職」で済んでるのは……この「最終兵器」のお蔭だ……。
 福岡と隣県の県警……いくつかの広域警察……そして近隣の地方検事……。そいつらの個人情報が……全部じゃないが「裏」に流れた。
 その一部を流したのは……この猿渡のおっちゃんだ。
 そして、警察や検察は……ヤクザと、このおっちゃんに金玉を握られてるも同じだ……。
 例えば、警察のエラいさんの子供が行ってる学校と、その子供の通学路……。あるいは、検察官が老いぼれた親を預けてる老人ホームの住所。自分の組織のエラいさんの家族が、いつ、誘拐されるか判んないとなれば……警察でも……。
 ……万が一の事を考えて……猿渡のおっさんから……その情報を提供してもらう必要が有るが……さて、どうするか……?
 ふと気付いたら……何故か、いつの間にか……クソ義弟おとうとだけじゃなくてクソ妹も……夫婦仲良く頭を抱えていた。
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