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月の獣を探せ
17 泣きっ面のコルデロ
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セノフォンテ・コルデロ。
旧姓ジェンティレスキ。イタリアはジェノヴァの名門家にして政治家一族の母を持つ選ばれし血統。父は当時ICPOの文官機関の長官を務めていたエリート。彼は生まれながらにして特別であることを求められた平凡な男の子だった。
愛称クセノフォンとして彼に注がれた両親から愛は教育であった。
時代遅れの帝王学。どこで何に役に立つかもわからない未知の方程式や組成式。音感は無為に鍛えられ絶対となり、肥えた舌には無理やりブランデーが流し込まれた。隠匿された庭。不穏な組織。窓のない机だけの部屋。
いつしか彼は泣くだけの出来損ない。教えても身につかない金食い虫と見なされた。彼に鬱血するほど積もり積もった学芸の呪縛。外来語を習得するのにも凡人より時間の掛かった特別な子供は、それでも両親から愛を注がれ続けた。
机に噛り付いた。軟禁状態で成分の隅々まで計算されつくした栄養満点の食事が決まった時間に提供された。外部との接触がなかったわけではない。何がどのように偉いのかわからない高慢な人々と無理やり握手させられ、何を言っているかわからない談義で口上を述べることもまた彼の役目だった。
数少ない外出の機会。彼は名門の庭を抜ければすぐに目を付けられ、学のない同年代の子供に金銭をたかられた。金の価値も分からぬ凡庸な特別な子は、仲良くなろうと必死に振舞った。庭を抜ければ親も大人も何も言ってこない。過保護ではあったが、暮らしに奇妙な自由は確かに存在したのだ。
まるで門を抜け、庭を出ればそこで別人になれるかのような、新たな世界が広がっているかのような高揚感がそこにはあったのだ。外の世界にいる間だけは自分を忘れられる、クセノフォン・ジェンティレスキは何者でもない男のとしていじめられることが出来たのだ。
傷だらけで帰っても、肩を外されて帰っても、歯が数本と折られていても、誰もセノフォンテを気遣うことはなかった。彼を教える講師たちは彼のことを見てすらいなかった。傷も痛みも見えはしない。最初から関心などないのだ。あるのは何一つ思い通りに技術を身に着けない教え子に対する鬱屈感だけ。辟易してすらいたのだろう。
そこで疑問。両親はボロボロになった自分を見てどう言葉をかけるのか。
答えは単純。何も言わなかった。だって、両親は自分がどこでどのような教育を受けているのか知らないのだから。
他人に任せて鍛え抜く。だって自分は忙しいから。でもそれは素敵なことだと思えた。だって、自分が傷ついても理解しないのなら、自分が誰かを傷つけてもきっと気にしないだろうから。
半年間で二十人。
セノフォンテに腕、或いは足の骨を折られた子供数だった。犯人が彼だということは誰でも知っている。でも、これまで町の子供たちがクセノフォンに対して行っていた仕打ちをしっていた大人たちは、ジェンティレスキの子の蛮行に口を噤むしかなかった。
大きな屋敷に守られた特別な子供。ジェンティレスキの子に悪口を言うことはできない。第一、誰もが知っているジェンティレスキの子は自分がそうだという自覚はない。外に出た自分は別人、庭を離れた己は別人格と言わんばよかりの精神構造を以てして、日中から大通りで子供を叩きのめした。
彼に認められた唯一の才能。いや、唯一まともだと思われた能力。
それが暴力だった。生き物を傷つける力だった。
ジェンティレスキは悪魔の子。コルデロは泣きっ面で町の悪たれ坊の腕をへし折る。泣きっ面で首を締め上げる。
十歳に満たない悪魔を皆は恐れた。ジェンティレスキの名で彼を呼んではいけない。呼んだ傍から襲いに来る。大きな庭から襲いに来る。うろから飛び出た暴力の芽。ヒトを傷つけてもなんとも思わない平凡な子。
それが泣きっ面のコルデロ。多くの愛され、恐れられた幼少期。
――――――――
――――――――
仮面のサムライはセノフォンテの左手の指を切り落とした。床に落ちた指は薬指と小指、中指は入った切れ込みから血を流しながら力なくぶら下がっていた。
畳みかける連撃。躊躇と手加減のない半端な攻勢。振り切れていないからこそ疲弊を誘う一貫した精神攻撃。心を折るべく増殖された分身の数は三十を超えた。それが群集となり、蠢き集る虫のように鬱陶しく彼を取り囲む。殺意を剥き出しにした女王なしの殺人蜂。一挙手一投足に全霊をかけて見切らねばたちまちに切り捨てられる鋭利な斬撃の雨。落とされた指はすぐに踏みつぶされ、原型を失った。
片手で握られた撃墜棍。それでもなお的確に振り捌かれるそれは先程よりも強く激しくサムライの頭を砕いた。それだけではない、もはや彼は暴力の権化。暴威を纏った鬼神の如き形相と気魄。圧こそないがその軋んだ心はエリゼ・キホーテを思わせるまでの殺意を撒き散らした。
怨讐や不快からではない。エリゼのようにはっきりとした理由があるわけではない。
彼がなおも戦い続ける理由は勝ちたいからではく、生きたいからだ。もはや目にも留まらぬ速さで猛烈に当身やタックル、蹴りに極め技に走り出す彼には各個撃破の意思が宿っており、今でのような防戦一方ではなくなった。
諸刃の特攻。カウンターされることが前提な無理を通した肉迫攻撃。
飛び散るサムライの血潮。鷲掴みにされて引きずり出される臓物。砕け散って山積するサムライの仮面。
無限に増殖する死肉と骸。バラバラにしていくサムライの体はヴァンプールといえど、その構造はなんら人間と変わらないようにさえ思われた。
――――― 通じる。
攻撃は間違いなく通じている。常に付きまとう無限の敵という課題さえなければ、なんてことない相手だ。
突破法がない鬱屈さなど、当に味わい尽くした。考えても及ばないなら考える必要はない。
殺して、殺して、殺して、殺す。
潰して、潰して、なおも潰す。
怪物を相手にするのなら、こちらも怪物にならなくてはいけない。
―――
鈍痛。また蹴られた。
セノフォンテの体が宙に浮かぶ。それを狙う刃が三つ。
彼は空中で身を翻し、力を溜め、攻撃を繰り出す。一つの刃は根源の肉体から蹴り殺し、もう一つは肘の先で軌道を逸らす。もう一つは歯から食らいつき、勢いを殺してそのまま奪い取った。一瞬だけ撃墜棍を宙に預け、その合間に持ち替えた太刀で二人の分身を斬り捨てる。骸の合間から飛び出してきた分身をその勢いのまま両断し、裂けた体の縫い目を潜って棍を手に取り振り回す。
背後からうなじに白刃が届く。斬られるより先に体がその感触を覚えてさらに速く回転した。助走も前置きもない宙返り。あろうことか転回する最中にその体は満開の花のように開いて周囲の分身を蹴り上げ、高く飛翔して上段からの攻撃に移った。棍を振り捌いて分身の首を吹き飛ばし、崩れ落ちる死肉を足場に同じことを繰り返す。
目まぐるしく変化するセノフォンテの猛攻に思いあぐねた分身たちが距離を取ろうとするも、それより先に彼が奪い取った太刀が投げつけられて突き刺さり、考えるために必要な思考が鈍って朽ちる。
獣のそれよりなおも凶悪な足運び。軸がどこにあるのか見当がつかないバランス感覚は分身たちの高速の剣筋を掻い潜って惑わし、ついには瞬きの間に背後を取られるまでの脅威となった。この時点で、分身たちが繰り出す攻撃の殆どはセノフォンテでなく自分たちの分身に命中するようになっていた。
「なんだ…その動きは…?」
分身の首が飛ぶ。
「何故、そこまで動くのだ?」
分身の貌を太刀が穿ち抜く。
「呼吸はどうした?関節は動くのか?……疲労は蓄積する。損傷も拡大するはずだ。…なぜ、人間がそこまで動ける?動き続けることが出来る?」
一秒で五体を仕留める鬼。もはや血煙ばかりが充満してどこに誰がいるのかわからない。斬りつけるものは分身ばかりで狙いを付けることも叶わず、思いあぐねているうちに体がバラバラにされる。
(ここは退くべきだ。ここまで場が乱れては意思の疎通も乱れ――――!!?)
狂ったように攻め続ける人間。ヴァンプールの突破方法を知ってか知らずか挑み続けてくる猪のような存在。
いや、蠅のような存在だった。何しろ、この分ではこの人間はヴァンプールである自分を殺すことは不可能。どれだけ分身を潰したとしても、全てが本体と同等の性能を持っているヴァンプールにとっては一人でも生き残っていれば死ぬことは無い。元々頭を抉られようが、心臓を穿たれようが即死はしない生命体。弱点である《銀腐の弾丸》《権能による時空存在への干渉》《本体を含めた超広域の殲滅攻撃》を用いることを可能としない以上は、こうして向かってくるのはすべて無意味な抵抗とすらいっても良い。
ヴァンプールの群集体系の力は端的に表現すると空間に保存して自分の情報を用いたコピー作成だ。
周囲の空間、或いは特定の物体に対して亜空間における書き換え可能な《変数の器》を宣言し、そこに自分の情報をヴァンプールの体内言語によって数値化する。その値を変数に代入することで彼らの存在は環境に保存され、その変数は彼らの意思に順応して呼び出され、亜空間を通じて空間に放出される。
つまり世界に顕れるヴァンプールの分身とはそのヴァンプールが登録した最も状態の良い自分であり、いかに混戦と言えど自分と同じ思考回路と自我を持つ者らとは言葉なくしても意思の疎通が可能となる。
自分と同じ存在を無尽蔵に呼び出すことが出来る彼らにとって、人間の言う物量戦などはまるで相手にならない。どれだけの意思や闘志を以ても、特別な処置を可能とする人間でなくてはそもそも立ち向かうことも出来ないのだ。
(その……はずだというのにッ!!!?)
仮面のサムライは押されていた。数で押していたはずの戦況が変化している。未だに牙の折れない闘志は今なおまっすぐと全ての分身に対して純然たる殺意を向けている。よもや距離を取ろうと動いて足を掬われる次第。これでは距離を確保しようという動きそのものが弱点だと言えなくもない。
「よかろう小僧!!!!ならばこちらも出し惜しむ謂れはないッ!!!ヴァンプールとは何たるかをその身を以て味わうが良いッ」
呼び出すは無限の自己。全ての自分が自分を呼び出し、それがまた自分を呼び出す。もはや戦略も何もあったものではない、群集体系の基本にして最強の技。無限の自己召喚による指数関数的な爆発的な空間占有。迫りくる肉の壁は回廊を破壊する圧力と勢いを生み出し、ただ増えるだけの肉壁が瞬時に空間を埋め尽くしていく。一秒と待たずに勢いを生んだその波は凄まじいエネルギーの衝撃となってセノフォンテに叩きつけられる。
「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね!!!」
重なった呪詛にも似た言葉の重み。全てを押し流す生命の奔流。自己も他己も介さない無限の発散により、回廊は破壊され、構造を同じくした無数の回廊にそれらが流れ出す。前後上下左右。全ての方向に飛び出し続けるヴァンプール。仮面をつけたサムライの虎の子の一撃が形容し難い圧力となって周囲を破壊していく。
――――
―――
――
―――――― 堕 ち ろ
何かが聞こえた。鐘の音のような宣告。嗚呼、だからどうした。
―――
無限の発散に未知のベクトルが生まれる。ただ飛び出すばかりの肉塊だったものが、今度は意思なく《何か》に吸い込まれていく。全ての耳が、鼻が、目が。その何かを捉える頃には既に手遅れだった。
押しつぶされる空間。抵抗を許さない《引っ張る力》。そこから有無を言わさず眼下に向けて全てを押し流して墜とす《押しつぶす力》。仔細は違うが、ヴァンプールはこの力に概要する権能を知っている。忌々しいヴァンプールから見た畏怖と畏敬の対象。第一圏を支配する《海賊王/アブー・アル・アッバース》の《撃墜》の権能に系譜する力だ。
空中特攻。浮遊物特攻。地面に触れてない存在すべてへの特攻。撃墜の概念を同じくした者らの持つエネルギーはヴァンプールから見ても以上だ。そもそも、権能を持たない下級のヴァンプールが権能からなる恵能者に打ち勝つのはそもそも無理がある話なのだ。権能を有するヴァンプールとそうでない者とでは、生命としての根本的な構造も格付けもまるで異なるのだ。
「撃墜の恵だと!!?……小僧、何故今まで隠してッ…ひっ!?」
全てが吸い込まれる。全てが押しつぶされる。いつの間にか発散した無限は栓を抜いた桶の水のように一点にむけて収束し、一人の人間を起点に撃墜されていく。
「聞いていないッ!!!聞いていないぞ《明国王》!!!聞いていないぞ我が主!!!!撃墜持ちなぞこの手に余るッ!!!」
身を翻し、全ての本体、全ての分身が逃走を図る。数体はその建造物から外の世界に飛び出した。目に映る群集。逃げに走るヴァンプールを指さす見物客たち。
何を呑気にしているのか。このまま撃墜の力が発動されれば鏖だ。特に引力を伴う力はタチが悪い。何人も逃げることの叶わないブラックホールが今まさに溢れんばかりの殺意を剥き出しにして牙を見せつけているのだ。
「糞!!」
引きずり込まれる。逃げられない。抵抗すらできない。
引き寄せる力。抵抗できない引力がその身を不可視の手で捉えるように引っ張る。
「やめろ…」
そこからが早い。宙に浮いた両足ではもはや奔流に身を任せることしかできない。無論、身を任せたくはない。
「やめんか!!!」
人間が見える。射程だ。全てが射程だ。もう誰も残っていない。
人間が手を振り上げている。片手に握られた撃墜棍。その先端に不可視のエネルギーが迸っている。
「やめろッ!!!…やめっ!!!……やめろォォオオオ!!!!」
「俺は――――」
――――
その日、一体のヴァンプールが死んだ。
無限を呼び出し、無限が敗れた時、その前提を無くしたヴァンプールは死ぬのだ。
「辞世の句なんて聞きたくないね」
旧姓ジェンティレスキ。イタリアはジェノヴァの名門家にして政治家一族の母を持つ選ばれし血統。父は当時ICPOの文官機関の長官を務めていたエリート。彼は生まれながらにして特別であることを求められた平凡な男の子だった。
愛称クセノフォンとして彼に注がれた両親から愛は教育であった。
時代遅れの帝王学。どこで何に役に立つかもわからない未知の方程式や組成式。音感は無為に鍛えられ絶対となり、肥えた舌には無理やりブランデーが流し込まれた。隠匿された庭。不穏な組織。窓のない机だけの部屋。
いつしか彼は泣くだけの出来損ない。教えても身につかない金食い虫と見なされた。彼に鬱血するほど積もり積もった学芸の呪縛。外来語を習得するのにも凡人より時間の掛かった特別な子供は、それでも両親から愛を注がれ続けた。
机に噛り付いた。軟禁状態で成分の隅々まで計算されつくした栄養満点の食事が決まった時間に提供された。外部との接触がなかったわけではない。何がどのように偉いのかわからない高慢な人々と無理やり握手させられ、何を言っているかわからない談義で口上を述べることもまた彼の役目だった。
数少ない外出の機会。彼は名門の庭を抜ければすぐに目を付けられ、学のない同年代の子供に金銭をたかられた。金の価値も分からぬ凡庸な特別な子は、仲良くなろうと必死に振舞った。庭を抜ければ親も大人も何も言ってこない。過保護ではあったが、暮らしに奇妙な自由は確かに存在したのだ。
まるで門を抜け、庭を出ればそこで別人になれるかのような、新たな世界が広がっているかのような高揚感がそこにはあったのだ。外の世界にいる間だけは自分を忘れられる、クセノフォン・ジェンティレスキは何者でもない男のとしていじめられることが出来たのだ。
傷だらけで帰っても、肩を外されて帰っても、歯が数本と折られていても、誰もセノフォンテを気遣うことはなかった。彼を教える講師たちは彼のことを見てすらいなかった。傷も痛みも見えはしない。最初から関心などないのだ。あるのは何一つ思い通りに技術を身に着けない教え子に対する鬱屈感だけ。辟易してすらいたのだろう。
そこで疑問。両親はボロボロになった自分を見てどう言葉をかけるのか。
答えは単純。何も言わなかった。だって、両親は自分がどこでどのような教育を受けているのか知らないのだから。
他人に任せて鍛え抜く。だって自分は忙しいから。でもそれは素敵なことだと思えた。だって、自分が傷ついても理解しないのなら、自分が誰かを傷つけてもきっと気にしないだろうから。
半年間で二十人。
セノフォンテに腕、或いは足の骨を折られた子供数だった。犯人が彼だということは誰でも知っている。でも、これまで町の子供たちがクセノフォンに対して行っていた仕打ちをしっていた大人たちは、ジェンティレスキの子の蛮行に口を噤むしかなかった。
大きな屋敷に守られた特別な子供。ジェンティレスキの子に悪口を言うことはできない。第一、誰もが知っているジェンティレスキの子は自分がそうだという自覚はない。外に出た自分は別人、庭を離れた己は別人格と言わんばよかりの精神構造を以てして、日中から大通りで子供を叩きのめした。
彼に認められた唯一の才能。いや、唯一まともだと思われた能力。
それが暴力だった。生き物を傷つける力だった。
ジェンティレスキは悪魔の子。コルデロは泣きっ面で町の悪たれ坊の腕をへし折る。泣きっ面で首を締め上げる。
十歳に満たない悪魔を皆は恐れた。ジェンティレスキの名で彼を呼んではいけない。呼んだ傍から襲いに来る。大きな庭から襲いに来る。うろから飛び出た暴力の芽。ヒトを傷つけてもなんとも思わない平凡な子。
それが泣きっ面のコルデロ。多くの愛され、恐れられた幼少期。
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仮面のサムライはセノフォンテの左手の指を切り落とした。床に落ちた指は薬指と小指、中指は入った切れ込みから血を流しながら力なくぶら下がっていた。
畳みかける連撃。躊躇と手加減のない半端な攻勢。振り切れていないからこそ疲弊を誘う一貫した精神攻撃。心を折るべく増殖された分身の数は三十を超えた。それが群集となり、蠢き集る虫のように鬱陶しく彼を取り囲む。殺意を剥き出しにした女王なしの殺人蜂。一挙手一投足に全霊をかけて見切らねばたちまちに切り捨てられる鋭利な斬撃の雨。落とされた指はすぐに踏みつぶされ、原型を失った。
片手で握られた撃墜棍。それでもなお的確に振り捌かれるそれは先程よりも強く激しくサムライの頭を砕いた。それだけではない、もはや彼は暴力の権化。暴威を纏った鬼神の如き形相と気魄。圧こそないがその軋んだ心はエリゼ・キホーテを思わせるまでの殺意を撒き散らした。
怨讐や不快からではない。エリゼのようにはっきりとした理由があるわけではない。
彼がなおも戦い続ける理由は勝ちたいからではく、生きたいからだ。もはや目にも留まらぬ速さで猛烈に当身やタックル、蹴りに極め技に走り出す彼には各個撃破の意思が宿っており、今でのような防戦一方ではなくなった。
諸刃の特攻。カウンターされることが前提な無理を通した肉迫攻撃。
飛び散るサムライの血潮。鷲掴みにされて引きずり出される臓物。砕け散って山積するサムライの仮面。
無限に増殖する死肉と骸。バラバラにしていくサムライの体はヴァンプールといえど、その構造はなんら人間と変わらないようにさえ思われた。
――――― 通じる。
攻撃は間違いなく通じている。常に付きまとう無限の敵という課題さえなければ、なんてことない相手だ。
突破法がない鬱屈さなど、当に味わい尽くした。考えても及ばないなら考える必要はない。
殺して、殺して、殺して、殺す。
潰して、潰して、なおも潰す。
怪物を相手にするのなら、こちらも怪物にならなくてはいけない。
―――
鈍痛。また蹴られた。
セノフォンテの体が宙に浮かぶ。それを狙う刃が三つ。
彼は空中で身を翻し、力を溜め、攻撃を繰り出す。一つの刃は根源の肉体から蹴り殺し、もう一つは肘の先で軌道を逸らす。もう一つは歯から食らいつき、勢いを殺してそのまま奪い取った。一瞬だけ撃墜棍を宙に預け、その合間に持ち替えた太刀で二人の分身を斬り捨てる。骸の合間から飛び出してきた分身をその勢いのまま両断し、裂けた体の縫い目を潜って棍を手に取り振り回す。
背後からうなじに白刃が届く。斬られるより先に体がその感触を覚えてさらに速く回転した。助走も前置きもない宙返り。あろうことか転回する最中にその体は満開の花のように開いて周囲の分身を蹴り上げ、高く飛翔して上段からの攻撃に移った。棍を振り捌いて分身の首を吹き飛ばし、崩れ落ちる死肉を足場に同じことを繰り返す。
目まぐるしく変化するセノフォンテの猛攻に思いあぐねた分身たちが距離を取ろうとするも、それより先に彼が奪い取った太刀が投げつけられて突き刺さり、考えるために必要な思考が鈍って朽ちる。
獣のそれよりなおも凶悪な足運び。軸がどこにあるのか見当がつかないバランス感覚は分身たちの高速の剣筋を掻い潜って惑わし、ついには瞬きの間に背後を取られるまでの脅威となった。この時点で、分身たちが繰り出す攻撃の殆どはセノフォンテでなく自分たちの分身に命中するようになっていた。
「なんだ…その動きは…?」
分身の首が飛ぶ。
「何故、そこまで動くのだ?」
分身の貌を太刀が穿ち抜く。
「呼吸はどうした?関節は動くのか?……疲労は蓄積する。損傷も拡大するはずだ。…なぜ、人間がそこまで動ける?動き続けることが出来る?」
一秒で五体を仕留める鬼。もはや血煙ばかりが充満してどこに誰がいるのかわからない。斬りつけるものは分身ばかりで狙いを付けることも叶わず、思いあぐねているうちに体がバラバラにされる。
(ここは退くべきだ。ここまで場が乱れては意思の疎通も乱れ――――!!?)
狂ったように攻め続ける人間。ヴァンプールの突破方法を知ってか知らずか挑み続けてくる猪のような存在。
いや、蠅のような存在だった。何しろ、この分ではこの人間はヴァンプールである自分を殺すことは不可能。どれだけ分身を潰したとしても、全てが本体と同等の性能を持っているヴァンプールにとっては一人でも生き残っていれば死ぬことは無い。元々頭を抉られようが、心臓を穿たれようが即死はしない生命体。弱点である《銀腐の弾丸》《権能による時空存在への干渉》《本体を含めた超広域の殲滅攻撃》を用いることを可能としない以上は、こうして向かってくるのはすべて無意味な抵抗とすらいっても良い。
ヴァンプールの群集体系の力は端的に表現すると空間に保存して自分の情報を用いたコピー作成だ。
周囲の空間、或いは特定の物体に対して亜空間における書き換え可能な《変数の器》を宣言し、そこに自分の情報をヴァンプールの体内言語によって数値化する。その値を変数に代入することで彼らの存在は環境に保存され、その変数は彼らの意思に順応して呼び出され、亜空間を通じて空間に放出される。
つまり世界に顕れるヴァンプールの分身とはそのヴァンプールが登録した最も状態の良い自分であり、いかに混戦と言えど自分と同じ思考回路と自我を持つ者らとは言葉なくしても意思の疎通が可能となる。
自分と同じ存在を無尽蔵に呼び出すことが出来る彼らにとって、人間の言う物量戦などはまるで相手にならない。どれだけの意思や闘志を以ても、特別な処置を可能とする人間でなくてはそもそも立ち向かうことも出来ないのだ。
(その……はずだというのにッ!!!?)
仮面のサムライは押されていた。数で押していたはずの戦況が変化している。未だに牙の折れない闘志は今なおまっすぐと全ての分身に対して純然たる殺意を向けている。よもや距離を取ろうと動いて足を掬われる次第。これでは距離を確保しようという動きそのものが弱点だと言えなくもない。
「よかろう小僧!!!!ならばこちらも出し惜しむ謂れはないッ!!!ヴァンプールとは何たるかをその身を以て味わうが良いッ」
呼び出すは無限の自己。全ての自分が自分を呼び出し、それがまた自分を呼び出す。もはや戦略も何もあったものではない、群集体系の基本にして最強の技。無限の自己召喚による指数関数的な爆発的な空間占有。迫りくる肉の壁は回廊を破壊する圧力と勢いを生み出し、ただ増えるだけの肉壁が瞬時に空間を埋め尽くしていく。一秒と待たずに勢いを生んだその波は凄まじいエネルギーの衝撃となってセノフォンテに叩きつけられる。
「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね!!!」
重なった呪詛にも似た言葉の重み。全てを押し流す生命の奔流。自己も他己も介さない無限の発散により、回廊は破壊され、構造を同じくした無数の回廊にそれらが流れ出す。前後上下左右。全ての方向に飛び出し続けるヴァンプール。仮面をつけたサムライの虎の子の一撃が形容し難い圧力となって周囲を破壊していく。
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―――――― 堕 ち ろ
何かが聞こえた。鐘の音のような宣告。嗚呼、だからどうした。
―――
無限の発散に未知のベクトルが生まれる。ただ飛び出すばかりの肉塊だったものが、今度は意思なく《何か》に吸い込まれていく。全ての耳が、鼻が、目が。その何かを捉える頃には既に手遅れだった。
押しつぶされる空間。抵抗を許さない《引っ張る力》。そこから有無を言わさず眼下に向けて全てを押し流して墜とす《押しつぶす力》。仔細は違うが、ヴァンプールはこの力に概要する権能を知っている。忌々しいヴァンプールから見た畏怖と畏敬の対象。第一圏を支配する《海賊王/アブー・アル・アッバース》の《撃墜》の権能に系譜する力だ。
空中特攻。浮遊物特攻。地面に触れてない存在すべてへの特攻。撃墜の概念を同じくした者らの持つエネルギーはヴァンプールから見ても以上だ。そもそも、権能を持たない下級のヴァンプールが権能からなる恵能者に打ち勝つのはそもそも無理がある話なのだ。権能を有するヴァンプールとそうでない者とでは、生命としての根本的な構造も格付けもまるで異なるのだ。
「撃墜の恵だと!!?……小僧、何故今まで隠してッ…ひっ!?」
全てが吸い込まれる。全てが押しつぶされる。いつの間にか発散した無限は栓を抜いた桶の水のように一点にむけて収束し、一人の人間を起点に撃墜されていく。
「聞いていないッ!!!聞いていないぞ《明国王》!!!聞いていないぞ我が主!!!!撃墜持ちなぞこの手に余るッ!!!」
身を翻し、全ての本体、全ての分身が逃走を図る。数体はその建造物から外の世界に飛び出した。目に映る群集。逃げに走るヴァンプールを指さす見物客たち。
何を呑気にしているのか。このまま撃墜の力が発動されれば鏖だ。特に引力を伴う力はタチが悪い。何人も逃げることの叶わないブラックホールが今まさに溢れんばかりの殺意を剥き出しにして牙を見せつけているのだ。
「糞!!」
引きずり込まれる。逃げられない。抵抗すらできない。
引き寄せる力。抵抗できない引力がその身を不可視の手で捉えるように引っ張る。
「やめろ…」
そこからが早い。宙に浮いた両足ではもはや奔流に身を任せることしかできない。無論、身を任せたくはない。
「やめんか!!!」
人間が見える。射程だ。全てが射程だ。もう誰も残っていない。
人間が手を振り上げている。片手に握られた撃墜棍。その先端に不可視のエネルギーが迸っている。
「やめろッ!!!…やめっ!!!……やめろォォオオオ!!!!」
「俺は――――」
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その日、一体のヴァンプールが死んだ。
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